軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第28話・夜の女子会

客間には、ゆるやかな満足の空気が漂っていた。

王女用に少し広めに仕立てられた部屋。

分厚い羽毛布団を備えたベッドが数台、壁際には衣装棚と姿見。

真ん中には、くつろぎ用のソファと低めのテーブル。

夕飯を終えたアウローラ一行は、そのソファ周りに思い思いの格好で座り込んでいた。

靴は脱ぎ、コルセットもゆるめ、腰のベルトも一段階外して。

誰も声には出さないが、全員の表情が同じことを物語っている。

――お腹が幸せだ。

アウローラが、ソファの背にもたれかかりながら、ぽつりと呟いた。

「よもや小魚に心躍らせる日が来るとはな……」

その声音は、心底からの感嘆だった。

向かい側の椅子に腰掛けていたマルガリータが、静かに笑う。

「ええ。しかも、あれは小魚だからこそでしたね」

黒髪をまとめた侍女長は、長い脚を組み替えながら続ける。

「骨まで、あんなに綺麗に、美味しく食べてしまうなんて。驚きました」

今日の夕飯の主役――小アジの南蛮漬け。

小ぶりの魚を丸ごとからりと揚げ、熱々のまま甘酸っぱいタレにどぼんと沈める。

そこに薄切りの玉ねぎや人参、輪切りの唐辛子が加わって、時間が経つほどに味がしみていく。

「南蛮」という言葉の意味を、この世界の誰も正しくは知らない。

有羽が「大昔の、どこかの異国とこっちの世界の、まあ文化交流の名残みたいなやつ」と、それっぽいことを言っていた気もするが、アウローラは半分くらいしか理解していない。

重要なのは――美味かったという事実だけだ。

それ以外は些事である。

ソファの端に座っていた侍女の一人が、うっとりとした顔で口を挟んだ。

「あの赤い辛いのが、味を引き立ててましたね」

別の侍女が、ぱっと顔を上げる。

「赤い……輪切りになっていたあれですわね。舌にぴりっと来るやつ」

「唐辛子、と仰っていましたね。有羽様」

マルガリータが思い出すように頷く。

「魔国との取引品の帳簿にも、似た名前がありましたわ。乾いた赤い実として」

「まあ!」

侍女たちの目が一斉に輝いた。

「なら、我が国でも使えますのね!」

「うまく仕入れられれば、王都の料理にも……!」

「唐辛子入りの南蛮漬け……屋台で売ったら絶対に流行りますわ!」

きゃあきゃあ、と一気に盛り上がる。

アウローラは、その様子を眺めながら、ふと天井を見上げた。

(……唐辛子、か)

あの赤い輪切りが、甘酸っぱいタレに紛れている。

口に入れた瞬間、最初は甘さと酸味。

遅れて、ぴりりと舌を刺す辛みがくる。

それだけなのに、何故か箸――いや、フォークの動きが止まらない。

「問題は、あの甘酸っぱいタレだな」

アウローラが、現実的な課題に話を戻す。

「我が国でも作れなくはない。が……」

マルガリータが、こくりと頷いた。

「ビネガーは、すでにございますからね」

王都の酒場、貴族のワイン蔵。

そこでは時々、「失敗作」が生まれていた。

リンゴ酒を放置していたら、いつの間にかすっぱい液体になっていた――最初は、そういう偶然から始まったと、古い記録にある。

最初にそれを味見した者は顔をしかめたが、

ある料理人が肉料理に使ってみたところ、意外なほど美味しかった。

『それが発酵ってやつだよ』

以前、有羽はそう言って笑っていた。

『腐ってるのと、変わってるのは違うんだ。人にとって都合よく変わってくれたものだけが、食べ物になる。まあ、説明し始めると長いんだけど』

――その時も、アウローラは半分くらいしか理解できなかった。

「発酵、という言葉は覚えましたが……」

難しそうな顔でマルガリータが続ける。

「ヨーグルトの方はいまだに、国では安定供給できませんね」

「む……」

アウローラは、少しばつが悪そうに視線をそらした。

「乳酸菌、でしたか?」

「そうです。『乳酸菌だけで発酵させる』と仰っていましたね。有羽様」

「……乳酸菌ってなんだ?」

アウローラは、正直な疑問を口にする。

何度も聞いたはずなのだ。

メモにも書いた。

王都に持ち帰り、学者たちに見せた。

結果、学者たちは同じように頭を抱え、

「菌とは……」「乳とは……」「酸とは……」と、分解して考え始めた。

その様子を、有羽に話した時――

『あー……そこからか……』

と、実に気の毒そうな顔をされた。

(軍事や戦術なら、いくらでも語れるんだがな……)

アウローラは心の中で肩を落とす。

礼法も、実務も、戦場も得意だ。

だが、学術的な話になると、とたんに頭が痛くなる。

学園時代の筆記試験の惨状は、今でも忘れられない。

アウローラの答案には、よく赤い印が踊った。

(……あれは、二度と思い出したくない……)

そしてその度に、姉であるレジーナに怖い笑みを向けられた。

王族たるものが、赤点ギリギリとか許さないわよ? と。

ぶるりと背筋が震えた。

「まあ、それはともかく」

アウローラは、わざとらしく咳払いして話を切り替えた。

「小アジの南蛮漬けは、頑張れば王国でも作れそうだ」

唐辛子は、魔国との交易ルートから仕入れる。

ビネガーは、すでに王都でも一定量は生産できている。

砂糖は貴重だが、蜂蜜で代用することもできる。

「香辛料をあまり使わない廉価版なら、平民にも提供できそうなところがいい」

「屋台や酒場で出せれば、きっと喜ばれますわ」

侍女の一人が、夢を見るような目付きで言う。

「揚げた小魚に、甘酸っぱいタレ……あれは、働いた後の一杯にも合う味ですわね」

「陛下も、お忍びでこっそり買いに行かれたりして」

「バレたら王都がひっくり返りますわよ」

くすくす、と笑い合う。

別の侍女が、ぽそりと呟いた。

「……肉と茸の生姜焼きも絶品でした」

その声に、全員が一瞬黙る。

思い出したのだ。

あの夕飯のもう一品――上位オーク肉とキノコの生姜炒め。

「葉野菜に包んで食べると、もう……」

言葉を探しながら、胸元を押さえる。

熱々の肉と、たっぷりの茸。

生姜の香りが立った甘じょっぱいタレがからみ、それをしゃきしゃきの葉野菜でくるりと巻いて口に運ぶ。

噛むたびに、肉汁とタレと野菜の水分が、口いっぱいに広がっていく。

「パンにも合いましたけど……あの葉野菜で巻く食べ方が、本当に……」

「葉で包んで食べる、という発想が、ありそうで無かったんですよね」

「今度から、王都でも真似しますわ。生姜炒めの日は葉野菜必須で」

思い出すだけで、再び食欲がむくむくと頭をもたげる。

お腹は満ちている。

だが、脳が「もう一度」と囁く。

「今の流れですと、また怒りが沸いてきますわね……」

侍女の一人が、苦笑しながらお腹を押さえた。

「レシピさえあれば……」

「詳細なレシピさえあれば……!」

ベッドは相変わらずふかふかだ。

もう少しお腹が落ち着いたら、お風呂に入って、そのまま眠りたい。

今晩の麻雀卓は、どうやら護衛と有羽たち男組で盛り上がるらしい。

女性陣は満腹なので辞退だ。昼間のカレーから沢山食べ過ぎたので、血糖値が。

正直なところ、かなり眠いのである。侍女だってお腹一杯になれば眠くなる。

そんな眠気を我慢しながら、侍女長マルガリータが、ふと思い出したように言う。

「生姜も、有羽様に教わるまでは、薬の一種でしかありませんでしたね」

かつて、生姜は【辛くて体を温める、ちょっと癖の強い薬草】扱いだった。

冷え性や腹痛のときに、薄切りにして煎じるもの。

「今では、国でも肉の臭み消しなどに重宝されてます」

「うむ」

アウローラは頷く。

「肉と生姜の相性は抜群だ」

硬めの肉でも、しっかりとした香りで包んでくれる。

汗をかく季節でも、妙な生臭さが残らない。

「……あとは、有羽の作る『醤油』さえ王国でも完成すればな」

アウローラの目が、どこか遠くを見る。

「オーク肉の生姜焼きが、いつでも食べられるのだが」

一瞬で、部屋の空気が「悔しさ」の色に染まった。

醤油。

有羽が「これはまだ未完成」と言いつつ、時々料理に使う、黒いしょっぱい液体。

ただ塩辛いだけでなく、深い香りと旨味が詰まっている。

国でも再現を試みてはいるが――

今のところ、「何か黒くてしょっぱくて、ちょっと苦い液体」が出来上がるばかりだ。

「『豆を潰して塩と一緒に寝かせる』って、言ってましたわよね……」

侍女がメモ帳の記憶をたどる。

「寝かせるって、どのくらいの期間なんでしょうね……」

「『年単位』とか仰っていましたわ」

「また発酵ですわね……」

「また菌ですわね……」

「そして有羽様だけが、魔法で年単位の時間を短縮できる……」

「けれど私達は、理屈の段階で躓いていると……」

マルガリータが、溜息まじりにまとめる。

「ここから先は、国の技術者たちの仕事だ、と仰っていましたからね。有羽様」

アウローラは、ソファの背に頭をあずけ、天井をにらんだ。

「くそぅ……」

腹は満ちているのに、胸の内にわき上がってくるのは、再び『食』にまつわる怒りだ。

アウローラは、きゅっと拳を握りしめる。

「レシピが……詳細なレシピが切実に欲しい……!」

侍女たちも、同じように拳を握る。

「完成した南蛮漬けと生姜焼きの味だけ見せておいて……!」

「発酵だの菌だのと言って、肝心なところは「頑張って」で済まされる……!」

「酷いですわ、有羽様……!」

「でも、ありがたいですわ、有羽様……!」

「そこがまた、悔しいところですわ……!」

言葉の端々に、感謝と恨みがぐちゃぐちゃに混ざっている。

きゃあきゃあと弾む声。

話題はそのまま甘酸っぱいタレへ移りや、ビネガーの話、発酵の話、乳酸菌が何者なのか分からない話――と、あれこれ飛び交う。どうすれば作れるのか、あーだこーだと。

誰もが楽しそうで、幸せそうで。

――だからこそ。

アウローラの中で、ふいに何かが引っかかった。

(……? 発酵……昼……昼? 昼飯前……あ)

そこで、ようやく気付いた。

というか、今の今まで忘れていた。

美味しい夕飯に我を忘れて、大事な事を忘れていた。

「……って」

ソファに沈んでいた身体が、びくんと跳ね上がる。

「呑気に飯の話してる場合じゃなかった!!」

客間の空気が、一瞬で張り詰めた。

「ひゃっ!?」

「殿下!?」

侍女たちが一斉に体を起こす。

が、アウローラは構わず、すぐさま標的を定めた。

「マルガリータ!」

「は、はいっ」

きびきびと返事をした侍女長は――次の言葉を聞いて、ぴたりと硬直する。

「昼飯前に言っていたことの詳細を詰めるぞ!」

「――――」

一瞬だけ、ぽかんとした顔。

(……あ)

すぐに、自分も同じくらい呑気に夕飯を堪能してしまっていたことを自覚する。

三十路美女の頬に、ほんのりと赤みがさした。

「……失礼いたしました」

マルガリータはすぐに背筋を伸ばし、王女に向き直った。

「すっかり、小アジに気を取られておりました」

「私もだ」

アウローラは認めるように頷き、それから周囲を見回した。

他の侍女たちは、完全に「?」顔である。

昼前の密談は、マルガリータだけが聞いていた。彼女たちは内容を知らない。

「――全員、こっちに」

アウローラは声を潜めて言った。

「顔を寄せろ。輪になるように」

王女の表情が、ただ事ではないと悟った侍女たちは、すぐに立ち上がる。

ソファから降り、椅子から腰を上げ、

客間の中央に、即席の「円陣」が組まれた。

床に座る者、ソファの縁に腰掛けて身を乗り出す者――

とにかく全員の顔が近づき、ひとつの小さな輪ができる。

アウローラは、その真ん中で、低い声を出した。

「いいか。よく聞け」

全員が、ごくりと唾を飲み込む。

「――次の訪問時」

一拍置いて。

「姉上を此処に連れて来れる許可を貰った」

マルガリータだけは、静かに目を閉じて頷いた。

彼女には、すでに昼に打ち明けてある。

だが、他の侍女たちは――。

「…………っ!」

思わず口に手を当てる。

息が漏れそうになるのを、必死に塞ぐ。

「きゃ――」

「っっ!」

悲鳴が喉まで出かかっているのが、表情だけで分かる。

第一王女レジーナ。

侯爵夫人。

王国で最も社交と政治に長けた王女。

その人が、この森の真ん中、森の賢者のログハウスに――。

「事の発端は、ログハウスの中での会話だ」

アウローラは、輪の中をぐるりと見回した。

「有羽がな、相変わらず意地悪で……」

そこは否定できませんわね、と誰かが小声で相槌を打ったが、今は流される。

「私が分からない話を、いかにも簡単そうな顔で説明し続けるから、つい言ってしまったんだ」

アウローラはわずかに眉をひそめる。

「そういう難しいことは姉上に言ってくれ! 連れてくるから!!――とな」

それは、本当に、勢いで飛び出した言葉だった。

学術的な話はレジーナの方がはるかに得意だ。

外交も、貴族社会の駆け引きも、姉の方が上手い。

頭の中では何度も思ったことがある。

――姉上が一緒なら、もっと上手くやれるのに。

だが、それはあくまで「心の中の願望」であって、

現実に叶うとは、アウローラ自身、ほとんど思っていなかった。

有羽は、王女であろうと容赦なく拒絶する男だ。

アウローラが初めてこの結界に辿り着いたときも、

まともに相手にされるまで、何度も何度も何度も通う羽目になった。

雪の降る日、半ば凍えかけたところを、ようやく「客間を建ててやる」と言われたのが始まりだ。

あの頑なな男が。

その男が。

――ああ? ……ったくしょうがねぇな。……いつだよ。王女さんの姉さんが来るの?

アウローラは、有羽の口調を真似るように言った。

輪の中の空気が、ぐっと詰まる。

「……と、普通に返事をした」

「…………」

侍女たちは、目を丸くしたまま固まった。

「いつ? こっちも準備しなきゃだから、教えて欲しいんだけど……とも言われた」

アウローラは、その時の衝撃を思い出し、胸を押さえる。

(正直、聞き間違えたと思った……)

侍女たちの中で、一番若い子が、たまらず小声を漏らした。

「……それは、その……本当に?」

「夢じゃありませんわよね?」

「夢なら、今すぐ誰か起こしてくださいませ……」

侍女隊の困惑は大きく、客間には動揺が広がっている。

侍女の一人が、おずおずと尋ねる。

「本当に、有羽様が第一王女殿下を、結界の中に入れる、と?」

「そうだ」

アウローラは頷いた。

「もちろん、結界の出入りについては、今まで通りそこそこうるさいだろうがな。それでも、『連れてきていい』と言った。それが重要だ」

輪の中の全員が息を飲む。

ログハウスの結界は、アウローラたちにとって、いまだに「奇跡」に等しい領域だ。

最初の一年、ここに入るだけでもどれだけ苦労したか、全員が知っている。

その内部に、新たに人間を招き入れる。

しかも、第一王女レジーナを。

(……森の賢者の聖域に、王国の切り札を通せる)

(それはつまり――)

アウローラは、侍女たちの表情が「ただの驚き」から「理解」に変わっていくのを感じていた。

そして、その理解に、ほんの少しの「茶化し」が混じる。

「今朝からの殿下のお姿を見ていれば、まあ……」

一人が、ふふ、と笑う。

「殿下の美しさに参ってしまった結果でしょうねぇ」

「そうですわねぇ……」

別の侍女が、わざとらしく首筋を扇いだ。

「ああ、暑い暑い。おかしいですわね。この客間は、有羽様お手製のエアコンで涼しい筈ですのに」

「小アジの南蛮漬けより、遥かに甘酸っぱいですわぁ~」

「唐辛子よりも効きましたわ、殿下のワンピース効果」

「破壊力抜群でしたものねぇ」

好き放題である。

アウローラは、ぷるぷると肩を震わせた。

顔は、耳まで真っ赤だ。

「お、おま……お前たち……!」

叫びたい。

声を張り上げて、「違う!」と否定したい。

そんなことはない! あれはただのワンピースだ! ただの戦闘服だ! と。

……だが。

ここで声を荒げれば、結界の中にいる有羽の耳に届くかもしれない。

この客間には、妙な音の通り方をする場所がある。

どこかの壁越しに、声が思ったよりよく響く場所があるのを、侍女たちは知っている。

そしてその声が、有羽のいるログハウスまで届く可能性も……まあ、ゼロではない。

(万が一にも、気取られてはならぬ……!)

アウローラは、喉元まで上がってきた叫びを、ぐっと飲み込んだ。

「…………」

どうにか、低い声だけを絞り出す。

「と、とにかく。今は茶化している場合ではない」

「はいはい、殿下」

マルガリータが、そこで空気を少し引き締める。

「冗談はこのくらいにしておきましょう。重要なのは――」

「有羽の気が、今だけ『緩んでいる』ということだ」

アウローラの声色が、王族のそれになる。

「有羽は、一度口にしたことを覆さない」

二年の付き合いで、全員が知っている事実だった。

約束を簡単にはしない。

曖昧な言質も滅多に与えない。

だが、一度「やる」と言ったことは、必ず守る。

それが森の賢者の流儀だ。

「だからこそ、これは千載一遇の好機だ」

アウローラの視線が、一人一人の侍女を射抜く。

「有羽の警戒心が元に戻れば、二度とこんな許可は出ないだろう。第一王女が、この家の敷居を跨ぐ可能性はゼロになる」

静寂が、輪の真ん中を通り抜ける。

「だが、今なら違う」

アウローラは続けた。

「今なら、『王女の姉』として、第一王女を連れて来られる。……王国の交渉役ではなく、妹の世話を焼きに来た姉としてだ」

それは、政治的な意味だけでなく――

有羽にとって許容しやすい「名目」でもある。

「姉上の交渉術は、国でも随一だ。学問も、礼法も、私よりずっと上手い」

アウローラは、自分で口にしながら、ほんの少しだけ照れた。

「そんな姉上を、森の賢者の前に立たせられる機会は、おそらく今を逃せば二度とない」

「だからこそ」

マルガリータが、静かに引き継ぐ。

「この話は、王都に帰るまで他言無用。態度にも出さないこと」

侍女たちは、一斉に背筋を伸ばした。

「「「はっ」」」

円陣の中で、こつん、と小さな拳が胸に当てられる。

「わたくし達の表情一つで、有羽様の警戒心を刺激しては本末転倒ですものね」

「いつも通り、「小アジが美味しかった」とだけ話していればよろしいのですわ」

「南蛮漬けの再現に燃えている侍女達、で通しますわ!」

それぞれが、小さく笑いながらも、目だけは真剣だった。

アウローラは、その輪の中心で、大きく息を吸い込む。

(姉上がここへ来られれば……)

学問も、礼法も、政治感覚も、アウローラより数段上の姉。

そんな姉と、森の賢者との正式な対話。

技術と文化の、より深い橋渡し。

場合によっては、国の方針そのものが大きく変わる可能性もある。

それが、「ワンピース一枚と、うっかりと、少し緩んだ警戒心」の結果として転がり込んできた。

「だからこそ、ここからが本番だ」

アウローラは、円陣を組む侍女たちを見回す。

「姉上をお迎えする準備も必要だし、森までの護衛体制も詰めねばならん。王都では、父上と姉上にどう話を通すか……全部、これからだ」

「……はい」

マルガリータが、真剣な声音で応じる。

「殿下。詳しい手順や準備は、明日以降、改めて整理いたしましょう。今夜は、まずこの機会を取りこぼさないことだけを心に刻んでおけばよろしいかと」

「そうだな」

アウローラは深く息を吐き、ソファの背にもたれかかった。

胸の奥で、二つの感情が同時に渦を巻いている。

一つは、森の賢者と姉を会わせられるかもしれないという、王族としての高揚。

もう一つは、今朝、自分に向けられた「可憐だ」の一言を思い出すたびに、胸の奥で膨らむ、名付けようのない甘さ。

(……どちらも、手放したくない)

だからこそ、今は浮足立たないこと。

静かに、しかし確実に、次の一手を整えること。

アウローラは、クッションをぎゅっと抱きしめた。

「いいか、お前たち」

再び侍女たちを見る。

「今夜は、何事も無かったかのように過ごすぞ。いつも通り風呂に入り、いつも通り寝る。顔に『企み』を出すな」

「は、はい!」

「承知いたしました!」

「殿下が可憐で有羽様が落ちた、などと、口が裂けても言いません!」

「今それを言っただろうが!」

「ひぃ!」

最後の一言に、つい素で突っ込んでしまい、慌てて自分の口を押さえるアウローラ。

客間に、押し殺した笑い声が広がる。

甘く、騒がしく、しかし外には漏れぬように抑えられた、女たちだけの時間。

その中心で――森の未来と王国の未来を揺るがす「明日の相談」が、静かに動き始めていた。