軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第118話・謎の旅商人と第一王女

冒険者ギルドの奥にある応接用の個室は、表の喧騒が嘘のように静かだった。

ギルド内部で重要な話し合いが行われることもある。そういった場合を想定して、奥の個室の防音性はとても優れている。

しかしだからと言って、完全に音が断たれているわけではない。

扉の向こうではまだ人のざわめきが渦を巻いており、時折、誰かの怒鳴り声や笑い声がくぐもって届く。神鉄のインゴッドを見せられ、しかも神聖国の工作員がどうのと煽られたのだ。外が落ち着くはずもない。

その騒ぎを隔てる木扉一枚が、今は妙に頼りなく見えた。

室内には五人いた。

窓際寄りの席に、レジーナ。

その隣にラディウス。

向かいには、白髪の青年ニクスと、胡散臭い笑顔を崩さない旅商人。

そして、部屋の奥寄りに腕を組んで立つギルドマスター。

ギルドマスターは、今にも胃を押さえそうな顔をしていた。

無理もない。王国第一王女と、正体不明の商人と、得体の知れない白い神官を、一つの部屋に押し込めたのだ。胃が生きているだけでも褒められる。

何より、空気が酷かった。

レジーナはにこやかに微笑んでいる。

商人もまた、実に柔らかな笑みを浮かべている。

だがその二人の間には、笑顔とは正反対の緊張がぴんと張り詰めていた。

剣を抜いていないだけで、斬り合いの一歩手前とでも言えば近い。

その沈黙を最初に破ったのは商人の方だった。

「さて」

穏やかな声。

まるで、取引先と今後の荷の動きを相談するだけの場であるかのような口調だった。

「ひとまず、私の側から誠意をお見せした方がよろしいでしょうね」

そう言って、商人は懐から一枚のカードを取り出した。

薄い金属板――商人ギルドの身分証である。

彼はそれを机の上に置き、指先で軽く押してレジーナの方へ滑らせた。

「どうぞ」

レジーナは視線を落とす。

ラディウスも横から覗き込んだ。

ギルドマスターも、腕を組んだまま一歩だけ近づいてくる。

商人ギルドの正規登録証。

偽造痕なし。

刻印も、生体魔力の照合術式も、規定通り。

所属、交易履歴、許可範囲――どこを見ても、形式上は何の問題もない。

中堅どころの商人として登録されている、ごくありふれた一枚だった。

だからこそ、余計に気味が悪い。

「……なるほど」

レジーナはカードを見終え、机の上に戻した。

「少なくとも、商人ギルドの規定上は、あなたはれっきとした一商人というわけね」

「ええ。見た目に多少の愛嬌はあるかもしれませんが、ちゃんとした商人ですよ」

「愛嬌、で済む範囲かしら」

「厳しいですねえ」

商人は笑う。

レジーナもまた、微笑を崩さない。

だが、その目だけは少しも笑っていなかった。

「では、聞かせてもらえるかしら」

王女の声は柔らかい。

柔らかいのに、刃のように鋭い。

「どういうつもりなの? 神鉄まで持ち出して、冒険者達を巻き込み、街中へ騒ぎを広げた。その結果が何を招くか――まさか分からないほど愚かではないでしょう?」

個室の空気がさらに冷える。

レジーナは、今回の一件を秘密裏に進めていた。

街に無用の混乱をもたらさぬため。

黒幕を逃がさぬため。

王国と魔国の間に余計な疑念を生じさせないため。

どれも軽い理由ではない。

むしろ王女として、最優先で守らねばならぬものばかりだ。

それを、この男は笑顔のままひっくり返しかけた。

商人はその問いを受けても、少しも表情を乱さなかった。

「勿論、分かっていますよ」

実にあっさりと言う。

「理由は幾つかあります。ひとつは、偶然手に入れてしまった神鉄を、できるだけ早急に処分したかった」

「処分?」

「ええ。私のような木っ端商人が神鉄のインゴットなど持ち歩いていたら、歩く標的以外の何物でもありませんから」

それは、理屈としては正しかった。

「神鉄は市場価格が成立しない。つまり、相場という曖昧な防壁で隠れることすらできない代物です。持っていると知られた瞬間、盗賊だけでなく、豪商も貴族も、場合によっては軍まで寄ってくる。私のような小者が抱えていてよい品ではありません」

「だから公衆の面前で晒した?」

「ええ。どうせ秘匿しきれないなら、最も面倒な形で「公知」にしてしまうのが早い」

商人はすらすらと答える。

「しかも、あの場には大勢の冒険者がいた。神鉄の存在をあれだけの人数が目撃した以上、私を狙って抜け駆けしようとする輩は、逆に目立ちます。皆が皆、互いを監視する構図になる。つまり」

彼は肩をすくめた。

「野次馬が、そのまま護衛になる」

「……なるほど」

ラディウスが小さく呟いた。

嫌そうな顔ではあったが、理は認めざるを得ないらしい。

「何ならあの神鉄、王女殿下預かりにしていただいても、私は一向に構いませんよ?」

「……」

レジーナもまた、心の内では同意していた。

あの場で神鉄を見せたことにより、騒ぎは大きくなった。だが同時に、商人一人を闇に消すには、目撃者が増えすぎた。

抜け駆けを狙う賊も、逆に他の視線を恐れる。

危険な方法ではあるが、考え無しの馬鹿ではない。

「もうひとつは?」

問いを重ねる。

商人は、笑顔のまま答えた。

「今回の件を、早急に解決したかったからです」

「早急に?」

「ええ。国と国が荒れるような事態は、商人として見過ごせません。商人は儲けたい。ですが、儲けるために街や国そのものが割れるのは、あまり趣味ではありません」

そこで一拍置いて、少しだけわざとらしく言った。

「それに私自身も、早くこの街を出たいので」

「随分と個人的ね」

「商人ですから」

商人は胸に手を当ててみせた。

本当に腹が立つほど胡散臭い。

レジーナは黙って相手を見つめる。

言い分自体には筋が通っていた。

神鉄を手放したいというのも理解できる。

事態を早く動かしたいというのも、利に聡い商人なら不自然ではない。

味方は多い方がいい。街の中に動く理由を持った荒くれ者が増えれば、それはそれで黒幕への圧になる。

筋が通っている。

理屈がある。

こちらがすぐには切り捨てられない程度には、賢い。

なのに――。

レジーナの本能が、王族として叩き込まれてきた危機察知が、目の前の男に対して過去最大級の警鐘を鳴らしていた。

危険。

最大限に警戒しろ。

目を逸らすな。

油断するな。

気を抜けば――目の前の商人は、笑顔のまま喉を掻き切ってくる。

王宮の権力争いは、魑魅魍魎の巣である。

善人ぶった怪物も、上品に微笑む毒蛇も、何人も見てきた。

だが目の前の商人から感じる悍ましさは、それらと少し質が違った。

もっと、こう―― 人(・) の(・) 社(・) 会(・) の(・) 決(・) ま(・) り(・) ご(・) と(・) そ(・) の(・) も(・) の(・) を(・) 、 都(・) 合(・) の(・) よ(・) い(・) 盤(・) 面(・) と(・) し(・) て(・) 扱(・) っ(・) て(・) い(・) る(・) 者(・) の(・) 気(・) 配(・) 。

商人ギルドのカードには何の不備もない。

そこに書かれた情報も、ありがちな中堅商人の履歴にしか見えない。

それでも――視線を少しでも外せば、その瞬間に首筋へ刃が当たりそうな感覚がある。

「……あなた」

レジーナは、笑顔のまま言った。

「随分と賢いのね」

「お褒めに預かり光栄です」

「褒めてはいないわ」

返答もまた、笑顔のままだった。

隣ではラディウスも、軽く頬杖をつきながら相手を観察している。

彼の表情は穏やかだが、こちらもまた相応に警戒しているのが分かった。

その緊張の中、レジーナはゆっくりと視線をずらす。

商人ではなく――その隣。

白い髪。

白い肌。

白い衣。

清潔な神官じみた青年――ニクスへと。

それだけならば、まだよかった。

神官風の服装など、別段珍しくもない。神聖国の教義が偏っているだけで、神の存在が広く知られているこの世界では、各地に教会がある。レジーナの生国である南王国にも、様々な教会が多数存在し、神官も大勢いる。ニクスの服装が気になっている訳ではない。

白い髪だって、珍しいわけではない。

顔立ちそのものに、何か異様な歪みがあるわけでもなかった。

目も鼻も口も、きちんと整った一人の青年のもの。

しかし問題は、そこではない。

似ている。

あまりにも、似すぎている。

色を変えただけ。

そう言い切ってしまっていいほどに、目の前の白髪の青年と、森に棲む有羽は似通っていた。

髪色さえ違えば。

肌の色味がもう少し健康的で、目つきがあと少しだけ悪ければ。

今ここに座っているのが、そのまま世渡有羽だと言われても、初見の人間なら疑わないかもしれない。

もちろん違う。

違うと、知っている。

有羽の気怠げな空気。

投げやりなくせに、妙なところで世話焼きな気配。

そういう「中身」は目の前の白い青年とは別物だ。

だが、それでも似ている。

似ているという一点だけで、警戒心とは別の場所を強く揺さぶってくる。

レジーナは、その揺れを顔に出さぬよう注意しながら口を開いた。

「……もうひとつ、聞かせてもらうわ」

柔らかな声音だった。

だがその視線は、完全にニクスを捉えている。

「世渡有羽。その名に覚えはあるかしら?」

室内の空気が、ぴたりと止まる。

ニクスは少しだけ眉を動かした。

その反応だけで、レジーナは確信に近いものを掴む。

ある。

少なくとも、完全な無関係ではない。

「森に住まう賢者よ。あなた、何か関係があるの?」

今度は、問いが一段深くなる。

ニクスはすぐには答えなかった。

白い睫毛を伏せ、ほんの僅かに視線を逸らす。

隠すべきか、どこまで言うべきかを測っている沈黙だった。

その沈黙を、横から商人が軽く突いた。

「言っちゃった方がいいですよ、ニクスさん」

「おい」

「どうやら王女殿下は、森の賢者様とお知り合いのようですから。ここで変に隠すより、少しは札を見せた方が話が早いでしょう?」

にこにこと。

相変わらず腹の立つ笑顔である。

ニクスは嫌そうに商人を見た。

次に、レジーナを見る。

その隣のラディウスにも目を向ける。

そして、ほんの一瞬だけ迷ったあと――観念したように息を吐いた。

「……俺の目的は、その森の賢者に会いに行くことだ」

今度こそ、レジーナの目が見開かれた。

ラディウスもまた、隠しきれぬ驚きを浮かべる。

商人の危険さに最大限の警戒を向けていた思考が、一瞬だけ別の方向へ攫われた。

予想はしていた。

だが、ここまで直球で来るとは思わなかったのだ。

「……何ですって?」

「だから」

ニクスは面倒くさそうに、だが逃げる気はない声音で繰り返す。

「俺は、森の賢者に会いに行くつもりだった。神聖国絡みで伝えなきゃいけないことが色々ある。……まあ、これは王女様たちにも伝えるべきことだろうが」

その言葉に、レジーナの思考が一気に繋がる。

魔国北部。

神聖国から逃げてきた亡命者たち。

追ってきた過激派。

現場へ向かった魔国の戦士たちが見たのは、穏健派の姿ではなく、過激派の死体ばかりだったという報告。

そして生存した亡命者たちが口にした、たった一つの共通点。

――白髪の男に助けられた。

レジーナは、今度は迷わず問う。

「……あなた、魔国の北部で神聖国の加護持ちと戦ったの?」

「戦ったというか」

ニクスは肩を竦める。

「安売りの加護貰って、はしゃいでた馬鹿どもなら掃除しておいたが?」

「掃除て……」

あまりに軽い言い方に、ギルドマスターが低く呻いた。

だが今そこを咎める空気ではない。

商人が、さらりと追撃する。

「私とニクスさんは、神聖国から来たんですよ」

「……っ」

「あの国の現状なら、よく知っています」

それは、決定打だった。

レジーナは笑顔を崩さない。

崩さないまま、内心では静かに歯噛みする。

面倒なことになった。

いや、正確に言えば――面倒なことだと、これで確定した。

目の前の二人は危険だ。

特に商人は、過去最大級に警戒すべき相手だと、王族としての嗅覚が叫び続けている。

ニクスもまた素性不明、力は本物、しかも有羽とあまりにも似ている。

できることなら今すぐ監視下に置きたい。

あるいは拘束したい。

少なくとも街中を勝手に歩き回らせたくはない。

だが同時に。

それは、神聖国の内情を知る二人を「保護」することと同義だった。

放置できない。

野放しにもできない。

ならば残る選択肢は、ほとんど一つ――保護だ。

王国第一王女として、この得体の知れない商人と、素性不明の白髪の男を、一時的にせよ守らねばならない。

少なくとも、神聖国の情報を吐かせるまで。

そして有羽との関係、その真偽が明らかになるまで。

レジーナは、内心で頭を抱えたくなるのを堪えた。

ラディウスもまた、妻の横顔から同じ結論に辿り着いたらしい。

ごく僅かに、諦めの混じった苦笑を浮かべている。

先に口を開いたのは商人だった。

「細かいことは、鼠退治が終わってからにしましょう。餌も火種もばら撒きましたし」

深い。

先ほどより、さらに深い笑みだった。

その言葉を聞いて、今の街の状況を考えて、察せられないような鈍い者はこの場にはいない。

「つまりあなたは」

レジーナが静かに言う。

「街に騒ぎを起こして、動く者と動かない者を炙り出したい、そういうこと?」

「ええ」

「乱暴な方法を取るのね?」

「とても効率的でしょう?」

一切悪びれず、笑みを崩さぬまま答える商人。

王女を目の前にしても、その圧を真正面から受けても変わらず。

その太々しい態度と――内面の危険度を加味して――レジーナは決めた。

「分かったわ」

第一王女は、微笑んだまま言う。

「鼠退治に付き合ってあげる。ただし――王国側の監視下に置かせてもらうわ。逃がさないし、勝手もさせない。必要なら保護する。そこは理解してもらう」

「ええ、それはもう」

商人はにこやかに頭を下げた。

「どうぞご自由に。私は、王女殿下のような優秀な方に管理されるのは嫌いではありませんので」

商人は、むしろ満足げである。

ニクスは露骨に顔をしかめたが、反論はしなかった。

「よかったですねぇ、ニクスさん。これで野宿の心配は減りました」

「お前のせいで余計な心配が増えたんだが?」

「細かいことは気にしない方が、世の中楽しいですよ?」

「お前だけだよ。それで得してるのは」

やり取りそのものは軽い。

だが、その裏にあるものは軽くない。

王女と、白い青年と、胡散臭い商人。

神鉄。

神聖国。

森の賢者。

全てがひとつの机の上に乗せられた。

そしてレジーナは、笑顔のまま改めて確信する。

この二人からは、絶対に目を離してはならない。

――商人の笑みは、なお深いままだった。