軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第12話・新たなる始まり

森の空気は、いつもどおり濃い。

魔素と瘴気が混ざり合い、常人なら数分で頭痛を起こすような重さ。

だが、この森に八年近く住んでいる有羽にとっては、「平常運転」だ。

数日前まで、ここには賑やかな声があった。

金髪の王女と、その護衛と侍女たち。

鉄板の前で、焼肉を奪い合い、名残惜しそうに片付けをして――そして、樹海の縁へと帰っていった。

森の入口まで戻る彼らを、 守護力場(フォースフィールド) と即席結界石で見送り。

全員の気配が完全に遠ざかるのを確認してから、有羽はようやく深く息を吐いた。

そして今――有羽は物思いに耽る。

「……異国との交流、ねぇ」

ログハウスの縁側に腰を下ろし、背中を柱に預ける。

森のざわめき。

遠くで鳴く魔鳥の声。

風に揺れる葉擦れ。

人の声が消えたあとに訪れる静寂は、相変わらず少しばかり堪える。

けれど今日は――その静寂の中に、別の雑音があった。

(……インドっぽい国、か)

アウローラ達が話していた、海の向こうの異国。

砂漠。

乾いた風。

体を大きく覆う衣服。

香辛料を積んだ船団。

牛に向けられる、祈りの視線。

アウローラが持参した文書と、使節団の服装や装飾の特徴から、有羽は「地球的な意味でのモデル」を即座に連想していた。

(気候、宗教観、家畜の扱い……複数の要素的に見て、インド系なんだよなぁ。どこまで近いかは知らんけど)

だからこそ、あの助言をした。

自国の常識を押し付けるな。

「ご馳走」のつもりで相手の禁忌を出すな。

まずは「ダメなもの」を確認しろ――と。

それがどこまで役に立ったか、今ごろ王都でどうなっているのか。

(……考えたら負けだな、これ)

有羽は、天井を仰ぎ見るような気持ちで空を見た。

自分は外交官でもなければ、王宮の顧問でもない。

あくまで「森に住んでるよくわからん魔法使い」だ。

あまり深く首を突っ込めば、それこそ地獄の案件が雪崩れ込んでくるのは目に見えている。

「そこから先は、そっちの仕事だよ。うん。うん。知らん。知らんってことにする」

口に出して、無理やり自分の思考を切り替える。

切り替えるはず、だったが。

別方向から、もっとどうしようもない欲求が、じわじわと意識を侵食してきていた。

「…………」

腹のあたりが、妙にそわそわする。

既に朝食も昼食も取り終えたあと。それなのに腹に違和感。

物理的な空腹ではない、別の「渇き」。

有羽は、顔をしかめ、ひとつ認めた。

「やべぇ……カレー食いたい」

インドの話をした。

してしまった。

脳内で「砂漠」「香辛料」「牛」「宗教」「ナン」「チャイ」と色々な単語が並んだ結果――最終的に、日本人の胃袋が導き出した答えは、ひどく単純だった。

カレーである。

(あー……だから嫌だったんだよな、インド圏の話振るの。絶対こうなるって分かってたのに)

今まで、有羽は意識的に「カレー」のことを考えないようにしていた。

理由はいくつかある。

一番大きいのは――この樹海の中で、まだ「米」を見つけられていないことだ。

この魔境の大森林は、もはや普通の森ではない。

一種のダンジョンであり、異界であり、膨大な魔力が流れ込む「別環境」だ。

森の中に、普通ならありえない地形がある。

小さな山脈もあれば、深い谷もある。

洞窟もあれば、ガチの海まである。

海藻が生え、魚が泳ぎ、貝類が砂に潜む海だ。

(あの海見つけたときは、さすがに笑ったけどな……いやマジで何なんだこのダンジョン)

地球の自然法則で考えると頭が痛くなるが、「ダンジョンだから」で大体許されてしまうのが、この世界の恐ろしいところだった。

それでも――。

いくら探しても、「稲」は見つからなかった。

水田もない。

湿地帯はあっても、「明らかに水田として整備されてる」ような場所は、一度も見たことがない。

野生の穀物はいくつか見つかった。

小麦に似たものも、大麦に近いものもある。

それを育ててパンやうどんのベースは確保した。

じゃがいもも、さつまいもも、豆もある。

根菜も葉物も、だいたい何とかした。

それでも、どうしても見つからなかったのが――「稲」だった。

(米が……ない……)

それは、日本人として、非常に受け入れがたい現実だった。

カレー。

オムライス。

チャーハン。

雑炊。

寿司。

丼物全般。

米文化の大半が、自動的に封印される。

もちろん、パンや麺で代替はできる。

事実、有羽はこの八年間、小麦系の炭水化物で大体どうにかしてきた。

が――。

(カレーは、カレーライスで食いたいんだよなぁ……)

ナンでも美味い。

パンでも美味い。

それは分かっている。

それでも、あの「白い米に、カレーをどばっとかけて、一気にかき込む」というジャンクな幸福を、一度知ってしまった舌は忘れない。

だからこそ、「カレー」のことは、意識の外へ追いやっていた。

考えれば考えるほど、未練と禁断症状がひどくなるからだ。

だが、インドっぽい国の話をしたせいで――。

「胃が……完全にカレーの流れになってる」

自分の胃袋の空気を、魔力感知レベルで感じ取りながら、有羽は頭を抱えた。

由々しき事態だった。

しかし、完全に詰んでいるわけでもない。

米はない。

だが、カレーそのものが作れないわけではない。

この大森林の「西部」で、クミンに似た種、コリアンダーに似た葉と種、ターメリックらしき根。

それに近い香辛料となる植物が自生していることは、この世界に来て二年ほど経った頃には、既に把握していた。

ただし――。

(問題は、場所なんだよな)

それらの香辛料が生えているのは、この森の「西側」だ。

そして、その西部は。

かつて、有羽が出会った場所だった。

樹海の西部を縄張りとする、理不尽なまでに強大な魔物。

会話ができる魔物。

有羽の全力をもってすれば、あるいは倒せるかもしれない。

だが、「必ず勝てる」とは言い難い相手。

そんな存在が、西の深部を支配している。

……幸い、その魔物は、こちらが友好的に接するかぎり、牙を剥いてくることはなかった。

戦闘になる可能性は、限りなく低い。

少なくとも、初めて出会ったときは――そうだった。

ただ。

「面倒くせぇ……」

有羽は、ソファに突っ伏しそうな勢いで呻いた。

「価値観掴めないんだよ、『あの人』……いや、まあ、人じゃないけどさ」

友好的な種だとは思っている。こちらが何かひとつ質問を投げたら答えてくれた。

森の循環の話や、この世界の歴史や、大陸規模の生態系の変遷史が、延々と返ってくる。

超高性能な図鑑アプリか何かと会話している気分。

知識としては、とんでもなく有用だ。

世界の成り立ちや魔法の根本原理に関する示唆も多く、研究者としての知的好奇心を、これでもかと刺激してくる。

しかし――。

(どこに地雷があるか、未だによく解んないんだよなぁ)

普通の会話一回につき、精神力ゲージの半分くらい持っていかれる。

相手は人ではない。強大な力を持った存在。

アウローラが異国と慎重を期して交流するように、有羽もまた慎重に相手をする必要がある。

あれを「気軽に話しに行く相手」としてカウントするには、難易度が高かった。

(でもまあ、北の『アレ』程じゃないし……東のと違って会話は成立するし……)

とはいえ。

今の有羽の胃袋は、カレーを求めている。

うどんでもラーメンでもパンでもなく、「カレー」。

色々理由を考えているが、結局のところ、その一択であった。

「……久々に行くか」

観念するように、ぽつりとつぶやく。

「どうせ、ここで唸ってても収まらんしな」

立ち上がり、軽く伸びをする。

まずは、行く準備だ。

「手ぶらで行ったら、たぶん話が長くなるし……あー、手土産持っていかないと……」

ブツブツ言いながら、作業台へ向かう。

棚の上には、ガラス瓶がいくつも並んでいる。

そのいくつかは、透明な液体で満たされていた。

有羽は、手慣れた動きで魔力を練り、瓶に掌をかざす。

魔法陣こそ目には見えないが、魔力の配列は明確だ。

構成要素を指定し、必要な分だけ生成し、封じ込める。

この世界の言葉で言えば、「物質創造系の高位魔法」。

地球の科学で言うなら、「魔力をエネルギー源にした、愚直な分子レベル合成」。

その結果として――。

窒素(N)。

リン酸(P)。

カリウム(K)。

植物が喜ぶ三大要素を、魔法で抽出・調整した液体が、瓶の中に満ちていく。

「よしよし……Kをもうちょい足して……はい、贅沢フルコース」

ほのかに青白く光る栄養剤。

この世界に、化学式の概念も、肥料工学もない。

「植物の活性剤」だの「土壌改良」だのという発想自体が、魔国の錬金術師たちですら持っていない。

だからこそ、これはおそらく――。

「間違いなく、この世界で俺にしか作れない代物だな」

魔法の腕と、地球の知識が合わさった結果。

有羽は、いくつかの瓶を布でくるみ、ザックに収める。

ついでに、水筒に湯を詰め、簡易カップと携帯食料も突っ込んだ。

多目の食料。水は魔法でどうにでもなるが、食料はそうもいかない。

なにせ。

「片道3日……往復で約一週間か……ま、久々の運動だね」

西部への行き来にかかる時間は有羽の足でも、かなりの日数が必要とされる。

この大森林で、空を飛んで行くのは、あまりに目立つ行為。すぐに森の魔物の標的になる。

有羽ならば、森の魔物に負ける事は無い。基本的に全て雑魚だ。

しかし。

(面倒なんだよな。わらわらと寄ってくるから、結局のところ徒歩の方が早い)

言うなれば、コバエに延々と纏わりつかれるようなもの。

とても相手をしてられない。それならば3日掛けてでも走った方がマシ。

……もっとも、普通の人間ならば独りでこの森を、3日間歩き通すことなんて出来ない。

距離も、あくまで「有羽の速度で3日」だ。……本来、片道一週間以上は必ずかかる。

「……あとは、結界の調整っと」

ログハウスの周囲を取り巻く結界へ、意識を向ける。

侵入防止。

魔物避け。

気配遮断。

防音。

それらの制御陣に、「自分以外には、簡単には破れない」レベルの強化を施す。

アウローラたちが来ても、今日明日で有羽が戻ることはできない。

次の森林探査は時間が空く――と、たしか言っていた。

それでも、万一に備えるクセが抜けない。

玄関の内側に、小さな木札を吊るした。

――留守にしてます。家の前で一晩待たないでください。

そんな文言が、いたって素っ気ない字で刻まれている。

「……いや、別に、来るのが楽しみとかじゃないけど」

自分で突っ込みながら、木札をくるりと裏返す。

裏側には、一行だけ別の文言が刻まれていた。

――危ないことするな。留守だから、ちゃんと帰れ。

「うん。書いてみたものの、見られたら死ぬほど気恥ずかしいやつだなこれ」

顔をしかめつつも、そのままにしておく。

ザックを背負い、マントを羽織り、玄関を出る。

南部、ログハウス周辺の空気は、彼の結界に守られて穏やかだ。

しかし、結界の境目を越えた瞬間――空気の密度が変わる。

瘴気が濃くなり、魔素の渦が肌を撫でる。

それでも、有羽の足取りは軽かった。

方角は西。

森の「会話の通じる魔物」が支配する領域へ。

その縄張りの一角に、クミンもどきやコリアンダーもどきが群生する「香草地帯」がある。

カレーを求める胃袋と。

新しいスパイス畑の可能性と。

ちょっとだけ増えた、この異世界への興味と。

全部をザックに放り込んで、有羽は木々の間をすり抜けていく。

「……さて、久々に遠出といきますか」

呟きは、森に吸い込まれて消える。

樹木の影が濃くなる西の方角へ。

魔境の中でもひときわ異質な気配が漂う、あの領域へ。

新しい物語のページが、ゆっくりとめくられていく音が――誰にも聞こえない場所で、確かに響いていた。