軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第108話・激闘③

王国側の兵たちは、歯を噛みしめていた。

目の前では、二つの戦いが同時に行われている。

空には星髪の少女と苗界の芽姫。

地には老境の剣士と稲妻の王女。

誰も手を出せない。

空の戦いも、地の戦いも、結局は同じだ。

踏み込めば邪魔になる。邪魔になれば、死ぬ。死ねば、戦が始まる。

ここに集められているのは、王女が供回りを許した精鋭だ。

全員がそれを理解できる程度には強い。理解できるからこそ、余計に歯痒い。

数十名が同じ顔をしていた。

飛び出したい。

だが飛び出せない。

そんな空気を、血気盛んな境界狩猟軍の部隊長が叩き割るように吐き捨てる。

「……おい。俺たちはここで、このまま見てるだけかよ。姫殿下が戦ってんだぞ。俺たちだって――」

言葉は最後まで続かない。

続ければ自分で自分を締めるだけだと、分かっているからだ。

返したのは、国境軍の部隊長。

声が低い。だが冷たいわけでもない。

ただ、現実の形をしている声。

「俺たちだって何だ? あの戦いに貴様はついて行けるとでも? 王女殿下の邪魔になるだけなのは、貴様も解っているだろう?」

「……くそ」

境界狩猟軍の部隊長は歯を鳴らした。

彼らは魔物討伐や賊狩りが主戦場だ。敵を倒すことが正解で、前へ出ることが生存に繋がる。

一方、国境軍は対帝国睨みが仕事だ。戦を防ぐことが正解で、前へ出ないことが民を守る。

同じ国境線を守る同志だが、身体に染みついた「正しさ」が違う。

狩猟軍の部隊長が、河向こうを睨んだ。

「……目の前に居んだぞ、あのくそったれの帝王が。三年前の恨み……俺たちの仲間の仇……忘れたわけじゃねぇよな……?」

「忘れられるものか」

国境軍の部隊長も、噛みしめるように言う。

「だからこそ、目を離せん。帝王ウィルトスの一挙手一投足を見逃すわけにはいかん」

視線の先。

河向こうに、帝王がいる。

ウィルトスは動いていない。

戦場の中心で超常が暴れているのに、帝王は一歩も踏み込まない。剣を抜かない。命令を飛ばさない。やっていることといえば、伝令を後方へ飛ばした程度。

その事実が、王国側の兵の神経を逆撫でする。

あれだけの侵略をしておいて。

あれだけの死者を出しておいて。

こちらを睨み、動かずにいる。

国境軍の部隊長が、低く言う。

「……奴もおそらく、戦う気は無かったはずだ。王女殿下との舌戦も、殺気は押さえられていた。あのまま去るつもりだったに違いない」

「はぁ? 何言ってやがる」

狩猟軍の部隊長が噛みつく。

「あのバケモンはこっちに襲い掛かって来ただろうが!」

国境軍の部隊長は頷いた。

「そうだ。名称『星髪のアギト』。芽姫からの情報で伝えられた怪物は襲い掛かってきた」

そして少しだけ声を落とす。

「……帝王の制止も無視して、な」

誰もが思い出す。

あの瞬間。

帝王が声を掛け、止めようとした。

だが止まらなかった。

むしろ星髪の少女が笑い、河を越えた。

――本来なら、その時点で戦争は始まっている。

領域侵犯。

敵軍の侵入。

問答無用で矢を放ち、槍を投げ、斬りかかって良い。

だができない。

なぜなら――今行われている戦いが、人の領域を外れているからだ。

あそこへ兵が突っ込めば、死ぬ。

確実に死ぬ。

死ぬだけならまだいい。死体が戦場の「理由」になり、国が動く。

老剣士と姫の戦いですら、目で追うのが精一杯だ。

アウローラと違い、一合たりとも剣を合わせられない。

その事実を、精兵たちは痛いほど理解している。

理屈は正しい。

だから腹が立つ。

狩猟軍の部隊長が呻いた。

「……俺たち部隊長は全員レベル四十近い手練れだぞ。それでも役に立てねぇってのか……!」

国境軍の部隊長も、悔しそうに顔を歪める。

「芽姫のレベルを忘れたか? 八十五だぞ。その八十五と互角に戦ってるのが帝国側の星髪だ。俺たちが突っ込んでも、邪魔にしかならん」

その言葉が落ちた瞬間、誰かが遠くで乾いた笑いを漏らした。

正しくは笑いではない。心が耐え切れなくて出た音。

八十五。

数字が、現実を殴る。

将軍級と呼ばれる四十ですら、ここでは何もできない。

それが分かるからこそ、精鋭たちはただ見ているしかない。

そして――見ているからこそ、見えてしまうものがある。

「……お嬢」

狩猟軍の部隊長が、セシリアに目を向けた。

辺境伯家の令嬢であり、境界狩猟軍の部隊長のひとり。現場を知り、書類も捌ける才の塊。

そのセシリアも今はただ河岸で立ち尽くし、戦場を睨んでいる。

「芽姫が、あんな戦えるなんて知ってたのか?」

セシリアは一瞬だけ唇を結び、素直に首を振った。

「……いや。私も、クロエちゃんがあそこまでの戦闘能力を持っているとは知らなかった。攻撃手段があるとは聞いていたが……でも、まさかあれ程とは」

空中で、クロエの苗界が広がる。

根が伸び、蔓が走り、葉の膜が重なる。

そのたびにアギトが噛み、裂き、削る。

クロエは耐えている。

だが――耐え方が変わってきている。

最初は余裕があった。

しかし今は、間に合っているだけ。

セシリアは、抱っこできるサイズのあの子が、空の上で「必死に踏ん張っている」のが分かってしまう。

国境を護る者の戦場の勘は、有利不利を感じ取る。

あの動きは、余裕の動きからほど遠い。

国境軍の部隊長が、低く言った。

「帝国側も、俺たちと同じ状況だろうよ。この硬直状態、安易に動くわけにはいかん。俺たちが動けば帝王が動く。帝王が動けば――俺たちが動く」

その言葉は、真実だった。

帝国側も、顔は何かを押し殺したものになっている。

王国兵だけが憎しみに燃えているわけではない。帝国兵も同じだ。彼らもまた、総大将――アウローラを憎んでいる。三年前の雷嵐を、炭になった仲間を、忘れていない。

だからこそ、帝国側も動けない。

動けば、戦争だ。

動けば、国境が燃える。

いずれ決着はつける。

だがそれは、今ではない。

今、戦火が広がることを誰も望んでいない。

そう。誰も望んでいないのだ。

誰も望んでいないのに、状況がそれを許さないところまで来ている。

そして――優れているからこそ分かってしまうことがあった。

離れて見ているからこそ、読み取れてしまうことがあった。

戦況が、傾き始めている。

上空では、芽姫クロエの守りがわずかに遅れる瞬間が増えた。

根が伸びる前に牙が届く。

盾が展開する前に爪が触れる。

増やす速度が、噛む速度に追いつかなくなり始めている。

地上では、王女の剣が限界に近づいている。

火花の音が変わった。刃が鳴く音が混じった。

剣聖の刃筋が、明らかに 剣(・) そ(・) の(・) も(・) の(・) を狙い始めている。

皆がそれを感じ取る。

感じ取ってしまう。

そして誰も動けない。

動けないまま、終わりが近づくのを見ている。

セシリアの喉から、掠れた声が漏れた。

「……殿下っ!」

声は小さい。

だが、その小ささに込められたものは大きかった。

◇◇◇

ハガネの集中は、極限まで研ぎ澄まされていた。

南王国第二王女アウローラ。

ハガネは彼女の年齢を正確には知らない。

だが、二十歳前後――その程度の若さだろうと推測する。

年齢差を思えば孫ほど離れている相手。

そしてハガネは正しく理解していた。

彼がその歳の頃、ここまでの領域に辿り着けていなかったと。

(傑物――その言葉以外にない)

才気。

振る舞い。

剣。

魔法。

全てが、あの姫の中で一つの形になって輝いている。

まさに傑物。あんな王族を上に置く南王国は、世辞抜きで恵まれている。

だからこそ、敵味方に分かれている現状が、ほんの少しだけ惜しい――そんな感情が、刃の裏で一瞬だけ顔を出す。

(だが、それが戦だ)

思うようにいかず、理不尽にぶつかる。

悲しいけれど、それが現実で。

(許せとは言わん。悪く思え、稲妻の姫よ)

刃がぶつかる。

「――はぁっ!!」

「――しっ!!」

呼気が交差する。

光膜を纏う王女の剣と、呪いの黒刃が噛み合うたび、火花が稲光のように散った。

金属が擦れて散る火花ではなく、魔力同士が擦れて爆ぜる火花。

衝突音も違う。骨に響く低い咬合音が、河岸に重く落ちる。

ハガネは、既に幾度となく「傷」を刻んでいた。

姫の腕ではなく、鎧でもなく、剣そのものに。

刃に入る、微細な亀裂。

光膜で守っても守っても、夜叉が触れるたびに増える。

増えていく方向を、剣聖は見ている。

王女が何か「大技」を使おうとする気配も読み取っている。

だからこそ攻めの手を緩めない。大技を使う余裕を、そもそも作らせていない。

(その剣が夜叉と同格だったのなら、勝負の行方は分からなかったがな)

得物の差に、ほんの少しだけ苦味がある。

だが勝負とはそういうものだ。

体調も装備も、常に対等など起こり得ない。

だからこそハガネは、量産品の鉄剣でも戦えるように技を磨いた。

言い訳を殺すために、己の刃を磨いた。

だから――加減などしない。

ハガネの刃が、突きに変わる。

唐突な刺突。

切り結びの流れを断つ、一点の線。

アウローラの目が僅かに見開かれる。

だが彼女は受ける。受けきる。剣の腹で受け、角度をずらし、刃を滑らせて致命を外す。

並の剣士なら、今の突きで終わっていた。

防げた事実が、王女の技量を証明する。

しかし――態勢が崩れた。

僅かなブレ。

僅かな揺らぎ。

足が半歩ずれる。

重心がほんのわずか浮く。

剣の角度が少しだけ甘くなる。

その一瞬を、剣聖は見逃さない。

「 鬼斬(きざん) ―― 絶衝(ぜっしょう) 」

ハガネの声が低く落ちる。

同時に夜叉の刃筋が変わった。

ただ斬るのではない。

断つための斬撃。

夜叉の内部で荒れ狂う呪いの衝動が、刀身に均一に染み渡る。

精神を狂わせるはずの呪いが、ハガネの意思に従って「刃の理」へ変わる。

黒き断絶が、アウローラの剣の亀裂へ寸分違わず斬り込んだ。

抵抗は、ほとんどなかった。

光膜が一瞬だけ弾け、次いで剣身が静かに――あまりに静かに――切り飛ばされる。

金属が割れる派手な音ではない。

切れ味が鋭すぎて、音が遅れて来る類の断裂。

剣身が半ばから断たれた。

武器を失ったアウローラの手元に残ったのは、柄と短くなった刃の根元だけ。

切り落とされた剣先が、空中で回り、落ちる。

誰もが同じ認識に至る。

詰みだ。

剣を失ったアウローラが、剣聖に勝てる未来は無い。

遠目に見ていた王国側も、帝国側も、息を呑む。

ハガネも確信する。

(これで――)

勝敗は決した。

――そう思った瞬間。

ほんの一瞬だけ、剣聖の呼吸が緩んだ。

安堵。

勝ちの確信。

その瞬間を――稲妻の王女は待っていた。

「 雷撃波(サンダーブラスト) ォ!!」

アウローラの全身から、放射状に雷撃が迸る。

掌から撃つ稲妻ではない。

全身を発射口にする稲妻。

火――広域励起。

風――放射状の流路を複数同時生成。

掌から放たない。

彼女の体内に雷の回路が開き、外へ向けて吐き出される。

避けられない距離。

避けられないタイミング。

剣聖が勝ちを確信した―― そ(・) の(・) 刹(・) 那(・) に(・) 全(・) て(・) を(・) 賭(・) け(・) て(・) 。

「……っ!」

ハガネは反射で後方に跳ぶ。

同時に夜叉を振るい、襲い来る雷撃を斬り払う。

だが遅い。

ほんの一秒にも満たない遅れ。

それが雷速の攻撃に対して致命的すぎる。

蜘蛛の巣のように伸びた放射雷の一部が、ハガネの肩、脇腹、太腿へ突き刺さる。

「ぐ……が……!?」

痛みが走る。

痺れが走る。

筋肉が言うことを聞かない。

それでも剣聖は倒れない。

致命傷を避け、距離を取り、片膝をつく。

片膝をついてなお、目はアウローラから外れない。

外した瞬間、次が来ると知っているからだ。

(……不覚……!)

内心で吐き捨てる。

体が動かない。電撃の痺れが抜けない。

数十秒は、確実に動きが鈍る。

剣聖は自分の身体を正確に測る。経験が、残酷に告げる。

そして――攻撃を放ったアウローラも、同じように片膝をついていた。

動けないわけではない。

だが痛む。痺れる。内側が焼けるように疼く。

自分を砲台にしたのだから当然だ。

本来ならば掌から撃ち出す大技。その発射口を全身に変えた。

制御を一歩誤れば、黒焦げになっていてもおかしくない――紙一重の絶技。

(……あの距離で避けるのか……!?)

アウローラは愕然とする。

反撃は通った。だが仕留めきれなかった。

あの刹那、あの距離、あの放射。

それでもなお致命に届かない。

(凄まじいな。流石は剣聖)

感嘆が喉まで上がり、それを押し殺す。

今は敵だ。感心している暇はない。

そして、アウローラは理解する。

次の機会はない。

奇策は一度きり。

次は読まれる。

剣を失った今、ハガネが回復すれば確実に負ける。

ならば――今ここで決めるしかない。

アウローラは、断たれた剣柄を放り捨てた。

掌を前へ出すのではなく、両手で「形」を掴む。

「 雷槍撃(サンダージャベリン) 」

稲妻が槍状に形成される。

火――槍芯の温度維持。

風――形状固定。

そして握れる柄の部分だけを魔力操作で安定化させる。

目の前に、稲妻の槍が生まれた。

ハガネの目が僅かに見開かれる。

武器を失ったはずの王女が、別の武器を手にした。

アウローラの痺れは抜け始めていた。

彼女の身体は、自分の魔力に慣れている。

だから回復が僅かに早い。

だが剣聖はまだ、痺れで動けない。

動けるのは、ほんの僅か。

対応が遅れれば、槍が突き刺さる。

千載一遇。

アウローラは立ち上がり、槍を構える。

呼吸を整える。

痛みを押し殺す。

「――私の勝ちだ」

声は低い。

宣言ではなく確認だ。

自分に言い聞かせるような、戦場の声。

「獲らせてもらうぞ、剣聖ハガネ」

◇◇◇

稲妻の槍を構えるアウローラ。

電撃の痺れと痛みで立ち上がれないハガネ。

――勝機は間違いなく、王女の側にあった。

アウローラは足を踏み出す。

稲妻の槍が薄く鳴り、空気の湿り気が一瞬で焼ける匂いに変わる。

狙いは一点。剣聖の喉元――無力化するための急所。

これを逃せば二度目はない。奇策は一度きり。アウローラの身体ももう限界が近い。

だから彼女は、踏み出した。

――まさにその瞬間。

空から「何か」が、地面に叩きつけられる。

衝撃。

地面が揺れ、河岸の土が波のように盛り上がり、砂利が跳ね、飛沫が一斉に舞う。

轟音と土煙。明らかに降下ではない。 墜(・) 落(・) だ。

上空の超域戦闘が、地上へ落ちてきた。

反射で、アウローラの視線がそちらへ向く。

ハガネも同じだ。痺れで動かない身体でも、目だけは追う。

王国側も帝国側も、息が止まる。

土煙の中に横たわっていたのは――小さな影。

クロエだった。

「……っ」

アウローラの喉が鳴る。

言葉にならない音が漏れた。

ぬいぐるみのような小さな体。

葉のような緑の髪。

いつもならふわふわとした柔らかさで、抱いた者の心を溶かすはずの姿が――今はまるで、ぼろ布みたいに地面に貼りついている。

動かない。

そして――影が降り立った。

「いやぁ、中々しぶとかったよ、おちびちゃん」

揶揄うような口調。

星髪の少女アギトが、土煙を割って立っていた。

彼女の身体にも小さな傷はある。煤のような汚れもある。

だが軽傷だ。呼吸も乱れていない。疲労も感じられない。

むしろ、戦いを終えた興奮で血が温まっている程度の、軽い高揚が漂っている。

対して、クロエは。

地面にうつ伏せのまま。

根も蔓も、今は伸びない。

「もうちょっと『経験』があれば勝負になっただろうにね……残念残念」

アギトはケラケラ笑いながら、一歩、また一歩とクロエへ近づく。

そのたびに爪が鳴る。ぎちり、と空間に軋みを残す音。

境界を噛む音が、殺意の準備として鳴っている。

「でもまぁ――これが現実だから。お人形はここでおしまい、ってね」

右腕が振り上がる。

一切の躊躇がない。

倒れ伏すクロエを、そこにある布切れみたいに裂く所作。

その動きを理解した瞬間、アウローラの中で何かが切れた。

稲妻の槍を投擲する。

狙いはアギトの背中。

クロエに届く前に止める。

止めて、奪い返す。

雷槍が空を裂き、光の線になって飛ぶ。

「おっと」

アギトは、くるりと振り返った。

そして――受け止める。

右掌の中で、稲妻の穂先が閃光を放つ。

ばちばちと音を立て、稲光が指の隙間から跳ねる。

まるで火のついた縄を、素手で掴むように。

「へぇ。凄いじゃん。火と風の混合式。雷を作り出すなんて、最近の人間もやるねぇ」

子供を褒めるような口調。

掌の雷を、興味深そうに眺める。

そして、くすりと笑った。

「でも、ざーんねん。これくらいじゃ不意打ちにもならないよ」

次の瞬間、アギトの指が閉じた。

そして――握り潰す。

雷の槍が、抵抗する暇もなく潰れて、散って、光の粒になって消えた。

雷鳴が短く鳴って終わる。

まるで蝋燭の火を摘まむみたいに、簡単に。

アギトの顔には余裕しかない。

犬や猫の噛みつきを、少し驚いてから笑うみたいな余裕。

だから――その余裕のせいで――アギトは気づくのが遅れた。

目前まで接近したアウローラの姿に。

「……え?」

アギトが目を瞬く。

アウローラはもう間合いの中にいた。

槍を投げたのは牽制ではない。視線を奪うためだ。

掴み取り潰されるまでの、僅かな時間を作らせるため。

その間に――距離を詰めた。

アウローラは両手を腰溜めに「何か」を留めている。

手の内側で、凄まじい雷の奔流が渦を巻き、嘶いている。

槍ではない。矢でもない。球でもない。

それはただ――爆ぜるためだけの雷光。

解き放つ。

ゼロ距離で。

渾身全霊の威力で。

「 雷光破(サンダーフレア) ぁ!!」

前方に突き出したアウローラの両手から、光が溢れた。

稲妻の閃光が、膨大な熱線となってアギトを呑み込む。

爆発が起こる。土煙が吹き上がり、熱気が河岸を薙ぎ、砂利が燃えた匂いが立つ。

衝撃が遅れて来て、大河の水面が大きく跳ね、飛沫が霧になって降る。

轟音。

熱風。

両国の兵が一斉に目を細め、腕で顔を覆う。毛穴が焼けるような熱が頬を叩く。

旗が煽られ、馬が嘶き、砂が嵐のように舞う。

そして視界が消えた。

爆煙と土煙で、世界が塗り潰される。

「クロエ!!」

その中で、アウローラの声だけが走った。

彼女は脇目もふらずにクロエの元へ。

煙の中で、倒れ伏す小さな体を抱き上げた。

軽い。

あまりに軽い。

小さな手足がだらりと垂れている。

緑の髪が砂に汚れて、ふわふわの輪郭が傷で歪んでいる。

それでも――温かい。

温度がある。

鼓動がある。

命が、まだ繋がっている。

「クロエ!! しっかりしろ、クロエ!!」

必死に呼びかける。

その声に反応したのか――クロエが、薄く目を開けた。

硝子玉みたいな瞳が、かすかに揺れる。

鳴き声にならない息が漏れる。

生きている。

「よかった……待ってろ。今すぐ回復魔法を――」

彼女はすぐに回復術式を編み始める。

アウローラは癒しの専門職ではない。だが応急手当としては十分な腕がある。

裂傷を閉じ、循環を整え、まずは命だけ繋ぐ。

だが、アウローラが術式を組み始めた瞬間。

――殺気が届く。

それは、雷より速く背筋を冷やす。

アウローラは術式を中断し、反射で防御を展開した。

防御障壁。身体ごと包み、衝撃を散らす構成。

しかし――凄まじい衝撃が、障壁ごとアウローラを叩き潰す。

「ぐ……ああぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

身体が吹き飛ぶ。

地面を転がり、砂利が肌を裂く。

内臓が浮くような痛み。

骨が軋む音。

それでもアウローラは、クロエを手放さない。

両腕で抱きしめ、身を丸め、衝撃を自分の背と肩で受ける。

土煙の向こうから、足音が近づく。

そこに、アギトが歩いていた。

髪や衣服のところどころが焦げ、煤で汚れている。

頬に小さな裂け目があり、血が一筋だけ垂れている。

だが歩みは平然。

呼吸も平然。

怒りの熱だけが、目に宿っている。

「……今のは少し効いたよぉ……」

口調は軽い。

軽いのに、温度がない。

「……中級の竜くらいなら、今ので殺せてただろうにね」

アギトは口の中の土をぺっと吐き出す。

「ぺっぺっ。あー、口の中まで土入ったじゃないかー」

子供じみた不満。

その態度を見て――アウローラは愕然とする。

(あの距離で……私の全力をぶつけて……それで、この程度……?)

雷光破は、竜をも溶かす。

砦の壁を焼き抜く。

今のアウローラが放てる最高威力の攻撃魔法。

それを超至近距離で叩きつけた。

なのに―― 少(・) し(・) 効(・) い(・) た(・) 。

世界天蛇の分身。

それが意味する差が、今ようやく身体感覚として落ちてくる。

アギトが歩み寄る。

爪が鳴る。ぎちりぎちりと軋む。

殺意と殺気を抑えず、ただ「気に入らない」から裂こうと近づく。

「この稲妻かぁ……昔、おじさんやおっちゃん達の仲間を焼いたのは」

倒れ伏すアウローラの目の前で、星髪の顎が笑う。

幼い情緒のまま、憎しみの理由を手に入れたまま。

アウローラは立ち上がれない。

痺れと衝撃で、身体が言うことを聞かない。

それでもクロエを抱きしめ、身を丸める。

それが今の唯一の防御姿勢だった。

アギトが見下ろす。

面白くなさそうに。

苛立ちを隠さずに。

「――とりあえず邪魔だからさ。死んでよ、お前」

爪が振り上がる。

王国側も帝国側も、ようやく土煙の向こうを視認する。

悲鳴、怒号、絶叫、制止。

誰かが叫ぶ。誰かが走ろうとする。誰かが矢を番えかける。

だがアギトは止まらない。

幼き心の怪物は、感情の赴くままに殺意を開放する。

そして、アギトの爪は躊躇なく振り下ろされ――

「……おい」

低い声が、通った。

次の瞬間、アギトの爪が止まっていた。

横手から伸びた手に掴まれている。

爪牙を――片手で止める手。

アギトの目が細くなる。

自分の攻撃を止めた者の顔を見る。

そこにいたのは、黒髪の男。

年の頃は二十台前半。

中肉中背で、特別な装飾もない服装。

ぱっと見は目立たない。

だが、その男の周囲だけ空気が違う。

魔力が重い。

殺気が鋭い。

そして何より――当然のようにそこに立っている。

ぎしり、とアギトの手首が締め上げられる。

握り潰される一歩手前の圧。

痛みでアギトの表情が歪むが、男は気にも留めない。

ただ睨んでいた。

アウローラを殺そうとした相手を。

睨み殺す勢いで。

「……お前、何してんの?」

淡々と、声をかける。

一切の温度が無い、冷酷そのものの声色と姿で。

いる筈のない者が。

森(・) の(・) 外(・) に(・) 、 出(・) ら(・) れ(・) る(・) 筈(・) の(・) な(・) い(・) 者(・) が(・) 。

森奥隠者(フォレスト・ハーミット) ――世渡有羽が、そこにいた。