軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第100話・最深奥の万魔図書館③

魔境の大森林の夜。

有羽の庭先だけは、今夜も熱を帯びていた。コンテナハウスの内側、スキエンティアの私室という名の異界。そこに展開された最深奥の万魔図書館は、「知識そのものの匂い」を漂わせている。

有羽は、図書館内のソファの端にだらしなく腰を落としていた。寝不足の目、冷めかけた湯気のない茶、手には分厚い本が一冊。

向かいでは黒縁眼鏡の女神が同じように本を手に、ページをめくっている。

両名とも、先程から何度か顔が曇っては戻り、曇っては戻りを繰り返していた。

理由がある。

二人は見つけてしまったのだ。

蛇の分身――星髪のアギト。その「目的」を。

神聖国の滅亡。

光輝神ソル・サンクトゥスの殺害。

世界規模で物騒どころか、世界の均衡そのものを揺るがしかねない宣言。

しかも、それが「今しがた刻まれた」目的だと、図書館が示した。

ただ、ここで詰まる。

目的は見えたが――なぜ、そこに至ったのかは見えない。

図書館が見せるのは「世界の記録」のみ。

人の心の奥底を覗き込み、感情の根を一本一本抜いて並べる装置ではない。

だから二人は、今夜アギトではなく――神聖国を追っていた。

原因は、「そちら側」にあるはずだと踏んで。

そして。

「……なぁ女神さん」

有羽は、指でこめかみを押さえたまま、低い声で言った。

「おたくの同僚……これで放置されてるってマジか? どう見ても危険思想だろ、これ」

「ええっと……まあ危険と言えば危険だけど……神って基本、危険の塊だしねぇ」

スキエンティアは、眼鏡の奥で視線を泳がせた。

それは事実。神が関わる事柄は、基本的に歴史上大騒ぎになるケースばかり。

とは言え、検索して知った「中身」は、簡単に見過ごせない内容ばかり。

神聖国 概要

国号:ルクス=サンクトゥス神聖国(通称:神聖国)

国家形態:宗教国家(神権政治)

実権者:オプティムス教皇(事実上の最高指導者)

唯一絶対神:光輝神ソル・サンクトゥス

対外印象:聖なる秩序・慈悲の国/清廉な神官戦士の国

実態:成功と勝利を「演出」し続ける箱庭国家。調和の名で固定される社会

表の教義(国民向け)

・選ばれた者は成功する

・勝利は信仰の証

・衰退は信仰の緩み

・苦しみは鍛錬、敗北は試練

・祈りと献身で『頂点』へ至れ

裏の運用(実務者の共通理解)

・成功は『作る』もの

・勝利は『演出』するもの

・衰退は『誰かに負わせる』もの

・頂点は『短く輝けばよい』

・不都合な真実は『慈悲深く隠す』もの

有羽は、読み進めるほどに顔が死んでいった。

「……やべー国なんだけど、これ」

「……うん。危ない国だってのは、わたしも解るよ」

スキエンティアも冗談で流さなかった。腕を組んで、小さく頷く。

北の山脈と氷原に守られた盆地国家。

過酷な土地で生き延びるため、光を崇めるのは分かる。分かるが――その光が「勝利と成功」へ偏り過ぎている。

救いではなく、演出へ。慈悲ではなく、固定へ。

表と裏の二重構造を、恥じる気配もなく運用として書いてある。

「で、なんで放置されてんの? おたくの同僚」

「……北で引きこもってる限り他に迷惑かけてないから見逃す、みたいな? 実際、今まではむしろ安定してたし……」

「……引きこもってる限り安全、って発想は否定したい……否定したいけど……俺が言えた義理じゃねぇよな」

有羽は即座に言い返して、途中で言葉が喉に引っかかった。

森に引きこもって八年。大半の国にとってその力は「災害」の類。

自分で言って、自分で刺さる。

スキエンティアはうんうんと頷き、遠慮のない追撃を入れてきた。

「うん。有羽君も充分すぎるくらい危険因子だからね? 森の中に引きこもってるから神の目に触れてなかっただけで……もし人間の国ではっちゃけてたら、流石にヴェルミクルムの奴が黙ってないよ?」

「覇皇神ヴェルミクルム……計算機みたいな奴だっけか」

有羽は顔をしかめる。

世界の盤面そのもののような神。感情があるのかすら怪しい神。

有羽は電卓が空の上に降臨している姿を想像してしまい、短く笑う。

けれどすぐに真顔に戻った。笑いで流せる話ではない。

そして、もっと気になる点がある。

「女神さん。これさ……結局、ここまで偏ってても神々は止めないの?」

スキエンティアが肩をすくめた。

「止めない、というか……止める理由が成立しにくい。少なくともヴェルミクルムの奴は静観すると思うよ」

「こんな危ない国を?」

「うん。だって――神が手を出した訳じゃないから」

その言い方は、有羽の背中に冷たいものを落とした。

「加護を得た者がいたとしても、それは「人の範疇」でしょ? 人が人の領域で勝手にやってるだけ。わたしだって、そう判断する」

神と人の断絶。

同じ言葉を使っていても、見ている高さが違う。

人の悲鳴は、神の耳には「盤面の雑音」にしかならない。

有羽は息を吐き、本の次のページをめくった。神聖国の教義そのものより、今は「武装小隊全員が加護持ちになる」という異常が問題。

「……神の加護。これって、おたくら神の間だと、どういうもんなわけ?」

スキエンティアが、露骨に目を逸らした。

「…………」

「おい。目を逸らすな」

「え、えっと……」

眼鏡の奥で視線が泳ぐ。

「……基本的には、お気に入りシール」

「は?」

「だ、だからぁ……「この子気に入ったー」で貼る感覚の、お気に入りシール……」

有羽は、しばらく固まった。

各国で千人に一人の逸材。

国で語り継がれる神の恩寵。

それが、シール。

「……いや、待て。世界各地の加護保有者が全部そんな扱いってことは――」

「違う違う! 流石に全部じゃないよ!?」

スキエンティアは慌てて本棚を叩き、索引を引き寄せた。空中に一冊の薄い本が現れ、ぱらぱらとページが勝手にめくられていく。

「段階があるの。微加護、中加護、大加護、それから……神器級。ほら、これ見て」

そして彼女は、あるページを開いて有羽の目の前に突き出した。

全人口に対する目安

・無加護(0):圧倒的大多数

祈りは届くが、「追加機能」は生えない。

・微加護(1つでも持てば当たり):おおむね千人に一人

ただし「判別できる微加護」はもっと少ない。

・中加護:数万人~十万人に一人

目に見える形で「運命が偏る」

・大加護:国に数人いるかどうか

英雄・大司教級。ここから「烙印が残る剥奪」の領域に入る

・神器級(神器に認められる/恒常所有権が成立):世代に一人あるかないか

百年に一度の逸材

「ああ、成程。シール扱いはこの微加護か」

有羽が納得しかけたところで、スキエンティアが頷く。

「うん……微加護なら、わたしも今まで何人かに与えたことあるよ。でも中加護以上は滅多にない。従属神の子達も、余程気に入らないと出さないはず」

「てか、どっちかと言うと付箋じゃねぇか。人生に貼る付箋」

「うーん似てる! でも付箋って言い方だと神の威厳が……」

「シールの方がねぇよ。付箋の方がなんぼかマシだ」

有羽は表を眺め、思った。

分類表は真っ当だ。むしろ慎重さがある。

なのに先程のスキエンティアの顔は妙。あの「目逸らし」が、妙に引っかかる。

なぜそこまで気まずそうにするのか。

嫌な予感。

「おい。女神さん」

「な、なに?」

「アンタ前、毒物の研究してる学者を「いけいけー!」って応援したって言ってたな」

「う、うん……言った……けど……」

「そいつに与えた加護はどれだ」

スキエンティアの顔が、みるみる引きつる。

そして再び眼が泳ぐ。遠泳中だ。

「…………」

「目を逸らすな。怒らないから言ってみろ」

「う……うぅ……」

スキエンティアは、逃げ道を探すように本棚の奥を見た。

だが図書館は逃がしてくれない。この場に味方はいない。

いるのはジト目の有羽だけだ。

「……えっと、ね」

「うん」

「……大加護」

「ふざけんな、このボケ女神ぃ!!」

怒号が図書館に響く。

おこである。激おこである。当然の怒声である。

「うわーん! 怒んないって言ったのにー!!」

「物には限度があるんだよ! 大加護は国に数人って書いてあんだろうが! なんで毒物学者に国家級チート配ってんだよ!!」

「だってぇ……その人、研究への情熱がすごくてぇ……目がキラキラしててぇ……わたしもワクワクしちゃってぇ……!」

「そのキラキラとワクワクの先が環境破壊だったんだろうが!! ちったぁ考えて行動しろ!! 迷惑掛けすぎだろうが!!」

「だって、だってぇ!」

ぎゃあぎゃあ。

わたわた。

怒声と泣き声が、図書館に響き渡る。

その最中、本が一冊ふわっと宙に浮き、危険を察したみたいに棚へ戻っていく。

図書館側が自主避難を始めていた。

解った事は多数ある。

神は、善良でも危険。

神は、理屈が通っても事故る。

比較的、善性なスキエンティアですらやらかしているのだ。

北の大地に引きこもっている光輝神が、危険思想の神聖国の主神が、どれだけ「やらかしている」のか解ったものではない。

だが問題は――アギトの目的について。

蛇の分身の目的が、神聖国の滅亡と主神殺しだ。

その引き金の一部に、この国の歪んだ思想が絡んでいる可能性は高い。

だが、経緯が追えない。

心の中は読めない。

残るのは、記録だけ。

神聖国を掘る。

ソルを掘る。

そして――アギトの目的が刻まれた理由の外周を、少しずつ削る。

世界の記録は嘘をつかない。

ただし、読む側の胃は守ってくれそうになかった。

◇◇◇

有羽は机に肘をつき、指を組んだまま開いた本のページを睨んでいた。

対面にはスキエンティア。黒縁眼鏡を押し上げ、索引を編み直すように指を動かしている。

「……神聖国、か」

有羽が吐き出すように呟く。

蛇の分身――星髪のアギトの、あまりに物騒すぎる目的。

神聖国の滅亡。

光輝神ソル・サンクトゥスの殺害。

目的の「文言」は刻まれていた。

しかし、そこに至る「根」は見えない。見えようがない。

図書館が照らせるのは「世界に刻まれた記録」だけ。

誰かの心の奥底に沈んだ、感情の発火点までは掘り起こせない。

だから今夜、二人がいくら索引を引き直しても――見えるのは断片、断片、断片。

「……読める。読めるんだけどさ」

有羽はページの端を指で弾くように叩いた。

「読めるのは、全部「過去の既成事実」だ」

「うん」

スキエンティアは頷き、棚の方へ視線をやった。

そこでは本が勝手に入れ替わり、背表紙の文字が切り替わり、索引の優先順位が変わっていく。図書館そのものが、二人の探しているものを探しているようにも見える。

「記録は記録。今この瞬間の「これから」は、基本的に出ないよ。神聖国の侵攻が本格化して、世界に傷が残ってからじゃないと……図書館は『納品』しない」

「俗な言い方だなぁ。世界が書店みたいだろ」

「だって実際、そういう感じなんだもん。注文と履歴と配送、みたいな」

「嫌すぎる例えだ」

「そんな中でも、アギトちゃんの目的が刻まれたのは例外中の例外。従属神級の存在が、強く強く「定めた」から。世界が「新しい情報だね」って刻んじゃっただけ」

「つまり、人間の動きは……動いて死者が出て、国が燃えて、地図が塗り替わって、そこまで行ってからじゃないと、記録として見えないわけか」

有羽がぼやいている間にも、神聖国の項目は増えていく。

増えていくが――全体像を見せず、輪郭だけを押し付けてくる。

――北部山脈域:巡礼路整備。

――山脈越え:小規模布教団の派遣。

――近年:周辺国向けの「救済」名目の支援計画案。

――内部:人口増加施策、信仰統制の強化。

「……規模拡大、狙ってるな」

有羽はその一文を見て、目を細めた。

北の箱庭から飛び出し、大陸全体に光輝神の信仰を広めようとしている。

宗教国家の外向き。

それは歴史上、だいたい碌なことにならない。

「……でもさ」

スキエンティアがぽつりと呟く。

「こういうの、目的そのものは珍しくないよ。信仰を広めたい、国を大きくしたい、正義を押し付けたい……普通の戦争と言っちゃえば、それまでなんだよね」

「……まあ、な」

有羽は頷く。

地球の歴史でも、信仰を旗にした戦争は珍しくない。

領土、資源、体制、民族、正義、復讐――そして信仰。

理由は何であれ、人が人を殺す構造は変わらない。

だから、神の視座から見れば。

これは――人の営みの範囲。

つまり。

「うん。やっぱり……有羽君には悪いけど、わたしたち神が動くことはないかな。というか、動くべきじゃない。人と人の戦争に神が動いたら、それこそ取り返しのつかないことになる」

スキエンティアの声は淡々としていた。

冷たいというより、遠い。

万年単位で物事を見てきた者の距離感。

有羽は黙った。

言い返せるほどの根拠がない。理解できてしまう部分がある。

神が介入すれば、戦争は「人の戦争」ではなくなる。

それは「悪例」として永遠に残る。

人が人として責任を取れない領域に落ちる。

ただ――。

「……光輝神が直接介入したら?」

有羽が低い声で問うと、スキエンティアは即答した。

「それはヴェルミクルムが絶対に黙っちゃいない。ソルを滅ぼすまであり得る。でも、ソルを崇める人間が戦争を仕掛けたとしても……それは動く理由にならない」

「その結果がどうであれ、か」

「うん。酷い言い方だけど――精々、国が亡ぶ 程(・) 度(・) だから」

その言葉の重さに、有羽は一瞬息を止めた。

国が亡ぶ程度。

人間からすれば、世界が終わるに等しいのに。

神からすれば、ただの現象。

スキエンティアは、有羽の表情を見て小さく眉を下げた。

「可哀そうだとは思う。酷い事だとは思う。でも、わたしたち神は……国の滅亡なんて、本当に数え切れないほど見てきたから。神聖国の人達が何をしても、わたしたちは絶対に動かない」

有羽は、女神の言葉を聞きながら理解する。

彼女は寄り添う側の神だ。文化が好きで、人の営みが好きで、だからこそ痛みも知っている。知っているが――立場は変えられない。

寄り添っていて尚、この温度なのだ。

ならば――寄り添わない神の温度は、どれほど冷たいのか。

そして、だからこそ余計に解らない。

なぜアギトは「滅ぼす」という言葉を選んだのか。

神ですら静観する「普通の戦争」の範疇に、どうして従属神級の殺意が乗るのか。

「……アギトちゃん……従属神の子達と同じ領域でしょ?」

スキエンティアが、心底困った顔で言う。

「……ええ? なんで国の滅亡なんて望んでるの? 意味わかんない……」

女神にも分からない。

当然だ。アギトの情緒が、見た目の少女のまま止まっているなんて、神の方が想定しない。

有羽も知らない。会ったこともない。記録だけでは、腹の底の怒りは測れない。

二人は答えのないまま、次の手がかりへ移る。

有羽がちら、と先ほどのページへ戻る。

神の加護一覧。

その中の一行――『烙印が残る剥奪』。

そこが妙に引っかかった。

「なあ、女神さん。この『烙印が残る剥奪』って何?」

スキエンティアは眼鏡を押し上げ、ページを覗き込む。

「ああ……これね」

彼女は指を立てて説明を始めた。

「微加護は「お気に入りシール」って言ったでしょ? でも中加護以上は、もうシールじゃない。分かりやすく言うと――「看板」なんだよ」

「看板?」

「そう。神の名が刻まれた看板。貼るとか渡すとかじゃなくて……『授ける』とか『許す』の領域。魂や運命の糸に、針で縫い込む感じかな」

スキエンティアは魔力を指に宿し、空中に図を描く。

図書館の空気がそれに反応し、壁に張られた看板の絵が浮かぶ。

「シールなら剥がしても跡は薄い。時間が経てば消える。でも看板は違う。無理矢理剥がせば釘穴が残る。壁が割れる。下地が露出する。ひび割れが広がって……誰の目にも見える傷が残る」

彼女の指先が傷痕の箇所をつん、と突く。

「――それが烙印。人間の間だと『堕落者の烙印』って言われるかな」

「信用失墜の証か」

「うん、それに近い。神の信頼と信用を泥で踏み躙った、って扱いだね。……歴史上でもあんまりいないよ? そもそも堕落するような人に、加護与えたりしないから」

「……例の毒物学者も?」

有羽の声が、ほんの少しだけ鋭くなる。

「当然、烙印は付いてない」

スキエンティアはきっぱり言った。

そして、少し迷うように視線を落としてから言葉を重ねる。

「そりゃ危ない研究してた。結果も凄惨だった。でも、責任は捨てなかった。毒が広まる前に、多くの人に知らせて逃がしたし……本人は最後まで毒の拡大を防ごうとしてた。自分が毒で死ぬ、その最後の瞬間まで、解毒薬を作ろうとしてた」

スキエンティアの声が、少しだけ低くなる。

有羽は何も言えなかった。

褒められない。だが、罵るほど単純でもない。

結果として悲劇が起こったとしても、最後まで責任を手放さず道を外れなかったのなら、神の側は烙印を刻まない――そういう話。

そして――そこから逆に、今の神聖国の危険度が浮き彫りになる。

「……それを考えると、今の神聖国の連中ってどんな感じだ?」

「んー……」

スキエンティアは迷い、索引を引き直した。

本が一冊滑り落ちるように現れる。

ページが勝手にめくられ、加護の分布と偏りが表示される。

国土のほぼ全域に、微加護の反応。

数としては膨大。だが質は薄い。

広く浅くばら撒かれている。

「……絶対に微加護。中加護以上は絶対にない」

スキエンティアの声が硬い。

「中加護以上をばら撒くのは、もう直接介入に近い。だから、やらない……やれないんだけ、ど……」

突然言葉が詰まるスキエンティア。有羽は眉をひそめる。

「……」

「女神さん?」

スキエンティアは、眼鏡の奥で目を細めた。

「……ちょっと待って。ソルの奴……だから微加護ばら撒いてるの?」

有羽はその瞬間、背筋の奥が冷えた。

大きな加護のばら撒きは、神々のルール上不可能。

なら、薄い加護を大量に。

神の介入と見なされないギリギリの線を、国の規模で踏む。

「……ルールの穴だな、それ」

「うん。穴。反則に近い」

「……一応、念のために聞くけど。他の神もそんなことできるのか?」

「無理。できない」

きっぱりと言い切って、スキエンティアは指先で一冊の本を弾いた。

本がひらりと宙で回転し、開いたページに条件が並ぶ。

「微加護だって、本当は 気(・) に(・) 入(・) ら(・) な(・) き(・) ゃ(・) 貼(・) れ(・) な(・) い(・) 。やろうと思ってできるものじゃない。なのにソルは、長い年月、ひとつの信仰だけで神聖国を繁栄させてきた。箱庭で、同じ光だけを見続けさせてきた」

有羽は、そこに積み重なる時間を想像する。

好きの蓄積。

選別の省略。

光だけを正義とする訓練。

「光輝神が北の大地に降臨したのは……約千年前、だったか」

「うん。もしこれが計画なら――千年が下地だよ」

図書館の棚が、微かに軋んだように聞こえた。

その軋みを聞きながら、有羽は思案する。

(神は信仰の源。要するに電源か。となると信仰は……電流? 儀式、戒律、生活、教育、価値観。全てを 固(・) 定(・) さ(・) れ(・) た(・) 導(・) 線(・) と仮定すると……神聖国には配線が出来上がっている?)

有羽の脳内で、高速に線が引かれている。

幾つもの線が引かれた図面。配電図。

「普通の国だと祈りは散る。雑音も多い。だから神が個別に見て貼るしかない。けど神聖国は違う。『勝利』『成功』『頂点』という同じ単語、同じ感情が、毎日毎日、千年分積み上がった。すると――」

「……半自動みたいなものが成立する可能性があるね。ソルがいちいち『この子気に入った』って見てなくても、信仰の仕組みそのものが微加護を流す。加護を貰った人はさらに信心深くなる。深くなるほど信仰が強まる。強まるほど微加護が流れる」

「……正のフィードバック」

「うん。信仰が信仰を呼ぶ。宗教国家の構造が、そのまま加護の供給装置になる」

ページの端に、過去の統計らしき記録が追加される。

数字は曖昧だが、傾向がはっきりしていた。

――神聖国内:微加護保有率が通常推定の数倍。

――特定の職能(神官戦士・布教神官)に偏在。

――国外派遣武装団:微加護の付与済み。

有羽は眉間を押さえた。

「……つまり、光輝神は「微加護なら直接介入じゃない」のラインで、国全体を「お気に入り」にしてる」

「そう見えるね。しかもこれは「神が手を伸ばした」ってより、「人間が信仰でそういう国を作った」って理屈になってる」

「……千年かけて国全体を微加護で染める。それで外に出る」

「多分、そう」

スキエンティアは小さく頷き、眼鏡の奥の目を細めた。

「成功を演出して、勝利を積み上げて……『光は正しい』『勝つのが正しい』を国民の常識にする。そうすると、侵攻が「信仰の証」になる」

有羽は、嫌な連想を止められない。

勝利の演出。

衰退の押し付け。

不都合な真実の隠蔽。

そして――外に出た瞬間、他国は「不都合な存在」になる。

「……で、そんな国を、神は止めない」

「止めない。……というより、止められない」

「じゃあ、これ止めるのは――人間か」

「人間だよ。人間だけが止められる」

スキエンティアの声に、わずかな疲労が混じった。

神でさえ、ルールの檻から完全には出られない。

神聖国の動きは、じわじわと「外」に向かっている。

そしてその「外」には、帝国がいる。王国がいる。魔国がいる。

どこかで必ず、衝突する。

有羽は呻くように言った。

「……なんでアギトとやらは、こんな国を目の敵にしてるんだ?」

そこが何よりの謎。

何故、アギトは滅亡を目的にするほど神聖国を憎むのか。

神の殺害を目指す程に敵意を持っているのか。

理由は見えない。記録しか見れない二人では、アギトの心は見通せない。

だが、理由が見えないままでも、世界は動く。

ゆえに。

「……女神さん。結論だけ先に言う。これ、放置していい規模じゃねぇぞ」

「うん。分かってる」

スキエンティアは、軽口を挟まない。真顔で頷いた。

神聖国は光輝神の反則じみた積み重ねにより、危険な国になっている。

そんな神聖国を滅ぼそうとするアギト。

ふたつがぶつかり合えば、大陸中が揺れる。

最終的に、人と人の戦争では済まなくなる。

その瞬間が来たら、図書館はようやく『納品』するだろう。

血と灰と戦争の結果を、記録として。

「……納品されてからじゃ遅いんだよな」

「うん。これは多分、国が亡ぶ程度じゃ終わらない。下手すると大陸中の文化が衰退しかねない」

「……文化の衰退は嫌いかい? 探求の女神様?」

「だいっきらい! 人の発展と好奇心が消えるのは、わたしは大嫌いだよ! だから――」

そこまで言って、満面の笑みを向けるスキエンティア。

女神の笑顔。それは面食らう程美しく――同時に、頼もしかった。

「少しだけ有羽君を手伝ってあげる。直接介入じゃないよ? わたしは森で読書をするだけ。結果として――ソルの奴の邪魔になっちゃうかもしれないけどね?」

「……ありがとな、女神さん」

「いえいえ、どういたしましてー! ……お礼は、新しい地球産の料理なんかで」

「前向きに善処を検討する次第でございます」

「それ絶対実行しない言い回しだよー!」

ぎゃあぎゃあと、騒がしい声が冷たい図書館に響く。

重苦しい空気を、少しでも吹き飛ばすように。

そんな中――二人は、今夜も索引を回す。

根が見えないなら、枝を掴む。

枝が無理なら、葉の影を読む。

万魔図書館の空気は変わらず冷たいが、しかし熱を孕んでいる。

紙の匂いの中で、答えの出ない問いを抱えたまま、索引を組み直し続ける。

それでも、有羽はページをめくった。

スキエンティアも次の本を引いた。

――神聖国はなぜ外へ出るのか。

――ソルの計画はどこまでか。

――そして、星髪のアギトは、なぜ滅亡を望むのか。

ページをめくる音だけが、夜を削っていった。