軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

最終章「本日の実況を終了します」

あれから、三年が経った。

王都の秋は、相変わらず美しかった。

街路樹が金色に染まり、朝の空気に焼き菓子の甘い香りが混じる季節。

広場では子どもたちが落ち葉を蹴散らして走り回っていた。

私は馬車の窓から、そんな王都の風景を眺めていた。

三年前の秋、ラーゼン結社が壊滅した。

アルベルト殿下との婚約破棄騒動は、社交界の語り草になった。

宰相の不正は糾弾され、軍のスパイは処分され、二十年続いた隣国との国境問題は合同測量によって解決された。

そして実況は——止まらなかった。

止まらなかったけれど、私はもうそれを恥ずかしいとは思わなくなっていた。

『おはようございます! 本日も実況令嬢ミレイユ・ヴァルナー、元気に出発でございます!』

「ヴァルナーになりましたのね」

私は少し笑いながら呟いた。

ミレイユ・ヴァルナー。

半年前に結婚して、名前が変わった。

実況がその名前を呼ぶたびに、まだ少しだけ、胸が温かくなる。

馬車の向かいの席に、クロード——もとい、夫が座っていた。

近衛騎士団長の職は継続しながら、私の護衛も継続している。

任務と個人的な感情がごちゃ混ぜになっているが、本人は「問題ありません」と言っている。

相変わらずだった。

「今日の予定は」

クロード卿——クロードが確認した。

結婚してからも、二人きりの時以外では「ヴァルナー卿」と呼んでいた。

二人きりの時は——これは内緒だ。

実況に言わせるつもりはない。

「午前中は貴族院の定例会議に顔を出して、午後は王都南区の視察を」

「南区というと」

「新しい学校の建設が始まりましたでしょう。あちらに」

クロードがうなずいた。

あの一連の騒動の後、私はいくつかの公的な役職を打診された。

断ろうとしたが、父に「お前の実況が社会の役に立つなら、使わない理由がない」と言われ、クロードに「私が守ります」と言われ、結局受けることにした。

現在、貴族院の諮問委員として、主に不正監視と政策立案の場に関わっている。

肩書きは小難しいが、要するに——実況令嬢が公的機関に組み込まれた、ということだ。

我ながら、どういう人生だろうと思う。

貴族院の会議は、三年前とは雰囲気が変わっていた。

あの頃は私を珍獣か爆弾のように見る目があったが、今は——慣れた目になっていた。

実況令嬢が来た、いつも通りだ、という空気。

議事が始まった。

今日の議題は来年度の税制改正案だった。

資料が配られ、議長が口を開いた。

しばらく進んだところで、実況が流れた。

『おっとここで東側の席の議員、資料の数字と手元のメモの数字が違います! あれは故意ですね! 改正案の一項目を有利に見せるためのすり替えが行われた可能性があります!』

会議室がざわついた。

東側の議員が立ち上がった。

「ち、違う、これは単純な記入ミスで——」

「資料の確認を求めます」

私は静かに言った。

議長が資料の照合を命じた。

五分後、差異が確認された。

東側の議員が連行される形で退室した。

残った議員たちが、それぞれに安堵の顔をしていた。

真っ当な議員にとって、実況令嬢の存在は抑止力になっていた。

不正をしようとする者にとっては——地獄だったが。

午後、王都南区の建設予定地を訪れた。

更地に建設用の杭が打たれ、職人たちが図面を広げていた。

計画では、この場所に平民の子どもたちのための学校が建つ。

費用の一部は、ラーゼン結社から没収した資産を充てた。

経緯がどうあれ、形になることが大切だと思っていた。

現場責任者の建築士が挨拶に来た。

私の実況を知っている人物で、緊張した顔をしていた。

「ご安心ください、今のところ実況が何かを暴く予定はありません」

「え……はい、あ、ありがとうございます」

建築士が苦笑いした。

クロードが隣で、ごく小さくため息をついた。

『おっと建築士のクレマン氏、今の主人公の言葉でかえって緊張が増した様子! 逆効果になりました!』

「なりましたわね……」

クロードが建築士に向かって静かに言った。

「ローゼン——ヴァルナーの実況は、正直な人間には向きません。良い仕事をしていれば、何も問題ありません」

建築士が、ようやく本当の安堵の顔をした。

フォローが上手くなった、と思った。

三年前は、私の実況に対してひたすら耐えるだけだったのに、今は自然に補助ができる。

人は変わるものだ。

いや——変わっていないのかもしれない。

もともとそういう人で、ただ表に出せるようになっただけなのかもしれない。

帰り道、夕暮れの中を馬車で走りながら、私は少し眠くなった。

窓に頬をつけながら、目を細めた。

「疲れましたか」

「少し……でも、気持ちいい疲れ方ですわ」

「無理をしていませんか」

「していません。本当に」

クロードが少し間を置いてから、隣に移ってきた。

私の肩に、そっと外套をかけた。

「……ありがとうございます」

「どういたしまして」

夕日が馬車の中に差し込んでいた。

橙色の光が、二人を包んでいた。

その夜、自室で日記を書いた。

三年前も、つらい夜に日記を書いた。

あの頃と今では、書く内容が全然違う。

ペンを走らせながら、ふと思った。

実況はまだ止まっていない。

これからも止まらないのだろう。

フィン博士は言っていた。

制御系が修復されれば止まるかもしれない、と。

でも最近は——止まらなくていい、と思っている。

これはわたくしの一部だ。

クロードが言った言葉が、今は自分の言葉になっていた。

ペンを置いて、窓の外を見た。

星が出ていた。

王都の夜空に、静かな星が広がっていた。

扉がノックされた。

「入ってください」

クロードが顔を覗かせた。

「まだ起きていましたか」

「日記を書いていました」

「そうですか。……少しいいですか」

「もちろん」

彼が部屋に入ってきて、窓の外を見た。

それから私の隣に立った。

「明日は、休みです」

「珍しいですね」

「たまには、二人で出かけませんか。どこか遠くに」

私は少し目を丸くした。

クロードが、こういうことを言い出すようになった。

これも、三年の変化だった。

「どこへ行きたいですか」

「あなたが決めてください」

「わたくしが決めていいんですか」

「あなたの実況が一番正確に、どこへ行くべきかを知っているでしょう」

「……それは詭弁ですわ」

でも少し嬉しかった。

「では——フィン博士が言っていた、東の山岳地帯はどうでしょう。古代の遺跡があると」

「行きましょう」

即答だった。

私は笑った。

クロードも、静かに笑った。

窓の外、王都の夜が続いていた。

翌朝、私たちは早くに馬車で出発した。

王都を離れ、東の街道を走った。

山が近づくにつれ、空気が変わった。

澄んで、冷たくて、深呼吸したくなる空気だった。

遺跡は、山の中腹にあった。

石造りの柱が残り、草に覆われながらも確かな存在感を持っていた。

古代の人々がここで何をしたのか、今となってはわからない。

でも——この場所に来ることには、意味があった。

『おっとここは古代において、実況使いが修行をしたとされる場所です! 石柱の刻まれた文字、古代語で「声よ、真実と共にあれ」と書かれています! 主人公の実況スキルの源流が、ここにあるかもしれません!』

私は石柱の前に立ち、刻まれた文字を見た。

古代語は読めなかったが、実況が読んでくれた。

声よ、真実と共にあれ。

「……なるほど」

クロードが隣に立った。

「どういう意味ですか」

「この力が何のためにあるのか——少しわかった気がします」

「どういう意味ですか」

「止まらない理由があったんですわ、きっと。真実と共にいるために」

クロードが少し黙った。

それから、静かに言った。

「あなたらしい答えです」

「らしいですか」

「あなたは——最初からそういう人でした」

石柱の周りで、風が吹いた。

草が揺れた。

遠くで鳥が鳴いた。

私はクロードを見た。

クロードが私を見た。

それから——彼が、手を差し出した。

私はその手を取った。

『おっとここで新婚夫婦、古代遺跡にて幸せな一場面をお届けしました! 青空がよく似合っています! 騎士団長も実況令嬢も、三年前とは別人のように穏やかな顔をしています! これは——』

実況が、一瞬、止まった。

止まった。

初めてのことだった。

止めようとして止まるのではなく——自然に、静かに。

それからまた、流れてきた。

『——幸せエンドだー』

声が、いつもより少しだけ、穏やかだった。

私は笑った。

クロードも笑った。

遺跡の風が、二人の間を抜けていった。

「本日の実況、以上ですわ」

私は空に向かって言った。

「以上です」

クロードが繰り返した。

青い空が、どこまでも広がっていた。

真実と共にあれ、という言葉が、風の中に溶けていくようだった。

実況は続く。

明日も、明後日も、きっとずっと。

でもそれでいい。

これがわたくしで、これがわたくしの声だから。

手を繋いだまま、私たちは山の空を見上げた。

空が、眩しかった。

終幕