作品タイトル不明
仕事をしよう(1)
「それじゃあ、行ってくるね」
髪を纏めて、認識阻害と幻影魔法のかかったメガネをかけ、宮廷魔法士の少し大きなローブを着て。
ローブの下には腰にベルトでポーチをつけてある。
中には細々としたものが入っている。
ルルがくれたネックレスもローブの下につけてあるし、いつも通り婚約指輪もきちんとはめて、準備万端だ。
「行ってらっしゃいませ」とリニアさんとメルティさんの声が重なった。
横からルルに抱き寄せられる。
ルルが転移魔法の詠唱を行い、足元に魔法式が浮かび、そして一瞬の浮遊感と共に視界が変わる。
どうやら王城近くの家の屋根の上らしい。
「路地裏で下ろすよぉ」
と、ルルが言って、わたしを抱き上げた。
その家の屋根を伝って下に降りて、人気のない細い道に出た。
ルルがわたしを下ろしてくれる。
「ありがとう、ルル」
「どういたしましてぇ」
髪の乱れがないか確認して、よし、と意気込む。
今日は宮廷魔法士として初出仕である。
あと、周りからはわたし一人に見えるけれど、今日は一日、ルルがそばについて来ている。
心配してくれているのと、宮廷魔法士としてわたしが働く場所にどんな人間がいるのか確認するのも兼ねているようだ。
仕事に復帰するまでは、わたしが出仕する日はついて来るつもりらしい。
別にそれは構わない。
ルルがいてくれた方が安心だし、仕事中や塔の中では人目があるので話す機会は少なくなってしまうけれど、一緒にいられるのが嬉しい。
「じゃあ、行こうか」
ルルが頷く。
わたしは路地裏から大通りへ出た。
ルルはわたしの後ろを歩いてついて来る。
……なんか不思議な感じだなあ。
歩いていると屋台のおばさんに声をかけられた。
「おや、宮廷魔法士様かい? 珍しいねえ」
「そうなんですか?」
「大抵は馬車に乗ってるからね」
なるほど、と思いながらも返す。
「わたしは平民ですから。それに今日が初の出仕なので、自分の足で歩いて行きたくて」
「そうなのかい? 平民から宮廷魔法士になるなんて凄いことじゃないか。じゃあお祝いしないと。ほら、良かったらこれでも持ってお行きよ」
と、小さめのリンゴを投げ渡された。
慌てて受け止めれば、おばさんは笑った。
「休憩時間にでも食べてちょうだいな。それで、美味しかったらまた来て買っていっておくれよ」
はっはっは、と明るく笑うおばさんにわたしも笑って頷き返した。
「はい、そうします。ありがとうございます」
小さいけれど赤くてツヤツヤのリンゴはとても美味しそうで、きっと、甘くて瑞々しいのだろうと味が容易に想像出来る。
おばさんに手を振りつつ屋台を離れて王城へ向かう。
すぐに王城の門に着き、そこで前以てお父様に発行してもらっていた宮廷魔法士の身分証を見せて、中へ入った。
塔までの道を歩いて行く。
王女だった時はずっと馬車に乗って通りすぎるだけの道だったけれど、こうして歩いてみると、結構距離がある。
でもなんだかとても楽しい。
手に持ったリンゴを鼻に近付ければ甘酸っぱい、いい匂いがする。
そうして塔に到着し、わたしは大きな扉を開けて、中へと入った。
塔は王女時代に何度も来ていたから迷うことはない。
宮廷魔法士長様の部屋は塔の上部にある。
廊下を進み、階段を上がる。
他の宮廷魔法士達も出仕しているので、廊下にはチラホラ人がいたけれど、あまり注目されることはなかった。
……宮廷魔法士って他人に興味がない人が多いんだよね。
仕事に忠実で魔法が好きで、でも人間関係にはあまり関心がないので、冷たく感じることが多い。
実際は魔法が好きすぎて、そちらに比重が傾きすぎて、他者への関心が薄い。
逆を言えば魔法の話には凄く食いついてくる。
久しぶりに長い階段を上がって少し息が切れた。
立ち止まって息を整えてから、魔法士長様の部屋へ向かう。
扉の前で止まり、目の前のそれを軽く叩いた。
中から穏やかな声で「どうぞ」と促される。
「失礼します」
扉を開けて入れば、魔法士長様が席にいた。
結構なお歳でここまで階段を使って上がって来るのは大変ではないのかな、なんて考えつつ、中へ入り、扉を閉める。
「本日より働かせていただきます、ルシール=ローズと申します。よろしくお願いいたします」
一礼すると魔法士長様が微笑んだ。
「話は聞いております。……ご健勝のようで何よりでございます、リュシエンヌ様」
声を落として囁いた魔法士長様に微笑み返す。
「魔法士長様もお元気そうで何よりです。時々、出仕させていただきますが、大丈夫でしょうか? それからわたしに出来る仕事はありますか?」
「ええ、もちろん、大丈夫ですよ。実はあなた様にお任せしたい仕事がありまして、こうして来ていただけて助かります」
こちらに、と立ち上がった魔法士長様に連れられて隣室へ移動する。
ちなみにルルは塔に入ってすぐに姿を消した。
多分、天井裏にでもいるのだと思う。
隣室に行くと、真新しい机と椅子が用意されており、そこに沢山の書類や魔道具らしきものが積み上げられていた。
「ここにある魔道具はなんらかの不備で動作しないものや、壊れてしまったものなのですが、こういうものが実は多くて、魔法式の読み取りや確認もここでの仕事の一つなのです。これらの魔道具はここで作られたものなので」
よく見れば机の横に置かれた箱の中にも魔道具が入れられており、そちらには「動作可能」と書かれた紙が貼られている。
「机の上にあるものが動作不良のもので、こちらの箱にあるのは定期検査に出たものです」
「ではこちらはなぜ動かないのか調べて、箱の中のものは異常がないかの確認をすれば良いのですね」
「ええ、そうです。動作確認についてはまた別の魔法士が二重確認した後に検査するので、ここでは魔法式に異常がないか調べていただきたいのです」
それなら魔法の使えないわたしでも出来そうだ。
「他の魔法士がやりたがらない仕事を押し付けてしまって申し訳ないのですが……」
と、魔法士長様が言う。
「やりたがらないのですか?」
「魔法式の確認を延々と繰り返す作業なのもそうですが、魔法士達は自分の得意分野以外は興味が薄いので、このような作業は面倒に感じてしまうのです」
「なるほど」
わたしは一つ頷いた。
「わたしはむしろこのような作業が好きです。魔道具を見て、そこに使われている魔法式を調べるのは勉強になりますから」
「そう言っていただけると助かります。私は隣にいますので、何かありましたら声をおかけください」
「分かりました」
魔法士長様が隣室へ戻ろうとしたところで、ふと気付いたことがあったので声をかける。
「あの、ここではわたしはルシール=ローズで、宮廷魔法士見習いです。他の宮廷魔法士の皆様と同じように接していただけたら嬉しいです」
そう言えば魔法士長様が頷いた。
「そうですね、その方が良いでしょう。……では、ローズ君、魔道具の確認をよろしくお願いします」
「はい、頑張ります」
さあ、お仕事を始めよう!
* * * * *
リュシエンヌが仕事をしている。
魔道具の点検と不備の調査を任されたようだ。
机に向かい、魔道具を調べ、使われている魔法式を丁寧に読み解き、間違いがないかの確認のためか、リュシエンヌは紙に書き写していた。
かなり集中しており、ルフェーヴルが天井から出て来ても反応しなかった。
リュシエンヌの座る椅子を揺らさないよう、そっとそれに寄りかかり、座っているリュシエンヌの頭越しに魔道具を覗き込む。
……へえ、これってこんな式を使ってるんだぁ。
王城で使用する魔道具を、しかもそれに使われている魔法式をこうやって間近で見る機会などそうはない。
リュシエンヌが勉強になると言うのも分かる。
「ここに魔力が流れて、こっちから魔法が展開されていくから、ここの魔法式の始まり方はこれであってて──……」
ブツブツとリュシエンヌが独り言を呟いている。
机の端にはちょこんとリンゴが置いてあった。
出仕する際に街で声をかけられ、渡されたものだ。
認識阻害がかかったメガネをかけているので顔を覚えられることはないだろうが、それをつけているのに話しかけられるのも珍しい。
恐らく、声をかけてきた人間が言うように、宮廷魔法士のローブが目立っていたのだろう。
リンゴに手を伸ばす。
赤くて、ツヤが良くて、新鮮なものだった。
くん、と匂いを嗅いでみたが違和感はない。
リュシエンヌはこれを貰って嬉しそうにしていた。
そっとリンゴを元の位置に戻す。
そうして室内を見回した。
隣室には魔法士長がおり、廊下と繋がった扉はあるものの、何かあればすぐに魔法士長も気付くだろう。
表向きは見習いとして魔法士長の傍で雑用係として働くということになっているが、これなら、人も殆ど来ない。
もし来たとしても魔法士長に用事のある者だけだ。
部屋が違うのでリュシエンヌを気にすることもないし、リュシエンヌも人目を気にする必要がない。
しかし出仕する際には他の宮廷魔法士達もリュシエンヌを見かけているので、ルシール=ローズの存在をなんとなく認識する。
名前までは知らなくとも、特徴を言われれば「ああ、あの人間か」くらいには思われるはずだ。
そのためにリュシエンヌは本来の髪色とは違い、鮮やかな目立つ赤い髪にしているのだ。
宮廷魔法士で、若くて、小柄で、女で、赤い髪。
それだけでルシール=ローズだと判断出来る。
時々王女時代に塔へ来ていたので、もしかしたら、話したり接したりしているうちに察する者もいるかもしれないが、よほど勘の悪い人間でなければ気付いても黙っているだろう。
普段は下ろしていることの多いリュシエンヌの髪が後頭部で纏められ、細く白いうなじが覗いている。
……噛みたいなぁ。
でも、こんな目立つ場所にすれば、逆に他の男達の目を引くし、良からぬ想像をされるかもしれない。
……すっごく美味しそうなんだけどなぁ。
残念だとリュシエンヌのうなじを見下ろした。
当のリュシエンヌは思考の海に沈んでいた。
* * * * *
ちゅ、と柔らかな感触が首の後ろに触れた。
それにふと我へ返る。
顔を上げれば、いつ出てきたのか、ルルがわたしの座っている椅子に寄りかかっていた。
見上げたら当たり前のようにキスされる。
唇が離れて、それで、さっきは首筋にキスされたのだと気が付いて、少し顔が赤くなる。
「もう昼食の時間だよぉ」
囁くように言われて、目を丸くしてしまった。
……気付かなかった。
今日はルルがいるため、昼食はどこか人目につきにくい場所で食べる予定だったけれど、ここで食べてもいいかもしれない。
一度席を立って、隣室に繋がる扉を叩いた。
「魔法士長様」
顔を覗かせれば、魔法士長様が顔を上げる。
「ああ、もう休憩の時間ですか」
「はい。それで、こちらの部屋で昼食を摂ってもいいでしょうか?」
「構いませんよ。ただ書類や魔道具は汚さないように気を付けてくださいね」
それに頷き返す。
魔法士長様は食堂へ行くらしい。
この塔にも宮廷魔法士専用の食堂があるのだが、そちらは行くことはないだろう。
人目も多いし、何より、誰かと相席になっても落ち着かない。
あまり話しかけられても困る。
わたしはひっそり、それとなく、存在を知られていればいいのである。
顔を引っ込めて扉を閉める。
振り向けば、ルルが空間魔法を展開させて、そこからバスケットを取り出していた。
「お腹空いた」
机がいっぱいなので、どこで食べようか。
そう考えているとルルが床に布を敷いた。
ルルがそこへ座り、隣をぽんぽんと叩いたので、わたしも布の上に腰を下ろした。
室内は綺麗に清掃されているし、布も敷いてあるので汚いとは思わなかった。
「リュシー、集中してたもんねぇ」
ルルがバスケットにかけてあった布を取る。
中には丸い陶器の入れ物が二つ入っていて、オレンジが二つ、小さめのティーポットとカップが二つ、取り皿が二枚。
ルルが丸い陶器の器を取り出した。
開けてみると中身はパイで、匂いからしてミートパイだろう。
もう一つの器にはキッシュが入っていた。こちらはトマトや玉ねぎなどの野菜が沢山入っていて、パイもキッシュも美味しそうだ。
「わ、美味しそう!」
ルルが切り分けてくれるのを横で見て待つ。
まずはキッシュの方からだ。
「はい、どうぞぉ」
取り皿に分けられたキッシュをルルが一口食べてから、わたしに差し出される。
「ありがとう」
受け取って、ついでにフォークももらい、一口大に切って食べる。
トマトや玉ねぎなどの野菜に卵、チーズ、クリームなどの味がして、濃厚でまったりとしていて美味しい。
わたしが食べているとルルが紅茶を用意してくれた。
それから、ルルも切り分けたキッシュを取り皿に分けて、フォークで適当に切って頬張った。
「これ美味しいね」
「そうだねぇ」
卵にチーズにクリームに、美味しいものばかりがふんだんに使われているのだから、これで美味しくないわけがない。
口の中がまったりしたら、ストレートの紅茶で一度リセットする。
そうするとまた美味しく食べられる。
それにあまり大きくないので二切れも食べられる。
残りはルルが食べるようだ。
「卵にチーズとクリームの組み合わせって、ずるいよね。絶対美味しいやつだよ」
ルルが笑った。
「確かにねぇ」
キッシュを食べ終えたら、今度はミートパイだ。