軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

予想外

リュシエンヌの婚姻までもう半月だ。

アリスティードは日記を綴りながら考える。

十年前、初めて会った妹が、もうそのような年齢を迎えるのだと思うと感慨深くもある。

同時に寂しさと何とも言えない切なさも感じていた。

初めて恋をし、愛した少女が結婚する。

リュシエンヌに対する愛は、この十年で少しずつ恋情から家族愛に変化しつつあった。

それでも感じる切なさに、諦めが悪い男だと内心で自嘲する。

リュシエンヌが結婚するのはルフェーヴルだ。

ルフェーヴルを羨ましく思う気持ちもある。

だが何よりリュシエンヌには幸せになって欲しい。

クリューガー公爵領に迎えに行った時から二人が身につけているピアスと指輪には気付いていた。

ピアスは一対を二人で、指輪は同じ意匠のものを左手の薬指にはめて、リュシエンヌは時折指輪を確かめるように触る。

ルフェーヴルもたまにピアスが気になるのか耳に触れていて、似た者同士の二人であった。

以前は同じデザインの衣装も着ていた。

とにかく揃いの物が欲しいらしい。

どことなく子供っぽさはあるが、それだけ互いに執着しているということだ。

あの二人は昔から相思相愛なので、結婚すれば、きっと今以上に仲睦まじくなることだろう。

ルフェーヴルならばリュシエンヌを命懸けで守る。

この十年、アリスティードは誰よりも近くで二人の関係を見守り続けた。

リュシエンヌの心にいるのはルフェーヴルだけだ。

ルフェーヴルの心にいるのもリュシエンヌだけだ。

そんな二人だからこそ、アリスティードは自分の気持ちを押し隠して二人を祝福したいと思ったのだ。

アリスティードもリュシエンヌを想っているが、ルフェーヴルほどリュシエンヌを優先することが出来ない。

だからルフェーヴルに勝つこともない。

それならば良き兄として傍にいよう。

そう思って行動してきた。

だがそれもあと半年ほどで終わりを告げる。

式を挙げればルフェーヴルは今度こそリュシエンヌを連れて行くだろうし、リュシエンヌもルフェーヴルについて行くはずだ。

兄として色々としてやれるのは少ししかない。

そしてアリスティードも卒業後、しばらくしたらエカチェリーナと結婚することになる。

エカチェリーナは良い伴侶となるだろう。

アリスティードも、エカチェリーナならば燃えるような恋はなくとも、穏やかな愛情は育めると思っている。

アリスティードの心にあるのは初恋への未練だ。

自分でもそれを分かっている。

これは断ち切るべき想いなのだと。

「……ルフェーヴルか」

背後で感じた気配にアリスティードは振り返らずに声をかけた。

「そうだよぉ」

十年前から変わらない緩い口調が返事をする。

昔はこの口調に苛立ちもした。

「何の用だ?」

日記へ視線を落とす。

日々のことを書いているが、半分近くはリュシエンヌの様子などについて書かれている。

人にはあまり見せられないだろうが。

「リュシーの卒業後についてちょっとねぇ」

「お前のところに連れて行くのだろう?」

「うん、そうだけどぉ、その後の話ぃ」

アリスティードは日記を書きながら問う。

椅子にでも座ったのか、ぼふっと音がする。

「アリスティードはさ、今後もリュシーに会いたい?」

思いの外、真剣な声だった。

それに驚いてアリスティードは振り返った。

ソファーに座ったルフェーヴルは両膝に両肘を置き、そこへ頬を乗せている。

王太子の前でする格好ではないが、その表情は口調と同様に真剣なものだった。

灰色の瞳に射すくめられたアリスティードは一瞬躊躇ったが、正直に己の心情を吐露することにした。

「会いたい。家族と離れ離れになって喜ぶ者はそうそういないだろう。私は兄として妹が大事だし、これからもそうだ」

ルフェーヴルがうんうんと頷いた。

「まあ、そうだよね」

ルフェーヴルの口元だけが弧を描く。

「それでだけど、結婚後も時々ならこっそりこっちへ連れて来てもいいかな」

「良いのか?」

アリスティードは更に驚いた。

ルフェーヴルはリュシエンヌを溺愛している。

結婚後も、ほぼ軟禁状態に近いような暮らしとなるだろう。

そしてリュシエンヌはそれを受け入れるだろう。

元々、外出も人と会うのもあまり好まない性質だ。

ルフェーヴルと二人きりの世界で生きていくことになるのは考えるまでもない。

「リュシーもアリスティード達のことは大事に思ってるしさ、年に数回って感じになるけどね」

「それでもいい。リュシエンヌの顔を見られるなら、文句は言わない」

「そ〜ぉ? じゃあたまに連れて来るよ」

そしてルフェーヴルは跳ねるように立ち上がった。

「じゃあ、そういうことでよろしくぅ」

それだけ言ってルフェーヴルの姿が搔き消える。

恐らくスキルを使用したのだろう。

昔から突然現れては消えるのは相変わらずだ。

それでもルフェーヴルもこの十年で変化があったということか。

良い変化なのか、悪い変化なのかは分からない。

ただ、以前よりも人間らしくなった。

ルフェーヴルも、リュシエンヌも。

そして自分も成長すべきなのだ。

席を立ち、窓のカーテンを僅かに開く。

「……幸せにな、リュシエンヌ、ルフェーヴル」

美しい満月が空に昇っていた。

* * * * *

どうして、と思う。

悪役のリュシエンヌは数日、王都を離れていた。

その間に何とか リュシエンヌ(あくやく) を悪役にするために噂を流そうとした。

沢山の夜会やお茶会にも出席した。

この夏の時期は社交シーズンである。

夜会や茶会でリュシエンヌの悪い噂を流す。

そうして自分は被害者になる。

そうすればきっと戻ってきたアリスティードが噂を聞いて、オリヴィエのところに会いに来ると思った。

アリスティードは真面目で誠実なキャラクターだった。

義妹の行動を聞いて謝罪とまではいかずとも、何かしら反応してくれるはずだ。

そう、考えていたのに──……。

「これも、これも、こっちも、どういうこと?!」

最近出来た『友人達』にも噂を広めてもらう。

そのためにわざわざ仲良くしていたのに。

出したお茶会の招待状の半数以上が断られた。

それどころか、夜会やお茶会の招待状まで減ってしまった。

今までは招待状を送ってくれていた家のいくつかから、招待状が届かなくなった。

母親と父親には叱られた。

ありもしない王女の噂を立てるんじゃない。

王家に逆らう気なのか。

特に父親は怒り、焦っていた。

私の行動のせいで、いくつかの貴族から付き合いを考えさせてもらうと言われたらしい。

そんな貴族達など切り捨ててしまえばいい。

セリエール男爵家の事業は上手くいっている。

多少、貴族が離れたところで商売相手は他にいくらでもいるだろう。

だが母親に「離婚されたら私もお前も平民に戻ってしまうのよ」と叱られたので仕方なく父親の言葉に従い、噂を流すのをやめた。

「 リュシエンヌ(あくやく) を悪役にして何が悪いのよ? 本来のストーリーに戻してるだけじゃない!」

それなのに何故オリヴィエが非難されるのだ。

届いた手紙の中には、父親に届いたものと同じように「今後の付き合いは考えさせてほしい」「付き合いは控えさせてもらう」といった内容のものが多い。

父親と母親はオリヴィエの流した噂を消すために苦心しているらしいが、オリヴィエからしたら事実である。

……あの女が ヒロイン(わたし) の居場所を奪ったのよ。

居場所を取られたオリヴィエは被害者だろう。

苛立ちに任せて持っていた手紙を破く。

返事なんて書く必要はない。

付き合いたくないというならば、こっちから切ってやる。ただでさえ貴族の付き合いは面倒臭いのだ。人数が減れば負担も減る。

オリヴィエは破いた手紙を乱暴にゴミ箱へ突っ込んだ。

そうして残った手紙を再度読み返す。

友人は減ったが、それでもまだいる。

その友人達からのお茶会の招待状に返事を書いていく。

彼女達はオリヴィエの話をよく聞いてくれる。

貴族の付き合いは面倒だが、彼女達ならオリヴィエの不満をまた聞いて、慰めてくれるかもしれない。

あれはなかなかに良い気分だ。

オリヴィエを持ち上げて、慰め、優しくしてくれる。

だから友人にしているのである。

* * * * *

「……綺麗だねぇ」

宮の屋根の上に座り込み、ルフェーヴルは空を見上げていた。

リュシエンヌは入浴中だ。

先ほどまでアリスティードの宮へ行っていた。

……自分でも驚きだよねぇ。

十年前──もうすぐ十一年前となるが──、リュシエンヌと結婚すると決めた時、ルフェーヴルは結婚後はリュシエンヌを外界から隔離して生活させようと考えていた。

もちろん、それは今も変わらないが。

しかし少しだけ心境が変わった。

ルフェーヴルとリュシエンヌだけの世界に、僅かにだけれど、アリスティード達を関わらせても良いと思うようになった。

リュシエンヌを独り占めしたい。

でも、リュシエンヌの笑顔も見たい。

リュシエンヌはアリスティードと本当の兄妹のように育った。

アリスティードは妹を可愛がり、リュシエンヌは兄を慕っている。

そしてエカチェリーナにもリュシエンヌは懐いている。

ルフェーヴルに向けるものとは違う笑顔を向ける。

それを妬ましいとは思わない。

好きの種類が違っており、ルフェーヴルに向ける笑顔こそがリュシエンヌの本当の顔だ。

だけど、ルフェーヴルはリュシエンヌが家族や友人に向ける表情も好きだ。

リュシエンヌを隔離してしまえば二度とその笑顔が見られなくなるだろう。

それは、少し残念だった。

だからルフェーヴルはエカチェリーナに会わせることをリュシエンヌと約束した。

そしてエカチェリーナに会わせるなら、アリスティードやベルナールにも会わせてやった方が良いのではないかと気付いた。

その方がリュシエンヌは喜ぶ。

「月ってこんなに綺麗なものだったっけ?」

丸い満月を見上げながら呟く。

リュシエンヌと共に過ごした十年は発見と新鮮味の連続だった。

思い返すとあっという間の十年だった。

あと半月でリュシエンヌとルフェーヴルは結婚する。

式は卒業後となるけれど、リュシエンヌの十六歳の誕生日に婚姻届は受理される。

そうなれば二人は夫婦になる。

ルフェーヴルは不思議な気持ちだった。

それはどこか酒を飲んだ時に似ている。

高揚感と、少しの酩酊感のような、心地の良さ。

言葉では言い表せない充足感。

ずっとずっと欲しかったものが手に入る。

この十年、傍で守り続けた。

この十年、成長を眺めた。

十年前は片腕で抱き上げられるほどに小さかったリュシエンヌが、今や女性へと成長しつつある。

ルフェーヴルの予想以上に美しくなった。

「オレが結婚かぁ」

暗殺者という職業柄、十年前にリュシエンヌと出会うまでは結婚など考えもしなかった。

結婚すると決めてからも、実を言うとあまりその実感がなかった。

リュシエンヌはまだ幼かったから。

しかしこの十年、成長していくリュシエンヌを見て、この子が自分の妻になるのだと段々と実感が湧いた。

家や家具を買うのも楽しかった。

リュシエンヌの好みとなるように、家を整える指示を出すのも面白かった。

巣作りがこうも心踊るものだと知ったのはリュシエンヌのおかげである。

夫婦になるからと言って何か関係が変化するわけではない。

ただ夫と妻という肩書きが増えるだけだ。

「お嫁さん? 奥さん? ……うん、奥さんの方がしっくりくるかもぉ?」

オレの奥さん、と口の中で呟く。

まだリュシエンヌに出会う前、兄弟子の一人が結婚すると聞いた時、ルフェーヴルは暗殺者家業でよく結婚しようと思ったなと考えたが、今なら分かる。

職業がどうとか、そんなものは関係ない。

傍にいたい。愛したい。愛されたい。

相手を自分のものにしたい。

だから結婚する。

他人に取られないように結婚という鎖で縛る。

あまりにも脆くて、不安定で、頼りない鎖だけれど、ルフェーヴルはその鎖に自分が縛られるのを心地好いと感じている。

リュシエンヌになら縛られてもいい。

「早く結婚したいなぁ」

月を見上げながらルフェーヴルは笑う。

その左手には指輪が一つ、光っていた。