作品タイトル不明
放課後の手伝い(1)
放課後の第二校舎。
いつものように生徒会室の横の休憩室で勉強をしながらお兄様を待っていると、部屋の扉が叩かれた。
傍にいたルルが扉へ向かう。
「はい」
ルルが扉を開けると、その陰から誰かの声がした。
「うわ、え? 何で、ニコルソン男爵が?」
その声にわたしは思わず声をかけた。
「フェザンディエ先生?」
「ん? その声はもしかして王女殿下か?」
ひょいとルルを避けて顔を覗かせたのはリシャール先生だった。
ちなみに心の中ではリシャール先生と呼んでいるが、実際に呼ぶ時は家名である。
「今は一生徒ですのでリュシエンヌとお呼びください」
「そうか、俺のこともリシャールでいいぞ。他の生徒達もみんなそう呼んでるからな」
「分かりました、リシャール先生」
これならうっかり心の中の呼び方になってしまっても問題ないので助かった。
わたしがリシャール先生と話す意思があると分かったのか、ルルが扉の前から横に避ける。
それに気付いたリシャール先生も姿勢を戻した。
「ところで、何かご用でしょうか?」
確かリシャール先生は生徒会の顧問のはずだ。
生徒会役員に用があるなら隣へ行くべきだが、リシャール先生が「あー……」と言葉を濁す。
「いや、ちょっと手が空いてる奴がいるなら次の生徒集会で使う書類を作る手伝いをしてもらおうかと思ってたんだが……」
やや困ったような表情にピンとくる。
生徒会役員は皆、隣室で仕事をしている。
手の空いている者がいなかったのだろう。
「アリスティード殿下が『手の空いてる者なら隣室にいる』と言ってたんだが、まさかリュシエンヌ様だったとはなあ」
その顔には、王女殿下にこんなことを手伝わせるわけにもいかないし、と書いてあった。
「わたしでよければお手伝いしましょうか?」
既に宿題も終わらせ、明日の授業の予習も大体終えていたので、お兄様の言う通り手は空いている。
むしろ、お兄様が終わるまでどうやって時間を潰していようかと思っていたくらいだ。
「え? でも、書類を作る作業だぞ?」
「書類を纏めたり綴じたりするのですよね? それくらいでしたら、わたしでも出来ます」
「ええ? ……うーん、本当に良いのか……?」
王女にそんなことをさせるなんて、と思っているのがよく伝わってくる。
「はい、わたしでよろしければ」
少し考えた後、リシャール先生が困ったように眉を下げて笑った。
「じゃあ、ちょっと頼む」
「はい。ルル……ニコルソン男爵も一緒にいますが、構いませんか?」
「ああ、もちろんだ。書類と道具はあっちの準備室に持ってきてるから、こっちに来てくれ」
「分かりました」
勉強に使っていたものを手早く片付ける。
席を立ち、カバンを椅子に置いておく。
扉のところへ行って廊下へ出る。
生徒会室を挟んだ反対側にある準備室へ向かう。
リシャール先生が扉を開け、わたしとルルを中へ招き入れた。
「片付いてなくて悪いな」
並んだいくつかの机の上に束になった書類やそれを切ったり綴じたりするための道具が置かれている。
書類の多さのせいかどこか雑多な感じがする。
「失礼します。書類はわたしが見ても大丈夫ですか?」
もし一般生徒が見てはいけないものだったりしたら困るので、教室の出入り口で一旦立ち止まる。
「ああ、大丈夫だ。入ってきても問題ない」
手招かれて教室の中へ入っていく。
「机の上に置いてある書類を向こうから一枚ずつ取って、こっちまで全部取り終えたら纏めて、これで左側を綴じる。出来たらこの机に置いて、また最初から同じのを作ってくれ」
「はい」
手作業で書類を一部ずつに分けて、綴じる。
その作業は前世のわたしもよく学校や職場でやっていた記憶がある。
お手本のようにリシャール先生がやり始めたので、わたしもそれに続いて、書類を一枚ずつ取っていく。
ルルは何も言わなかったけれど、黙って同じ作業に参加してくれた。
書類は今年度分の学院の予算についてのもので、色んな項目や、学院のイベントの予算なども組まれていた。
「悪いな、こんな雑用させて」
書類を纏めながらリシャール先生が言う。
「いいえ、わたしも丁度時間が空いておりましたので、お気になさらないでください。それにこういう作業は初めてで楽しいです」
「ははは、まあ、リュシエンヌ様はこういうことをする機会はまずないだろうな」
前世ではあったけれど、今は王女という立場上、そういうことをする機会はなかった。
だからこそ、この懐かしさを感じる作業がより楽しいのだ。
たとえ単純な作業でも普段しないことというのは、それだけで新鮮なのだ。
書類を纏めたら、ステープラーによく似た道具で左側を二カ所止め、空いている机に置く。
「ん、上手いな?」
わたしの作った書類を手に取り、リシャール先生が感心した様子で眺める。
「そうでしょうか?」
「ああ、前に他の生徒に頼んだ時は 頁(ページ) を間違えたり、角を揃えてなかったりして、二度手間になったことがある。リュシエンヌ様のは完璧だ」
「ありがとうございます」
前世の記憶のおかげだけれど。
リシャール先生が「これならこっちは任せて大丈夫そうだな」と安心した顔をする。
先生も他にやることがあるようで、わたしとルルが書類作りを、リシャール先生は他の書類を纏め始めた。
それにしても、と思う。
この書類の纏め方と言い、このステープラーによく似た道具と言い、前世のことを思い出す。
……なんだかすごく懐かしい。
「リシャール先生はいつもお一人でこのような作業をされていらっしゃるのですか?」
こちらに背を向けている先生に問う。
その後ろ姿は、前世、学校に通っていた頃によくやっていた教師の手伝いを思い起こさせる。
「そうだなあ、生徒会の皆も手伝ってくれるが、まあ、確かにこういう雑務の準備も 顧問(おれ) の仕事のうちだ」
「大変ですね」
「ああ、全くだ。集会前はいつも、猫の手も借りたいくらいだよ」
そうなのですね、と返そうとしてハッとする。
……猫の手も借りたい?
この世界にはそんな表現はない。
手が止まったわたしにルルも止まる。
「リシャール先生、それはどこの国の言葉ですか?」
わたしの声は震えていた。
「どこだったか。悪い、随分前に聞いたから覚えてないなあ」
振り返れば、先生はまだ背を向けている。
「そうですか。……先生は『日本』という国を知っていますか?」
ドキドキと鼓動が早くなるのが分かる。
「……は?」
リシャール先生がバッと振り返った。
その表情は驚きに染まっていた。
口が何度か開閉し、そして呟くような問いがぽろりとこぼれ落ちた。
「……まさかリュシエンヌ様も、転生者……?」
呆然とした表情にわたしも口を手で覆う。
「『も』ということはリシャール先生も……?」
「っ、ああ、俺はこの世界に来る前は日本で教師をやってた。向こうで死んで、気付いたらこっちの世界に生まれてた」
「わたしも、向こうで死んで、多分こちらに転生したのだと思います。……記憶を思い出したのは四歳の時でした」
「そうか! 俺以外にもいたのか!」
リシャール先生が持っていた書類を落とす。
大股で近付いて来たリシャール先生に、ルルがわたしの前に立ち、進路を遮る。
わたしに伸ばされた手を、ルルの手が掴んでいる。
「リュシエンヌ様に触れたらこの手を切り落とす」
ギリ、とキツく握られたそれに先生はすぐに我へ返ったようだった。
「あ、す、すまない……!」
わたしが王女であることを思い出したらしい。
一歩引いたリシャール先生の手をルルが離す。
立ちはだかってわたしを守るルルに背にそっと触れた。
「ルル、大丈夫。この人はわたしを傷付けるつもりはないよ。驚いただけ」
「分かっています。それでも、許可を得ずにリュシエンヌ様に触れようとしたことは事実です」
「そうだね。守ってくれてありがとう、ルル」
先ほどのリシャール先生の様子は少し変だった。
だから余計にルルは警戒しているのだと思う。
「悪い、もう近付かないから、その、 それ(・・) を抑えてくれ。さすがに、苦しい……」
リシャール先生が両手を上げて言う。
ルルは黙ってジッとリシャール先生を見た後、わたしの前から半歩ズレた。
重かった空気が軽くなる。
リシャール先生がフラ、と机に寄りかかる。
「とんでもない魔力量だな……」
はあ、と息を吐くリシャール先生にルルが不機嫌そうに目を眇めた。
そうして先生は何度か深呼吸を繰り返し、息を整えると、礼を執った。
「王女殿下、無礼を働いたこと謝罪申し上げます」
深く下げられた頭にわたしは頷いた。
「謝罪を受け取ります」
「ありがとうございます」
ゆっくりと頭を上げたリシャール先生がホッとした様子で胸を撫で下ろしている。
確かにわたしと先生は学院内では一生徒と教師だが、同時に王女と臣下という立場でもある。
学院は学びに貴賎は関係ないと謳っているけれど、だからと言って、地位や立場が変わるわけではない。
ルルはそれでも、わたしと先生の間に立ち、いつでもわたしを守れる位置から動かない。
「本当に申し訳ない。まさか同郷の奴が同じように転生してるとは思わなくて……」
その言葉に、おや、と思う。
「オリヴィエ=セリエール男爵令嬢とはお会いにならなかったのですか?」
「セリエール? ……ああ、あのご令嬢か。会ったけど、あのご令嬢がどうかしたのか?」
「恐らく彼女もわたし達と同じ、日本人の転生者だと思います」
「そうなのか?!」
リシャール先生が「気付かなかったな……」と呟き、思い出すように顎に手を当てて宙を見やる。
……もしかして?
……うん、先生は男性だし……。
「もしかして先生は『ヒカキミ』を知らないのではありませんか?」
だから、オリヴィエ=セリエールが原作と違うことに気付かなかったからのでは?
リシャール先生が目を瞬かせた。
「ヒカキミ?」
「前の世界にあった乙女ゲームです。正式名称は『光差す世界で君と』というのですが、この世界に非常によく似ていて、登場人物達も同じなんです」
「そうなのか?」
リシャール先生は目を丸くした。
演技には見えないし、そのようなことをしたところで先生が得をすることもないため、本当に知らないのだろう。
そこでわたしは『光差す世界で君と』について大まかな説明を先生にした。
主人公がオリヴィエ=セリエールであること。
攻略対象と呼ばれるイケメン達がおり、主人公と攻略対象が友人になったり恋仲になったりすること。
リシャール先生は意外にも乙女ゲームのことは知っていたようで、自分が攻略対象に含まれていると知ると、非常に驚いていた。
攻略対象の名前を伝えると「なるほど、確かに全員顔は良いな」と納得していた。
それはつまり自分の顔が整っている自覚があるということか。
……まあ、前世の記憶があるならそれもそうか。
実際、わたしもリュシエンヌとして生きているけれど、時々、自分の整った容姿に感心することがある。
多分、前世のわたしはそれほど美人ではなかったのだろう。
そしてわたしはそのゲームを遊んでおり、原作の流れを知っていること、ルルが隠しキャラであること、オリヴィエは攻略対象に今まで付きまとい、彼女を調査した結果同じ転生者であること。
そしてルルを狙っていることを伝えた。
リシャール先生がルルをまじまじと見る。
「なるほど、セリエール嬢の『推し』がニコルソン男爵なのか。……俺達も結構整った顔してるけど、確かに男爵は別格だよな」
熱心に見られて、ルルが眉を寄せる。
「でも俺は全然セリエール嬢と会ってないな?」
「それは先生がずっと学院にこもっていらしたので、生徒でない男爵令嬢は会う機会がなかったのです」
「あー……」
先生が気まずそうに頭を掻く。
「そういえば俺、こっちに転生してからずっと魔法の研究ばっかりしてたな。卒業後はすぐに新人教師としてここに残ったし、ハーシアに会いに行く時以外は全然外に出てなかったから」
それではオリヴィエがリシャール先生に会うことは出来なかっただろう。
原作と性格というか中身が違うので行動も違うし、学院の敷地内にこもっていたのなら、オリヴィエも勝手に立ち入ることは出来ない。
婚約者に会いに行く時、貴族は馬車で移動する。
だからリシャール=フェザンディエとオリヴィエ=セリエールが出会うことは難しい。
「夜会などには出られなかったのですか?」
「そうだな、ハーシアのエスコートのために行くことはあったけど、婚約者から離れたこともなかったしな」
……うん、確かにハーシア様の横にはいつもリシャール先生がいた気がする。
ハーシア様とはお喋りするけれど、思い返してみても、挨拶以外でリシャール先生と話したことはほぼない。
「俺、社交が苦手で」
「前世でも教師だったのに?」
教師ならば生徒や同じ教師達、生徒の親など、人と関わることは多かったはずだ。
「仕事中は良いんだ。でも私生活ってなると、あんまり人と関わらなかったんだよな。正直ハーシアがいなかったら社交の場に出たいとも思わない」
そう言ってリシャール先生は肩を竦めた。
コンコン、と部屋の扉が叩かれる。
リシャール先生が「どうぞ」と声をかければ、扉が開いて、お兄様が顔を覗かせた。
「資料の準備は終わったか?」
全員が思わず書類を見て、わたしとリシャール先生の「あ」という言葉が重なった。
……全然終わってない。
それに気付いたのかお兄様が首を傾げた。
「まだみたいだな。私も手伝おう」
お兄様が教室に入ってくる。
リシャール先生に視線で問われて首を振る。
お兄様は転生者ではないし、事情も知らない。
書類作りに戻り、お兄様とルルと三人がかりで作業を終わらせる。
先生はまだ話したそうだったけれど、これ以上は今日は無理だろう。
カバンを取りに行くと言ってルルと休憩室へ戻る。
そしてメッセージカードに素早くペンを走らせて、それをルルに「リシャール先生にこっそり渡して」と託す。
ルルは眉を寄せつつも「分かったぁ」と頷いた。
そうして休憩室を出て、お兄様と合流する。
その時に先生もまだいたので、ルルがカードを上手く渡してくれたそうだ。
メッセージカードには「明日、また放課後にお手伝いします」と書いておいた。
明日の放課後、続きを話そうということである。
……まさか転生者がもう一人いたなんてね。
帰りの馬車の中でわたしは小さく息を吐いた。
だからリシャール先生は攻略対象の中で一番性格が変わっていたのだ。
中身が違うのだから当然のことだった。
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