軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

カフェテリアにて(2)

微妙にギスギスした空気にお兄様が「そういえば」と話題を変えるように、言葉を発する。

「この間、アンリから勧められた本はなかなかに面白かったぞ。あの『歴史の裏側の人々』という題名の」

それにアンリの表情がパッと明るくなった。

「そうですか! あの本は僕の一押しなんです!」

原作でもアンリ=ロチエは非常に本が好きで、読書家なのだが、現実のアンリもそうらしい。

……ん? 歴史の裏側の人々?

「あの本はロチエ公爵子息に勧められたものだったのですね」

お兄様に面白いからと勧められて読んだ本だ。

確かに、あの本は面白かった。

自国の歴史本なのだが、偉人達ではなく、偉人を支えた周囲の人々が題材で、一言で表現するなら彼らの苦労譚であった。

でも普通の人間から見た偉人達の行動は、なるほど、謎が多かったり理解出来ないものだったり、周りの人間の大変さが伝わってきた。

しかし随所にユーモアがあって、偉人の言動に周囲が驚いたり、勘違いしたり、筆者の考察は偉人に対してもその周囲に対しても否定的なものがなく、何故そうなったのかを分かりやすく説明していて読みやすい。

あの本を読むと、歴史の偉人やその周囲の人達が身近な存在に感じられるのだ。

とても面白い本だった。

「王女殿下もお読みになられたのですか?」

アンリの目が初めて真っ直ぐにわたしを見た。

「ええ、読みました。歴史本なのにとても面白くて、まるで喜劇を観ているようでした。歴史は偉人だけではなく、その周囲の人々の努力もあって成り立っているのですね」

「そうなんです。歴史という重厚な題材を扱っているのに、内容はとても軽快に進むのでとても読みやすいんです! 喜劇というのは素晴らしい表現ですね。まさにあれは読む喜劇だと思います!」

キラキラした目でアンリが前のめりになる。

レアンドルとロイド様が苦笑する。

本に関することならアンリは気後れせずにスラスラと話すことが出来るらしい。

不意にエディタ様が口を開いた。

「その本、私も読んだことがあります」

アンリが驚いた顔で横を見た。

「えっ、エディタ嬢も?」

「はい、大分前に兄から借りたのですが、第二章の使用人達の話が一番好きです。あれを読んで、子供心に使用人達に無茶なことを言うのはやめようと思いました」

アンリの表情が驚きから安堵に似た、柔らかなものへと変化する。

「実は僕も子供の頃に初めて読んで、同じことを思いました」

「使用人にあんなに悪く言われるのはさすがに避けたいですよね」

「そうですね、僕達貴族は使用人がいなければまともに生活は出来ませんから」

ふふ、 と二人が笑い合う。

お兄様が安心したように微笑んでいるので、この二人の関係を気にしていたのだろう。

可愛らしい外見のアンリとキリッとしたエディタ様、どちらも容姿は整っているし、様子を見る限り、性格もそこまで合わないという感じはなさそうだ。

お兄様からアンリは気が弱くて婚約者とあまり親しくなれていないと聞いていたけれど、多分、お互いにきちんと話す機会がなかっただけで、こうして共通の話題があれば良かったのだと思う。

楽しそうに話すアンリと嬉しそうに微笑むエディタ様。二人とも結構お似合いである。

「あ、申し訳ありません、話に夢中になってしまって……!」

気付いたアンリが慌てて謝罪する。

それにお兄様もわたしも思わず微笑んだ。

「いや、大丈夫だ。婚約者と共通点があって良かったな」

「婚約者同士、仲が良いのはいいことです」

アンリが少し頬を赤くする。

エディタ様がそれを見てふわっと微笑む。

……エディタ様ってアンリのこと、実は婚約者としてそれなりに好意的に思っているのかも。

アンリが照れた顔で頷いた。

「は、はい、僕はエディタ嬢のことを、勘違いしていたみたいです。本には興味のない方だと思っていたので……」

「でもそうではないようで嬉しいです」とアンリは自分よりもやや背の高いエディタ嬢を見上げた。

エディタ嬢も「よろしければお勧めの本を教えてください」とアンリを見た。

いい感じの雰囲気に場が和やかになる。

……その横のレアンドルは微妙に居心地悪そうだけれど、そこは自業自得だよね。

その後の昼食の席は穏やかなものだった。

「王女殿下は飛び級制度をお使いになられましたが、何故そうしようと思われたのですか?」

フィオラ様の問いにわたしは苦笑する。

「わたしのことはリュシエンヌと呼んでください。エディタ様も、どうぞそのように」

「ではお言葉に甘えさせていただきます」

「かしこまりました」

フィオラ様とエディタ様が微笑んで頷く。

王女殿下という呼び方は壁を感じてしまう。

あまり関わりのない人ならともかく、お兄様の側近となる者達の婚約者なら、わたしとも関わりが出てくる。

それに原作では名前が出て来なかったけれど、彼女達が恐らく原作でも攻略対象達の婚約者だったのだと思う。

リュシエンヌと共に虐めをするような人物達には見えないので、もしかしたら、断罪イベントのあれは冤罪だったのかもしれない。

「お兄様やロイド様と同じ教室で学びたかったことと、十六歳でルルと結婚しますので、一年で卒業するには飛び級制度を使用するのが一番良いと考えたのです。王女として途中で退学するのは問題ですから」

「そうですね、王族の方が学院を退学するというのは少々体裁が悪いでしょう」

「ええ、でも、早く卒業してルルと結婚したいという気持ちもとても強いのです」

「まあ……!」

わたしの話にフィオラ様がクスッと笑った。

「リュシエンヌ様はニコルソン男爵が本当にお好きなのですね」

それに深く頷き返す。

「わたしはルルを世界で一番愛しています」

「オレもリュシーを一番愛してるよぉ」

横からルルに肩を抱かれる。

寄り添うわたし達にフィオラ様は慈愛に満ちた、穏やかな笑みを浮かべた。

お兄様とエカチェリーナ様、ロイド様、ミランダ様がクスクスと笑う。

「この二人を引き裂くことは無理だろうね」

ロイド様の言葉にフィオラ様が「そのようですね」と微笑ましげにわたし達を見る。

アンリとエディタ様は少し顔が赤い。

こうして昼食はのんびりと過ぎていった。

ただ、レアンドルだけは最初から最後まで、どこか居心地の悪そうな様子で食事を摂っていた。

* * * * *

昼食を終え、婚約者と共に教室へ戻りながら、レアンドルは内心でホッと息を吐いた。

レアンドルにとっては居心地の悪い昼食会だった。

王太子であるアリスティード殿下も、王女殿下も、ロイドウェルも、そして婚約者を苦手に感じているのだろうと思っていたアンリですら、婚約者と良好な関係を築けている。

レアンドルも婚約者には丁寧に接して、自分なりに婚約者としての責務を果たしているが、婚約者であるフィオラとの仲は良好とは言い難い。

フィオラとレアンドルの関係はまさしく政略結婚らしい付き合いなのだ。

時季の手紙や贈り物、夜会やパーティーへのエスコート、両家への行き来など、婚約者としての付き合いは多い。

だが私的な誘いをしたことはない。

フィオラもそれを期待していないのか、そういったことは一切口にすることがない。

そしてレアンドルは少しばかりフィオラが苦手だ。

淑女としては完璧だが、常に浮かべている微笑みはあまり変化がなく、自己主張も少なく、何を考えているのか分からないのだ。

同時に婚約者に隠れて別の女性とこっそり手紙のやり取りをしていることへの罪悪感や後ろめたさもあった。

……フィオラ嬢がオリヴィエのようにもう少し明るくて気安い女性だったなら……。

つい、浮かんだ考えを追い払う。

フィオラは貴族令嬢として文句なく出来た女性だ。

レアンドルの友人達も、フィオラを婚約者に出来て羨ましいと言っており、レアンドル自身も自分には勿体ないくらいの女性だと分かっている。

だからこそ、劣等感も覚えてしまう。

レアンドルは騎士を目指して鍛錬を積むことばかりに重きを置いてきたせいで、少々人の言葉の裏を読むことや、独特な言い回しを理解するのが下手であった。

定型文は覚えることで何とかなる。

しかし言葉の裏を読むことだけは、どうしても上手く出来ず、額面通りに受け取ってしまうことが多かった。

フィオラにフォローされることも少なくない。

フィオラは貴族の令嬢らしく、人の言葉の裏を読んだり独特な言い回しを使用したり、そういったことは得意なようだった。

それが、レアンドルには少し苦痛だった。

フィオラが婚約者である自分のためにフォローしてくれるのは分かっているが、女性に助けてもらってばかりで情けなくて、悔しくて、レアンドルの矜持は少しずつ傷付いていった。

オリヴィエの裏表のない素直な手紙だけが、今のレアンドルの心を癒してくれる。

レアンドルの父はフィオラを気に入っている。

ナイチェット家はムーラン家と家格は同等だが、フィオラの母親が侯爵家出身のため侯爵家や公爵家との繋がりも多く、伯爵家の次男に過ぎないレアンドルが王太子の側近となるにはナイチェット家のような力のある家と政略を結ぶ必要があった。

政略の面でも、レアンドルを支えてくれる婚約者の面でも、フィオラはムーラン伯爵家では非常に歓迎されているのだ。

下手したら実の息子のレアンドルよりも、両親に気に入られているかもしれない。

「レアンドル様、教室までお送りくださり、ありがとうございます」

フィオラが微笑んで礼を述べる。

フィオラは二年の上級クラスで、レアンドルは中級クラスだ。それもレアンドルの劣等感を刺激する要因の一つだった。

「あ、いや、それでは失礼します……」

「はい、ではまた」

レアンドルが歯切れの悪い態度でも、フィオラはまるで気付いていないように返事をする。

もしもレアンドルが逆の立場であったなら、気になってすぐに相手へ訊いてしまっていたことだろう。

そういうソツのないところも苦手なのだ。

レアンドルはそそくさと上級クラスから離れ、自身の中級クラスへ向かう。

モヤモヤとした気分が胸の内にこもる。

……今日は早く帰って剣の鍛錬をしよう。

きっと体を動かせば、この胸に凝り固まっている嫌な感情も少しは消えてくれるはずだ。

肩を落として歩くレアンドルの背を、フィオラが冷静な眼差しで見送っていたことを、彼は知らない。

「……あれで更正出来るのかしら」

扇子で口元を隠しながらフィオラは思わず呟いた。

自分の婚約者の事情は知っているため、期待は然程していなかったが、あまりにも貴族として未熟だった。

感情を隠せない、人の言葉の裏を読み取れない。

貴族としては致命的な欠点である。

そして王太子殿下の慈悲にすら気付かない。

フィオラはレアンドルのその鈍感さに、扇子の下で小さく息を吐く。

……このままではレアンドル様は王太子殿下に何れ見限られることでしょう。

それは王太子殿下にとっては苦渋の選択になることだろう。

何度も、何度も、殿下は婚約者との仲の大切さを側近達に説いてきた。

だがレアンドルは結局、それをきちんと受け取らず、件の男爵令嬢と密かに手紙のやり取りを続けているそうだ。

王太子殿下の気苦労が偲ばれる。

フィオラは別に結婚に興味はない。

それよりも王太子妃の侍女として生きたい。

自活の道を歩みたいのだ。

レアンドルが反省して結婚することになっても、それならそれで、側近の妻として王太子妃にお仕えすれば良い。

それが出来ずに婚約がなくなったとしたら、堂々と王太子妃の侍女になれば良い。

どちらに転んでもフィオラは構わなかった。

教室の中へ入りながらフィオラは微笑む。

……どちらになっても良いように準備だけはしておきませんと。

フィオラ=ナイチェットは淑女である。

だが、同時に非常に貴族らしい令嬢でもあった。

* * * * *