軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

・7 クロエの婚約者、キリフの苛立ち

アダナーニ王国の第二王子キリフは、苛立ちを隠そうともせずに部屋の中を歩き回っていた。

数年前。父によって勝手に決められた婚約を、キリフはずっと忌々しく思っていた。

だが異母兄が王太子になることが決定してしまった以上、身の振り方を考えなくてはならない。有力貴族であるメルティガル侯爵の娘は、たしかに婚約者としては最適だった。

しかもメルティガル侯爵は、騎士団長でもある。

この国の軍事力を握る男を身内にできるのは、いずれ臣下にならなくてはならない自分にとって有利になる。

そうわかってはいても、地味で気弱な婚約者のことは最初から気に入らなかった。

老婆のような白髪に、色の薄い水色の瞳。その薄い色彩のせいで、顔の印象などほとんどない。

メルティガル侯爵家の娘でなければ、何の価値もないような女だ。

それなのに何を勘違いしているのか、自分に付きまとってくる。

おそらく王族の婚約者という地位を何としても失いたくないのだろう。

王城で夜会が開かれたとき、恋人の男爵令嬢と参加したキリフに、いつも怯えたような目をしたあの女が、必死に縋ってきたのだから。

「キリフ様は私の婚約者です。取らないでください!」

大勢の前でそう言われ、腹立たしくてその手を思いきり振り払った。

「私はお前などのものではない。思い上がるな」

冷たい声でそう言い捨てれば、クロエはその場に崩れ落ちた。倒れ伏すその姿に、加虐心を刺激される。

この女は、これほどまで自分を求めている。今にでも自分の足もとに縋って、捨てないでと泣き叫ぶかもしれない。

そうしたら、どう言ってやろうか。

「お前がそんな女だとは思わなかった。態度を改めないのならば、婚約を解消するしかないな」

婚約破棄。

この女にとって、何よりもつらい言葉のはずだ。

それなのになぜか、彼女は急に冷静な顔をして、周囲を見渡している。

先ほどまで泣き叫んでいた女と、同一人物だとは思えないほどだ。

(何だ?)

不審に思って覗き込もうとすると、なぜかクロエは、満面の笑顔で頷いた。

「はい、承知しました」

表情もだが、その言葉も信じられないものだった。

だがクロエはそう言うと、さっさとその場を立ち去ろうとしている。

「私に逆らうつもりか!」

カッとなって、思わずそう怒鳴っていた。

おとなしい、従順だけが取り柄の女だった。

婚約を解消するなどと言われてしまえば、何としてもその言葉を取り消してほしいと言って、泣いて縋ることしかできないはずだ。

それなのに、あっさりとそれを承知して立ち去ろうとしている。

キリフの怒鳴り声を聞いて、クロエは立ち止まったようだ。

彼女は、キリフの言葉を理解できないと言わんばかりの表情で、首を傾げていた。

「私は殿下のお言葉に従うだけです。殿下が婚約を解消するとおっしゃるのであれば、それを受け入れます」

それだけ告げると、踵を返してその場を立ち去っていく。

「待て! どういうつもりだ!」

誰かその女を捕まえろ、と怒鳴ったつもりが、なぜか声が出なくなった。

(何だ? 何が起こった?)

驚いて何とか声を出そうとしたが、掠れた息のような音が漏れるだけだ。何が起こったのかわからずに、パニックになって暴れたような気がする。

気が付けば、王城にある自分の部屋に寝かされていた。飛び起きて、声が出ることを確認してほっと息をつく。

冷静に考えてみれば、あの感覚には覚えがあった。

(……カサンドラか?)

この国の王女であり、異母妹のカサンドラは魔女である。

呪文を使って魔法を使う魔導師とは違い、願うだけでそれを叶えるというおそろしい存在だ。

昔から彼女を怒らせてしまうと、声が出なくなったり足が動かなくなったりした。

今回もまた何が原因かわからないが、妹を怒らせたのかもしれない。

叶えられない願いはひとつもなかったカサンドラは、かなりわがままな性格だ。何が引き金になってその怒りを買うのか、まったくわからない。

(女のくせに忌々しい……)

そう思うが、その力は圧倒的で、国王である父の言うことしか聞かない。

だが、まさか婚約の解消を言い渡した瞬間に声が出なくなるとは思わなかった。

そのタイミングの悪さに思わず溜息をつく。

婚約者のクロエは、あのまま逃げ帰ったのだろうか。

思えば彼女には、婚約破棄という事実は重すぎたのかもしれない。だから、どうしたらいいかわからずに逃げたのだ。

(仕方がない。今回だけは、謝ったら許してやるか)

そう思っていたのに、それからなぜか不運が続いた。

まず国王である父に呼び出され、王命である婚約を勝手に解消しようとしたことを叱られた。

そんなにこの婚約が嫌ならば、恋人である男爵家の令嬢を妻にするようにと言われて、慌てて否定する。

たしかに男爵家の令嬢は美しいが、その実家には何の権力もない。

そんな女と結婚してしまえば、兄が国王になったあとに苦労するのは目に見えている。結婚相手ならば、いくら地味な令嬢でもメルティガル侯爵の娘であるクロエのほうがずっとましだった。

だがそのメルティガル侯爵も、公共の場で婚約破棄を言い渡されたことを不満に思っているらしい。

今回の件をクロエ本人ではなく、メルティガル侯爵家を貶められたと受け取ったようだ。

意趣返しのように、王家の人間ならば第二王子でなくても良い、などと吹聴しているようで、それも腹立たしい。

ちょっとした行き違いで、クロエを呼び止めようとしたら声が出なくなった。妹のカサンドラの仕業に違いない、と父に告げたら、そんなことはしていないと、妹が怒り狂ったのだ。

さらに間が悪いことに、彼女はお気に入りの近衛騎士に逃げられて、かなり不機嫌だった。だったら言葉通りにしてあげると、声を封じられてしまった。

あれから三日が経過しているというのに、まだ声が出ない。かなり機嫌を損ねてしまったようだ。

だが今回の件はあきらかに、キリフの言いがかりなどではない。

こんなことができるのは、カサンドラしかいない。この国の魔女は、彼女ひとりなのだから。

しかも心労のせいか、心なしか抜け毛が増えてきた気がする。

(くそっ。あのとき、クロエさえ逃げ出さなければ……)

自分が婚約の解消を言い出したせいで、こうなったことなど綺麗に忘れて、キリフは部屋の中を歩き回った。

まだ声は出そうになかった。