軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

29、うっとりするような、いい香りに寝室全体が包まれました

わたくしとルードルフ様の結婚披露宴はまだまだ続いておりました。

程よいところで、わたくしとルードルフ様だけ会場を後にし、代々の皇太子夫妻が暮らしていたという宮殿に移動しました。

今日から、離宮ではなく、そこで暮らすのです。

部屋に戻ったわたくしはまずは、湯あみをしました。

侍女たちの念の入れようも違います。

「マッサージは完璧ですわ!」

「爪もです!」

「ああ、エルヴィラ様、今日は一段とお美しいです。眩しいくらいです」

「バラの香水をもう少しだけ、つけましょう」

「髪の艶も申し分ありません」

いつもより丁寧な湯あみを終えたわたくしは、光沢のある、滑らかな生地の夜着を身につけます。

「それでは、エルヴィラ様、わたくしどもはこれで」

「ええ」

侍女たちが一斉に下がり、わたくしは続き部屋になっている寝室に入りました。ルードルフ様はまだいらっしゃらないようです。

わたくしはソファに座ってルードルフ様がいらっしゃるのを待っておりました。

寝室も、十分な広さでした。真ん中に天蓋付きの大きな寝台が置かれていますが、直視できず、目を反らしてしまいます。

それ以外は、いつも通りのわたくしだと、思います。

見た目は。

でも、内心は。

正直に申し上げて、かなり緊張しておりました。

ルードルフ様がいらっしゃったら、何を話せばいいのかもわかりません。

こんなときは、なんの話題が適切なのですか?

明日の天候?

政治について?

さすがに、それは違う気がします。

『乙女の百合祭り』についても、先程の披露宴で、皆様とさんざんお話しました。

ルードルフ様も同じでしょう。

ああ、そうだ!

この新しい宮殿の美しさを話題にするのはいいかもしれませんね。

歴代の皇太子夫妻のエピソードなども聞かせていただければ、それなりに盛り上がるのではないでしょうか。

それです!

話題の糸口がつかめたわたくしがほっとしておりますと。

「エルヴィラ、入るよ」

ルードルフ様の部屋と繋がっている方の扉が開きました。

「はい」

声こそいつもと同じでしたが、わたくしの心臓は跳ね上がるように激しく脈打ちました。

ソファーのわたくしの横に並んで座ったルードルフ様からは、なにかよい香りがしました。

わたくしのバラの香水と似ているけれども少し違う香りです。

ですが、ふたつが混ざっても違和感のないように計算されているのでしょう。うっとりするような、いい香りに寝室全体が包まれました。

「エルヴィラから、いい匂いがしますね」

わたくしが思っているのと同じことをルードルフ様が仰いました。

「バラの香りだそうです」

「一番好きな香りです」

ルードルフ様は、嬉しくて仕方ないというような笑顔になりました。よほど好きな香りなのですね。

ルードルフ様の夜着は、わたくしのものより、オリエンタルな装飾が多くされていました。ルードルフ様の黒髪にとてもお似合いです。

わたくしの夜着に余計な装飾がないのは、わたくしのプラチナブロンドの髪に合わせてくれたのかもしれません。

この宮殿で働く人たちの細やかな気遣いがわかります。

と、気を紛らわせてみても、お互いの香水の匂いまでわかる近さに、緊張がさらに高まります。

王妃教育で鍛えた表情筋は、こんなときでもいつもの笑顔を作りますが、せっかく考えた話題も口に出せない始末です。

もう、なにをどうしていいのかわかりません!

そんなわたくしの焦燥をよそに、ルードルフ様がのんびりと仰いました。

「ああ、今夜のエルヴィラはやはり素敵ですね」

いつものルードルフ様です。

緊張している様子は、まったくありません。わたくしはなぜか、その余裕を憎たらしく思いました。

わたくしばかり、緊張しているのですね。

そうだ。

わたくしは、やっと思い付いたことを口にします。

「何かお飲みになりますか?」

「いや、今はいいな。ご馳走でお腹一杯だ」

「そうですか」

そうですよね。

わたくしもそうです。

顔には出さず、しょんぼりしました。

わたくしのよくわからないそんな努力もむなしく。

「今日は疲れましたね、もう寝ましょうか」

ルードルフ様はにこやかに仰います。わたくしは覚悟を決めて頷きました。

「そうですね。さすがに疲れましたわ」

表情とは裏腹に、心臓の動きはさらに激しく、どうしていいかわかりません。

けれど。

「おやすみ」

「はい……おやすみなさいませ」

わたくしとルードルフ様は、広い寝台の端と端に横になりました。

手を伸ばしても届かないほどの広さです。

夜具に潜り込むと、ルードルフ様はそのまま目を閉じてしまわれました。

よろしいのでしょうか。

わたくしとて、結婚した夫婦の夜と朝の間に、何かあることくらい知っています。

このまま眠ってもいいのでしょうか。

いいんですね?

寝ますよ?

混乱しつつも、目を閉じると。

「エルヴィラ、安心してください」

ルードルフ様が、仰いました。

「あなたには指一本触れません」

わたくしは思わず目を開けて、ルードルフ様の方を見ました。

ルードルフ様はとても優しい瞳でわたくしを見つめております。

「あなたのご両親にした約束は守ります。あなたの気持ちが傾くのをずっと待ちます」

「でも、あの」

その約束のことはもちろん覚えております。

ですが、わたくしも覚悟を決めて嫁いだ身、ルードルフ様が一言、いいですか、と聞いてくだされば、了承するつもりでおりました。

ですが、ですが。えーと。

わたくしが、なにをどう言っていいのか迷っていると。

「跡継ぎのことなら、まだしばらくは、気にしなくて大丈夫でしょう。まずはあなたの気持ちが大事です」

さらにそんな思いやり深いことを仰ってくださいます。

とてもありがたいお気持ちに感謝しながらも、わたくしはどう言えば、もう触れてくれても大丈夫だと伝えることが出来るのかと悩みました。

わたくしから申し出るのは、その、恥ずかしいと言いますか……どうしたらいいのでしょう。

「エルヴィラ、覚えていますか?」

ルードルフ様は、ふっと笑みを浮かべます。

「昔、ルストロ公爵家で、何度かお会いしたときのことを」

「もちろんです」

ああ、もう、違う話になってしまいましたね。

「初めて会ったとき、あなたはまだ14で、とても可愛らしかった」

「わたくし、デビュタントもまだの子供でしたわ」

「広すぎる公爵家で迷った私は、うっかり庭園に迷い込んだ」

わたくしも笑みを浮かべました。

「そうでした」

いきなり端正な王子様のような人が現れたので驚いたのを覚えています。王子様ではなく、皇太子様だったわけですが。

「バラの生け垣の前に立っているエルヴィラを、本気で天使だと思いました」

「褒めすぎです」

「褒めたりないくらいですよ。あれ以来、何度かお伺いしましたが、正直に申し上げると、それらすべてエルヴィラに会いたかったからです」

え?

わたくしは声には出さず驚きました。そんなことは、初耳でした。

「あの、ルードルフ様は、お兄様に会いにきていらっしゃるのだと……」

「もちろん、リシャルドは数少ない友人のひとりです。ルストロ公爵のお話も実に興味深いものでした。けれど、あなたを一目見れたら、というそんな気持ちがずっと消えずにありました。あの頃の私はなんとか理由を作って、エルヴィラに話しかけにいっていたのですよ」

ルードルフ様は、天蓋を見上げて仰いました。

「……何度も、諦めようとしたのです。でも、出来なかった」

わたくしは、ルードルフ様のそんな気持ちにまったく気付いていませんでした。

「いつも……素敵なお菓子やリボンをくださって、嬉しかったです」

食べるのがもったいないくらい綺麗な砂糖菓子や、キラキラ光るような布でできたリボンなどを贈ってくださいました。

「ルードルフ様がくださったものは、ずっとわたくしの宝物でした」

「それは嬉しいな。あなたを喜ばすために必死で選んでいましたからね」

ルードルフはお前のことをずっと見ていた、と言っていたお兄様の言葉を思い出しました。

「でも、段々と、会うたびにあなたの顔が曇っていくのを、どうすることも出来ないまま、あなたは宮廷で暮らすようになってしまった。仕方なく私は、遊学したりしておりました」

「そうだったのですか……」

ルードルフ様は、わたくしにとって、本当のお兄様以上にお兄様らしい、憧れの存在でした。

だからでしょう。

あのとき。

いくら最善の策を選ばなければいけなかったとはいえ、わたくしはルードルフ様でなければ嫁ごうと思わなかったはずです。

ほのかに憧れを抱いているルードルフ様だったからこそ、あんなに早く決断できたのです。

その気持ちは、こちらに来てから増すばかりで、消えることがありません。

ですからーー。

「だから、エルヴィラ、安心してください」

わたくしが言葉を探している間に、ルードルフ様が先に仰いました。

「きちんと約束は守ります。その辺の男と同じだと思わないでください。あなたの気持ちが傾くまで、何年だって待ちますから」

「……」

「エルヴィラ?」

「いえ、あの、本当に……ありがとうございます」

ルードルフ様はほっとしたように、頷きました。

「今まで待ったのだから、焦りませんよ」

「……ありがとうございます」

どう申し上げたらいいか、わからなくて、わたくしはお礼を繰り返します。

つまり、これは。

わたくしの方から、ルードルフ様に、もう大丈夫ですよ、夫婦になりましょう、と表明しなくてはいけないのですね?

そ、そんなこと……。

無理。

恥ずかしさで真っ赤になったわたくしは、夜具に潜り込むように目を閉じました。

ルードルフ様は優しく、おやすみ、と声をかけてくださいました。