軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

24.見初められたわ!【エイベル視点】

国務院の馬車を迎えてから、さらに数日後――。

ヴェルチェ子爵邸はひどい有様だった。

ところかまわずエイベルが当たり散らすせいで、使用人たちは怯え、床には割れた皿や食事の残骸が転がっている。

「落ち着きなさい、エイベル。とにかくセルシオに言って、早くネリガン公爵にお会いするのよ。あなたの顔を見れば公爵閣下だって虜になるわ――」

「そのネリガン公爵がお姉様の味方についたって言うのよ!」

肩をつかんだサラの手をはねのけ、握りつぶして皺の寄った書状を広げて、エイベルは叫んだ。

「お姉様の届け出を国務院の書記官長へ渡して〝早急な調査〟を命じたのはネリガン公爵なの!」

サラは驚いた顔で書状をとった。

そこには、エイベルの言ったとおりのことが書かれていた。

数日前にヴェルチェ家を訪れた国務院の書記官は、エイベルを新しい次期当主と認めにきたのではなかった。

むしろその逆、正統な継承権を持つフレデリカ・ヴェルチェから、エイベル・ヴェルチェは前当主と血のつながりのないにもかかわらず、サラ・ヴェルチェとともにヴェルチェ子爵家の乗っ取りを企んでいる、との告発があり、事実関係を調査に訪れたのだった。

慌てたエイベルは、セルシオの言葉を無視してネリガン公爵に手紙を書いた。

悪女のフレデリカが、子爵家を奪おうとして告発を仕掛けてきている。早く私を公爵の養女にしてくれ、と。

その不躾な手紙に対する返事が、フレデリカの告発を助け、早急な調査を命じたのは他ならぬネリガン公爵本人であるというものだったのだ。

最後に公爵は、自分がこうして返事をしたのは勘違いをした無礼者を思いあがらせたくないからで、ネリガン公爵家と特別なつながりを持つなどとゆめゆめ吹聴せぬように、もしそんな噂が耳に入れば、しかるべき措置をとらせてもらう、と警告していた。

「セルシオのやつ、嘘をついていたんだわ……!」

ここへきてエイベルも、ネリガン公爵とセルシオの縁が切れていたことに気づいた。

だからあれほど公爵邸への再訪を渋っていたのだ。

「落ち着きなさいってば、エイベル。これまでに出会ってきた殿方はあなたを信じるわ。彼らに味方になってくれるよう頼むのよ」

「嫌よあんな男ども! お姉様のおさがりみたいな……」

エイベルは顔を真っ赤にして首を振った。怒りが収まらずに部屋の中を歩きまわり、目についた花瓶を張り飛ばす。

勢いよく床に落ちた花瓶は砕け、水と花を撒き散らした。

サラはため息をついて手をつけられなくなった娘を残し、部屋を出ていった。

そのまま、行き先も告げずに屋敷も出たのだが、エイベルは気づかない。

やがて、日もすっかりと暮れ、肩で息をするエイベルが疲れて静かになった頃に、執事がおそるおそる近づくと、客人の来訪を告げた。

「ヘルミーネ・アッシュベリ様と名乗られるお方が……」

「なによ! 今それどころじゃ……アッシュベリ?」

憧れの家名にエイベルは顔をあげた。

アッシュベリといえば、リーランドの姓ではないか。

「なにしてるの! すぐにお通しして! 早く! お待たせしないで!」

「はっ、はい!」

バタバタと出ていく執事を見送り、エイベルは鏡を覗き込む。少し乱れた髪を整え、ドレスのしわをのばす。

見回せば、部屋はひどい散らかりようだった。割れた花瓶が床に水をまき散らしてすらいる。

「お客様は隣の部屋にお通しして! この部屋も早く片付けておきなさいよ!」

自分のやったことを棚に上げ、エイベルは大声でメイドに命じた。

部屋を移ると、それほど待つこともなく、大慌ての執事は一人の女性を連れてきた。

輝くような金髪に、化粧っ気もないのにはっきりとした目鼻立ち。アクアブルーの瞳は髪と同じ繊細な金に縁どられ、強いまなざしをたたえている。

服装はマントを羽織った旅装で、覗くドレスもシンプルなものだが、その美しさは間違いなくリーランドの肉親だ。年齢から、姉といったところだろうか。

(どうしてリーランド様のお姉様がうちへ……?)

女どうしでありながら見惚れてしまいそうなヘルミーネを前に、エイベルはぼんやりと立っていた。

ヘルミーネはそんなエイベルに片眉をあげ、肩をすくめて言った。

「あなたが、リーランドが見初めたっていうヴェルチェ家のご令嬢?」

「え?」

「まったく、挨拶もろくにできないじゃない……たしかに魔力はあるし、悪女っぽい性悪そうな目もしているけれど」

ヘルミーネは奇妙な羽飾りのついた眼鏡をとりだしてかけ、しげしげとエイベルを眺める。

しかしそのことを訝しく思う暇も、告げられた言葉を吟味する余裕もエイベルにはなかった。

それよりも最初に投げかけられた言葉が、エイベルの全身を震わせた。

(――リーランド様が、あたしを見初めた?)

常々思っていた。

フレデリカさえいなければ、自分が社交界の中心になれるに違いないのにと。

リーランドと会ったのは一度きり、フレデリカが婚約破棄されたネリガン公爵邸の晩餐会で、ちらりと見ただけ。

(そういえばあのとき、リーランド様があたしを見たような気がした――いえ、 見ていたわ(・・・・・) 。そしてほほえみかけてくれたわ)

エイベルの頭のなかで、記憶が上書きされていく。

ただ広間を見まわしただけのリーランドは、エイベルに目を留め、ほほえんだことになった。

(そうよ……これまでだって、思いどおりになってきた。お姉様を追い出して、セルシオを手に入れた。リーランド様だって、望めば手が届く方だったんだわ。ふふふ、うふふ……)

なにやらぶつぶつと呟き、にんまりと笑みを浮かべるエイベルを、ヘルミーネは呆れた顔で見つめた。

「どう見てもリーランドの好みではないわね……むしろ嫌われるタイプだわ。でも魔力の動きは面白いわねえ」

その言葉もあいかわらずエイベルの耳には届かないのだが、エイベルはぱっと顔をあげると、ようやくヘルミーネを正面から見た。

「そうですわ。リーランド様がお見初めになったのは、あたしです!」

「いえ、勘違いだったみたい。あなた姉妹はいるかしら」

「はあ? 姉がおりますが、あの人は悪女と呼ばれています。あんな人をリーランド様が好きになるはずがありません」

「わたくしがさがしているのはその悪女なのだけれど……」

「リーランド様が好きになったのはあたしです」

「……まあ、本人が言うなら……」

胡乱な表情で腕組みをしつつも、ヘルミーネは頷いた。長い金髪をかきあげるとぱっと光が散ったように輝いて、エイベルの視線をとりこにする。

「あなた自身にも興味はあるし。ただ、そうね……この指輪をつけてくれるかしら」

「きれい! もらってもいいんですか?」

「これは〝誓約の指輪〟。誓いを破ると罰が与えられるの。誓いは、そうね……〝アッシュベリ家の人間に危害を加えようとしない〟」

「? そんな、危害なんて……」

「そう思うならいいのよ。ただの指輪だと思ってくれれば」

ヘルミーネから渡された指輪に、エイベルは小指を通した。リーランドを思わせる金のリングに、血のように赤いルビーが嵌め込まれている。

これまで様々な貴族や令息と遊んできたエイベルだが、初対面でここまで高価なものを贈られたことはない。

アッシュベリ公爵家の財力と、新しい自分の地位の表れであるような気がして、エイベルはうっとりと笑った。

思いがけない贈り物にエイベルが目を輝かせていた頃。

とある酒場では、セルシオが質の悪い安酒を煽っていた。

裏通りにあるこの酒場には、柄の悪い男たちも集まってくる。明らかにひ弱で小金だけは持っていそうなセルシオは、店主にも客にも侮られ、チップだの席料だのを巻きあげられたり、勝手に飲み比べを始められては金を取られたりしているのだが、曲がりなりにも貴族令息である自分が表通りの酒場でくだを巻くわけにはいかず、悪い習慣だとは理解しながらも通い詰めていた。

(フレデリカ……フレデリカと、よりを戻せれば……ああ、どうしてエイベルなんかに……)

酒を飲みながら、セルシオが心の中で呟くのは、そのことばかりだった。

エイベルから離れてみれば、幼かった頃のフレデリカとの思い出が次々によみがえってくる。お菓子をあげようとするセルシオに、遠慮がちな視線を向けてきたフレデリカ。

『いいわ、悪いわよ……あなたのなんだからあなたが食べて、セルシオ』

その心の美しさが、何よりも好きだったはずなのに――。

「フレデリカはもう、あなたの元には戻ってこないわ」

突然の声にセルシオは顔をあげた。けれど薄暗い酒場では、隣のテーブルに座る客の顔はよく見えない。

そのうえ今日は酒をすごしすぎたらしく、視界もグラグラと揺れている気がする。

「誰……」

「失ったものを嘆くより前を見なくちゃ」

それはそうかもしれない。フレデリカはもう戻ってこない。フレデリカはヴェルチェ子爵家の相続を申し立てているという。ヴェルチェ子爵家の婿の座も、もうすぐセルシオの手から失われてしまう。

でも、前を見てどうなるというのだろう。

今セルシオの隣にいるのは、ワガママなエイベルだけだ。

「エイベルは幸福の子よ。あの子は必ず幸せになるの」

隣のテーブルの誰かは、椅子をずらしてセルシオの近くまでやってきたようだった。低めた声がセルシオの耳元に囁きかけられる。

「フレデリカがいなくなれば……すべてはエイベルと、あなたのものよ」

「フレデリカがいなくなれば……?」

その言葉は酔った頭に染み込んでいった。

「この酒場の男たちは、金を積めばなんでもやってくれる。あなたもそれがわかっているからここへ通うのでしょう」

「違う、ぼくはそんな……」

「それ以外にもう方法はありません」

ピシャリと言い切られて、セルシオの目に涙が浮かんだ。

そんなセルシオを慰めるように、声は、今度はやわらかく、やさしい響きになった。

「大丈夫、成功するわ。そのあかつきには、子爵家はあなたのもの」

「……」

セルシオは背後を振り向いた。けれど、そこにはもう声の主はおらず、かわりに、すべてわかっていると言いたげな人相の悪い男たちが、並んで立っていた。

(あの声……それにぼくやエイベルの名前を知っていた。あれは――)