軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

21.ワンコを拾う

紋章院を出て眼鏡をかけ直したフレデリカは、馬車に乗り込むと手のなかの書類を見返した。

書類には、ヴェルチェ家の戸籍が載っている。サラやエイベルは、ヴェルチェ家の前には隣国に籍を持っていたらしい。そのせいで詳しい来歴はなにもわからなかった。

(お父様はどこでふたりに出会ったのかしら……?)

これまで考えたこともなかった疑問が湧きあがり、フレデリカは小さく息をついた。

(お父様……)

父の戸籍はそのまま残っている。当主の欄を指でなぞり、フレデリカはため息をついた。

実は、父ゴードン・ヴェルチェの遺体は発見されていない。

旅の途上で、ゴードンは消息を絶った。生き延びた使用人たちが「旦那様は見知らぬ男たちに剣で斬りつけられ、血を流したまま連れ去られて……」と語り、後日、紋章付きの馬車が谷底に砕けた状態で発見されたことから、生存は絶望的だろうと見なされた。

それでもフレデリカの強い望みでヴェルチェ家は必死の捜索を行ったが、三か月がたつ頃、これを打ち切った。

国に死亡を届け出て、受理されればフレデリカが当主だ。

『すぐに死亡の届けを出さなくてもいいと思うの。皆の心が落ち着いて、受け入れられるようになってからで……』

涙に濡れながらサラは言った。

フレデリカにはそれが、サラも父を愛していた証だと思えた。

当時のフレデリカはまだ社交界にデビューしたばかりの少女。そこで継母のサラが後見人となり、セルシオとの結婚までフレデリカを支える、と決まった。

『あなたが望むときに、届けを出せばいいわ』

その頃のサラはエイベルとともにまだ本性を隠していたから、フレデリカはその言葉に不安を覚えなかったのだ。

結局、フレデリカの意思は無視され、悪女の汚名を被ったフレデリカに手をさしだしてくれる者は誰もいなかった。

出せなかったままの当主死亡の届けを、王家に提出する。そして、フレデリカがヴェルチェ家の正統な後継者であると承認をいただく。

それがフレデリカのなすべきことだ。

同時にそれは、戸籍から父の生存の可能性を消し去ることでもあった。

――もうひとつ、わざわざ書類が必要なのには理由がある。

メルクス王国では女性が爵位を継ぐことは許されているが、それはあくまで例外的な措置であり、女当主には男性以上に〝家を継いでゆく〟という意思表明が求められる。

要は、結婚しているか、婚約者がいる状態が望ましいということだ。

社交デビュー前のフレデリカにセルシオという婚約者がいたのも、そうした事情による。

しかしセルシオはフレデリカを悪女と呼び、エイベルとの婚約を宣言した。もとはヴェルチェ家とマコール家の契約事項ともいえる婚約だが、ヴェルチェ家は当主不在の状態で、サラとエイベルが支配している。

セルシオが王家に対しても同じ主張をし、マコール家がそれに同調した場合、面倒な係争となる可能性はあった。

だから、ネリガン公爵邸がセルシオの肩を持たないと明言してくれたのは大きな安心材料だった。

「……」

ふーっと長い息を吐き、フレデリカは体の内側にわだかまった暗い気持ちを振り払った。

家族や、そうなる予定だった人々と対立するのは悲しい。

(いいえ、もう悩んではだめよ。前に進むと決めたんだから)

窓から外を眺め、フレデリカは心を鎮めようとした。

黒い犬が目に飛び込んできたのはそのときだった。

リーランドがプレゼントしてくれたあのぬいぐるみのような、ピンと立った耳と、黒い毛に埋もれてしまいそうな黒い目、白い眉を持つ、狼ほどの大きな犬。

犬は建物と建物のあいだの路地に、行儀よく前足をそろえて座り込んでいた。

「まあ」

フレデリカは思わず声を漏らした。

もちろん馬車の中の呟きが犬に聞こえるわけはない。おまけに今のフレデリカは抑制眼鏡をかけて、動物が相手といえども気づかれにくくなっている。

――はずだった。

黒い犬は、まっすぐにフレデリカを見つめ、「ウォンッ」と鳴いた。

「え……」

ただの偶然で、気のせいだろうかと考えているあいだにも、犬は馬車の進みにあわせて首を動かした。

やはりフレデリカを見ている。

その視線は、別の馬車によって遮られた。二つの馬車によって人の流れが生まれ、さらに黒い犬の姿を隠す。

そのうちに路地は見えなくなり、黒い犬ももうどこへ行ったかわからなくなった。

(不思議な犬……)

奇妙といえば、あれだけ大きくて目立つ犬なのに、誰も振り返ったり怖がったりしていなかった。

疲れた頭が見せた白昼夢かもしれないと思い始めた頃、馬車は〝シュナーゼ〟へ到着した。

馬車をおりたフレデリカは、「あっ」と驚きの声をあげた。

あの黒い犬が、尻尾をぱたぱたと揺らしながら〝シュナーゼ〟の庭に座り込んでいるではないか。

「ウォンッ!」

その鳴き声で、フレデリカに手を貸していたレイトが黒い犬を振り返った。

レイトが驚きに息を呑んだ、ような気がした。分厚い前髪に隠れた表情はよくわからないけれども。

「あー……これは……」

レイトががしがしと癖のある髪をかきまわす。

フレデリカは首をかしげた。

こんなに大きな犬なのに、鳴き声がするまでレイトは気づいていなかったようだ。フレデリカも、ずっと窓から外を見ていたのに、馬車をおりるまでわからなかった。

そもそも追い払われずに〝シュナーゼ〟の庭まで入り込めているのが不思議だ。

やっぱりお行儀よく前足をそろえてお座りして、尻尾を振っている黒い犬は、急に湧きでてきたみたいだった。

「うちで飼うしかないみたいですね。宿の裏手に使われていないヤギ小屋がありましたから、貸してもらえるか聞いてみましょう」

レイトが言うと、犬は言葉がわかったかのように立ちあがっていっそう大きく尻尾を振った。

しかし、飼うしかないとはどういう意味だろうか。追い払うのにしのびないというにしてはレイトの表情が苦々しいというか……。

「フレデリカ様、名前をつけてやってください」

「ウオオンッ」

「えっと、名前?」

急展開に目を白黒させながら、フレデリカは思いついた名前を言った。

「バゼル……でいいかしら」

それは、密かにぬいぐるみにつけていた名前だ。部屋に誰もいないときは話しかけたり撫でたりしていた。

「ウオン!」

気に入った、と言うように黒い犬――バゼルは鳴いた。