軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第80話 せいぜい二分ほどなら

エドワード王在位二十周年の式典を無事に終えた。

そのしばらく後にグロリアが王都で仕事をしている間に、狩りのために地方へ行ったエドワードが落馬し、馬に太腿を踏み潰されるという 事(・) 故(・) が起こった。

もしも聖女が王妃であったなら、きっと狩りにも同行しただろうし、その程度の傷は癒しの力によって一瞬で治っただろう。

そしてエドワード国王の統治は続いていたはずだ。

だが今世ではそもそも聖女は誕生しなかったし、太腿を潰されたエドワードは王都へ戻ってくるまでに傷口が化膿し、酷い状態になっていた。

グロリアは薄暗い部屋に寝かされたエドワードのすぐ側に座って、額に汗を浮かせてうなる夫を見下ろした。初めて会ってから今まで、前世を入れても公式に必要な言葉以外はほとんど交わしたことがない。

今だって、熱に浮かされた声を聞いてようやく、そういえばこんな声をしていたなと思い出したくらいだ。

意識が朦朧としたエドワードが、気配に気づいて目を開けた。

薄暗がりの人影の正体を探るように、金色の目がグロリアの表面をさ迷う。

「母上……?」

浅い呼吸に紛れた声に、グロリアは笑った。

「お母上は陛下が六つの時に亡くなりました」

当たり前だがグロリアの声は彼の期待した声ではなかったようだ。エドワードがハッとこちらを向いた。

ただ、まだ意識はしっかりしていないらしい。

「ち、父上は……」

「お父上はニコラスの誕生を見届けたのち、亡くなりました」

「ニコラス……?」

「陛下とケイトの息子です。今は複数人の女性と西の温泉保養地に行っており不在ですが」

「ケイト……ケイトは? どこへ行った?」

「陛下がブライアンの前で凌辱したせいで心を病み、聖地で療養中です。何度も自殺を図るので、今は安全のため薬で眠っていることが多いとか」

「……痛い、痛い……苦しい……ブライアン、あいつなら俺の言うことを聞いてくれる……ブライアンを呼べ、俺の痛みを代わってもらう……」

「ブライアンなら陛下が処刑したではないですか。勇気をもって諫言してくれる、陛下にとっては唯一無二の忠臣であったのに」

「なら、……メロディなら、俺の傷を、治せるんじゃないか……メロディは……?」

「メロディ? 聖女を詐称した詐欺師のことでしたら、それが暴徒たちの怒りに触れ、強姦されたのち殺されました。学生時代に陛下が勘違いした彼女を甘やかし、間違いを正さなかったせいです」

「……じゃあ! ……じゃあ、他の、キャサリンは? アビゲイル、バーバラ……キャロル、ヘロイーズ、パッツィー……」

「私が管理していた陛下の女たちは、二日前に退職しました。その傷では性交渉どころではないでしょうから。みんな退職金をもらってさっさと城を出ていきました」

「管理……みんな、管理されて俺に……?」

呆然とした表情でこちらを見つめるエドワードを、じっくりと見つめ返す。

金の瞳は濁り、黒髪にもかつてのような艶はない。

「グロリア……」

「はい」

微笑むと、エドワードは口の端を下げて黙り込んだ。

ようやく意識が少しはっきりして、側に座っているのが誰なのか気がついたらしい。

「お母上、お父上、ニコラス、ケイト、ブライアン、メロディ、その他の女たち……誰も陛下の側に侍ることはできません。死んだか、殺されたか、壊れたか、去っていきましたので」

それから……と、グロリアは目を潤ませた夫に微笑みながら続けた。

「陛下の嫌いな肩書に群がる 阿諛追従(あゆついしょう) の輩たちも、ニコラスを――次期国王を保養地まで追いかけており不在です」

布団に隠された太腿に視線をやると、いつもは察しの悪いエドワードはそれだけで自分の容体の悪さと、死期の近さを悟ったようだった。

「……お前しかいないのか」

「いいえ」

サイドテーブルに置いていた懐中時計を手に取って、時間を確認しながら続けた。

「私はこれから宰相たちと国葬についての打ち合わせがあり、あと――せいぜい二分ほどでこの部屋を出なければなりません」

「こ、国葬……」

「他に誰かお呼びしたいのならば、今のうちにおっしゃっていただければ手配しますが?」

「……だれも」

発熱と悪寒と、死の近さに震えながらエドワードが呟いた。

「だれもいない」

「そうでしょうね」

絞り出した言葉に軽い調子でうなずくと、金の瞳にさっと怒りが走った。

グロリアをにらみつけ、エドワードがかすれた声で言う。

「お前だって、同じだろうが!」

最後の力を振り絞るように怒鳴って続ける。

「お前にだって誰もいない、誰も! 心から信頼できる人も、愛しい人も、親しい友人も!」

暗い部屋がしんと静まった。エドワードの喘鳴だけが響いている。

「私には 私(・) がいればそれで十分。愛しい人も、友人も、必要ないからいないのです。それに……」

患者を暖めるために絶え間なく燃える暖炉の炎に照らされながら、グロリアは居住まいを正し、エドワードをしっかりと見返して言った。

「この国の……いえ、この世界の誰も、今の私を見て惨めだとは思わないでしょう」

エドワードははくはくと口を開けて浅い呼吸を繰り返した。

しばらく待ってみたが何も言わない。

そろそろ部屋を出なければ打ち合わせに遅れてしまう。グロリアは椅子を引いて立ち上がった。

「俺は……」

扉が閉まる寸前に、エドワードの弱々しい声が聞こえた。

――惨めに見えるのか……と。

三日後、エドワードは死んだ。

王妃であるグロリアをはじめ、医者、看護師、侍女、司教も……彼らがそれぞれの職務のために席を外した数分の間に、息を引き取った。

一国の王の最期の瞬間を見届けた者は、誰もいなかった。