作品タイトル不明
第33話 こぼれ落ちていったもの
バーナードが養子に入り公爵家の跡継ぎとなるなら、条件は前世と同じである。
大貴族の後援を欲する王家は、前世と同じように内々にグロリアを王太子の婚約者に指名した。
茶会で自由に相手を選べると思っていた王太子は、知らない間に決まっていた婚約者に不満を隠しもしなかった。
グロリアへの不貞腐れた態度も前世の時と同じで、茶会に連れてきたケイトはその無礼な様子に怒り心頭であった。
しかし前世と違って、グロリアはその態度に全く取り合わなかった。
茶会の目的は王太子と親睦を深めることではなく、出来上がった酒を教会伯爵の息子であるセドリックに売り込むことだ。
前世、機嫌を取ったところで王太子の関心はグロリアに向かなかった。ならば今世で同じような努力をするのは無駄の極みである。
「将来、私は王太子妃として――ゆくゆくは王妃として王城へ上がります。その時に一番信頼しているケイトを専属侍女として連れて行きたいと叔父上にわがままを言い、ケイトは子爵家の養子になりました」
ケイト・フォン・モーガン子爵令嬢の誕生である。
養子先は叔母の遠縁であるモーガン子爵家だ。遺産などは継ぐ権利はないが、A子の言う〝乙女ゲームの本編〟である学園にも入学できる身分となった。
カイラは泣いて喜んだし、ケイトは感じ入るように深々と頭を下げてグロリアにいっそうの忠誠を誓った。
「父上が私に付けた侍女よりも、ケイトはよくやってくれています。貴族の身分を得てこれまで以上に尽くしてくれるでしょう」
グロリアが落馬しても顔を見せることすらしなかった貴族の女を侍女に雇ったのは父だった。父は平民が自分たちに触れることを許さない。
シンディは愛人だったから許されていたのだ。愛人は性のはけ口であり愛情の対象ではない。
その証拠に、半分でも貴族の血が入っていたアランは父に認知され貴族となったが、シンディは結婚もしたし公爵家の奥を任されていたが身分は平民のままだった。
父にとっては、性処理もできる平民の家政婦長でも雇ったような意識だったのだろう。
前世はグロリアも身分に対する明確な線引きがあった。
本音を言えば今だって平民は嫌いだが、貴族も平民もそろって自分に悪意をぶつけてきた前世を思えば、今は人物の身分など関係なく触れられるのは怖気が走る。
誰に触られても同じならば、自分の目的に合った人物を我が身の周囲に据えたほうがいい。
たとえば平民は平民のまま死ねばいいと思っている父の思想をわかっていて、あえて平民のケイトを貴族の娘とするだとか。
「これまで以上に平民の使用人を雇用する方針です。……これから父上の世話係も必要になりますから」
介護のことを考えたら、二階の奥にある当主のこの部屋は何かと不便だ。だから平民の使用人部屋に近い部屋へ父を移すことを考えている。
処理した排泄物を持った使用人が屋敷の中をうろうろするのはみっともないし、そうした手間を考えると裏口に近い場所のほうがいいに決まっている。
父からは息を詰まらせたような音が聞こえた。
しかし反論は聞こえなかったので、〝するつもり〟だった平民の雇用と父の部屋の移動を決定する。
「当面は当主代理として私が差配をしますが、王太子妃としての教育も始まれば手が回らぬこともあると思います。それゆえ叔父上とバーナードには今日からこちらに住み、叔父上には私の手伝いを、バーナードには跡継ぎ教育を学んでもらう予定です」
全てが順調であるとにこやかに手を合わせ、グロリアは背伸びをしてベッドに横たわる父の目を覗き込んだ。
青みの濃い紫の目は憤怒に燃え、ギラギラとグロリアをにらみつけている。
なぜ弟の子供などに公爵家の家督を渡すのか。燃えるような怒りの目が今すぐにでもその決定を撤回し、弟たちを追い返せと命じている。
父にとってグロリアは最善の子供ではないが、バーナードが当主になるよりはましなのだ。
「父上の言いたいことはわかっています」
しかし悲しいかな、父のその命令に、その濃い紫の瞳に、今やなんの力もない。
「嬉しいのでしょう? だって、ずっと言っていましたからね。グロリアを王太子殿下の婚約者に……と」
父の瞳に映ったグロリアは、口元に笑みをたたえていた。
誰が見てもその笑みを最愛の人へ向ける笑みだと思うだろう。そのくらい、父への優しさと愛おしさに満ちているようにみえた。
「叔父上の尽力のおかげで、無事に父上の望みを叶えることができました」
グロリアの言葉を聞いて、父のまぶたが動きづらそうに数度またたいた。
「どうか世間の些末なことはお気になさらず、お身体を愛おしむことだけをお考えください。こちらは父上がおらずとも十分回っておりますので」
それを聞いた瞬間、父の瞳に涙がぶわりと盛り上がった。
「ええ、ええ……そうでしょうとも。叔父上たちには感謝の念に堪えません。ありがたくて涙が出てしまいますよね」
顔面の麻痺した皮膚の上をだらだらと流れていくその涙が、屈辱の涙であることを、グロリアは知っている。
父は当主の座に座りながら、その実を取り上げられたのだ。
娘や息子を切り捨ててでも守りたかったものがいつの間にか手からこぼれ落ちていたことを知った、後悔の涙なのだと、知っていながらグロリアは優しく同意した。
「私も嬉しいですよ、父上」