作品タイトル不明
第30話 復讐の成功条件
問われて混乱するA子の脳内に、さまざまな感情とそれに関連した映像が浮かんでは消える。
(えっと、苦しいとか、痛いとか……死、とか……?)
A子が答えた言葉に付随する映像は、その全てが血生臭く、痛々しい。
彼女の世界には情報があふれていた。自分が体験していないものでも、体験者の証言をもとに作られた映像を見ることができる。
それどころか、死、それ自体を売り物にした映像や写真を手に入れることさえ可能だ。
だから「復讐とは何か」を問われてA子が想像し出した答えは、陰惨で非人道的な、肉体的苦痛を多くともなうものだった。
けれどそこに、生々しさはない。
人は誰だって死ぬのだ。齢が百でも十でも死ぬときは死ぬ。
死はただの結果であって、復讐を成立させるものではない。
だから復讐すべきは肉体ではなく、精神である。
たとえば極端な話だが、肉体を傷つけられることに快感を覚える人間の背を鞭打ったとして、それで復讐を果たしたといえるのか。
〝己の真実の姿は犬である〟と自認する人間の服をはぎ取り、犬と一緒に犬小屋で過ごせと命じても、ようやく真実の姿で過ごせると安堵するだけであろう。
けれど自分が人間で国王よりも尊く、家畜は人より数百倍劣る存在だと思っている者を犬と同じように扱えば、その者は虐待と感じるはずだ。
わかるだろうと、A子に言う。
肉体的な痛みだけでは復讐としては不十分なのだ。
そこに精神的苦痛が伴わなければ、ただの死など救いでしかない。
はたから見れば恵まれた生活を送っていても、自らの手で自分を殺したくなるほど精神を屈服させられたときに感じるものこそ、本物の苦痛であろう。
そしてそうなった原因が己にあって、もしもあの時こうしていたら……と、存在しない幸せな未来に思いをはせる、その惨めさたるや。
「つまり復讐とは、屈辱と後悔のことだ」
一度目の人生に王太子や聖女たちに与えられたものが、まさしくそれだった。
王太子の婚約者にして未来の王妃の座を聖女に奪われ、あまつさえ罪人として斬首された。愚かなことにその引き金を引いたのはグロリア自身だったのだ。
グロリアを絶対的な悪として、彼らが社会とともに裁きを与えるという対立構造にしたことも感嘆に値する。少なくとも周囲の人間には彼らが正義の側に立って見えたことだろう。
周りの人間にグロリアを責めさせ、自分の行いを反省させるのではなく後悔するように持っていった手腕は鮮やかであった。屈辱と後悔を、彼らは本当に効率よくグロリアに与えたのだ。
復讐のためならばなんでもすると二度目の人生に誓った。
彼らのやり方が理にかなっているのならば、その行動をなぞることもやぶさかではない。
グロリアは屈辱を与えるのではなく、むしろ至らぬ者たちに優しく接しているようにみせるのだ。
差し伸べられたグロリアの手を取った彼らは、今以上に良い道を選び取ったと思うことだろう。
けれど気付けばなぜか人生は転落していく。後悔するだろう。だがグロリアのせいで後悔するのではない。
どこかの時点で選択を間違えた自分自身のせいで後悔するのだ。
「まあ確かに、今回の結果には不満があるにはある」
アランとシンディの生首を思い返して、グロリアはやや愚痴をこぼすような口調で呟いた。