作品タイトル不明
第11話
嵐のようなヴァレリオ王子が去った後、『月待ち食堂』には重苦しい沈黙が漂っていた。
一週間後に行われる料理決闘。
負ければ、私は店を失い、ガレリア王国の「料理奴隷」として連れ去られる。
「……許さん」
沈黙を破ったのは、カウンターで拳を震わせる父、ガラルド公爵だった。
「あの放蕩王子め……。我が国の領土で、私の娘を『賭けの対象』にするなど、外交問題どころの話ではない。今すぐガレリア王国への国境を封鎖し、経済制裁を発動してやる」
父の目がマジだ。
この人は「氷の閣下」と呼ばれる宰相だが、身内(と認めた相手)に対しては過保護すぎるきらいがある。
「落ち着いてください、お父様。そんなことをすれば戦争になります」
「戦争上等だ。たかがエビ一匹で娘を奪おうとする国など、滅ぼしてしまえばいい」
「やめてください、お店が潰れます」
私は父をなだめつつ、大きく息を吐いた。
「それに、勝負を受けたのは私です。料理人として売られた喧嘩、料理で買わなければ気が済みません」
私の言葉に、隣でエビマヨの残骸(ソースまで舐めた皿)を前にしていたライオネル団長が、ニカっと笑った。
「いい度胸だ、シェリル嬢。だが、相手は『スパイス』の本場、ガレリア王国だぞ? 奴らは数百種類の香辛料を自在に操ると聞く。対して我が国のスパイス事情は……塩と胡椒、あとはハーブ程度だ」
「ええ。物量と知識量では、まともに戦えば負けるでしょうね」
私は冷静に分析した。
ガレリアの料理は、香辛料をふんだんに使い、素材の味を複雑に変化させるのが特徴だ。
対して、私が作ろうとしているのは――。
「だからこそ、私はたった一つの『黄金比』で勝負します」
「黄金比?」
ルーカス様が眼鏡を光らせて食いついた。
「はい。数十種類のスパイスを、ただ混ぜるだけではありません。それらを油と熱で融合させ、野菜や肉の旨味と一体化させる……『カレー』という魔法を使います」
「カレー……?」
聞き慣れない単語に、皆が首をかしげる。
そう、この世界にはまだ「カレーライス」が存在しない。
スパイスを使った煮込みはあるが、それはあくまでスープの一種であり、あのドロリとした濃厚なルウをご飯にかけるスタイルはないのだ。
「勝てるのですか、シェリル」
父が心配そうに私を見た。
「もちろんです。……ですが、それには最高の材料が必要です」
私は父の目を真っ直ぐに見つめた。
「お父様。貴方の力をお借りしたいのです。……先日と同じ、いえ、それ以上の『最高級の牛肉』を用意していただけませんか?」
父は一瞬きょとんとし、すぐにフッと口角を上げた。口元の緩みを隠すように、ステッキを握り直す。
「……ふん。誰に向かって言っている。私はガラルド・ウォルターだぞ? この国の流通を握る私が、娘の頼み一つ聞けぬと思うか」
父はセバスチャンに目配せをした。
「セバスチャン。王室御用達の牧場へ連絡しろ。今から出荷できる最も質の良い、熟成されたリブロースを確保せよ。金に糸目はつけるな」
「はっ。直ちに」
「それと、シェリル。……勝てよ。もし負けたら、ガレリア王国ごと地図から消すことになるからな」
怖い冗談(冗談に聞こえない)を残して、父は帰っていった。
その背中は、来た時よりも少しだけ嬉しそうに見えた。
◇ ◇ ◇
父が肉を担当してくれるなら、残る問題は「スパイス」そのものだ。
私は深夜、再び東方商人ザオを呼び出した。
「へっ、また厄介なことになったみたいですねえ」
ザオは呆れ顔で、カウンターに麻袋を広げた。
「ガレリアの王子と料理対決だって? 相手が悪すぎるぜ。あいつら、スパイスの流通ルートを独占してやがる。俺みたいな密輸商人でもなきゃ、まともな香辛料は手に入らねえ」
「だから、貴方を頼ったのよ。……リストにあるもの、揃う?」
私が渡した羊皮紙には、カレー作りに欠かせないスパイスの名が羅列されている。
クミン、コリアンダー、ターメリック。
カルダモン、クローブ、シナモン、フェヌグリーク、赤唐辛子。
そして、香り付けのローリエとオールスパイス。
「……ふぅん。随分とマニアックな注文だ。だが、ちょうど東方からの船が着いたばかりだ。全部あるぜ」
ザオは次々と瓶を取り出した。
蓋を開けると、ツンとした刺激臭や、甘く重い香りが立ち上る。
鮮度は抜群だ。これなら戦える。
「ありがとう、ザオ。あと、これに合う『付け合わせ』も欲しいの」
カレーには福神漬けからっきょうが必須だ。
ザオはニヤリと笑い、小さな樽を出した。
「東方の『漬物』ですね。大根やナスを醤油と砂糖で漬け込んだやつがありますよ」
「完璧ね!」
これで役者は揃った――と思った時。
カウンターの隅で丸くなっていた聖獣シロが、むくりと起き上がった。
「みゃう(待て、娘よ。……肉とスパイスだけでは、あの王子には勝てんぞ)」
「シロ? どういうこと?」
シロは青い瞳を細め、予言めいた口調で言った。
「あやつの 魔力(オーラ) を見た。あれは『刺激』に飢えている者の色だ。単に辛いだけ、美味いだけでは足りん。……『コク』と『甘み』による深みが必要だ」
「コクと甘み……」
確かに、カレーの隠し味には果物や蜂蜜を使うことが多い。
だが、普通のリンゴや蜂蜜で、あの舌の肥えた王子を唸らせることができるだろうか?
「みゃあ(安心しろ。我が取ってきてやる)」
シロは窓の外、王都の北にそびえる険しい山脈を見上げた。
「あの山の頂に、希少な 魔蜂(キラービー) の巣がある。そこのロイヤルゼリー入りの蜂蜜と……中腹に生えている『完熟魔林檎』があれば、文句はあるまい」
「えっ、キラービーって、Aランク冒険者でも全滅する危険生物じゃ……」
「みゃう(猫パンチで沈めてくる。朝までには戻るゆえ、鍋を磨いて待っていろ)」
シロは言うが早いか、窓から夜空へと飛び去っていった。
頼もしすぎる。
こうして、父の財力、商人のルート、聖獣の戦闘力によって、私の「カレー」は史上最強の布陣で作られることになった。
◇ ◇ ◇
そして、決戦の日。
王都の中央広場には、特設の調理ステージが組まれていた。
周囲を取り囲むのは、何千人もの観衆。
この国始まって以来の「国家の威信をかけた料理対決」を見ようと、貴族も平民も押し寄せている。
「ガレリア! ガレリア!」
広場の一角からは、ヴァレリオ王子が引き連れてきた応援団の大歓声が上がっている。
対するこちらの応援席には、ライオネル団長率いる騎士団(私服)と、ルーカス様率いる魔術師団(ローブ姿)が、殺気立った無言の圧力を放っていた。
審査員席には、三名の人物が座っている。
中央には、なんと国王フレデリック陛下。
右には、我が父ガラルド宰相。
左には、ガレリア王国から派遣された外交大使。
完全に身内びいきになりそうな布陣だが、陛下も父も「食に関しては一切の妥協を許さない」性格だ。不味ければ容赦なく切り捨てるだろう。
「ふふふ……来たか、庶民の料理人よ!」
ステージの向こう側で、ヴァレリオ王子が高笑いをした。
彼の調理台には、金銀財宝のごとく輝く数百のスパイス瓶が並べられ、十数人の宮廷料理人がサポートについている。
「今日の余の料理は『30種のスパイス香る、仔羊のロースト〜黄金のソースを添えて〜』だ! この芳醇な香りで、貴様の鼻を麻痺させてやろう!」
「あら、それは楽しみですね」
私は一人、シンプルな調理台の前に立った。
手元にあるのは、使い込んだ包丁とまな板。そして、愛用の大寸胴鍋。
サポートはいない。強いて言えば、足元で昼寝をしている 猫(シロ) だけだ。
「では、両者……調理開始!!」
銅鑼(ドラ) の音が鳴り響いた。
一斉に動き出すガレリアチーム。
スパイスを炒る音が響き、強烈なクミンやカルダモンの香りが広場に充満する。
観客たちが「おおっ、すごい匂いだ!」とどよめく。
対して、私は――。
静かに、玉ねぎを刻んでいた。
トントントントン……。
リズミカルな音だけが響く。
「……おい、あいつ何をしてるんだ?」
「地味だな……」
観客のヒソヒソ声が聞こえる。
だが、私は焦らない。カレー作りにおいて、最初の工程こそが命なのだ。
寸胴鍋にバターを溶かし、山盛りの玉ねぎ微塵切りを投入する。
弱火でじっくり、じっくりと炒める。
水分を飛ばし、糖分を凝縮させる。
白かった玉ねぎが透き通り、やがて黄色くなり、最後には美しい『飴色』になるまで。
この工程だけで三十分。
派手なフランベを繰り返すヴァレリオ王子とは対照的な、地味な作業。
だが、風に乗って漂い始めた「甘く、香ばしい香り」に、審査員席の父がピクリと反応した。
「……む。ただ炒めているだけではないな。あの玉ねぎ、凝縮されている」
飴色玉ねぎが完成したら、ここからが魔法の時間だ。
私はザオから仕入れたスパイスを取り出した。
クミン、コリアンダー、ターメリック、赤唐辛子。
これらを粉末にしたものを、別のフライパンで軽く乾煎りする。
――フワッ……!
熱が入った瞬間、スパイスが目を覚ました。
鮮烈な香り。
ガレリア側の「複雑怪奇な香り」とは違う、一本芯の通った「食欲を直撃する香り」だ。
炒ったスパイスを、小麦粉とバターと一緒に練り合わせる。
特製『カレールウ』の完成だ。
一方、寸胴鍋の方には、あらかじめ仕込んでおいたスープを投入する。
鶏ガラと、シロが東方から持ち帰った『深海魔草(昆布)』のWスープ。
ここに、一口大にカットして表面を焼き付けた、父の用意した『最高級リブロース』を入れる。
さらに、シロが昨晩「猫パンチ」で奪取してきた『魔林檎』のすりおろしと、『魔蜂蜜』を加える。
グツグツと煮込むこと一時間。
肉がホロホロになり、スープに全ての旨味が溶け出した頃合い。
「……仕上げよ」
私は、作っておいたカレールウを、鍋に溶かし入れた。
――トロリ。
黄金色のスープが、褐色へと染まっていく。
粘度がつき、艶やかな光沢を帯びる。
その瞬間。
広場全体を、とてつもない香りが支配した。
スパイスの刺激。
フルーツの甘み。
肉の旨味。
それらが渾然一体となった、暴力的なまでの「カレー臭」。
「な、なんだこの匂いは……!?」
「腹が……腹が減る匂いだ!」
「やばい、口の中が涎で一杯に……!」
観客たちがざわめき出した。
ヴァレリオ王子さえも、手を止めてこちらを凝視している。
「馬鹿な……。たった数種類のスパイスで、なぜこれほどの『厚み』が出る!? 泥のような見た目なのに、なぜこれほど美しい香りがするのだ!?」
私は鍋をかき混ぜながら、不敵に微笑んだ。
「お待たせしました。これが私の魔法、特製『至高のビーフカレー』です」
そして、私はもう一つの主役を用意する。
土鍋の蓋を開ける。
――パァァァッ!
真っ白な湯気と共に現れた、一粒一粒が立った『銀シャリ』。
褐色のカレーソースと、純白のライス。
このコントラストこそが、最強の食欲増進剤だ。
「両者、そこまで!」
終了の合図が鳴った。
勝負の時だ。
まずは先攻、ヴァレリオ王子の『仔羊のロースト』が審査員席へ運ばれる。
複雑なスパイスの香りを纏った肉料理。
陛下も父も、唸り声を上げて賞賛した。
「うむ……美味い。スパイスが肉の臭みを消し、野性味を引き立てている」
「技術は確かだな。ガレリアの面目躍如といったところか」
高得点が予想される空気。ヴァレリオ王子が勝ち誇った顔をする。
「ふふん、見たか! これが王者の料理だ! さあ、次はその泥料理を持ってくるがいい!」
私は静かに頷き、三つの皿を運んだ。
平皿の半分に盛られた白米。
もう半分にかけられた、艶やかな褐色のソース。
ゴロリと入った大きな牛肉。
そして、端に添えられた真っ赤な福神漬け。
「……どうぞ、召し上がれ」
目の前に置かれた瞬間、父・ガラルド公爵の喉が、ゴクリと大きく鳴った。