軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第二十六話「図書館の涼しい席」

夏休み初日の朝に、目覚ましで起きる。

それだけで、なんだか少し負けた気分になる。

いや、何に負けたのかは分からない。夏休みというものは、昼近くまで寝てこそ勝ちみたいなところが、昔の俺の中にはあった。

ただ、三十二歳まで働いた体感があると、午前中を丸ごと寝て潰すことに妙な恐怖がある。

休日に寝すぎると、次に目を開けた時には夕方で、休みが半分以上消えている。あの時の絶望を、体がまだ覚えているらしい。

俺は布団から起き上がり、机の上に置いた予定表を見た。

市立図書館。

午前十時。

昨日、自分で書いた文字だ。

田端の字ほど大きくはないが、見れば分かる。

鞄には数学の問題集、英語のワーク、筆箱、ノート。

それから、参考書の候補を書き出すための紙を入れた。

朝飯を食べていると、母さんが味噌汁をよそいながら言った。

「今日は図書館だったわよね」

「うん」

「お友達と?」

「田端と杉浦と小野。あと白石」

言ってから、少しだけしまったと思った。

母さんの箸が、ほんの一瞬止まった。

「白石さんも来るのね」

「勉強だから」

「何も言ってないじゃない」

「言ってない時のほうが言ってる」

母さんは楽しそうに笑った。

昨日と同じような会話をしている気がする。親というものは、子どもの友人関係を面白がる権利でも持っているのだろうか。

父さんは新聞を読みながら、こちらをちらりと見た。

「図書館で何をするんだ」

「宿題と、参考書の候補を見てくる。買う前に、どれが必要か決めたいから」

「そうか。値段も見ておけ」

「うん」

「必要なら、先に相談しろ。勝手に買ってから言うんじゃなくてな」

「分かった」

その言い方は、怒っているわけではなかった。

むしろ、相談の入口を作ってくれている。

昨日までの俺なら、親に金の話をするのは面倒だと感じていたかもしれない。

でも今は違う。

面倒でも、ここを雑にすると後で困る。

参考書。

パソコン。

その先にある、口座や投資の話。

全部、いきなり切り出せるものではない。

まずは、参考書一冊分の相談からだ。

俺は味噌汁を飲み、鞄を持って家を出た。

◇ ◇ ◇

市立図書館の入口には、約束の時間より少し早く着いた。

夏休み初日の午前中だというのに、入口の前にはもう何人かの学生がいた。

部活帰りらしいジャージ姿の高校生。

読書感想文のためなのか、親に連れられた小学生。

それから、日陰で携帯を開いている中学生らしい男子。

俺は入口横の掲示板の前で立ち止まり、館内案内を眺めるふりをした。

冷房の効いた空気が、自動ドアの開閉に合わせて少しだけ外へ漏れてくる。

それだけで、中に入りたい気持ちが強くなる。

腕時計を見る。

まだ少し早い。

田端はたぶんぎりぎりだろう。

杉浦は部活の予定次第。

小野はわりと時間通りに来そうだ。

白石は。

そう考えたところで、入口の向こうから白石が歩いてくるのが見えた。

制服ではない。

白い半袖のブラウスに、薄い色のスカート。肩には小さめの鞄。

派手な格好ではない。むしろ、白石らしく落ち着いている。

ただ、学校の制服ではないというだけで、ずいぶん違って見えた。

俺は一瞬、視線の置き場に困った。

中学生の私服を見て動揺する三十二歳。

自分で自分を殴りたい。

いや、殴ったら痛いのは十四歳の体だ。やめておこう。

白石もこちらに気づき、少しだけ歩調を緩めた。

「おはよう、佐伯くん」

「おはよう。早いな」

「佐伯くんも早いよ」

「田端が迷わないか心配で」

「それ、田端くんに言ったら怒るかも」

「たぶん怒る前に遅れてくる」

白石は小さく笑った。

その笑い方が、昨日よりほんの少しだけ軽い。

学校の外だからかもしれない。

逆に緊張しているようにも見える。

どちらなのか、まだ分からない。

しばらく二人で入口の横に立っていると、小野が少し急ぎ足でやって来た。

「おはよう。ごめん、待った?」

「まだ時間前」

白石が答える。

「よかった。家出る時に、お母さんに宿題ちゃんと持ったのって三回聞かれた」

「小野さん、忘れそうに見えるのかも」

「否定できないのがつらい」

小野は苦笑しながら鞄を持ち直した。

そのすぐ後に、杉浦が自転車を押して現れた。

額に少し汗をかいている。

「部活ないのに、なんで汗だくなんだ」

「寝坊しかけた」

「田端枠が増えた」

「一緒にしないでほしい」

杉浦はそう言いながら、自転車置き場へ向かった。

最後に田端が来た。

走ってきたわけではない。

ただ、寝起きの顔だった。

「おはようございます」

「眠そうだな、大臣」

「大臣にも休息は必要なんだよ」

「夏休み初日から遅刻寸前の大臣はいらない」

「ぎりぎり間に合ったからセーフ」

白石が少しだけ笑い、小野が「じゃあ入ろう」と言った。

自動ドアが開く。

冷たい空気が、まとまって体に触れた。

夏休みの図書館は、外とは別の場所みたいだった。

◇ ◇ ◇

閲覧席は、思ったより混んでいた。

読書感想文の本を抱えた小学生。

参考書を広げている高校生。

新聞を読んでいる年配の人。

机の上に筆箱とプリントを広げた中学生らしいグループ。

夏休み初日から図書館に来る人間は、意外と多いみたいだ。

前の俺なら、こんな場所に初日から来るやつを真面目すぎると思っていたかもしれない。

今の俺は、空席を探しながら「もっと早く来てもよかったな」と考えている。

変われば変わるものだ。

五人で座れる席はなかったので、隣り合う机を二つ使うことになった。

小野と白石が向かい合い、田端と杉浦が隣。俺は白石の斜め前に座った。

田端は鞄から英語のワークを出して、すぐにため息をついた。

「ここ、静かすぎない?」

「図書館だからな」

「喋ったら怒られるやつ?」

「大声なら怒られる」

「俺に不利な環境だ」

「勉強には有利だ」

田端は納得していない顔でワークを開いた。

杉浦は数学の問題集を広げ、小野は読書感想文用のメモを出す。

白石は小野のメモを見て、鉛筆で小さく印をつけていた。

言葉は少ない。

ここでは声を小さくする必要がある。

そのせいか、二人の距離が少し近い。

白石が小野のメモを指さし、何かをささやく。

小野がうなずいて、メモの余白に一行書き足す。

その横顔を見ていると、昨日の教室とはまた違う白石がいた。

周りが静かなせいか、白石の落ち着きがよく分かる。

人に何かを教える時、白石は相手の手元をよく見る。急がせない。間違いをすぐ消させるのではなく、どこで迷っているのかを先に見ている。

俺は、少し感心していた。

そして、自分のノートが真っ白なままだと気づいた。

今日は参考書の候補を作る。

ついでに、パソコンを何に使うかも整理したい。

父さんに説明するには、言葉がいる。

「未来で値上がりするものを調べたい」などと言えるわけがない。

言った瞬間、たぶん家族会議になる。

俺はノートの上に、まず「参考書」と書いた。

数学。

英語。

夏休み用。

続けやすいもの。

解説が多いもの。

そこまではいい。

その下に、別の見出しを書きかけて手が止まった。

パソコン。

この単語だけだと、欲しいものをただ書いただけに見える。

父さんに見せるなら、もう少しまともな形にしなければならない。

俺は少し考えて、書き直した。

パソコンでやりたいこと。

調べ物。

タイピング。

レポート作成。

表計算。

英語。

自由研究。

書いてみると、嘘ではない。

全部、本当に使う。

ただ、全部ではない。

その「全部ではない」が、喉の奥に小さな骨みたいに引っかかる。

図書館の端には、利用者用のパソコンが何台か置かれていた。

蔵書検索用の端末と、インターネット利用の受付らしい案内。

あれを使えば調べ物はできる。

できるが、俺が本当に調べたいことには向いていない。

証券口座。しかも未成年口座。

ビットコイン。

そんなものを公共のパソコンで検索したり、ましてや何かを登録したりする気にはなれない。

誰が使ったか分からないし、時間も限られる。履歴や入力内容がどう残るのかも分からない。

学校の技術室のパソコンも同じだ。いや、むしろ学校のほうが無理だ。私的な登録や保管に使うものではない。

中学生が個人用のパソコンを欲しがる理由としては、まだ弱い。

でも、俺にとってはかなり切実だった。

「佐伯くん」

小さな声で呼ばれた。

顔を上げると、白石がこちらを見ていた。

「難しい顔してる」

「そんな顔してた?」

「うん。田端くんが英語を見てる時と、少し似てた」

「……それはかなり深刻だな」

白石が口元を押さえて笑いそうになった。

図書館なので、ちゃんとこらえている。

「参考書のリスト?」

「それもある」

「それも?」

「父さんに、パソコンを何に使うか説明できるようにしたくて」

白石は少しだけ目を丸くした。

だが、変に驚いたりはしなかった。

そのまま俺のノートを見てもいいか、というように視線を落とす。

俺はノートを少しだけ白石のほうへ向けた。

見られて困ることは書いていない。

いや、本当に困ることは書いていないはずだ。

白石はノートをじっと見た。

「いろいろ使うんだね」

「使えたら、だけど」

「お父さんに話すなら、目的と使い道を分けた方がいいかも」

その言葉に、俺は少しだけ手を止めた。

「目的と使い道?」

「うん。たとえば、目的は『勉強のため』とか『調べ物に慣れるため』で、使い道は『英語を調べる』とか『レポートを書く』とか」

「なるほど」

「あと、約束することも別にした方がいいと思う」

「約束?」

「夜遅くまで使わないとか、変なところを見ないとか、成績を落とさないとか。先に書いてあったら、お父さんも少し安心するかも」

俺は、思わず白石の顔を見た。

白石は何かおかしなことを言っただろうか、という顔をしている。

自分の言葉が、俺にとってどれくらい使えるものなのか分かっていない。

すごいな、と思った。

大げさではなく、かなり助かる。

俺は頭の中で、父さんにどう説明するかばかり考えていた。だが、父さんが何を心配するかを先に書く、という発想が少し足りていなかった。

社会人経験があるくせに、身内への交渉となると雑になる。

……いや、身内だからこそ雑になるのかもしれない。

「白石、それ、かなり分かりやすい」

「そう?」

「うん。ありがとう」

白石は少しだけ視線を落とした。

「役に立つなら、よかった」

その声が、図書館の冷房の音に混ざるくらい小さかった。

でも、ちゃんと聞こえた。

俺はノートに線を引き、三つに分けた。

目的。

使い道。

約束すること。

その横で、白石が自分のシャーペンを出し、端に小さく「お父さんが心配しそうなこと」と書き足した。

何気ない動作だった。

それなのに、俺は一瞬、胸のあたりを押されたような気がした。

白石が、俺の未来計画の一部に触れている。

もちろん、未来のことは何も知らない。投資も、ビットコインも、俺が戻ってきたことも知らない。

それでも、父さんに説明するための紙に、白石の文字が入った。

まずいな、と思った。

何がまずいのか、うまく言えない。

ただ、その小さな字が、妙に消しづらく見えた。

◇ ◇ ◇

昼前になると、田端の集中力が目に見えて落ちた。

最初は英語のワークを開いていた。

途中から、単語の横に謎の絵を描き始めた。

今は消しゴムの角を整えている。

勉強している人間の動きではない。

「田端」

「はい」

「消しゴム職人になる前に、そこ終わらせろ」

「職人の道も厳しい」

「英語のほうがまだ近いかもな」

田端は小さく唸りながらワークへ戻った。

杉浦は数学の問題に詰まっている。

小野は読書感想文の書き出しを何度も読み返していた。そこまでまじまじと見るような物なのかは疑問だが、これが小野のやり方なのだろう。

白石は俺のメモを見た後、自分の宿題に戻っている。

静かな時間だった。

外ではたぶん、太陽がかなり強くなっている。

でも図書館の中は涼しく、紙をめくる音と、遠くで椅子を引く音だけがする。

夏休みの初日。

学校ではない場所。

机を囲む友人たち。

昔の俺は、こういう時間をどこか面倒だと思っていたかもしれない。

早く帰りたいとか、ゲームしたいとか、宿題なんて後でいいとか。

今でも少しは思う。

思うが、その少し後ろに、これはたぶん後から思い出すやつだ、という変な確信があった。

白石が、ふと顔を上げた。

「佐伯くん」

「うん?」

「参考書、数学は解説が多い方がいいと思うよ」

「やっぱり?」

「うん。佐伯くん、考え方は分かってるのに、途中で急ぐ時があるから」

「よく見られてるな」

「ごめんね」

「いや、合ってる」

白石は少し申し訳なさそうにした。

俺は苦笑して、参考書リストの数学の横に「解説多め」と書き足した。

「英語は?」

「田端くんが使っても分かるくらいのもの」

「急に基準が低くなった」

田端が顔を上げた。

「今、俺の話した?」

「してない」

「した顔だった」

「英語やれ」

「はい」

田端はまたワークに戻った。

小野が笑いをこらえ、杉浦も肩を揺らしている。

白石は、ほんの少しだけ楽しそうだった。

こんなふうに笑う白石を見られるなら、図書館に来た意味はもう半分くらい達成している気がする。

いや、そういうことを考えるな。

今日の目的は宿題と参考書リストだ。

俺はノートへ視線を戻した。

白石が書いた小さな文字が、まだ端に残っている。

お父さんが心配しそうなこと。

その言葉の下に、俺は書き足した。

使う時間。

見る場所。

成績。

お金。

最後の「お金」で、手が止まる。

パソコンを買うには金がいる。

参考書もただではない。

父さんに頼むなら、先に何を買うのか、いくらくらいなのか、ちゃんと示すべきだ。

昨日、父さんは「必要なら先に相談しろ」と言った。

それはつまり、相談すれば可能性があるということだ。

俺は参考書リストの横に、もう一つ書いた。

値段を見る。

領収書。

そこまで書いて、少しだけ笑いそうになった。

中学生が参考書を買うだけで、こんなに手順を考えている。

前の俺なら、面倒くさくてたぶん母さんに丸投げしていた。

でも今は、こういう小さな手順が後で効くと分かっている。

会社で学んだことが、まさか中二の参考書代交渉に活きるとは思わなかった。

人生、使い回せる経験の方向が妙だ。

◇ ◇ ◇

昼前に、俺たちは図書館の外へ出た。

自動ドアが開いた瞬間、熱気が体にまとわりついた。

中が涼しかったぶん、外の暑さが余計に強い。

「暑っ」

田端が素直に言った。

「大臣、語彙」

「暑いものは暑い」

「それはそう」

杉浦が自転車置き場の方を見ながら、腕時計を確認した。

「俺、昼飯までに帰る。午後、少し走ってくる」

「部活休みでも走るのか」

「走らないと明日の部活がきつい」

「運動部は偉いな」

「佐伯も走る?」

「遠慮しておく」

杉浦は笑って、自転車を取りに行った。

小野は鞄からメモを出して、白石に見せている。

「今日のやつ、帰ったら少し書いてみる」

「うん。詰まったら、次の図書館の日に見よう」

「助かる」

次の図書館の日。

自然にそんな言葉が出た。

夏休みの予定が、一回きりではなくなり始めている。

田端は「次も十時?」と少し不満そうに言った。

小野が「たぶん」と返し、田端は大げさに肩を落とした。

白石はそのやり取りを見て、少し笑っていた。

その後、駅前の書店の話になった。

参考書の値段を見るなら、帰りに少し寄れる。

ただ、今日は買わない。

父さんに先に相談する。

そう言うと、田端が不思議そうな顔をした。

「参考書って、そんなちゃんと相談して買うもんなの?」

「金を出すのは父さんだからな」

「俺なら、欲しいって言って終わり」

「田端はそれで通るのか」

「通らない時もある」

「だろうな」

そんな田端との会話を聞いて、小野が驚いたように口を開いた。

「佐伯くん、ちゃんとしてるね」

「ちゃんとしないと、あとで困る」

「なんだか、大人みたい」

小野の何気ない一言に、俺は少しだけ固まった。

大人みたい。

そう言われるたび、喉の奥が妙に詰まる。

白石がこちらを見た。

何かを感じ取ったのかもしれない。

でも、何も聞かなかった。

代わりに、白石は俺のノートを軽く指さした。

「さっきのメモ、お父さんに見せるなら、字は少し丁寧にした方がいいかも」

「そこか」

「うん。佐伯くん、考えてることは分かりやすいのに、字が急いでる」

小野が笑い、田端が「それは分かる」と大きくうなずいた。

「田端に言われるのは納得いかない」

「俺、字だけは読める」

「文字が読めるだけで偉い世界かよ」

「そういう世界で生きてる」

白石がまた小さく笑った。

俺は鞄の中のノートを思い出す。

目的。

使い道。

約束すること。

お父さんが心配しそうなこと。

そこに、もう一つ足すべき項目ができた。

字を丁寧に。

かなり基本的だ。

だが、基本ほど忘れる。

図書館の前で解散する時、白石が少しだけこちらに残った。

小野と田端は次の予定の話をしていて、杉浦は自転車を押している。

「佐伯くん」

「うん?」

「さっきのメモ」

「メモ?」

「ずっと前から考えてたみたいだった」

心臓が、少しだけ変な動きをした。

白石はまっすぐこちらを見ている。

責めているわけではない。

ただ、気づいたことを言っているだけの顔だった。

「そんなふうに見えた?」

「うん。参考書だけじゃない気がした」

俺はすぐには答えられなかった。

本当のことは言えない。

未来から戻ってきたことも、これから伸びる株のことも、ビットコインのことも。

でも、完全に嘘で塗りつぶすのも違う気がした。

「まあ……いろいろ、考えてる」

結局、そんな曖昧な答えになった。

白石は少しだけ首を傾げる。

「いろいろ」

「うん。説明するには、もう少し整理がいるやつ」

白石は何かを聞きかけたように見えた。

けれど、すぐに口を閉じた。

「じゃあ、整理するの、手伝えるところがあったら言ってね」

そう言って、白石は鞄の持ち手を握り直した。

俺は、たぶん少し遅れてうなずいた。

「ありがとう」

そこで終わりにしようとして、ふと気づいた。

次の図書館の日も、参考書を見に行く日も、細かい時間を決めるには連絡先がいる。

学校で毎日顔を合わせていた時はそれでよかったが、夏休みはそうはいかない。

「あのさ、白石」

「うん?」

「連絡先、交換してもいいか。時間を決める時に、その方が楽だと思う」

言ってから、少しだけ言い訳っぽかったかもしれないと思った。

でも、白石は一度まばたきをして、それから小さくうなずいた。

「うん。私も、その方が助かる」

白石は鞄からガラケーを出した。

俺も自分のガラケーを開く。

メニューを探して、赤外線通信の項目を選ぶ。

赤外線ポートを向かい合わせるだけのことなのに、妙に緊張した。

携帯同士を近づける距離が、思ったより近い。

「これでいいのかな」

「たぶん。受信にして」

「うん」

送信。

画面に完了の文字が出る。

白石のガラケーにも、俺の名前が登録されたらしい。

白石は画面を少し見てから、口元をゆるめた。

「佐伯くん、登録できた」

「俺も。白石、入った」

ただの連絡先交換だ。

それだけなのに、ガラケーの小さな画面に白石の名前があるのを見て、少しだけ落ち着かなくなった。

白石は小さく笑った。

そのあと、小野に呼ばれて、白石はそちらへ歩いていった。

俺は図書館の入口に立ったまま、しばらく鞄の重さを感じていた。

宿題とノートと、まだ誰にも言えないこと。

そこに、白石の小さな字が一行だけ混ざっている。

お父さんが心配しそうなこと。

俺はその文字を思い出しながら、今日帰ったら父さんに参考書の相談をしようと決めた。