軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第十一話「まずは期末テストで信用を稼ぐ」

タイムリープしても、朝ご飯は自動で豪華にならない。

人生無双という言葉には、どうも生活感が足りない。

「悠真、今日も早いのね」

母さんが俺の茶碗にご飯をよそいながら言った。

「ちょっと早めに行く」

「また勉強?」

「まあ、そんな感じ」

「いいことだけど、急に頑張りすぎると続かないわよ」

「分かってる」

続ける。

むしろ、そこが一番大事だ。

宝くじの番号は覚えていない。

ビットコインはウォレットで詰まる。

NVIDIA株は買う金も口座もない。

結局、中学生の俺が最初に積むべきものは、金ではなく信用だった。

地味すぎる。

だが、将来パソコンを自由に使いたいなら、投資の話を少しでも聞いてもらいたいなら、今ここで結果を出すしかない。

俺は味噌汁を飲み干し、鞄を持って家を出た。

◇ ◇ ◇

教室の空気は、まだ完全には戻っていなかった。

榊原の席には鞄がある。

本人も来ている。

ただ、以前のように教室の真ん中で笑ってはいない。

取り巻きの女子と話してはいるが、声は少し低かった。

森下は男子の輪から半歩ずれている。

サッカー部の連中と話していても、笑い方がぎこちない。

田端はいつも通り、席に鞄を投げるように置いていた。

そして、白石は自分の席にいた。

未来で消えたはずの彼女が、今日も教室にいる。

俺が席に向かうと、白石がちらりとこちらを見た。

目が合う。

「おはよう、佐伯くん」

昨日よりほんの少しだけ、声が自然だった。

「おはよう」

俺も短く返す。

その瞬間、教室の端から小さな視線が刺さった。

榊原だ。

表情は笑っていない。

俺は彼女からすれば、空気を壊した上に先生まで引っ張り出した面倒な男子だ。

ただ、今は手を出してこない。

「悠真」

田端が後ろから肩を叩いてきた。

「朝から白石さんと挨拶とか、青春してんな」

「挨拶しただけだ」

「その『挨拶しただけ』ができない男子もいるんですよ」

「お前か」

「俺です」

堂々としていた。

少しは恥じろ。

そのとき、チャイムが鳴った。

高村先生が教室に入ってくる。

手にはプリントの束。

嫌な予感がした。

「おはようございます。今日は期末テストの範囲表を配ります」

教室のあちこちから、低いうめき声が上がった。

そうだ。

六月下旬。

一学期の期末テストが近い。

俺は一瞬、胸の中で拳を握った。

来た。

信用を稼ぐ最初の機会。

定期テストで結果を出せば、父さんに参考書を買ってもらう話も進む。

教師からの見方も変わる。

クラス内での立ち位置も変えられる。

中学生の世界では、テストの点は分かりやすい通貨だ。

高村先生が範囲表を配る。

俺の机にも、一枚のプリントが置かれた。

国語。

数学。

英語。

理科。

社会。

副教科もある。

範囲の文字を追っていく。

国語は文章読解と漢字。大人の読解力がかなり効くはずだ。

社会は地理と歴史の混合。多少忘れていても、流れを思い出せばいける。

英語は文法と単語。これは努力で埋められる。

問題は数学と理科だった。

連立方程式。

一次関数の導入。

化学変化。

質量保存。

電流。

(あれ、思ったより忘れてるな)

背中に冷たいものが走った。

中学の勉強なんて、大人なら余裕。

そう考えていた時期が、俺にもあった。

だが、現実は違う。

国語や社会は大人の経験で補える。

でも数学は、手を動かしていないと普通に錆びる。

理科も用語が抜けている。

三十二歳の精神があっても、質量保存の法則は勝手に答案用紙へ降ってこない。

「終わった」

隣で田端が範囲表を見ながら言った。

「まだ始まってもいない」

「始まる前に終わることもあるんだよ」

「名言っぽく言うな」

「なあ悠真、これ何からやればいいの」

田端が珍しく真面目な顔で範囲表を見せてきた。

この数日の件以来、田端は俺を少し便利そうな目で見ている。

「まず提出物」

「え」

「ワークとかプリントとか、出さないと点が引かれるやつ。テスト以前にそこを落とすな」

「そこから?」

「そこから。中学生の定期テストは、実力勝負に見えて提出物ゲーでもある」

「お前ほんと何者?」

「提出物に泣いたことのある者」

実際、過去の俺は何度も泣いた。

提出期限という概念は、大人になってからもずっと人類を苦しめ続けた。

俺は範囲表の端に、ざっくりと優先順位を書いた。

提出物。

暗記で取れる科目。

数学の基本問題。

理科の用語。

応用問題は最後。

未来知識ではなく、ただの段取りだ。

だが、段取りは強い。

少なくとも、何も考えずに教科書を一ページ目から読むよりはましだ。

「悠真、これ写していい?」

「いいけど、自分でやらないと意味ないぞ」

「写してから自分でやる」

「それは自分でやると言うのか」

田端は返事をしなかった。

たぶん言わない。

ホームルームが終わり、教室がざわつき始める。

範囲表を見て騒ぐやつ、もう諦めているやつ、部活の大会と重なったと嘆くやつ。

俺が範囲表を鞄にしまおうとしたとき、前のほうで小さな音がした。

ぱさり。

白石の机の横に、ノートが落ちていた。

彼女が慌てて拾おうとする。

だが、表紙が開き、中のページが少し見えた。

思わず目が止まる。

きれいだった。

ただ字がきれいというだけではない。

日付、単元名、先生が黒板に書いた内容、自分で補足したらしい小さなメモ。

色ペンは少ないが、重要なところだけ線が引かれている。

俺の英語ノートが、いじめの時系列メモとビットコインの保管計画で混沌としているのとは大違いだった。

「ごめん、見えた」

俺が言うと、白石は少しだけ頬を赤くした。

「ううん。大丈夫」

「ノート、すごいな」

「え?」

「整理されてる。これ、テスト前にかなり強いと思う」

白石は目を瞬かせた。

褒められる準備をしていなかった顔だ。

「そんな、普通だよ」

「普通じゃない。少なくとも俺のノートより百倍まとも」

「佐伯くんのノート、そんなに」

「人生攻略ノートになってる」

「何それ」

白石が小さく笑った。

その笑い声に、田端がすぐ反応する。

「白石さん、ノートきれいなの?」

「え、うん。たぶん」

「貸して」

「いや、いきなりすぎるだろ」

「だって俺のノート、寝てた日の黒板が空白なんだよ」

「寝てた自覚があるなら起きろ」

田端は俺の言葉を軽く流し、白石に向き直った。

「白石さん、頼む。俺を赤点から救って」

白石は困ったように俺を見る。

ただ、ここで白石が田端にノートを貸すことには意味がある気がした。

助けられるだけではなく、誰かの役に立つ。

それは、白石が教室に居続ける理由の一つになる。

「田端は扱いが雑だけど、ノートを破ったりはしない」

「たぶん」

「そこは断言しろ」

白石は少し迷ってから、ノートを一冊差し出した。

「見るだけなら」

「ありがとう。白石さん、神」

「神とか軽く言うな」

田端がノートを開いた瞬間、目を丸くした。

「うわ、見やす」

「だろ」

「お前が自慢することじゃないけどな」

白石がまた少し笑う。

教室の空気が、ほんの少しだけ柔らかくなった気がした。

榊原のほうから、刺すような視線が来ている。

だが、白石は俯かなかった。

◇ ◇ ◇

昼休み。

田端は白石のノートと俺の範囲表メモを並べ、絶望した顔で弁当を食べていた。

「なあ悠真」

「何」

「俺、今まで何をしてたんだろうな」

「授業中に寝てた」

「答えが早い」

「事実だからな」

田端は卵焼きを口に放り込む。

「悠真、勉強教えて」

その言葉は、思ったより真面目だった。

からかいではない。

本当に少し危機感を覚えているらしい。

「俺も完璧じゃないぞ」

「でも、今の俺よりは分かってるだろ」

「それは否定しない」

「否定しろよ」

「嘘はよくない」

田端はうなだれた。

俺は範囲表を見直す。

田端に教えるなら、自分の復習にもなる。

誰かに説明できるかどうかは、理解度を測る一番手っ取り早い方法だ。

説明できない部分は、自分も分かっていない。

「放課後、少しなら」

俺が言うと、田端の顔がぱっと明るくなった。

「まじで?」

「提出物の確認からな」

「そこ飛ばせない?」

「飛ばした瞬間に終わる」

田端は大げさに肩を落とした。

そのとき、少し離れた席から白石がこちらを見ていることに気づいた。

目が合うと、彼女は一瞬だけ迷う。

それから、ノートを胸に抱えるようにして、こちらへ来た。

「あの」

声は小さい。

でも、前よりはっきりしていた。

「私も、一緒にいいかな」

田端が口を開けた。

俺も少し驚いた。

白石が自分から言った。

誰かに促されたわけではなく、自分の意思で。

「勉強?」

「うん。佐伯くんの範囲の分け方、少し気になって」

「俺の?」

「全部を同じようにやらないんだなって。私、いつも全部ちゃんとやろうとして、時間が足りなくなるから」

なるほど。

白石らしい。

真面目で、几帳面で、全部をきちんとやろうとする。

それは強みだ。

だが、テスト直前には重荷にもなる。

「いいと思う」

俺はうなずいた。

「ただ、俺も教えるっていうより、一緒に整理する感じになる。数学は普通に忘れてるし」

「佐伯くんでも忘れるの?」

「大人っぽく見えても、脳内に教科書が保存されてるわけじゃない」

「大人っぽく見えてる自覚はあるんだ」

「そこはある」

白石がまた笑った。

今度は、田端も一緒に笑う。

教室の中で、三人だけの小さな輪ができた。

それを見て、胸の奥に不思議な感覚が広がる。

俺はこの数日で、白石を消えないようにした。

でも、それだけでは足りない。

学校に来るだけでは、居場所とは言えない。

誰かと話す。

役に立つ。

頼る。

頼られる。

そういう小さな積み重ねが、たぶん居場所になる。

「じゃあ、放課後。図書室でどうだ」

俺が言うと、田端が手を上げた。

「図書室って寝たら怒られる?」

「寝るな」

「厳しい」

「テスト前だからな」

白石はノートを抱えたまま、小さくうなずいた。

「私、まとめノート持っていく」

「助かる。俺は範囲を整理しておく」

「俺は?」

田端が自分を指さす。

「提出物を持ってくる」

「一番つらいやつ」

「一番大事なやつ」

田端は机に突っ伏した。

白石が、少しだけ肩を揺らして笑った。

放課後の約束。

たったそれだけのことだ。

けれど、二回目の中学生活では、こういう約束一つが未来を変える。

金を稼ぐための信用。

学校に居続けるための居場所。

全部が、少しずつつながっていく。

白石はノートを胸に抱え直し、控えめに言った。

「佐伯くんの勉強の仕方、少し見てみたい」

その言葉を聞いて、俺は範囲表を折りたたんだ。

未来知識だけでは、期末テストは解けない。

でも、二回目の俺には、前の俺にはなかったものがある。

田端の雑な明るさ。

白石のきれいなノート。

そして、今度こそちゃんとやろうとする俺自身。

まずは期末テスト。

ここで、信用を稼ぐ。