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「価値なし」と王子に婚約破棄されそうになった子爵令嬢ですが、見つけたのは王家を裁く建国契約でした

作者: Vou

本文

「なぜ王子の俺が、子爵家の令嬢などと婚約せねばならんのだ」

王国の第三王子セドリックは、婚約者である子爵令嬢リディア・ヴァレンベルクにそう言い放った。

「品位も教養も足りん。会話をしても退屈だ。俺はおまえに何の価値も見出せない」

そこまではっきり言われ、リディアは顔がかっと熱くなるのを感じた。

恥ずかしさと申し訳なさで、どうしたらよいのか分からなかった。

「申し訳ございません……」

「謝ったところで、おまえの価値のなさはどうにもならん」

リディアは深く頭を下げた。

そのまま、もうセドリックの顔を見ることができなかった。

「だが、一つだけおまえの価値を見出すための機会をやる」

リディアは顔を上げて、セドリックの顔を見た。

「この王都には、 探しものの馬車(ロスト・キャリッジ) という辻馬車が走っているらしい。乗客の探しものを見つける馬車だそうだ。ものでも人でも場所でも、何でもな」

「 探しものの馬車(ロスト・キャリッジ) ……」

「俺の伝手でその馬車の手配ができそうでな。俺は本来、その馬車で俺に相応しい婚約者を探すつもりだった。だが、すでにおまえという婚約者がいて困っている」

セドリックは、まるで本当に迷惑を被っているというように眉をひそめた。

「父上も兄上も、この婚約には意味があるなどと言う。だが俺には分からん。おまえにどんな価値があるのか、俺自身の目で確かめてやる」

セドリックは薄く笑った。

「そこで、先におまえに馬車を使う権利をやる。馬車に、おまえの『価値』を探させるのだ」

「私の、価値……」

「もし王家に相応しい価値が見つかれば、婚約を継続してやる。もし見つからなければ、おまえは自ら婚約を辞退しろ」

リディアの頭が真っ白になる。

「もちろん、俺の評判に傷はつかない形でな。不貞でもしていたことにするか。おまえに残された最後の価値は、俺の名誉を守るために汚名をかぶることくらいだろう」

リディアは何も言えなかった。

自分に、王家に相応しい価値などあるはずがない。

これは、体よく婚約を破棄するための一方的な命令なのだ。

王宮の外れに、古びた辻馬車が停まっていた。

御者台の青年が、静かに帽子へ手を添え、頭を下げる。

「 探しものの馬車(ロスト・キャリッジ) の御者、アルト・ヴェルナーと申します」

「話は聞いているな」

セドリックが言った。

「この女の価値を探せ。この女が王家の隣に立つ資格を持っているかどうか、それを確かめるのだ」

「承知いたしました」

アルトはリディアを見た。

責めるでも、憐れむでもない。ただ静かな目だった。

「ただし、殿下。一つだけ申し上げておきます」

「何だ」

「この馬車が探すものは、乗る方が本当に探すべきものです。望まれた形で見つかるとは限りません」

「構わん」

セドリックは鼻で笑った。

「俺もこの女も、探すべきものはこの女の価値だ。あるならある。ないならない。それだけの話だ」

アルトはそれ以上何も言わず、馬車の扉を開けた。

リディアは震える手でドレスの裾を押さえ、馬車へ乗り込む。

「俺も乗る」

当然のように、セドリックが続いた。

「この女が御者と口裏を合わせては困るからな」

「ご随意に」

扉が閉まり、アルトが御者台に戻り、手綱を軽く鳴らす。

馬車がゆっくりと走り出した。

最初に向かうのは自分の屋敷だろう、とリディアは思った。

ヴァレンベルク子爵家は古い家だ。

けれど、それだけだ。

大きな領地もなければ、華やかな功績もない。

父は穏やかで、母も目立ったところがない。祖父も生前は、誰も読まない古い文書を大切そうに磨き、整えているだけの人だった。

何かあるとすれば、古い蔵や文書くらいしかない。

けれど馬車は、貴族街とは反対へ進んだ。

「おい」

セドリックが窓の外を睨む。

「どこに向かっているのだ。貴族街から離れているぞ」

御者台からアルトの声が返る。

「馬車が選んだ道でございます」

「俺はこの女の価値を探せと言ったのだぞ」

「はい。馬車は探しております」

アルトは表情も変えずに答えた。

やがて馬車は、王都の南門の前で止まった。

それは、王都で最も古い門だった。

今では儀礼の時くらいしか使われず、貴族が通ることもほとんどない。

石壁には蔦が絡み、門柱の根元には苔が広がっている。

「何だ、ここは」

セドリックは顔をしかめた。

「こんな古い門に何の価値がある」

リディアは馬車を降り、門の脇の石碑に目を留めた。

ひび割れた石碑に、文字が刻まれていた。

——王都と民を結んだ最初の門を、王は忘れてはならない。

「これ……」

リディアが呟いた時だった。

石碑の奥に、ほんの一瞬淡い光がひとすじ走った。

まるで眠っていた門が、何かに気づいたような光だった。

「……え?」

直後、門番小屋の扉が勢いよく開いた。

老いた男が、信じられないものを見るようにこちらへ駆けてくる。

「ヴァレンベルク様!」

老人はリディアの前で膝をついた。

リディアは戸惑った。

だが、その顔に、かすかな覚えがあった。

幼いころ、父に連れられてこの南門へ来た時、父に深々と頭を下げていた門番だ。

「もしかして、昔……父と来た時に……」

「はい。あの時はまだ、小さなお嬢様でございました」

「あ、あの、どうかお立ちください」

リディアが言うと、老人が顔を上げて立ち上がった。

「今年はご令嬢が封の確認にいらしたのですか?」

「封……?」

リディアには、老人が何を言っているのか分からなかった。

その様子を見ていたセドリックが、不機嫌に顔を歪める。

「貴様、膝をつく相手が間違っているのではないか? 俺は第三王子セドリックだぞ」

老人は慌ててセドリックにも頭を下げた。

「失礼いたしました、殿下。ですが、この南門はヴァレンベルク家の管轄でございまして」

「何?」

「王都外周結界の古い封でございます。ヴァレンベルク家の血筋に宿る印なくしては、封を確かめることができません」

「馬鹿な。王都の結界は王家と宮廷魔導師団のものだ」

「表向きは、そうでしょう」

アルトがぼそりと言った。

セドリックは舌打ちし、門へ歩み寄った。

そして王家の紋章が刻まれた指輪を掲げる。

「南門よ。第三王子セドリックの名において命じる。封を示せ」

何も起きなかった。門は何の反応も見せなかったのだ。

「聞こえなかったのか。俺は王族だぞ」

もう一度、指輪を掲げる。

それでも、石門は応えない。

門番の老人が恐る恐る言った。

「殿下。この門は、王家の命令だけでは応えません」

「何だと?」

「ここは、王都と民を結ぶ門でございます。王家の名だけで開く門ではなく、その道を守る者の印があって初めて応える門なのです」

セドリックの顔が紅潮する。

老人がリディアを見る。

「ヴァレンベルク様。石碑に手を」

「私が、ですか」

「はい」

リディアは戸惑いながら、石碑に触れた。

その瞬間、南門に淡い光が広がった。

蔦に覆われた門柱に、二つの紋章が浮かび上がる。

王家の獅子の紋章。

そして、その下で支えるように刻まれた、ヴァレンベルク家の車輪の紋章。

「封は健在でございます」

門番の老人が安堵した声で言った。

リディアは自分の手を見つめた。

触れただけだ。何かをしたわけではない。

それなのに、門は確かに彼女に応えた。

「どういうことだ」

セドリックが低く呻く。

「なぜ子爵家ごときの娘に、王都の門が応える」

門番の老人は、深く頭を下げて答えた。

「ヴァレンベルク家は、建国以来、王都と地方を結ぶ道を守ってこられた家でございます」

「道?」

「はい。戦の時には兵と兵糧を、飢饉の時には食糧を、疫病の時には医師と薬師を通す道でございます。王家が民を守ると誓っても、道が閉ざされていれば、その誓いは民へ届きません」

老人は古びた南門を見上げた。

「そして、民が王都へ逃げ込む時にも、道は要ります。ヴァレンベルク家は、王家の命令ではなく、民の命が通る道を守ってこられたのです」

「それほど重要な家なら、なぜ子爵家のままなのだ」

セドリックが吐き捨てるように言った。

門番の老人は、静かに答えた。

「昇爵のお話は、幾度もあったと聞いております。ですが、ヴァレンベルク家はそのたびに固辞されました。王家の隣で栄誉を受けるより、民へ続く道のそばにあるためだと」

リディアは息を呑んだ。

子爵家だから軽いのではない。

子爵家のままでいることに、意味があったのだ。

そして、この南門だけではない。

北方街道も、兵糧庫も、宿営地も。

リディアはふと思い起こす。

——父が毎年確認していた古い地図。

——母が冬になるたび手紙を送っていた宿営地。

——祖父が大切にしていた古文書。

それらが、急に一本の線でつながっていく。

「二十年前の北方飢饉でも、先代ヴァレンベルク様の馬車隊が、兵糧庫の封を守りながら食糧を運んでくださいました」

「祖父が……?」

「はい。雪で街道が塞がりかけ、王都からの兵糧が届かなくなった時、先代様は古い封を開き、忘れられていた補給路を通されたのです。あの馬車が来なければ、冬を越せなかった兵も民もおります」

老人は、深く頭を下げた。

「私の息子も、その一人でございます」

リディアは何も言えなかった。

祖父はただ、古い文書を管理するだけの、静かな人だと思っていた。

けれど、その古文書には、民を守るための道が記されていたのかもしれない。

「くだらん」

セドリックが吐き捨てた。

「古い門が光っただけだ。昔の功績を並べたところで、今のリディア自身に価値があるわけではない。祖先や先代の働きを、この女の価値だと言うつもりか」

リディアは小さく肩を震わせた。

それは、彼女自身も思っていたことだった。

家に歴史があっても、それは父や祖先のものだ。

自分が何かをしたわけではない。

アルトは静かに馬車の扉を開けた。

「では次に参りましょう」

馬車は王宮へ戻った。

ただし、正面の門ではない。

王宮の裏手にある、小さな石扉の前だった。

セドリックの顔色が変わる。

「ここは……」

石扉には二つの紋章が刻まれていた。

王家の獅子。

ヴァレンベルク家の車輪の紋章。

「この奥に、探しものがあるようです」

アルトが言った。

「待て。ここは王家の地下神殿だ。勝手に入ることは許されない」

「殿下は、リディア様の価値を探せとお命じになりました」

「だからといって、ここへ入れとは言っていない!」

「ですが、馬車が選びました」

セドリックは舌打ちし、荒い足取りで扉へ向かった。

「どけ。王族である俺が開ける」

指輪を押し当てる。

すると王家の紋章が一瞬だけ光った。

しかし——扉は開かなかった。

「開け。第三王子セドリックの名において命じる」

石扉は沈黙していた。

「なぜだ……」

「王家だけでは開かないのでは?」

アルトが言った。

「馬鹿な……」

セドリックが吐き捨てるように言った。

アルトはリディアへ向き直る。

「リディア様。扉に手を」

リディアは恐る恐る石扉に触れた。

車輪の紋章が光る。

続いて、王家の紋章も光った。

二つの光が重なり、扉が開いた。

地下へ続く階段が現れる。

リディアは震えながら進んだ。

セドリックも青ざめた顔で後に続く。

地下神殿の中央に、古い台座があった。

そこに置かれていたのは、王冠でも宝石でもない。

古びた一枚の車輪。

そして、一枚の契約書だった。

セドリックが契約書を奪うように手に取った。

アルトが横からその文書を見る。

「建国の契約書のようですね」

そこには、短くこう記されていた。

——王家は民を守る。

——ヴァレンベルク家は、王都と民を結ぶ道を守る。

——王家がその道を忘れ、民へ兵も食糧も薬も届けぬ時、ヴァレンベルク家の車輪は王家のために回らない。

その下には、初代国王の名と、ヴァレンベルク家初代当主の名が並んでいた。

「……そんな」

リディアは声を失った。

自分の家が、そんなものを受け継いでいたなんて知らなかった。

けれど、知らなかっただけだった。

父が毎年南門へ向かっていた理由も。

母が宿営地への支援を欠かさなかった理由も。

祖父が古文書を宝物のように磨いていた理由も。

全部、ここにつながっていたのだ。

「くだらん」

地下神殿に、セドリックの声が響いた。

「こんな古い紙切れで、俺を脅せると思うな。まるで王家が子爵家に認められてきたような内容ではないか。馬鹿な話だ」

彼は契約書を台座へ叩きつけるように戻した。

「王は王だ。王家の血こそが、この国を支配する。民へ道を通してやるのも、食糧を分けてやるのも、すべて王家の慈悲だ。子爵家ごときが王家の資格を測るなど、思い上がりも甚だしい」

リディアは思わず顔を上げた。

胸が震えていた。

怖くないわけではない。

声だって、きっと震える。

それでも、言わなければならないと思った。

「殿下」

「何だ」

「これは、古い紙切れではありません」

セドリックの目が細くなる。

「何?」

「これは王国を……王国の民の明日のために、誰かが守り続けた約束です」

リディアは胸元で手を握った。

「私は、今日まで何も知りませんでした。自分の家が何を守ってきたのかも、父や母や祖父が何を続けてきたのかも、何も」

声は震えていた。

けれど、俯かず、まっすぐセドリックを見た。

「でも、知らなかったからといって、侮辱してよいものではないと思います」

セドリックの顔が怒りに歪んだ。

「子爵家の娘が、俺に意見するのか」

「いいえ」

リディアは静かに首を振った。

「王家に相応しい価値が、今の私にあるかは分かりません。けれど、殿下が王家に相応しい方かどうかは、今のお言葉で分かりました」

地下神殿が静まり返った。

セドリックが、凍りついたようにリディアを見る。

その沈黙の直後。

低い鐘の音が鳴った。

一度。

二度。

三度。

壁に刻まれた王家の紋章から、光が消える。

「な、何だ……」

ほどなくして、階段の上から慌ただしい足音が聞こえた。

「そこまでだ、セドリック」

静かな声だった。

だが、その場の空気を一瞬で支配する声だった。

階段を下りてきたのは、国王だった。

その隣には、第二王子エドワルドの姿もある。

リディアは一瞬だけ、エドワルドと目が合った。そこにあったのは哀れみではなく、静かな敬意だった。

「ち、父上……兄上……」

セドリックは慌てて姿勢を正した。

「なぜここにいる?」

「これは、その、誤解です。私はただ、この女が王家に相応しいかを——」

「黙れ、セドリック」

第二王子エドワルドが遮った。

「契約の鐘の音が確かにした」

「契約の鐘……? 先ほどの鐘の音ですか?」

エドワルドが頷く。

「この地下神殿で、王族が建国契約に背く言葉を発した時、王の間へも同じ鐘が響くよう定められているのだ。王家自身が、己の忘却を見逃さぬために作った仕掛けだ」

「何ですか……それは……?」

「おまえが測っていたのは、リディア嬢の価値ではない。王家が建国契約を守るに足るかどうかだ。測られるのはヴァレンベルク家の者ではない。王家の側なのだ。あえておまえの言葉を使うならば、それがリディア嬢の価値なのだ」

国王は台座の契約書を見た。

そして、リディアへ向き直る。

深く、頭を下げた。

「リディア・ヴァレンベルク嬢。第三王子の愚行、王家を代表して詫びる」

「お、おやめください、陛下!」

リディアは慌てて首を振った。

けれど国王は、すぐには顔を上げなかった。

「ヴァレンベルク家は、王家に選ばれた家ではない。王家が、ヴァレンベルク家に認められてきたのだ」

国王は静かに続けた。

「王家の命令が民へ届く道。民の嘆きが王都へ届く道。この者はその道を守ってきた家のお方の価値を測るなどと侮辱した。謝罪せねばならぬ」

セドリックが叫んだ。

「父上! なぜ王が、子爵家の娘などに頭を下げるのですか!」

国王はゆっくりとセドリックを見た。

「まだ分からぬか」

その声には、怒りより深い失望があった。

「セドリック。王国は王冠でできているのではない。玉座でも、血筋でもない」

国王は、台座の古い車輪を見た。

「民が明日も歩ける道だ。飢えた時に届くパンだ。病に倒れた時に届く薬だ。逃げる者を乗せる馬車だ」

そして、セドリックへ視線を戻した。

「王国の民へと続くその道を守ってきた家を、おまえは侮辱したのだ。おまえに王族を名乗る資格はない」

「父上……」

「おまえを王位継承順位から外す。加えて、王族としての公務をすべて停止する。明日より北方街道の修復隊へ入れ」

「なっ……私に、泥道を直せと?」

「そうだ」

国王は冷たく告げた。

「おまえが価値なしと笑ったものが、どれほど王国を支えているか。その身で学べ」

セドリックは膝から崩れ落ちた。

その翌朝。

北方街道へ向かう修復隊の集合場所に、セドリックの姿があった。

豪奢な礼服ではない。

泥を防ぐための作業用の上着と、固い革靴。

「なぜ俺がこんな目に……」

セドリックは青ざめた顔で呟いた。

その時、修復隊の隊長が書類を確認して言った。

「出発前に、宿営地の通行許可を取ります。北方街道の第三宿営地は、古い封の内側にありますので」

「通行許可?」

「はい。ヴァレンベルク家の印がなければ、宿営地には入れません。王家の名であっても通ることはできません」

セドリックの顔が強張った。

隊長は事務的に続ける。

「どうぞお急ぎください。許可状がなければ、あなたは泥道を直す場所にすら辿り着けません」

周囲の兵たちは、誰も笑わなかった。

けれど、沈黙そのものが答えだった。

かつて彼が「価値なし」と笑った家の印がなければ、彼は罰を受けることすらできなかった。

リディアとセドリックの婚約は、王家の責任で白紙に戻された。

リディアに不名誉は一切なかった。

それどころか、王宮では建国契約の再調査が命じられ、ヴァレンベルク家が王国の道と封を守ってきた家であることが、改めて貴族たちの前で読み上げられた。

合わせて、その場でセドリックの王位継承順位除外も正式発表された。

けれど、リディアの胸にあったのは誇らしさだけではなかった。まして、セドリックをやり込めた清々しさでもない。

自分は何も知らなかった。

父が何を守っていたのか。

母がなぜ、古い宿営地への手紙を欠かさなかったのか。

祖父がなぜ、誰も読まない古文書を大切にしていたのか。

知らないまま、ただ俯いていた。

だから、まずは学びたいと思った。

ヴァレンベルクの名に恥じない人間になるために。

夜明け前。

リディアは王宮の外に停まっていた辻馬車へ向かった。

「お帰りになりますか、リディア様」

御者台のアルトが尋ねる。

リディアは少し考えて、首を振った。

「いいえ。南門へ行きたいのです」

「南門へ?」

「はい。父が毎年していた祈りを、私も覚えたいので」

アルトは、ほんの少しだけ目を細めた。

「本日の探しものは、見つかりましたか」

リディアは胸に手を当てた。

「まだ、見つかったとは言えません」

それから、静かに続ける。

「でも、探すべきものは分かりました」

アルトは何も言わず、馬車の扉を開けた。

リディアは乗り込む。

アルトが手綱を軽く鳴らす。

馬車がゆっくり走り出した。

夜明け前の王都の石畳を、南門へ向かって。

かつて民が逃げ、若き初代王が膝をつき、ヴァレンベルク家の祖先が最初の道を開いた場所へ。

自分はまだ小さい。

何も知らない。

王家に相応しい価値があるかと問われても、今の自分には胸を張って答えられない。

けれど、もう自分に価値がないとは思わなかった。

これから学べばいい。

これから歩けばいい。

父が守ってきた道を。

母が支えてきた人々を。

祖先が残した誓いを。

いつか、自分の足で受け継げるように。

南門が見えてきた。

朝焼けの光を受けて、古い石門が淡く輝いている。

その門の前に、ひとりの青年が立っていた。

それは第二王子エドワルドだった。

リディアは驚いて馬車の窓を開ける。

「殿下……?」

「先に来てしまった。あなたが、きっとここへ来る気がしたから」

エドワルドは少しだけ照れたように目を伏せた。

「王家の者として、この門の意味を学ばねばならない。それは本当だ」

それから、彼はリディアをまっすぐ見た。

「だが、それだけではない。昨日、あなたがセドリックと対峙していた時、私は思ったのだ。隣に立ちたいと思える人とは、こういう人なのだと。突然、こんなことを言って戸惑わせてしまうかもしれないが……」

リディアの胸が高鳴った。

「教えてくれるだろうか。ヴァレンベルク家が、何百年も続けてきた祈りを。王子としてではなく、私自身として、あなたの隣で学びたい」

リディアは、ゆっくりと頷いた。

「はい」

その声は、もう震えていなかった。

馬車は朝焼けの中で静かに止まる。

探しものを見つけた者ではなく、これから探し続ける者を乗せて。

そしてその道の先には、彼女の歩みに並ぼうとする人が、待っていた。