作品タイトル不明
リリアーナ達、帰る
翌朝。
窓から差し込む朝の光が、静かに部屋を満たしていた。
朝食を終え、皆が固唾を飲んで見守る中――
リリアーナはレオンの前に膝を折り、ゆっくりと手を伸ばした。
包帯をほどく指先が、小さく震える。
「……目を、開けてみて」
囁くような声。レオンは一度、息をのみ込み――おそるおそる、瞼を開いた。
そこに現れたのは、
夜明けの空にも似た深い色――
団長と、同じ色の瞳。
世界が、再び姿を取り戻す。
「レオン……見えるのか?」
震える声で、団長が問う。
沈黙の後、少年はゆっくりと笑った。
「…………見えるよ、父さん」
それは、祈りが叶った瞬間の声だった。
団長は堰を切ったように息を吐き、レオンを強く、強く抱きしめた。
リリアーナは、ほっとしたようにその場へ座り込む。肩が小さく震えるのを、エドモンドは見逃さなかった。団長の弟は言葉を失い、
エドモンドもまた、ただ驚愕に目を見開いていた。
そんな中ひとり――ラニアだけは静かに、変わらず、すべてを知っていたかのようにリリアーナを見つめている。
奇跡は、確かに訪れた。
あまりにも静かに。
リリアーナは力が抜けたように座り込み――
そのまま、すとん、と意識を手放した。
一昨日は不安に押され眠れず、昨夜は緊張に縛られて一睡もしていない。さらに、繊細な魔力操作と大量の魔力消費。
疲れ果ててしまうのも、無理はなかった。
「リリアーナ!」
異変に気づいたエドモンドがすぐに駆け寄る。小さく胸が上下しているのを確認して、ほっと息をつく。
「寝てるだけだよ。きっと、しばらく起きないよ」
ラニアは落ち着いた声で言った。
エドモンドはリリアーナを慎重に抱き上げ、
客室のベッドへと運んでいった。戻ってきた彼を、騎士団長とレオンが待ち受けていた。
「……本当に、ありがとう」
騎士団長は深く頭を下げる。
「礼なら、リリアーナに」
エドモンドは静かに答えた。
「では、彼女が目を覚ましたら、きちんと伝えさせてもらおう。ラニア、君にも……ありがとう」
そう言われ、ラニアはどこか照れたように視線を外す。
「ぼくは、少し手伝っただけだよ」
その言葉を聞いていたレオンは、ちらりとラニアを見る。
リリアーナを導いていたあの声――まさか、こんな幼い子供だったなんて。しかも、どうしようもなく可愛らしい。
「……あ、あの……ありがとう……」
耳まで真っ赤になりながら、
しどろもどろに礼を言うレオン。
エドモンドと騎士団長は、二人の様子をどこか微笑ましく見守っていた。静けさの中で、
ようやく本当の安堵が訪れ始めていた――。
リリアーナが目を覚ましたのは、お昼近く。
ぼんやりと天井を見上げ、ゆっくりと身体を起こす。
(……ここは、どこだっけ……?)
あたりを見渡しても、誰の姿もない。
レオンの目が見えるようになった後――そこで記憶が途切れていた。ふと、外から賑やかな声が聞こえてくる。カーテンをそっと開けると、庭の光景が視界に広がった。
騎士団長とエドモンドが、剣を交えている。
団長の動きは相変わらず鋭く、堂々としている。けれどエドモンドも、魔力の扱いが格段に上手くなっていた。
力は互角――だが、経験と速さの分だけ団長に軍配が上がる。
「参りました」
エドモンドの声が風に乗って届いた。
少し離れた場所では、レオンとラニア。
レオンが一生懸命、何やら話している。
ラニアは半歩ほど距離を取りつつ、そっけなく返していた。
その後ろでは、団長の弟が静かに見守っている。
廊下の方から、スープの良い香りが漂ってきた。リリアーナのお腹が小さく鳴る。気を取り直し、外へ足を向けた。
「ご、ごめんなさい。寝ていたみたいです……」
恥ずかしそうに言うリリアーナに、
「疲れていたのだろう。もう大丈夫なのか?」
団長が優しく問いかける。
「はい、もう平気です」
「ならば――少し寝起きの運動でもどうだ?」
団長はにやりと笑った。
「運動……とは?」
「手合わせだ。強くなったところを見せてもらおう」
楽しげな声音に、リリアーナは苦笑する。
「……スカートなので、できません」
「おい、何か貸してやれ」
団長は弟に声をかけた。
「……仕方ない。こちらに来て」
差し出されたのは、大きなシャツとズボン。
(ぶかぶか……)と思ったが、断りきれず、リリアーナは着替えて帰ってきた。
そして――剣のぶつかり合う音が、庭に響く。
「動きが鈍くなったか?」
団長の余裕の声。
「最近、練習してませんでしたので……」
それでも、魔力操作は格段に上がっている。
重い一撃を軽く逸らし、魔力を纏った剣で反撃――
団長が少しだけ、目を見開いた。
「……全てをサボっていたわけでは無さそうだな」
それでも、実力差は埋まらない。
「降参です……!」
息を弾ませながら、リリアーナは素直に認めた。
――その姿を、レオンは目を輝かせて見ていた。優しくて、自分に光を取り戻してくれて、
時々、ちょっと抜けていて。だけど強くて、綺麗で――なんだか、特別な存在。
そんなレオンの視線に気づいたラニアが、
じとーっと睨みながら言った。
「リリーは、ぼくのなんだから」
「そ、そんなつもりで見てたんじゃないよ!?」
レオンは慌てて手を振る。
「ふーん。……本当に?」
ラニアの視線は、どこまでもじっとりとねばる。
エドモンドと団長はその様子を眺めながら、
小さく吹き出していた。穏やかな風が吹き抜けた。
手合わせを終え、まだ息を整えているリリアーナのもとへ、レオンが駆け寄ってきた。
「ありがとうございます!」
ぱっと花が咲くような笑顔。
「ちゃんと見えてる?」
リリアーナが尋ねると、
「はい、全部!」
嬉しさが弾けるような声だった。
「良かった……」
リリアーナは心底、安堵した。
そこへイレーネが歩いてくる。
「皆さん、お食事の準備ができましたよ」
「もう動いて大丈夫なのですか?」
リリアーナが心配そうに問うと、
「えぇ。火傷はすっかり治りましたから。寝ている方が辛いくらいで」
イレーネは明るく笑った。
「もっと休んでいてもいいんだぞ」
団長の弟が優しい声をかける。
イレーネはその瞳をまっすぐ受け止め、
少し照れながら言った。
「まだ何もお礼していないの。だからせめて……食事くらいは作らせてください。どうか、召し上がって?」
その言葉に甘え、一同は食卓へ。
祖母は――イレーネの傷が癒えた安心感からか午前中は部屋で休んでいたが、昼食には席を共にした。並べられた料理はどれも温かく、優しい味だった。
ふと、団長の弟がイレーネを見る目が、
この上なく穏やかで優しいことに気づく。
その視線に気づいたイレーネの頬が、ほんのりと色づいた。
それを見ていた祖母は、
静かに息を吐き、ぽつりと呟いた。
「イレーネ。私はここに住むことにするよ」
「えっ……本当ですか?」
団長の弟が目を丸くする。
「家も燃えてしまったしね。探すのも大変だろう。……それに」
言いかけて、イレーネに視線を送る。
イレーネは目を見開き、そして――
微笑んだ。祖母は、小さく首を振った。
「住むところが決まって何よりだ」
団長が頼もしく言った。
「必要なものがあったら言ってくれ。できる限り協力しよう」
「その時は……お願いします」
団長の弟も、どこか照れくさく答えた。
和やかに食事は終わり、エドモンドたちの帰りの準備が整う。
「いつか、きちんと礼を届けに伺う。本来ならば、我が家に来て貰い、歓待をしたいところなのだが。本当に有難う。」
団長は深く頭を下げた。
そしてリリアーナを見つめ、言葉を続ける。
「ところで……リリアーナ。 王都に来ないか?君ほどの治癒能力なら救える人は多い。
北の地で埋もれてしまうのは惜しい」
リリアーナは一瞬、身体を固くした。
その肩を、エドモンドが自然に引き寄せる。
「リリアーナは俺の婚約者です。一緒に領地へ戻り……近いうちに結婚式を挙げる予定です」
団長は揶揄うようには笑わなかった。
真剣な眼差しのまま問いかけた。
「まだ、結婚してはいないのだろう?彼女自身の意思を、聞かせてくれないか」
リリアーナはエドモンドを見上げた。
その温もりに背を押され――団長へ向き直る。
「……私は、王都には行きません」
揺るぎない声で、リリアーナは言った。
エドモンドの手が、一瞬ぎゅっと強くなる。
団長は、静かに頷いた。
「そうか。残念だ。 だが……いつか王都を訪れることがあれば、必ず我が家に寄ってくれ。 歓迎させてほしい」
「はい。その時は」
リリアーナは深く頭を下げた。
そうして彼らは、温かな別れを交わし――
馬車は、帰りの道をゆっくりと走り始める。
新たな未来へと向かって。