作品タイトル不明
甘甘草の増産
公爵家から手紙が届いたのは、リリアーナが旅に出ている最中のことだった。
屋敷を預かるマルグリットは、すぐにリリアーナは旅に出ていて、返事を出せない旨を丁寧に伝えたのだが――数日後、今度は自分の名宛にもう一通届いた。
> 「以前いただいた“甘甘草”のお茶が大変素晴らしかったので、もし購入できるのならお願いしたい」
という内容の、上品ながらもどこか切実さを感じる手紙だった。
「……あんな、ただ甘いだけのお茶がねえ」
マルグリットは眉をひそめた。
あれはどう考えても、舌に独特の風味が残る甘いだけの飲み物だ。
リリアーナが戻り次第、確認します。という内容の返信を送った。
旅から戻ったリリアーナにマルグリットは聞いてみた。
「リリアーナ、公爵家から手紙が届いていたけど、読んだかしら?私のところにも“甘甘草のお茶を譲ってほしい”って手紙が来たのよ……」
「あ……返信、してませんでした」
リリアーナはしゅんと肩を落とす。
旅から戻った後、心身ともに余裕がなく、“そのうちに”と思っている間に日が過ぎてしまっていたらしい。
「でも、甘甘草のお茶、庭にある分しか作ってないので、そんなに量はないんです」
「そんなにお気に召したのかしら?」
マルグリットが首をかしげると、横でラニアがぽつりと口を開いた。
「効能が、気に入ったんじゃない?」
「……効能?」とマルグリット。
「ほら、疲労回復、育毛、血流改善、美肌効果があるから」
「…………なんですって?」
マルグリットの目が、まるで雷に打たれたように見開かれた。
「それは、本当なの?」
「えー、鑑定したらすぐわかるよ? ぼくは普通にわかるけど」
「えっ、ラニア鑑定できるの!?」とリリアーナが驚く。
「見れば、わかるけど?」とラニアはあくまで平然としている。
「ラニア、すごい!」とリリアーナは感嘆の声を上げたが、
マルグリットはそれどころではなかった。
「……ちょっと待って、美肌、育毛、疲労回復、それに血流改善。……それってつまり――若返りの効果もあるってことじゃない?どれくらいの効果が?」
「うん、それはリリアーナの魔力次第かな?」とラニア。
「いっぱい魔力を注げば、効果も上がるよ?」
マルグリットは、がたんと椅子を鳴らして立ち上がった。
肩をわなわなと震わせながら、唇を引き結ぶ。
「……リリアーナ」
「は、はい?」
「その“甘甘草”、庭にどれくらいあるの?」
「えっ? ええと、そんなに多くは――」
「抜かないで。一本たりとも、絶対に抜かないでちょうだい」
マルグリットの声が部屋に響き渡り、リリアーナは思わず背筋を伸ばした。
ラニアは隣でくすくす笑いながら、
「やっぱり、効能が気に入ったみたいだね」とつぶやくのだった。
「でも、飲みすぎると毒だから、ほどほどにだよ」
ラニアは口の端をにやりと上げて言った。
マルグリットはその言葉に、ぴくりと反応する。
――毒。
しかし、その危うさが、かえって妙に魅力的に思えてしまうのが人の性である。
実を言えば、マルグリットは甘いお茶など好きではなかった。あの“甘甘草”の名に違わぬ、舌に残る甘さ。一度飲んだ時に「もう二度と結構」と誓いを立てたほどだ。
だが今、彼女の瞳は真剣そのものだった。
「……どれくらい飲んだら、最適なのかしら?」
「個人差があるから、試してみたら~」
ラニアは軽い調子で肩をすくめる。
「……それも、そうね」
マルグリットの声が低く落ちた。
その目がぎらりと光る。
「リリアーナ、甘甘草はもっと増やせるのかしら?」
「え? ええと……株分けすれば、増やせますよ?」
「今すぐ、株分けの作業をして。庭をすべて使ってもいいわ」
マルグリット、鶴の一声。
「えぇっ!? 庭を全部!?」とリリアーナが慌てる中、
ラニアは椅子にもたれ、くすくす笑った。
「マルグリット、やる気満々だねぇ~。
でも飲みすぎると、本当に倒れるかもよ?」
「美は危険と隣り合わせなのよ。……それに、売れるわ」
マルグリットは真顔で言い切った。
こうして、“甘甘草大増産計画”が静かに始動したのだった。
マルグリットの指示は、驚くほど的確だった。
「使用人で手の空いている者は、全員、庭へ」
その声に、城中が動いた。
鍬を持ち、土を掘り返し、甘甘草の株を慎重に分けていく。どの株をどれだけ小さく分ければ根づきやすいか、肥料の配分はどれほどが最適か――。
リリアーナは監督として現場に立ち、淡々と指示を出しながらも内心では(ここまで本気になるとは……)と軽く眩暈を覚えていた。
やがて、かつて何もしていなかった庭は、見る間に甘甘草で大半を埋め尽くされた。
庭の変貌を目の当たりにしたオルフェウスとエドモンドは、言葉を失ったまましばらく立ち尽くしていた。
「……一体、どうしたんだ?」
小声でリリアーナに尋ねるエドモンド。
「マルグリット様、甘甘草の効能が気に入ったみたいです」
とリリアーナが控えめに答える。
「効能?」とオルフェウスが眉を上げ、
「疲労回復、美肌、育毛、血流改善……」とリリアーナが挙げていくと、二人は同時に「……なるほどな」と妙に納得した表情を浮かべた。
その時、庭の奥からマルグリットの声が飛んだ。
「リリアーナ、あなたは毎日、魔力を注ぐのですよ。 全てに」
「えっ……」
リリアーナは硬直した。甘甘草の面積は、かなり広い。
「……全てに、ですか?」
「ええ、もちろん。全てに。 一株残らず」
マルグリットの瞳は真剣そのものだった。
こうして、リリアーナの新しい日課――
“甘甘草の一面への魔力注入”が始まったのだった。
そしてその結果、彼女の魔力量が日ごとに増していくことを、この時誰も――ラニア以外は――予想していなかった。