軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

彼女の目覚め

温室までの道は迷わなかった。白と赤の花が導いてくれたのもあるが、一歩進めば勝手に植物が動き、一本の道を作り出す。作られた道以外は植物がわさわさと気味の悪い動きをして壁を作っているため、自然とその道を歩くことになる。

導かれるまま温室の扉を押し開けば。

中央になった天蓋付きの寝台に座る女性の影が見えた。

俯いているせいか、髪が顔を隠してしまっている。ベール越しであったが、ゆらゆらと上体が揺れているのははっきりと見えた。

「――こんにちは。起きていらっしゃる?」

近づくことなく声をかけた。返事は特にない。ただゆらゆらと揺れている。どうしたものかと考えたが、これ以上近づくつもりはなかった。

「どういうわけか、迷い込んでしまったみたいなの。帰り道を教えてくださらない?」

先ほどよりも大きな声を出したが、やっぱり返事がない。まだ目が覚めたばかりでぼんやりしているのだろうか。だが前のように歩いても歩いても離宮内をぐるぐる回るだけになるのは嫌だ。あれは疲れるので、できる限り避けたかった。

帰り道を教えてくれるかもしれない、と淡い期待をしながら、さらに話しかける。

「そうだわ。自己紹介がまだだったわね。わたし、国王陛下の正妃で――」

最後まで話す前に、すぐ横に何かが飛んできた。恐る恐る後ろを見れば、温室の壁に大きな花の蕾が突き刺さっていた。まだ蕾だったからなのか、壁に大きなひびが入っている。

「うわ……」

当たっていたら確実に体が砕けていた。恐怖に顔をひきつらせて、もう一度寝台の方を見る。いつの間にか彼女は寝台から出て立っていた。

俯いていた顔が徐々に上がり、まっすぐにユリアナを捉えた。

艶やかな夜のような美しい黒髪に、闇を閉じ込めたような底の見えない黒い瞳。

肌は青白く、唇はひどく紅かった。

確かに美しい女性だ。はっきりとした色彩は彼女の存在によく似あっていた。

「あなたがフレデリック様の正妃? どんな手を使ったのか知らないけど、あの方にはわたししかいらないわ」

「えー……。そこに反応するの」

どちらかというと、無理やり嫁がされたのはユリアナの方だ。少しも納得できなくて、眉間にしわが寄る。

「薄汚い羽虫は排除しなくちゃ」

彼女の呟きに、植物がざわつき始めた。ユリアナは初めて目の前にぼんやりと立つ彼女を恐ろしいと思った。そろりそろりと気が付かれないように後ずさる。

温室の扉を開けただけで、まだ中に踏み込んでいなかったのが良かったのか。ゆっくりとした動きなら特に植物も反応しない。

入口から下がれるだけ下がった。ユリアナは大きく息を吸って、呼吸を整える。そして、振り返ることなく温室から逃げるように走り出した。

「いらない……排除しなくちゃ……」

不思議なことに彼女の声は小さいのに頭の中で響いているかのようによく聞こえる。ユリアナは耳障りな言葉を打ち消すように大きな声を出した。

「こんなところで死ぬつもりはないわ!」

ユリアナはとにかく力の限り、走ることにした。

走っても走っても、出口は見えてこない。

ドレスをたくし上げ、可能な限り足を動かした。華奢なヒールは走るのには向いていないため、地面を蹴るたびに足首がズキズキ痛む。それでも足を止めることはできない。

温室から遠ざかっているはずなのに、気持ちの悪い花たちが途切れた先にあったのはあの温室だった。

「はあ、やっぱり無理か」

三回目にして、ユリアナはとうとう足を止めた。どこをどう通ってもここに戻る。それがわかっているのだから、これ以上逃げ回るのは無駄だ。

ユリアナは大きく息を吸った。

目を軽く伏せ、両手を組み、気持ちを集中させる。思い出せ、と自分自身に強く言い聞かせる。

祖国の、氷のように透き通った薄い青の空。

冬を待つ山の木々の葉はすっかり落ち切っている。

沢山の人と向き合うのは、人の数倍も大きいクマ。

闘志に燃えたぎらついた目でこちらを見据え、威圧するように唸り声をあげている。

一定の距離を保った状態で、お互い睨み合っていた。お互いに生き残るために死闘を繰り返した。山の主でもあるクマは人間からの攻撃で傷だらけになっていたが、こちらもかなりの負傷者がいた。クマだって生き残りたいだろう。ユリアナたちも冬を何とか越したいと思っていた。

あの緊張感を思い出し、次第に気持ちも高ぶってくる。

大丈夫。あの時だって死力を尽くして生き残った。今は一人だけれども、きっとフレデリックが助けに来てくれる。それまで生き残ればいいのだ。

ユリアナはスカートの脇につけられたポケットに手を突っ込み、そこに仕込んであった武器を取り出した。フレデリックから注意するように言われた時から常に持ち歩いていた。

「生き残らなくてはね」

手に馴染む鉄扇を握りしめる。

これは二番目の姉であるジャンナがユリアナに成人の誕生日の時に贈ってくれた特別な物。

ジャンナは優雅にこの鉄扇を使って、舞でも踊っているかのようにクマを狩っていた。そこまでの実力をユリアナは持っていなかったが、相手はクマではない。ついさっき目覚めたばかりの王女だ。不思議な魔法という力を使うが、彼女の行動を押えるぐらいならできるはずだ。

背筋を伸ばし、息を吸い。

ユリアナは先ほどは入らなかった温室へと踏み込んだ。

「さて、納得するまでお話し合いをしましょうか」

俯いていた彼女の顔がゆっくりと上がった。

ユリアナはこちらを見るベティルと真っ直ぐに目を合わせた。彼女の視線は先ほどよりもしっかりとしていた。

それでもベティルを取り巻く植物たちは、こちらに敵意を見せている。ピリピリした空気が否応なく緊張を高めた。

「もう逃げなくていいの?」

ベティルがつまらなそうな声を出した。ユリアナはしっかりとした彼女の声を聞いて、目を丸くした。

「寝ぼけていないようね。ちゃんと目が覚めたの?」

「ええ。ようやく意識がはっきりしてきたわ」

彼女は口の端を持ち上げた。余裕のある態度にユリアナは不安がこみあげてくる。ここはベティルの領域だ。彼女は魔法というおかしな力を使える。いくら気持ちを高めてもユリアナの武器である鉄扇では勝てないのは目に見えていた。

ベティルの後ろには頭大の蕾を持ち上げて威嚇する植物たち。どういう原理で存在しているのか、皆目見当もつかないが、あれが一番厄介だ。

茎の長さから考えるとユリアナの立っている場所には決して届かない距離だが、先ほどのことを考えれば、多分伸びる。

警戒しながらも、時間稼ぎのためにもまずは話し合いだと口を開いた。

「陛下のことだけども」

蕾がひゅんと空を切った。反射的に目の前に迫ってきた蕾を鉄扇で叩き落とした。

固そうに見えた蕾は脆く、大きな音を立てて破裂した。はじけた蕾が中身を飛ばし、お気に入りの鉄扇を汚す。ねっとりとした緑の液体に、ユリアナは口元をひきつらせた。

「ちょっと! ちゃんと話を聞いて!」

手を強く振って、鉄扇についた液体を飛ばした。反撃されたことを怒ったのか、沢山の蕾たちがユリアナを威嚇するように空に向かって茎を大きく伸ばす。

「ねえ、死んで?」

「だからまずは平和的に話し合い!」

大声をあげたが、彼女は話し合うつもりなどないらしい。彼女が手をあげると蕾たちが一斉に震え始めた。そして花が一斉に咲いた。濃厚な花の香りがぶわりと立ち込める。

絡みつくような甘ったるい臭いにユリアナは咳き込んだ。

「うわ、舌がしびれる」

ごほごほと咳き込みながら、ユリアナは慌てて腰に巻いていたサッシュベルトを外した。ふんわりとした生地はそれなりの厚さがある。急いで口と鼻を覆い、匂いを嗅がないようにする。

目も痛いが、これは我慢するしかない。

鉄扇を構える。彼女の周りにある蕾の茎をすべて叩き折ることにした。

話し合いはその後だ。