軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

令嬢、圧迫(物理)される

テレーゼは少女を抱き上げ、会場隅のカーテンの裏にそろりと忍び込んだ。分厚いカーテンの向こうはすぐ窓ではなく、休憩に使えそうなカウチやミニテーブルなどが据えられている。

ここは酒で酔った客などを通し、酔いが覚めるまで休ませるための場所だった。そのため、テーブルには水差しとグラスも置いている。たいへんありがたい。

「とてもお美しいドレスですね。お嬢様の髪の色にぴったりです」

少女をカウチに座らせて優しく語りかけながら、ドレスのシミをざっと目で確認する。

(この匂いは――トマトソースね。刺激臭はしないから、香辛料は入っていなさそう。バターみたいな油っぽいてかりもないから、きっとうまくいくわ)

少女は、真剣な眼差しでドレスの汚れを見分するテレーゼを黙って見下ろしていた。ドレスが元通りになるかもしれない、という期待を抱けたからか泣きやみ、スンスンと鼻を鳴らしている音が聞こえている。

「……これ、とれる? あらうの?」

「そうですね……このシミなら下手に洗うより、叩いて汚れを移した方が確実でしょう」

「たたく?」

「はい」

テレーゼは少女を安心させるように笑顔で頷き、まず自分が身につけていた白いエプロンを外した。

「叩いて、別の布に汚れを移すのです。……少々作業をしますので、汚れている部分の布地を少しだけ引っ張ってもよろしいでしょうか」

「……うん」

少女が素直な子で助かった。

テレーゼは自分のエプロンをカウチに座面に広げ、その上にドレスの汚れている部分を裏返して伸ばした。

(エプロンは……だめになるかもしれないけれど、背に腹は代えられないわ)

そしてポーチから取り出したのは、木綿のハンカチと携帯用の小さいブラシ。ミニテーブル上の水差しを引き寄せて自分の髪を束ねていたリボンを片方解けば、準備物が揃った。

まずブラシの柄の部分をハンカチでくるみ、リボンでぎゅっと縛る。これで即席綿棒の完成だ。

(マリーやルイーズはよく、ソースを服に零していたわ。エリオスも何度か、学校の授業で服を汚したことがあったわね)

普通の貴族ならば、服が汚れれば新しい物を買えばいいと考えるだろう。場合によっては、一度も洗濯することなく毎日新しいドレスに袖を通す者もいるそうだが、リトハルト家では服一着一着を何度も洗って着回してきたし、テレーゼも普段着なら自分で手洗いしていた。だから、シミ抜き技術もばっちりだ。

水差しの水をグラスに注ぎ、綿棒の先端を浸す。

そして少女がじっと見つめる中、赤い斑点をトントンと叩き始めた。

「……とんとんするの?」

「はい。この汚れの場合、こうやってあて布を敷いてハンカチでシミの部分を叩くと、シミが布に移るのですよ」

「そ、そうなの?」

「完全に取るのは難しいですが、目立たなくはなります」

そう答えながら、丁寧にシミを叩いていく。

(いきなり真ん中から叩いたら、シミの部分が目立って残ってしまう。外側から地道に、少しずつ、なおかつこのお嬢様を心配させないよう急いで……)

半ば祈るような気持ちでひたすら手を動かす。

少しずつエプロンの布地に赤い汚れが移り、エプロンの位置をずらして再び叩き、水を垂らしながら汚れを落としていく。

――そうしてしばらく繰り返した後。

「さあ、いかがでしょうか?」

最後に自分のハンカチでドレスの水分をぬぐい取り、テレーゼは少女にかつてシミのあった場所を見せた。

そこはほんのわずか赤色っぽい線が残っているのみで、ほとんど目立たなくなっていた。少女は身長が低いので、普通に歩くだけならシミの跡に気付かれることはないだろう。

(できることはやったわ。これで満足いただけたらいいのだけれど……)

余裕の声を上げながらも、テレーゼの胸はかつてないほど激しく高鳴っていた。

『あなたの修繕が失敗し、ストールが余計に酷い状態になってしまったら、どう償うつもりだったのですか!?』

再びテレーゼを苛む、コーデリアの声。

もし、少女がまた泣き出したら。

「ぜんぜんだめ!」と突っぱねたら――

はっ、と息を呑む声。

テレーゼが掲げ持っていたドレスの布地が引っ張られる感触。

いつの間にか固く閉ざしていたまぶたをそうっと開くと――

「……す、すごい! ぜんぜんめだたない!」

少女は下着が見えそうなほどスカートを持ち上げ、はしゃいだ声を上げた。

テーブルの明かりにドレスを照らし、カーテンの隙間から差し込む会場の明かりにかざし、最後には満足そうにほうっと息をつく。

同時に、緊張で強ばっていたテレーゼの体からも力が抜け、固まっていた息を吐き出した。

「ありがとう、にょかんさん!」

「いえ、お力になれたようで何よりです。……あ、ただ応急処置をしただけですので、お家の侍女や使用人には必ず事情を伝えてくださいね」

「うん、わかった! ちゃんと言うね!」

「それでは、わたくしはこれで――」

「あのね、おとうさまにあいにいこっ!」

後片づけをしてさっさと退散しようとしたテレーゼだが、小さな手にきゅっと腕を掴まれてがくっと体を前のめりに倒してしまう。この少女と同じくらいの年の妹を持つテレーゼに、無邪気な手を振り払うことはできない。

「え? あ、あの、わたくしはしがない女官で――」

「ミミをたすけてくれたんだもの! おとうさまもね、なにかしてらもったらどんな人でも、ありがとうって言わないといけないって言うの」

そこまで言われると、ウダウダ言い訳することもできなくなった。

(……でもまあシミ抜きもうまくいったみたいだし、お父様にご挨拶くらいしないといけないわよね)

観念して、カーテンを捲って会場に戻った。カーテンの奥はほんのり暗かったのでいきなりの閃光に目を焼かれそうになったが、少女は意に介した様子もなくずんずんと歩いていく。彼女に手を引っ張られながらちらっとドレスを見たが、やはりほとんど目立っていなくて安心した。

(それにしても、このお嬢様はどこのご令嬢なのかしら)

少なくとも、テレーゼとリズベスが受付を始めてからはお目に掛かっていない。

そう考えながらついて行っていると――

「あっ、おとうさま!」

「おお、ミミティア! どこに行っていたのだ?」

テレーゼの手をぱっと離し、少女は父親らしき男性に駆け寄って思いっきり抱きついた。

(……あら? この方、外国からいらしたのかしら?)

父親は娘と違って肌が浅黒く、纏っている礼服もアクラウド公国の正装と違い、ゆったりとしたローブのような形をしていた。目の髪も濃い色で、口元には立派なひげを生やしている。

「あのね、ミミがこまっていたら、あのにょかんさんがたすけてくれたの!」

父親に抱っこされた少女が嬉しそうに言うと、父親はおや、と言わんばかりの眼差しでテレーゼを見てきた。

「そうなのか? それは助かった。娘が世話になったようだな」

「いえ、お嬢様が元気になられたようで何よりでございます」

「いやいや、感謝している。して、名前は何というのだね? 是非礼をしたいのだが」

少女の父親はたいへん気さくで人当たりがよいようだ。

(お礼……! そ、そりゃあ素敵な響きだけど、私はお嬢様からお礼をぶんどりたくてやったわけじゃないし!)

むしろ、妹くらいの年の少女に「ありがとう」と言ってもらえただけで十分だ。

テレーゼは笑顔でお辞儀をした。

「わたくしはテレーゼ・リトハルトと申しますが、お礼なんてとんでもありません」

「そうなのか?……待て、そなた、もしやリトハルト侯爵家の――?」

テレーゼの家名の意味するところを知ったのか、男性は目を見開いた。そしていきなりガッハッハ、と笑い出すと、娘を抱き上げていない方の手でテレーゼの手をがしっと握ってきた。

「まさか、娘を助けてくださった女官がレディ・リィナの姉君だとは――お会いできて光栄ですぞ、レディ・テレーゼ!」

「い、いえ、そんなことは――」

「――未来の大公妃殿下の姉君に、心からの感謝を」

それまでの大声から一転、男性は娘を床に下ろすとどこか厳かな声で告げ――太い腕で、テレーゼをがしっと抱きしめてきたのだった。

どうやら彼にとっては親愛の証らしいが、テレーゼはそれどころではない。

(ち、力強い! 息、が……うっ)

テレーゼは、目の前が、真っ暗になった――