軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

サフィーアの花

サフィーアの居場所は、使用人たちがそれとなく案内してくれた。コリック夫人の言う通り、庭に出たのではなくて室内から庭が臨める場所に行ったようだ。

ガラス張りのテラスに向かうと、はたしてそこにすらりとしたシルエットの女性がいた。Aラインのドレスが日光を浴びて、濃い影を生み出している。

「サフィーア様」

「……テレーゼ様」

庭を眺めていたサフィーアが振り返る。――その目が微かに潤んでいるように思われるのは、気のせいだろうか。

「申し訳ありません、テレーゼ様。急に飛び出してしまい……」

「いえ、お気になさらず」

テレーゼはサフィーアの隣に移動する。やはりというか、彼女は大事そうに茶葉入りのポーチを胸に抱えている。贈り物が気に入らなかったわけではないのだ。テレーゼはほっと息をついた。

「……申し訳ありません。テレーゼ様がわたくしに造花をくださったことが……胸に来まして……」

日光がサフィーアの横顔を照らしている。テレーゼよりもずっと背の高い彼女は、先ほどまでのひんやりとした雰囲気から一転、目を伏せてポーチを両手で抱える。

「……わたくしに生花をくださらなかったということは、もしかして弟から?」

「いえ、コリック家のご様子とジェイドとの相談からわたくしが推測しました」

テレーゼは自分の「推測」に確信を抱き、そっと問うてみた。

「……サフィーア様は、お花がお好きです。でも、切り花は……真新しい花が切り取られることに抵抗を感じてらっしゃるのではないですか?」

つと、サフィーアが俯いた。どうやら正解のようだ。

庭には大輪の花があるのに、屋敷には切り花が一切ない。そしてジェイドが言っていた、サフィーアの婚約者のこと。

『姉の婚約者が花を贈るときは決まって、少しだけ古びた花なのです。おそらく、花屋で売れ残ったものを集めたのでしょう』

『な、なんでわざわざ枯れかけた花を!?』

『さあ……ただ、姉はその花束を喜んでいました。それならばと、私も一度婚約者殿を真似て少しくたびれた花を姉に贈ったのです。そうすると、何やら考え込んでいましたが受け取ってくれました。普通なら花は絶対に受け取らない姉が、ですよ』

わざわざ枯れかけた花を贈る婚約者。もし、彼がサフィーアの性格を熟知しており、その結果枯れかけの花を贈るのだとしたら?

そこからテレーゼはこの「推測」を叩き出したのだ。

サフィーアは瑞々しい花が切り取られるのが嫌い。売れ残りのような花は好き。花自体は好き。ならば、布製の造花なら必ず受け取ってくれるだろうと。枯れることも切り取られることもない、布の花ならば。

サフィーアは深く息をついた。そして、「……どうかお掛けください」と言ってテラスにあったソファにテレーゼを座らせた。

「……わたくしのような偏屈者に、すばらしい贈り物をありがとうございます。よかったら……少し、話を聞いていただけませんか?」

サフィーアは幼い頃から、花が大好きだった。

庭師と一緒に花壇の手入れをし、少し大きくなる頃には父から「サフィーアの花壇」をもらった。幼い弟の手を引いて一緒に泥だらけになったりもした。

その頃のサフィーアは、育てた花を摘んで屋敷に飾っていた。小さなブーケにしたこともある。サフィーアが育てた花は見事なもので、訪問者たちは皆、見事に咲く花を褒めてくれた。さすがに「それは伯爵令嬢が育てました」とは言えなかったが、客人たちが花を褒めるのを聞くと、サフィーアも鼻が高かった。将来は、花に囲まれた小さな家で旦那様と一緒に暮らしたい、と夢を語っていた。

ある日、サフィーアはとある公爵家の夜会に招かれた。当時彼女は十歳そこそこだったが、自分が丹誠込めて育てた花を皆に見せたいと、「サフィーアの花壇」でも一番きれいに咲いた花を摘み、髪留めに巻き付けて夜会に参加した。

サフィーアはそこで同世代の令嬢たちとお喋りしたのだが、皆一様にサフィーアの花を褒めてくれた。建前もあり、「わたくしが育てたの!」とは言えなかったが、「きれいな花」「羨ましい」と言われると、嬉しくて嬉しくて堪らなかった。

だがさすがに生花にも限度がある。時間が経つと花は萎れ、くたびれていく。令嬢仲間は「新しい花をもらえば?」と言ってくるが、サフィーアは意地でも最後まで自分の花を付けていたかった。元気いっぱい咲いた花を最後まで使いたかった。

夜会もそろそろお開きになるという頃、サフィーアは父に呼ばれた。そちらに行くと、ナントカ伯爵の奥方だという女性を紹介された。父の友人の妻らしく、一言挨拶しろとのことだ。

サフィーアは淑女らしく上品に挨拶をした。相手の夫人は最初、にこやかにサフィーアを見ていたがサフィーアがお辞儀したとたん、「あらら!」と大きな声を上げた。

『まあ! かわいそうに、そんな枯れた花を身につけて!』

そうして、夫人は親切心なのか、サフィーアの髪から花を回収しようとしたのだ。当然、サフィーアは嫌がって父親の影に隠れようとする。だが、コリック伯爵が止めに入るよりも夫人の動きの方が素早かった。

彼女は逃げようとするサフィーアが「花が枯れているのを指摘されて恥ずかしがっている」と解釈したらしく、その髪から花をむしり取り、傍らにいた使用人に押しつけたのだ。

『サム、このゴミは捨てておいてちょうだい。コリックのお嬢様には、もっといいお花を準備しなさい』

サフィーアが愕然としている間に、使用人は去っていく。

彼が会場の隅で花をゴミに捨てたのを見たとたん、サフィーアは発狂した――ようだ。

ようだ、というのはサフィーア自身の記憶はそこでふっつりと途絶えており、後日父からそう聞かされたからだ。

丹誠込めて育てた花が「ゴミ」となり、捨てられる。その光景は、幼いサフィーアにとって衝撃だった。

花壇の世話をしていて、枯れてしまった花を捨てることはある。だが花壇に咲く花は一生懸命最後まで咲いて、そして命尽きた後は、堆肥になるように庭に埋める。その花と、少し萎れただけで「ゴミ」と呼ばれて破棄された花は違う。

それからというものの、サフィーアは瑞々しく咲いている花を切り取れなくなった。観賞用に廊下に花を置くのも、怖かった。夜会に出るのも、怖くなった。

自分勝手だとは分かっている。あの日咳が出ていて夜会に出られなかった弟は何も知らない。いきなり姉が切り花嫌いになったと、不思議に思っていることだろう。

「……花は好きです。でも、まだ咲いている花を切ると……まるで自分の手足を切っているかのように思われるようになって。ゴミとして棄てられるのを思うと、怖くなったのです」

テレーゼは静かに、サフィーアの言葉を聞いていた。じわじわと、胸の奥から何かがこみ上げてくる。

「そうとは知らない殿方は、わたくしに求婚してきます。大輪の花束を持って。わたくしはどうしてもそれが受け入れられず……ずっと、男性とのお付き合いもできませんでした」

「その婚約者さんは、花束を贈られるのですよね、その……」

「まあ、ジェイドから聞きましたか? そう、彼は花束を贈ります。どれもこれも、朽ち果て捨てられる運命だった花を」

サフィーアは語る。

その男性は男爵家の次男という微妙な立ち位置なのだが、サフィーアは彼を愛してしまった。だが自分の偏屈な性格を知られると嫌われるかもしれないと思っていた。

だがいざ彼がプロポーズしようとした際、サフィーアは先手を打って全てを暴露した。花を自ら育てるのが好きだと。だが、花束などは生理的に受け付けられないと。切り取られて枯れる花を思うと、辛いのだと。

彼は翌日、花束を持って求婚してきた。どれもこれも、廃棄直前の花ばかりだ。

捨てられ、朽ちていく花。どれも、花屋で処分される運命の花。彼が買わなければきっと、誰の手にも届くことなく始末されていた花たち。

サフィーアは彼の求婚を受け入れた。彼が買ってきた花は三日と持たないが、萎れるまで自室でこっそり飾り、朽ちると「サフィーアの花壇」で育てた他の花と同様に、土に埋める。いずれ、良質な土に還ってくれると知っていたから。

それからというものの、婚約者はサフィーアに少しだけくたびれた花を贈ってくれる。捨てられるはずだった花が、「摘まれてよかった」と思えるように。

テレーゼは頷く。そして、ぼんやりと窓の外を眺めるサフィーアに声を掛ける。

「……サフィーア様。実はサフィーア様に贈ったそのポーチは、端切れで作りました」

「……え?」

「中に入っている茶葉は、並みレベルのものです。……本当は内緒にしようと思ったのですが、打ち明けます」

「そうなのですか? こんなにきれいなのに」

「サフィーア様なら、その理由をご存じなのではないですか?」

微笑んでテレーゼは逆に問うてみる。最初は怪訝そうな顔だったサフィーアだが、すぐにはっと息を呑む。

「……わたくしは、一年前まで貧乏でした。だから、売れ残った茶葉も捨てられそうになった端切れも、惜しいと思うのです。わたくしは今、その、なんというか、盛大に猫を被っています。ジェイドは私の素性を知っているのですが……まあ、とにかく、わたくしはサフィーア様への贈り物に、『サフィーア様の好み』と『わたくしらしさ』を兼ねてみた結果、このような形になったのです」

サフィーアは目を瞬かせる。彼女は手元のポーチを目の高さに持ち上げ、「……そうなのですね」と呟く。

「この布も茶葉も、もしかすると捨てられる運命だったのかもしれませんね」

「……ええ。そのような品で贈り物なんて! と言われても、わたくしは何も言い返せません」

「何をおっしゃいますか。あなたはわたくしがわたくしだから、この贈り物を選んでくれた。そしてわたくしだから、裏事情も教えてくれたのでしょう」

サフィーアはポーチからテレーゼへと視線を動かし、ゆっくりと微笑んだ。

――その笑顔に、ジェイドの微笑みが重なる。

「……ありがとうございます、テレーゼ様。よもや、貴族界にあなたのような方がいらっしゃるなんて。お会いできて、よかったです」

「はい、わたくしも。わたくしもジェイドのお姉様として、サフィーア様とお会いできて……よかったです」

「……テレーゼ様、どうか今後も、弟のことをお願いします。そして……その、よかったら、わたくしも、テレーゼ様と仲良くさせてください」

「はい! もちろんです……サフィーア様」

サフィーアの手の中で、布製のユリがそよいだ。

室内は無風なのに、まるで庭で風に吹かれる花々のように。