軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

そして彼女は、こう呼ばれる

ジェイドはテレーゼの質問にしばし考え込んだようだが、「なるほど」と、どこか納得したように頷く。

「やはりテレーゼ様は慎重ですね。安心しました」

「……何が?」

「職務内容を端的にお伝えできる品をお出ししますね」

テレーゼが見ている間に、ジェイドは自分の上着のポケットに手を突っ込んだ。依頼書か契約書でも出すのだろうかと彼の手の動きを見守っていたテレーゼだが、ポケットから出てきたのはどう見ても書類ではない一品だった。

大きなジェイドの手の平ですっぽり覆えてしまいそうな、小さな箱。城下町で売っているキャラメルの箱を一回り大きくした程度の、リボンが可愛い小箱だ。

「……この中に、契約書が?」

「紙類は入ってませんよ。入れていたら、くしゃくしゃになって使えるどころではないでしょう」

「それもそうですね」

テレーゼは目の前の箱を見つめ、中身を想像する。そういえば昔、弟のエリオスが「僕からのプレゼントです」と言って、こんな感じの箱を渡してきたことがある。中身は元気いっぱいの獲れたてイモムシだった。

(……いや、まさかジェイドに限って、ね?)

非常に魅力的な仕事をダシにして油断を誘い、ドッキリ作戦でもしようとしているのか。

テレーゼは「掴む・投げる」の構えをして恐る恐る、箱に手を伸ばす。中からカエルや虫でも出てこようものなら、遠慮なくジェイドの顔面にぶん投げる心の準備をした上で。

だがジェイドは首を横に振り、自分の胸の高さに持ち上げた小箱を自ら、開いた。側面に小さな摘みがあったらしく、パチン、と音を立てて箱の蓋が持ち上がる。

テレーゼは、言葉を失った。「掴む・投げる」待機中の格好のままで。

何も言えなくて、何も考えられなくて、ただただ目の前に差し出された箱の中身を凝視する。

テレーゼのスミレ色の目がのろのろと持ち上がり、ジェイドを見上げる。

その双眸に映るのは、困惑と、驚きと、そして――喜び。

「あれこれ飾り立てた言葉より、こちらの方が私たちらしいかと思いまして」

ジェイドが生真面目に言うものだから、テレーゼは思わず笑ってしまう。

(やられた……! まさか私が、こんな不意打ちを食らうなんて……!)

「そうね、とっても私たちらしいわ。……なかなかおもしろい契約を持ちかけてきたわね、ジェイド」

「あなたの驚いた顔が見たくて。……あの、そのポーズは一体?」

「な、なんでもありませんっ。わ、私の完敗よ、とっても驚いたわ。……でも、折角だから『契約内容』を改めて、あなたの口から聞いてもよくって?」

慌てて臨戦態勢を解除して両手を肩の高さに上げ、テレーゼは挑戦的にジェイドを見返す。勝手に失礼な妄想をし、不意打ちでアッパーを食らってしまったテレーゼの、ささやかすぎる意趣返しだ。

ジェイドはその言葉を聞いて微笑み、モスグリーンの目を優しく細めた。

――テレーゼの好きな、彼の表情だ。

「……我、コリック伯爵家嫡男ジェイド・コリックは一生涯をあなたのために捧げ、永久に変わらぬ最大の敬愛を尽くすことを、指輪と花に誓う」

テレーゼだって知っている。

それは、アクラウド公国で古くから伝わる「契約」の言葉。

指輪と、花。

大公家を彩る象徴二つを贈ることが、「契約書」を差し出すことを意味する。

そしてテレーゼの目の前のはこの中にあるのも、指輪と、花。銀のシンプルなリングと、小花を模した髪留め。

「……殿下のお妃候補であると、分かっていました。分かっていても、職務だと己に言い聞かせても……譲りたくなかった。あなたが殿下に選ばれても大丈夫なよう、サポートするのが護衛騎士の役目だと上官に命じられていたのに。……あなたが選ばれてほしくないと、思ってしまいました」

――逃げませんか?

いつぞやジェイドが聞いた言葉。

もしあれが、ただの「確認」ではなかったとしたら。

ジェイドの、押し殺した「本音」が隠れていたとしたら。

(私は……)

テレーゼは目を瞬かせる。

(私は、ずっと気づかないふりをしていた。分かっているのに、分かっちゃいけないと思っていた)

テレーゼは、大公妃候補だから。

胸が痛いなんて、言ってられないから。

でも、今は違う。

テレーゼはもう、大公妃候補ではない。誰と「契約」を結んでも、咎められることはない、はず。

ジェイドが小箱の中に指を差し入れ、小さな花の髪留めを持ち上げる。

ジェイドの無骨な手の中で、髪留めが輝いている。

「強くて勇敢で、しっかり者のあなたが好きです。……私の恋人になってください。そしていずれ、この指輪をあなたの指に填めさせてください」

花をモチーフにしたアクセサリーを贈るのは、真剣な交際を申し出る証。

家名が彫られた指輪を贈るのは、結婚を申し込む証。

風が、止んだ。

テレーゼは微笑んでいた。

テレーゼの眼差しの先には、優しい笑顔の青年の姿があった。

レオン・アクラウド大公に関する事項は、多くの歴史書で取り上げられている。しかし彼の治世は、「非情」と呼ばれたり「厳格」と呼ばれたりしており、どの説が最も有力だったのか、後の世の人たちは首を捻ったという。

だがしかし、アクラウド公国はその後も緩やかな発展を続けていき、今日まで残っている。そのことは、事実である。

レオン大公の妻であるリィナ大公妃には、美しい女官がいた。波打つ桃金色の髪にスミレ色の目を持つ彼女は、歴史書ではまた別の箇所に頻繁に登場する。というのも、彼女は貴族の生まれでありながら金銭に関する意識が非常に高く、後には国の流通の発展にも大きく寄与したというのだ。

「堅実令嬢」と歴史書に記されていれば、それは彼女のことである。コラムの一つには、「床に落ちた茶葉すら無駄にしなかった」と挙げられている。

そんな彼女の名は、歴史書では「テレーゼ・コリック」と記されている。

彼女がどんな人間だったのか知りたい者は、アクラウド公国の国立美術館を訪れるといい。

そこには、後の世でも残っている彼女の姿絵――当時の大公と大公妃、テレーゼ・コリックとその夫が並んで描かれた絵が飾られているはずだ。