作品タイトル不明
50話(番外編 反乱)
王太子をまっすぐに見据えたまま、エミーが口を開く。
「殿下、わたくしは」
そのときだった。
「……その前に、ひとつよろしいでしょうか」
先に口を開いたのは、父エリックだった。
その場の注目が、一斉に集まった。
「今宵のような席で申し上げることではないかもしれませんが……国境付近に、やや不穏な動きが見られましてな」
その一言で、空気が変わり、広間が騒ついた。
「なに……?」
「国境が……?」
小さなざわめきが、次第に広がっていく。
(誰もが、知らないはずはなかった。最近の国境付近での危うい状況を。いつ戦が始まっても不思議ではなかった)
王太子の表情も、わずかに強張った。
「それは、どういう意味だ」
「まだ詳しいことは分かっておりません。先程、早馬にて報せが届いたばかりにございます」
エリックは王子を見据えた。
「とはいえ、備えぬわけにも参りません。万が一に備え、私も一度領地へ戻る必要があるかと」
あくまで冷静に続けた。
「状況によっては、王都への兵の融通も、見直さねばなりますまい」
今、王都を守っているのは、誰なのか。
その事実が、どれほどの意味を持つのか。
そして、その意味を理解した者から、顔色が変わっていった。
もしかしたら、辺境伯が、引くかもしれない。
その事実が、どれほどの意味を持つのか。この場にいる者たちに分からぬはずがない。
「い、いや、それは……!」
「そのような、大事なこととは知らず……!」
慌てて声を上げる貴族たち。
先ほどまでの余裕は消え失せ、誰もが焦りを隠せない。
そんな中、大きな声が響き渡る。
「エミー様!」
慌てた様子で駆け寄ってきた男がいた。
それはマリアナの父、伯爵だった。
額にはうっすらと汗が浮かんでいた。
「この度は、娘が大変な失礼を……!」
深々と頭を下げると、振り向きざまにマリアナを睨みつけた。
「お前もだ! すぐに謝罪しなさい!」
「え……で、でも……」
「いいから頭を下げなさい!」
有無を言わせぬ声で怒鳴った。
マリアナは唇を噛みしめながら、ぎこちなく頭を下げた。
「……し、失礼しましたわ……」
先ほどまでの余裕など、もうどこにもなかった。
その様子を見て、周囲の空気がさらに変わる。
辺境伯家と、伯爵家。その差は、あまりにも明白だった。
辺境伯は国境地帯の防衛を担う特殊な伯爵であり、実質的な力は公爵に匹敵することもあるからだ。
王妃もまた、その意味を理解していた。
わずかに顔を曇らせた。しかし、すぐに表情を取り繕った。
「……辺境伯のご尽力には、日頃より感謝しておりますわ」
穏やかな声を取り繕ってはいたが、その裏には必死さが滲んでいる。
「隣国が安易に動かぬのも、あなたのおかげ。どうか、軽率な判断はなさらないでくださいませ」
引かれては困る。そう言外に告げていた。
エリックはそれを受け、わずかに目を細めた。
「無論、国の安寧が第一にございます」
平然と答え、それ以上は何も言わない。
しかしその一言だけで十分に通じたはずだった。この場の主導権が、どちらにあるのか、誰の目にも明らかだった。
暫くすると、音楽が再び流れ始め、張り詰めていた空気は徐々に薄れていく。
しかし、先ほどまでと同じ空気ではない。誰もが、理解してしまった。
いつ戦が起きてもおかしくないこの国を、何が支えているのか、誰もが思い知らされた。
ーーーー
その後、宴は何事もなかったかのように続けられた。
しかし、華やかな光の下で、静かに歪みはまるで波紋のように広がっていく。
脅威は、決して外から迫る戦だけではなかった。
この国の内にも反乱という、また別の火が 燻(くすぶ) っていた。
ーーーー
宴が終わり、人々が去った後、静まり返った王宮の一室。
「ご報告申し上げます」
宰相が、深く頭を下げた。
王妃の表情がわずかに険しくなる。
「何事です」
「各地にて、不穏な動きが確認されております」
一瞬の沈黙が落ちる。
「反乱の兆しにございます」
その言葉だけが重く響いた。
ーーーー
その報告は、決して軽いものではなかった。
各地で小さな不満が燻り始め、やがてそれは無視できぬ声となって広がりつつあった。
しかし、王妃や王子、その取り巻きたちは、それを深刻に受け止めることはなかった。
「一時の騒ぎに過ぎぬ。民など武器を持っても、扱い方すらしらぬのだから放っておけ」
そう言って、目を背けた。
そんな状況にありながら、相変わらず、王妃は好き放題に権力を振るい、王太子は変わらず遊び呆ける毎日。
隣国との緊張が一触即発の事態に陥る中でも、彼らは反乱という火種を無視して、ただ税を搾り取ることに固執していた。
そんな中、日々重税に苦しむ民の不満は、限界に達していた。
そして、ついに火の手は上がった。それは反乱という形で、まずは内側からの争いだった。
その動きは、一気に広がり、もはや止める者はいない。
王都を守るべき兵はいなかった。もっとも、その兵を引かせたのは、他でもない辺境伯エリックである。
(民の心を無視し続ける王族に、もはや国を治める資格はない。そして……あの子を、これ以上あの場所に置くわけにはいかぬ)
その決断は、この国を、守る者として、父として、あまりにも重かった。
そんなことも知らぬ貴族たちは、ただ保身に走る。
今となっては、王妃の威光も、もはや過去のものだった。
結果はあっけなかった。
王妃は失脚し、王太子もまた、その座を追われた。先王の崩御から始まった悪政は、長くは続かず、こうして呆気なく終わりを告げた。
一方で、エミーは、ようやく解放された。
「これでやっと帰れるのですね」
ぽつりとこぼしたその言葉には、安堵が滲んでいた。
(あの時、言いかけた言葉は、もう必要ありませんわね。だって、お父様がすべて叶えてくださったのだから)
こうして、無理やり結ばれた婚約も消え、彼女は晴れて自由の身となった。
ーーーー
そして、その頃、もう一人、王都へ向かう人物がいた。
反乱軍が選んだ、新たな統治者。
ザクセン公爵家当主ライナー。
彼は民に寄り添い、地に足をつけて生きてきた若き領主。
その彼が今、王都へと帰還する。荒れ果てた王都を立て直すため。