作品タイトル不明
77話 異変
◇
「――本当に、この町に異能があるんですか?」
思わず、言葉がこぼれた。
私達がこの町に来てから一週間。もう一週間もこの町を探し回っているのに、何も見つからない。
路地裏、廃屋、森の縁。
――何度も何度も歩いた。けれど結晶どころか、手掛かりすら掴めない。
「異能の結晶ってかくれんぼの天才だから、このくらい見つけられなくても普通だよー」
「そうですね。安全な環境で探せるだけ、ずいぶん楽な事案ですよ」
焼き立てのホットケーキの香りが、宿の小さな食堂に漂う。
蜂蜜をたっぷりかけたそれに夢中なアイノウと、涼しい顔で濃い珈琲を口にするノア。
二人の穏やかな姿が、今はどうにも遠く見えた。
「で、でももう一週間ですよ!?」
「砂漠で見つけた異能の時も大変だったし。十時間くらいかかっちゃったよね?」
「それはふざけているのか本気で勘違いしているのか、どちらですか? あの時は十時間どころか、十か月以上かかっています」
「十……か月!?」
思わず大きな声が出てしまい、慌てて口を押える。
「えへへ、桁を間違えちゃってたや」
「広大な砂漠の中にある小さな砂の結晶ですよ。灼熱の中での探索は過酷でした」
予想を遥かに超える過酷さに、開いた口が塞がらない。異能の探索とは、そんなにも気の遠くなるものなのか。
「緊急性もありませんし、今は情報収集を続けながら、少しずつ範囲を絞っていくしかありません」
「でも、早く見つけたほうが……!」
焦りのまま口にした言葉は、喉の奥で途切れた。
アイノウはフォークを止め、ノアは静かにコップを傾けながら私を見つめる。
「……リネット。最近、働きづめですよね? それに、魔法の勉学にも随分時間を割いているようです。効率よく動くためにも、休息は大事ですよ」
ノアの声には、責める色は一つもなかった。むしろ、静かな心配がそのまま言葉に滲んでいる。
私は小さく頭を下げた。
「……すみません。少し、焦ってしまって」
「とはいえ、貴女の言う通り早いに越したことはありません。あまり気に病まないように」
その優しい言葉に、胸の緊張がふっとゆるむ。
ちょうどその時、階段の上から影が差した。
「あ、ハルト! おっはよー」
ゆっくりとした足取りで、ハルトが階段を降りてくる。
朝が弱いのか、それともただ気怠いだけなのか。
彼はアイノウの声にちらりと視線を向けただけで、無言のまま通り過ぎ、宿の扉を開けて外へ出ていった。
「あーあ。ハルトってばまた単独行動しようとしてるよー」
「まったくあの人は……! どこまで自由なんですか!」
ノアが勢いよく椅子を引き、立ち上がる。
「あ、あの、ハルトはどこに行こうとしてるんですか?」
「異能を探しに行ったんだと思うよ」
「異能探し……!」
アイノウの言葉に、私は反射的に手を伸ばした。
「あの、私が追いかけます!」
「……貴女が?」
私の言葉に、ノアは驚いたように足を止めた。
「単独行動が駄目なんですよね? なら、私が一緒に行きます」
「ですが」
「いつもノアに任せっぱなしですから。お任せください!」
ノアの口が何かを言いかけて止まる。小さく眉を寄せ、しばし考えるように視線を伏せると、アイノウへと視線を向けた。
アイノウはホットケーキを頬張りながら、のんきに手を振る。
「いいんじゃない? がんばれー」
その気楽な笑みにノアはかすかに肩を落とし、ため息を一つ落とした。
「仕方ありませんね。くれぐれも無理はしないでください」
「はい、分かりました」
そう答えて、私は宿を出た。
「ハルト!」
彼は、宿屋から少し離れた場所にいた。
「単独行動は禁止されています。私と一緒に行動してください」
横に並んで歩き、後を追う。
「……一人でも平気なのに」
「規則ですから」
「そう」
もう少し反発されると思っていたけれど、意外にも彼は私を拒まなかった。
無言のまま、時間だけが流れていく。
けれど、静けさは不思議と心地よかった。足音と風の音だけが続くこの時間なら、捜索に集中できる。
「――――見つからない」
だが、探せど探せど、異能の気配すら見つかる様子はない。
気づけば、空はすっかり夜の色に沈んでいた。街灯の少ない田舎町では闇が濃く、いつの間にか町外れの林の中まで入り込んでいたらしい。
流石に休憩もなしでずっと動いていたせいか、少し疲れを感じる。昔から勉強でも何でも、一つのことに没頭しすぎるのは私の悪い癖だ。
「ハルトは、疲れていませんか?」
「……別に」
短く切り捨てるような返事。その横顔には、ほとんど表情がない。
一日一緒に行動して分かったことがある。
彼は本当に掴みどころがない。文句一つ言わずに付き合ってくれるのに、自分の意見はほとんど口にしない。
……きっと、私に興味の欠片もないのね。
私はそれ以上言葉を重ねず、前へ歩き出した。
「止まれ」
ハルトの足が、ふと止まる。
何かを感じ取ったように彼はわずかに顔を上げ、森の奥へと鋭い視線を向けていた。
「どうし……」
ふと、遅れて違和感を感じる。
さっきまで聞こえていた木々のざわめきも、小鳥のさえずりも、まるで何かに怯えるように消えている。
「! なっ――!?」
茂みの奥から、影が弾かれたように飛び出す。
小柄な体に、灰色の皮膚。剥き出しの牙が月明かりを受けて光った。
「《蜂盾【ほうじゅん】》」
考えるより先に、体が動いていた。
「魔物……!?」
防御の魔法を唱え、身を守る。
小さな金に光る六角形が盾のように展開し、一撃を受け止める。
魔物は一定の距離を取り直すと、怪しく光る赤い目で、ぎろりとこちらを睨み付けた。
「この魔物って……『小鬼』? どうしてこんな所に……!」
小鬼――
かつてこの地方で頻繁に出没していたと記録にある、低級魔物の一種。だが、今はもう現れないはずだった。町長も「過去の話」と言っていたのに。
小鬼は一体だけではなかった。
次々と茂みの影から姿を現し、私達を囲むように広がっていく。
「囲まれて……っ!」
すぐに魔力を練り、手を広げて次の詠唱に入ろうとした――その瞬間、隣で鋭い金属音が響いた。
ハルトが剣を抜いた音だった。
「邪魔、どいて」
低く放たれたその一言は、冷たくも頼もしい。
次の瞬間、ハルトの身体が音もなく動いた。
無駄のない、研ぎ澄まされた動き。風を切るような一閃が、小鬼の一体を瞬時に斬り伏せる。
「強い……っ!」
今までも騎士とは何度もパーティを組んでいるけど、桁違いだ。
数の多さなど、彼にとっては意味を成さない。小鬼達は次々と斬り伏せられ、ついには恐れをなして一目散に逃げ去っていく。
ハルトは剣を軽く払って血を落とすと、何事もなかったかのように鞘へと収めた。
「……異変、現れたね」
「! は、はい」
呟くような言葉に、はっと我に返る。
「魔物が町に現れたら、大変なことになってしまいます」
焦りを込めてそう言うが、ハルトは心底、無関心に答えた。
「それはどうでもいいけど、異能を探す手掛かりになりそう」
……どうでもいいって、良くはないでしょう。本当に帝国騎士団なんですか、この人。
「……あの、ハルト」
「何?」
「言いたくはないですけど、騎士は本来、魔法使いを守るものではありませんか? なのに、完全に私を無視していましたよね?」
魔法使いは接近戦に弱い。だからこそ騎士と組む意味があるのに、ハルトはまるで私を放置していた。
思わず口をついて出た苦言に、彼は一瞬だけこちらを見た。
「『止まれ』と声をかけたつもりだけど」
「だからって」
「これくらい自分の身も守れないなら、第0部隊には必要ない」
……こいつ。
「それは大変失礼しました! 今後は、ハルトをあてにしないことにします!」
皮肉を込めて吐き捨てるように言うが、彼の心には何も響いていないようだ。
ハルトは変わらない無表情のまま、呟いた。
「さっさと行くよ」
言い終えるや否や、彼は迷いなく走り出す。
私も慌ててその背を追い、アイノウとノアが待つ宿屋に向かう。何かが起こりそうな、不穏な空気を胸に感じながら――