軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

5-09 香水専門店

◆5-09 香水専門店

エレノーラは熟考の末、香水の専門店を選択した。

押されるように店の前まで誘導される。覚悟を決めて扉に手をかけようとしたところ、香水店の入り口は内側から開かれた。

「ようこそ、おいでください……え?」

こういう店は、人力自動ドアになっている。中にいる店員さんが来客に気がついたらドアを開けてお出迎えしてくれるのだ。場所によっては外に、扉を開ける専門の人が立っていたりもする。

そして、店員さんが担当のような状態になり、欲しい物の場所まで案内されて、丁寧な説明までしてくれて、会計からお見送りまでしてくれるシステムだ。だから苦手なんだ。勝手に入って、自由に物色して、自分で商品を抱えて、セルフレジで会計を済ます……というのが私の理想だ。まるで当然とばかりに雑談を仕掛けてくる店員のいる所には行きたくない。

店のシステム自体が苦手なのに加えて、ユミエラ・ドルクネスの場合はもう一つの問題が発生する。うわっ、ユミエラが来た、どんな酷いことをされるか分からないぞ……みたいに思われ戦々恐々とされてしまう。

実際に、扉を開けてくれた彼女は接客用の柔和な笑みのまま硬直している。初来店にも関わらずこの反応とは、理解しているが特徴的な黒髪も考えもので……おや? 固まった彼女の視線の先は私ではない?

そのとき、不自然な間を気にかけることなくエレノーラが声を発した。

「お久しぶりですわ」

「エレノーラ様、エレノーラ様ですね! やっぱり!」

香水店の彼女が見ていたのは、危険人物ではなくかつての常連客だった。

接客用の笑みは完全に崩れ、テンション爆上がりではしゃいでいる。エレノーラはこの店にとっての何なんだ? 店と客の関係を超えている気がするぞ。

「もう来ていただけないかと思っていました。本当に良かったです」

「わたくしも嬉しいですわ。いつも香水を送ってくださりありがとうございました」

あー、たまにエレノーラ宛に届く荷物って、ここから送られていたのか。完全に蚊帳の外にいる私は、心の中で納得していた。

でもあれって、通信販売とかじゃないんだよね。この店が無償のプレゼントをエレノーラに贈り続けていたのだ。なんで?

謎が一つ解けたら、新たな謎が出現した。よくある謎の性質だ。なぜ謎が謎を呼ぶのかは、未だに謎。あ、また一個増えた。

そこでようやく、店員は私に目を向けた。

「申し訳ありません。つい、舞い上がってしまって」

「いえ、私は付き添いなので放っておいてください」

「ユミエラ・ドルクネス伯爵……ですよね? エレノーラ様から、良くお話を伺っておりました」

前から知り合いであったかのような親しい目を向けられる。

怖がられないのは、エレノーラから話を聞いていたからのようだ。彼女から見たユミエラ像は、世間一般に出回っているそれと比べて可愛らしいものだろう。

「あの……当店に強いものはありませんので、暴れまわるのはご遠慮いただけるとありがたいです」

「……別に、強いものがあっても暴れたりしないですよ。というか、何ですか? 強いものって」

「すみません。エレノーラ様から、そのような方だと……」

エレノーラの語る私は、世間とさほど変わりがなかった。本当に何だよ、強いものって。漠然とし過ぎだろ。

彼女は気まずそうな表情をさっと変えて、私たちを店内に案内する。

強烈な香水の匂いが充満している店内を予想して入ったが、そこまで匂いはしなかった。

見回してみれば、多めに設置された窓の幾つか半開きになっていた。それとあれは……風を発生させる魔道具もある。換気設備が整っているのか。商品を試すときに邪魔が入らない工夫だろう。

ひとまずは快適な環境で良かったと安堵していると、私たちは席を勧められる。

「どうぞ、こちらへ。お茶をご用意いたしますので、掛けてお待ち下さい」

ありゃりゃ。長居が確定してしまった。パッと入って、サッと買って、ザッと帰るのが理想だったのにな。まあいいか。長い買い物は覚悟の上だ。

二人になったタイミング、私は聞いてみた。

「エレノーラ様、ちょっと聞きたいんですけど」

「自分より強いものには過剰に反応する、みたいなことを言った気がしますわ」

「……そっちじゃないです」

彼女が他所で、私をどう評価しているのかは分かった。でも、聞きたかったのはそっちじゃない。

「この店の方々と、どんな関わりがあるんですか? 昔、出資したとか?」

「普通に、お店屋さんとお客さんですわよ? 仲良くはさせていただいていましたけれど」

経営難だった店を救い、恩を感じている店側が今もエレノーラに贈り物をしている。みたいなストーリーを思いついたものの、即座に本人が否定する。

ただのお客さんに、高価な香水を贈り続けたりしないって。詳しく聞こうとするが、店員さんが戻ってきてしまった。しかも手にお盆を持っているだけでなく、後ろに人間を複数人引き連れている。香水店は奥に行って戻ってくると、人数が増えるらしい。

「エレノーラ様! また来てくださったんですね!」

「お元気そうで何よりです」

「お送りした香水は使っていただけましたか?」

彼女たちの圧がすごい。これは、お得意様とかを遥かに踏み越えて愛されている。

ひとまずは出された紅茶の香りで落ち着こう。カップを手に取り、慣れ親しんだ匂いを……あ、これハーブティーだ。お茶まで華やかな香りだよ。絶え間ない嗅覚の奔流に耐えつつも、私は置物のように大人しくしていた。

借りてきた猫ユミエラを置き去りに、縄張りの猫連合は会話に花を咲かせる。

「皆さんもお変わりないようで何よりです。頂いた香水は、もちろん一通り使いましたわ」

「覚えている物だけでいいので、感想をお願いします」

「そうですわね――」

エレノーラの香水談義は長い。

ミリタリー好きの人に、ゼロ戦って強いの? と聞いたときくらい長くなる。旋回性能とか武装の話ならまだしも、航続距離やら当時の燃料の品質だとか、制空戦闘機と局地戦闘機を同列に語るのは間違いだとか、長々と喋った末に結論は不明瞭だったり。

それくらい興味のない長話が始まるぞと、身構えたのは私だけだった。エレノーラを囲む人々は、真剣にエレノーラの感想に聞き入っている。メモを取ってる人までいた。

「テイスティングして印象に残ったのは、パチュリルの新製品ですわ。容器のデザインでシプレー系だと思っていたら、完全にフゼア系で」

「一応、シプレー系として売り出しています」

「フゼア系だと敬遠する女性もいらっしゃいますものね。シトラスの流行は更に加速しそうですわ。柑橘の香りは苦手な方が少ないので、良い流れだとは思うのですが……」

「エレノーラ様が好きな、グルマンノートの新作は少ないですね。当店オリジナルでも作ってはいるのですが、あまり評判が芳しくなくて」

何語かな? 専門用語だらけで意味不明だ。唯一、エレノーラって単語は聞き覚えがあるけれど。

言葉の意味は、前に教えてもらったりもしているのだが、そもそも知らない単語ばかりだ。先程のメンコのように、脳内変換が不可能なのであまり覚えていない。

内容は一切分からない、彼女たちの会話は続く。

「そうでしたの? オリジナルはあったかしら? 覚えていませんわ」

「とてもお送りできる代物では……あの、こちらなのですがテイスティングだけでもお願いできますか?」

「気になりますわ!」

文脈すら追えていないので、果たしてエレノーラが何を気になっているのかも分からない。

私は無言で立ち上がる。誰も気に留める様子はなく、一人で店内を歩き回ることができた。

「これは……うーん、動物性香料も少し混ざってますわね。ラストノートはどんな感じかしら……あまり馴染んでいないようだから、もう少し熟成させないとまとまりが出ないような気がしますわ。今のままでは強すぎるから、インセンシティも低くして、あとは――」

「はい、なるほど、参考になります」

ホコリ一つない棚と机に並んだ瓶を眺めつつも、会話は耳に入ってくる。

エレノーラが参考になることを言っているのは分かる。だって私は、「参考になります」って言葉が参考になるって意味だと知っているからね。

何となく商品を鑑賞しているけれど、雨水を貯めた牛乳瓶を見ているのと摂取できる情報量は変わらない。店員が付ききりになるような店なので、商品説明は一切書かれていないのだ。とりあえずマークが同じやつは同じブランドなのかなと推理してみる。

未だに続く参考になるらしい話をBGMにしていると、気になる物を発見した。

棚の一つに違和感がある。並んでいるのは当然香水だけれど、他と違う。例えばこれ、棚に一つしかない花みたいな刻印のやつは、まとめて向こうに置いてあったはずだ。

この棚だけ、ブランドもバラバラで、並び順も乱雑に感じた。規則正しい店内、この一箇所だけが混沌としている。

そして、私の考えを後押しするようにあるのは、手書きのポップだった。解説やオススメポイント……には見えない、読んでるこっちが恥ずかしくなるポエム的な文章が、下手な字で書かれている。

背中がゾワゾワするが、一つ声に出して読んでみよう。

「無限に広がる海原 恋の雫を一つ垂らせば――」

「わー! わー! ダメ! それを読むのはいけませんわ!」

くっそ恥ずかしいポエム朗読は、会話に熱中していたはずのエレノーラに妨害された。

そこまで恥ずかしがる必要なさそうなものだが、彼女は顔を真っ赤にして店員に抗議していた。

「まだあの詩が飾ってありますの!?」

「好評ですよ? わたくしどもも、素敵だと思っています」

「あの頃のわたくしは、どうかしておりましたの」

彼女らのやり取りに首を捻っていると、店員さんの一人がポエムコーナーについて教えてくれた。

「この棚はエレノーラ様がおすすめする香水を集めてあります。お名前は出せなくなってしまいましたが、あのエレノーラ様のイチオシですから、もちろん売れ行きは好調です。詩も素敵だと評判になっています」

「エレノーラ様が、これを書いたと?」

「はい、直筆です」

うわぁ……。これ、昔の、乙女モード全開のエレノーラちゃんの創作だったのか。

様子を見るに黒歴史化しているみたいだし、あまり触れないようにしよう。これ以上ポエムについて聞くと彼女の精神が崩壊しそうなので、直筆ポップ以外について尋ねる。

「エレノーラ様が勧めるだけで、そんなに売れ行きって変わるものなんですか? 公爵令嬢だったとはいえ、そこまで効果あります?」

「あるに決まっています。外国のアトリエからも、エレノーラ様の批評が聞きたいと便りが来るくらいですから。この業界に携わる人間なら、知っているのが当然の御方です」

王国の若い女性で、家名が一番だったのは公爵令嬢エレノーラだった。一国の、特定の年代、狭いコミュニティで流行を牽引する立場にある……とかなら理解できた。

でも外国? ヒルローズ公爵家の娘というだけで、そこまでの影響力を持つのは難しいはずだ。今も香水業界での地位は変わらないようだし、さっきまでも難しそうなアドバイスをしていた。

もしかして、エレノーラって香水業界ではすごい人? カリスマレビュアーみたいな存在?

ポエムのダメージを引きずって、顔を両手で覆うエレノーラを横目に、私は呟いた。

「もう自分の香水メーカー作っちゃえばいいのに」

「工房ではありませんが、ありますよ? これと、これと、あとこれです。エレノーラ様の全面監修と銘打って売り出されています」

店員が見やすいように並べてみせた香水には見覚えがあった。どれもエレノーラからプレゼントされたものだ。たまにつけるとエレノーラが気づいて喜ぶので、それ目当てに使っている。

思い出してみれば、自分で色々考えて作って貰ったとか言っていたような……? 要するにオーダーメイド的な物だと思っていたが、製品として生産されているらしい。すごくないか? 仕事として、お金儲けできてる? あ、でも送金などは無いはずだ。

「監修はアイディアを買い切り、みたいな形なんですか?」

「いいえ。詳しい契約内容は分かりませんが、新しく生産するたびに幾らかがエレノーラ様に入る仕組みです」

あれ? どこかで中抜されてない?

簡単に騙せちゃいそうな詩人さんの顔を伺う。話は耳に入っていたようで何気ない様子で言った。

「お金は、サノン教の教会に寄付するように手配していますわ」

聖人じゃん。教会はさっさと、彼女が天使であると公式発表してよ。

でもまあ、公爵令嬢時代だと、はした金に思えたんだろうな。大した金額ではない気がする。下世話と分かりつつも、私は気になることを聞いてしまう。

「ちなみに、どれくらい貰えたんですか?」

エレノーラに歩み寄り、耳を近づける。彼女はそっと、香水監修の収入を教えてくれた。

「――くらいですわ」

「……えっ? そんなに?」

「別な大陸で売るために、交易船が沢山買っていくらしいので」

私は絶対、全額寄付なんてできない数字が出てきた。しかも、これからも売れるだろうから、額はさらに増えていくはずだ。

私は、気の抜けた生返事をするのがやっとだった。

「…………そう、なんですね」

それからしばらく、私以外の面子は香水談義に花を咲かせた。

もちろん、私に内容は理解できない。できないなりに聞いているうちに、段々とみんなに熱が入ってきて、企画会議みたいな雰囲気になってきた。

これからの流行の予測をし、ありきたりにもニッチにもならない絶妙なラインを考え、容器やキャッチコピーも含めた戦略を練る。みなが満足する結論に達するまで、二時間はかかったと思う。

そしてようやく、お暇することに。エレノーラは帰りを惜しまれている。

いつもなら「早く行きましょう」なんて言う場面だったが、私は彼女を尊敬の眼差しで見ることしかできなかった。

我が家の居候エレノーラちゃん。無一文で世間に放り出したら、三日も持たずに行き倒れてしまうと思っていた彼女は、全然一人でも生計を立てられると分かった。

誇らしいような、寂しいような、自分の感情に整理が付けられぬまま、私はエレノーラと共に香水専門店を後にした。