軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第8話 王妃の叱責

謁見の間の扉は、いつもより重そうに見えた。実際には、扉の重さはいつもと変わらない。ただ、扉を開けるまでの一拍が、わたくしの中で、いつもより長かった。

事務局の侍従が、参列者の入場順を、改めて告げる。

「国王陛下、王妃陛下、続いて第一王子殿下、続いて隣国外交特使閣下ならびにベルナール大使閣下、続いてオルランド侯爵およびご令嬢、続いてブランシュ伯爵およびご令嬢」

ベルナール大使も、本日は外交特使席に同席なさることになっていた。事案の当事国の代表として、両国の事案整理に立ち会われる。

国王陛下と王妃陛下が、上段の玉座にお着きになる。王妃陛下のドレスは、いつもの紫色ではなく、深い藍色だった。公務の中でも、最も重い案件にお臨みになる時の、お色だった。

レオン殿下が、上段から二段下がった席に、お一人で、お座りになった。普段の謁見では、王太子候補殿下のお席は、王妃陛下のすぐ右下に用意される。今日は、もう一段、下がっていた。

ノエル様とブランシュ伯爵が、関係者席の左側に並んでお座りになる。ノエル様は、先日の貴婦人茶会の時のお化粧を半分しかなさっていなかった。頬の紅も、唇の色も、いつもより薄かった。

母とわたくしは、関係者席の右側に、並んで腰を下ろした。

アルベリク殿下は、外交特使席に、ベルナール卿と並んでお座りになっていた。ヴァロワールの礼服の上に、外交特使の正式徽章を、お付けになっていた。先日の貴婦人茶会で「私個人として」と仰ってくださった方は、今日は、外交特使の殻を、もう一度、お纏いになっていた。

事務局長が、卓の上に、薄手の冊子を置いた。

「本日の事案整理を、開始させていただきます。本日の議題は、先日の貴婦人茶会における外交礼法違反、ならびに、これに連なる王太子候補殿下のご資質について、でございます」

事務局長の声は、平らだった。国王陛下が、一度、軽く頷かれた。王妃陛下が、ご自身の前に、別の冊子を、お引き寄せになった。

その冊子は、わたくしが、四年間、提出してきた、王宮茶会・夜会・宮中晩餐の差配記録だった。革表紙の角が、四箇所、少しずつ違う擦れ方をしていた。毎月の綴り直しの時に、わたくし自身が、角を整えていた癖のせいだった。

「これは、過去四年間の、王宮茶会・夜会・宮中晩餐の差配記録です」

王妃陛下のお声が、謁見の間の隅々まで届いた。

「すべて、ジゼル・オルランド侯爵令嬢の手によるもの。差配者として、整え手として、彼女の名前と署名が、毎月、記されています」

陛下は、冊子の表紙をご自分の指で、軽く撫でられた。

「本日、わたくしは、この記録の中から、いくつかを、関係者一同の前で、ご覧に入れます」

事務局長が、冊子を開いて、最初の頁を、卓の上に広げた。

「第一頁、ジゼル嬢の婚約発表夜会、すなわち四年前の春の、夜会差配記録」

頁の上半分に、わたくしの筆跡で、席次の図面が引かれていた。下半分に、参列者の名簿と、贈答の記録と、楽団の演奏曲目が書かれていた。

席次の図面の中央、王太子候補殿下の隣の席に、わたくしの名前が書かれていた。その隣に、もう一人、別の名前が、追記の墨で書き加えられていた。

ブランシュ伯爵令嬢ノエル様。

追記の墨は、四年前の春のもので、本日まで、薄らがずに残っていた。

「この追記は、夜会当日に、レオン殿下からの口頭のご依頼で、わたくし自身が、追加で書き加えました」

陛下のお声が、もう一段、低くなった。

「四年前のあの夜、レオン殿下のお隣にお座りになったのは、王太子候補殿下の婚約者であるジゼル嬢ではなく、追記でお席を加えられたノエル嬢でした。同じ追記が、過去四年間で、二十七回、行われました」

謁見の間の中で、誰も何も言わなかった。

「正式な席次表の上に、追記の墨が二十七回。これは、当家の社交史において、前例のない数でございます。明示で『譲ってくれ』とレオン殿下が仰った回数は、三度。残りの二十四回は、レオン殿下が、わたくしや事務局を通さずに、直接、ジゼル嬢に追記を依頼なさいました」

陛下は、欄外の、わたくしの細かな筆跡を、指で示された。

「『先に来ていたから』『塞ぎ込んでいたから』『放っておけないから』――追記の理由として、ジゼル嬢の手書きで、欄外に、メモが残されております」

レオン殿下が、ご自分の膝の上で、両手の指を強く組まれた。組んだ指の関節が、白くなっていた。

「レオン」

王妃陛下のお声が、初めて、息子に直接、向けられた。

「あなたが、守っていたつもりの女性は、ジゼル嬢が、後始末してきた人です」

陛下のお声は、低かった。

「ノエル嬢が起こした礼法違反、贈答品の選定の誤り、席次の混乱――その全てを、ジゼル嬢が、四年間、無償で、しかも、誰にも気づかれぬように、処理し続けてきました」

陛下は、冊子の別の頁をお開きになった。そこには、贈答記録の集計が書かれていた。

「過去四年間で、王家から、ブランシュ伯爵令嬢ノエル嬢へお贈りになった贈答品は、二十一点。うち十二点は、本来、出庫不可の品でした」

陛下のお声が、震えた。震えは、母の震えだった、と思った。

「先日、レオン、あなたが、ノエル嬢に、お祖母君伝来の首飾りを、人前で、お渡しになりました。これは、十三点目の流出に、なる予定でした」

陛下は、別の薄い書面を、卓の上に取り出された。王宮宝飾庫の出庫記録だった。

「過去十二点については、ジゼル嬢が、王宮宝飾庫の事務局と、個別に交渉し、書類上『王家から、王太子妃候補の婚約者の友人へ、社交的なご縁の品として、貸与』という形に、書き直しておりました」

陛下のお指が、出庫記録の縁を軽く撫でられた。

「つまり、十二点は、ノエル嬢が、王家の継承品としてお受け取りになったのではなく、形式上、貸与品として、出庫されておりました」

陛下は、ノエル様の方へ、初めて視線を向けられた。

「ノエル嬢、あなたが、ご自分のものとしてお持ちだと思っておられた十二点は、形式上、王家の貸与品でございます。本日付で、すべて、王宮宝飾庫へ、お返却いただきます」

ノエル様の唇が、僅かに動いた。声は、出てこなかった。

「これは、ノエル嬢、あなたを責めているのではありません。あなたは、形式上の説明を、お受けになる機会がなかった。レオン殿下が、ご説明にならなかった。それは、レオン殿下の責任です」

陛下は、視線を、息子に戻された。

「レオン、わたくしは、過去四年で、あなたに、三度、直接、話しました」

陛下のお声に、ようやく、感情の縁が現れた。

「一度目は、ジゼル嬢の婚約発表の翌週。二度目は、王太子候補発表の後。三度目は、昨年の冬。母として、ではなく、王妃として、話しました。三度とも、あなたは、『母上は分かっていない、ノエルは家族のようなものだ』と仰いました。最後の冬、あなたは、わたくしと、目を合わせさえ……」

陛下が、そこで一度、息を整えられた。

「……なさいませんでした」

レオン殿下の頭が、ゆっくりと、下がっていった。

「婚約契約書第七条は、契約当事者本人にしか、発動できません。これは王家の婚約においても、同じです。我が国のこの慣習法を、わたくしも、国王陛下も、覆すことは、できません」

陛下は、隣の国王陛下の方を、ご覧になった。国王陛下が、軽く頷かれた。

「ですから、最後に動けるのは、ジゼル嬢、あなただけでした」

陛下は、わたくしの方を、ご覧になった。

「あなたを、四年、待たせてしまったことを、母としても、王妃としても、お詫びします」

四年間、わたくしは、王妃陛下に頭を下げていただくような立場の人間ではなかった。それでも、本日、陛下は、王妃のお顔と、母のお顔の、両方を、わたくしの前に、お出しになっていた。

わたくしは、ただ、深く、一礼を返した。声に、ならなかった。

国王陛下が、初めて、お口を開かれた。

「王太子候補レオン」

陛下のお声は、いつもの公務のお声よりも、低かった。

「王太子の座は、本日付で、一時保留とする」

謁見の間の中の、空気が止まった。

「半年間、お前自身が、何を見て、何を見ていなかったかを、再考しろ。半年後に、改めて、王太子候補としての資質を、再審査する。これは、罰ではない。父として、わしが、お前に与えられる、最後の時間だ」

国王陛下のお声は、淡々としていた。

レオン殿下は、頭を下げたまま、半呼吸の遅れで、深く、お辞儀をなさった。

「……承知いたしました、父上、母上」

レオン殿下のお声は、二十四歳の青年の声、ではなかった。もっと、若い、十六、七歳の青年の声に戻っていた。

王妃陛下が、視線を、ブランシュ伯爵の方へ、向けられた。

「ブランシュ伯爵」

「は、はい、陛下」

「ノエル嬢の、王宮への出入りを、当面、控えていただきます。ノエル嬢、ご自身の問題、というよりは、ノエル嬢が、周囲に守られすぎてきた、構造の問題、でございます。ご家庭で、お話し合いを、なさってくださいませ」

ブランシュ伯爵は、何度も頷きながら、深く一礼をなさった。ご令嬢を、ご自分の方へ、半歩、引き寄せておられた。ノエル様は、伯爵の隣で、両手を膝の上に置いたまま、動かなくなっておられた。

王妃陛下は、最後に、わたくしの方へ、もう一度、視線を向けられた。

「ジゼル」

「はい、陛下」

「四年間、ありがとうございました」

陛下のお声は、本日のうちで、最も短かった。

「あなたが整えてきた、王宮の格は、わたくしどもの、誇りです」

わたくしは、何かを、申し上げようとした。声が、出なかった。代わりに、深く、頭を下げた。母も、わたくしの隣で、深く、頭を下げた。母の手が、わたくしの肘の脇を、一度だけ、軽く支えた。

事案整理の最後に、アルベリク殿下が、お席から一歩、進み出られた。

「国王陛下、王妃陛下」

殿下のお声は、外交特使のお声だった。

「ヴァロワール王国王弟、アルベリク・ヴァロワールとして、本日の事案整理に、深く感謝申し上げます。加えて、わたくし個人より、両陛下に、改めて正式な拝謁を、申し入れたく存じます」

殿下のお声は、外交特使の声から、半度だけ、お脱ぎになった。

「議題は、ジゼル・オルランド侯爵令嬢に、関わるものでございます。わたくしの国の王家として、両陛下に、申し上げたいことが、ございます」

王妃陛下は、隣の国王陛下の方をご覧になった。国王陛下が、軽く頷かれた。

「アルベリク殿下、明日、改めて、お時間をお取りいたします」

「ありがとう存じます」

殿下は、もう一度、礼を取られて、お席に戻られた。殿下のお席に戻られる足音が、いつもより、慎重だった。

ベルナール卿は、殿下の所作を、お隣で、ただ静かに見守っておられた。本日、ベルナール卿は、一言もお話しにならなかった。けれど、わたくしと一度だけ目が合った時、卿は、わずかに、頷いてくださった。

謁見の間を、退出する時。

参列者全員が、入場の時と、同じ順で、退出した。国王陛下、王妃陛下、続いてレオン殿下。

レオン殿下が、退出される間際、廊下の角の手前で、一度、わたくしの方を、お振り返りになった。何か、仰ろうとして、結局、仰らなかった。代わりに、頭を下げて、廊下の角を曲がられた。

ノエル様とブランシュ伯爵は、無言で、わたくしと母の前を通り過ぎていかれた。ノエル様は、わたくしの方を、半歩だけ、見ようとして、結局、見ずに、廊下を進まれた。ノエル様の指が、ご自分のドレスの脇のところを、一度、強く握っておられた。

謁見の間の前の長い回廊を、母と並んで歩く。母は何も仰らなかった。ただ、わたくしの肘の脇を、軽く支えてくださっていた。

回廊の半ばで、母が、低く仰った。

「ジゼル」

「はい、お母さま」

「お疲れさま」

母は、それだけ仰った。それ以上、何も、仰らなかった。わたくしも、何も申し上げなかった。

回廊の出口の近くで、控えの間の扉が、半開きになっていた。中に、ノエル様の姿が見えた。ブランシュ伯爵は、ご家族の馬車を呼ぶために、玄関の方へ先に出ておられた。ノエル様は、お一人で、控えの間の卓の前にお座りになっていた。両手は、膝の上で、強く組まれていた。

ノエル様が、わたくしの足音に気づかれた。ゆっくりと、頭を上げて、わたくしの方をご覧になった。

「ジゼル様」

ノエル様のお声は、いつもよりずっと、薄かった。

「少しだけ、お時間を、いただけませんでしょうか」

母が、わたくしの肘から、手を、そっと外した。

「ジゼル、わたくしは、先に、馬車寄せの方で、お待ちしていますね」

母は、ノエル様に、軽く一礼を返して、回廊の先へお進みになった。

わたくしは、控えの間の扉を、半歩だけ押し開いた。中に入る。扉は、半開きのままにしておいた。

「ノエル様」

「ジゼル様」

ノエル様の唇が、震えた。

「わたくし、自分のことが、よく分からなくなってしまいました」

ノエル様の声は小さかった。

「レオン様のこと、四年間、ずっと、慕っておりました。本当に、慕っていたのか、それとも、お兄様のように、守ってもらいたかっただけだったのか――それすら、今は、よく分からないのです」

ノエル様は、一度、両手を、膝の上で組み直された。

「ただ、わたくしが、守られていた四年間に、ジゼル様が、わたくしの分まで、何かを、背負ってくださっていた、ということだけは……」

声が震えた。

「やっと、半分くらい、分かりました」

わたくしは、立ったまま、ノエル様の前で、しばらく、何も言わなかった。座らなかった。立ったまま、お話を伺うのが、本日の正しい間合いだろう、と思った。

「ノエル様」

「はい」

「あなたが奪ったのでは、ございません」

わたくしの声は、自分が思っていたよりも、柔らかかった。

「わたくしが、譲り続けたのです。四年間、わたくしの方が、降りる勇気を、持てなかった。それは、わたくしの責任でもございます」

ノエル様は、頭を下げて、長く、肩を震わせておられた。涙はこぼれていなかった。ただ、震えていた。

「ノエル様、デルフィーヌ夫人が、先日、仰ってくださった通りでございます。ご自分の足で、お立ちになる訓練を、これから始めてくださいませ。ご家族と、ゆっくり、お話し合いになって」

「ジゼル様」

ノエル様は、頭を下げたまま、お声を上げられた。

「本当に、申し訳ございませんでした」

ノエル様の頭が、もう一度、下がった。その頭は、わたくしの方ではなく、卓の方を向いていた。

四年間、わたくしの方を見ずに、レオン殿下の方ばかりを見ていらしたノエル様が、本日、初めて、ご自分の卓の方を、見ておられた。

わたくしは、何も申し上げなかった。代わりに、半歩だけ、扉の方へ下がった。

「ノエル様、お顔を、上げてくださいませ。本日は、ご家族と、お話し合いの方が、先でございます」

ノエル様は、頭を上げて、わたくしを見上げられた。頷かれた。頷きは、小さかった。けれど、四年間で、初めて見る種類の、頷きだった。

わたくしは、控えの間を退出した。扉を、閉めた。

馬車寄せの方へ、回廊を歩いていく。母が、馬車の前で、わたくしを待っておられた。

馬車に乗り込む前に、王宮の侍従が、急ぎ足で、わたくしの方へ駆け寄ってきた。

「ジゼル様、明日の朝、レオン殿下が、オルランド侯爵邸を、お訪ねになりたい、とのお話でございます。先方からは、『最後に、一度だけ、謝罪させてほしい』との、お申し出でございます」

わたくしは、馬車の扉の前で、半秒、足が止まった。それから、軽く頷いた。

「明日の、午前中に、お会いいたします」

侍従が、頭を下げて、王宮の方へ戻っていった。

馬車に乗り込んで、扉が閉じる。膝の上に置いた手の甲に、午後の光が、ほんの少しだけ残っていた。母は、わたくしの隣で、何も仰らなかった。ただ、わたくしの手の上に、ご自分の手を、軽く、重ねてくださった。

馬車が動き出した。王宮の白い石壁が、窓の外で、ゆっくりと、後ろに流れていった。