軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

18. 必死

見舞いを終えた三人は、桜子の病室を後にして並んで歩いていた。ちらちらっと当夜が薫を見る。薫は一つ大きなため息を付いた。

「 当(・) 夜(・) の伯父さんに、伝言頼んでいいか?」

薫が当夜に言う。

「え?」

慌てて当夜が顔を上げる。

「あの時、そういえば巌さんだけは秋人を呼んだことで後藤さんを咎めてたからな。まあ積極的には止めなかったけど。うん…まあ、すいませんでした」

「はい」

当夜が嬉しそうに笑う。

「今日は唐揚げたくさん作るか」

唐揚げは二人が好きなおかずだ。

「早く帰ろう」

と当夜が笑顔で促す。薫も苦笑して頷いたが、秋人は少し元気がなかった。

「秋人…」

夕飯の後もまだ少し元気がない秋人に薫は呼びかける。

「カルピス作った」

「ありがと」

秋人は薫からグラスを受け取る。ベランダに出て月を見ていた。

「何かあったのか?」

薫の言葉に小さく頷く。

「なんか、僕、驕ってたなぁって」

薫は無言で先を促した。

「何というか、昔の方が強かった気がする」

あんなミスをしたことなかった。淡々とタスクをこなしていた頃の方が、今みたいに感情に揺られて失敗するなんてこともなかったのに。

「うーん、俺はそう思わないけどな」

薫はハイボールに口をつけながら言う。今度は秋人が無言で続きを促す。

「確かに、秋人は感情が豊かになった分、色々悩んだり思ったりすることが増えたんだろう。おそらく、今回の仕事が1年前なら君はもっと簡単に依頼をこなしていたかもしれない」

薫は金色の液体を月に翳す。

「たぶん、結果として霧崎桜子は死んで、アークエンジェルのみんな、特にリーダーの康子さんは、きっと生涯心に癒せない傷を負ったと思う」

「あ…」

確かに、1年前の自分なら、おそらく何の躊躇いもなく桜子の首を落としていただろう。昼間の病室の彼女たちの笑顔を思い出す。

「君が悩んで苦しんで、必死に考えて抗った結果、彼女の命とみんなの笑顔を守ることができた」

薫は少し照れくさそうに

「俺はそれをとても誇りに思うよ」

と言った。

秋人は、何も言えなかった。どんな賛辞よりもそれは心に残る言葉だった。

たった一つの言葉だけで、何もかもが報われるということがあるのだと知った。

翌日は土曜日で学校がお休みだ。朝食に起きてきた秋人の前にご機嫌な薫が笑う。

「秋人、久しぶりに俺と遊びに行こう」

手には2枚のチケットがあった。

「全国高等学校野球選手権大会 予選」

と書かれた看板の立った野球場。

「薫、僕野球はさっぱり知らないよ」

「まあ、俺もルールくらいしか知らん」

二人ともダメダメな感じで会場に足を踏み入れた。

薫は応援席に適当に座る。秋人も仕方なく腰を下ろした。野球は既に秋人の中であまりいい印象がない。なのにどうして?と不思議な顔で秋人が薫を見る。

薫は片手にビール、片手にルールブックで解説を開始した。

「勝ってるのが轟学園。負けてるのが帝都大付属高校。甲子園常連校だ。3対2」

薫が目の前の試合の展開を説明する。

「あれ?これもしかして結構ピンチなんじゃない?」

目の前で展開されているのは、9回裏2アウト満塁の場面。守備は轟学園、攻撃は夏の甲子園で優勝したこともある強豪校だ。おそらく簡単にひねりつぶせると思っていた強豪校のベンチは青ざめている。うっかり二軍を投入した結果、現在敗退の危機に直面しているのだ。そりゃあ、青くもなる。

しかし、さすがは名門。最後の最後で粘りを見せ、一打逆転の場面まで持ってきた。

マウンドには、1年生ながら圧巻のピッチングを披露している木下智輝がいる。

内野が全員集まって作戦会議だ。9回まで一人で投げている。もうへとへとな筈だ。だが智輝は首を振って交代を拒絶した。

「木下…」

秋人がぽつりと呟いた。

応援席では「あと一人コール」が響き渡る。

1球目、ど真ん中のストレート。空振り。

2球目、外郭いっぱい惜しくも外れたボール。

3球目、今度は内角ぎりぎりボール。

カウント2-1。

4球目、外郭ぎりぎりへのカーブを打たれたがファール。これで2ストライク2ボール。

5球目、上からかなり落ちるフォーク。バッターがバットを止めたのでボール。

2ストライク3ボール。

「がんばれ…」

秋人が小さく唸る。こんな緊張する場面で、魔法をなしで、あんな小さなミットにボールを投げ入れるなんてできるのか不思議だった。

いつもの不遜な顔でも、最後に見た泣きそうな顔でもない。淡々とした無表情。

智輝の最後の投球は最初と同じまっすぐのストレート。ボールはミットの真ん中に吸い込まれるように収まった。

「ストラーイ! 試合終了」

審判の声と共に、マウンドの智輝が吼える。メンバーが駆け寄って智輝を祝福している。

「凄いな」

「うん、凄いね」

薫と秋人は感嘆の声を上げた。

あんなに上手いのならそりゃあ、プロになりたかろうと薫は思ったし、親の仕事の関係でその道が閉ざされているのは酷い話だなと思った。

「秋人?」

気が付くと秋人がいない。座席を駆け下りて行っている。フェンス越しに智輝が秋人に手を振っていたからだ。

「来てくれたんだ!父さんが神崎さんにチケット渡したって言ってたけど」

驚いた顔で智輝が言う。

「薫に連れてきてもらったんだ。凄かった!びっくりした!木下、すごく上手だったね」

秋人の誉め言葉に、智輝は照れたように頭を掻いた。

「父さんは如月は野球はできないから諦めろって。なんか事情があるけど、本人が言うまで言えないって言われたんだ。」

「うん。僕も興味がないとか酷いこと言った。ごめんなさい」

秋人が謝ると智輝が慌てて手を振る。

「いや、俺がしつこかったから。ごめんな。でも今日は応援にきてくれてありがとう」

にこりと笑った。

「木下はさっきの最後の球を投げる時、怖くなかった?緊張しなかった?」

秋人の質問は冷やかしではなく真剣だった。だから、智輝も真面目に応えた。

「緊張するし、怖いよ。でも大丈夫だって俺の力を信じて投げる。俺が信じなくて誰が信じるんだよって思って投げたんだ」

智輝の言葉に秋人は頷く。

「そっか…ありがとう。僕も今度は信じてみる。」

それじゃあ!と秋人は笑って踵を返した。智輝の背後でチームメイトが呼んでいるので、彼も慌てて振り返る。

「智輝!」

秋人が少し離れたところから呼びかけた。智輝も足を止める。それは秋人が初めて自分の名前を呼んだのだと、智輝は気が付いた。

「もしも、もしもだよ。智輝がどうしても、どんなに努力しても理不尽な理由でプロになれなかったら、薫のとこにきて。今度は僕が絶対に力になるよ。今日はありがとう!」

「?」

その言葉の意味は、その時の智輝にはよくわからなかった。

しかし、2年後とある球団が買収され、そのオーナーの名前を見た時に、智輝はこの時の秋人の言葉の真意を知ることになる。

「何話してたの?」

薫が秋人に尋ねる。

「緊張を力に変える方法を教えてもらってたんだ」

秋人が笑う。いい笑顔で笑うようになったなぁと薫は思った。

「あのさ、薫。」

「うん?」

秋人の気分がようやく上がったようで、嬉しかった薫も機嫌よくにこりと笑って、ビールに口をつける。

「プロ野球のチームっていくらくらいで買える?」

薫は、秋人の無邪気な言葉に、飲んでいたビールを吹き出す羽目になった。

初夏の強い日差しの元、夏はすぐそこだった。