軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

12. 激怒

「いて」

薫の頬に痛みが走った。

昨日の騒動で跳ねたガラス体が当たった傷が、頬に小さく切り傷を作っている。秀麗な美貌に一筋赤いひびが入ったような状態になっていた。

簡単な治療は済ませていたが、きちんと治療魔法で治せばすぐにも治る傷なのに、陸軍関係者は手配しなかった。

人を食った態度と脅しがまったく効かないことに、業を煮やしていたトーマスは、薫に嫌味を言いだした。

「ふん。綺麗な顔が台無しだな」

「そう?結構気に入ってるけど」

薫が肩を竦めた。

薫自身は己の風貌にさして重きを置いていない。どちらかというとトラブルを抱え込む羽目になることが多かったので、少しでも影響が小さくなるならありがたいくらいだった。

「はっ、日本みたいな礼儀や外面が大切なところで、頬に切り傷がある弁護士が信用されるわけないだろう。お前の弁護士稼業も終わりだな」

トーマスが煽り文句のつもりでそう告げた時、異変が起きた。

「黙れ」

静かな声に思わず薫も振り返った。

ソファに小さくなって座っていた秋人から発せられた声だということが、その時ようやく理解ができた。それくらいいつもと違う地を這うような声だった。

「何を…」

トーマスが何かを言おうとしたが、思わず後じさる。秋人の体の周囲から、緑色の光が炎のように立ち上っていたのが見えたのだ。

「はっ、いくら攻撃してもこちらの結界は…」

「お前はもう黙れ」

秋人が顔をあげる。その瞳は冷え冷えとした殺気を放っていた。

ダニエルごと慌てて背後に下がったが、締めたドアに二人してぶつかり、無様に転がる。

「秋人…っ」

薫が何か声を掛けようとしたが、もう秋人は聞いていなかった。

無性に腹立たしかった。何もかもが。

自分が子供なこと

一人では生きていけないこと。

薫をこんなところまで連れてきてしまったこと

薫を酷いトラブルに巻き込んだこと

何もかもが腹立たしく憤ろしく、腹のそこから湧き上がってくるこらえきれない感情が抑えられない。秋人はぎりっと音が立つくらい奥歯を噛みしめた。

何よりも

自分が

薫の危機に何もできず

拳銃に怯えて立ち竦んだ自分が

一番許せなかった。

秋人の豹変にびっくりしている薫が目に入った。頬に一筋の傷が見える。

守ると誓ったのに

何を犠牲にしても、自分が死んでも

必ず彼を無傷で、彼の事を待つ、たくさんの人の元へ、帰すと決めていたのに

「いい加減にしろよ、黙っていればいい気になりやがって。そんなに見せてほしいなら見せてやる」

秋人が双剣を顕現させる。そして、薄くはかない結界に全力を叩き込んだ。

結界が微かな抵抗を見せるが、秋人の前ではこんなものは障子より柔らかく、何の障壁にもなっていないも同然だった。

それを破らず大人しくしていたのは、薫がジョージを待てというからだった。しかし、秋人の自制は限界を超えた。

これではもう、薫の大切な公判に間に合わせて帰ることができない。

激しい後悔と怒りが、秋人が今まで抑えていた感情の壁を壊した。

電車が急ブレーキをかけるような擦過音が甲高く響く。

結界を破壊し、ドアと壁を破壊し、その先へ。光と熱の奔流が一直線に駆け抜けた。

電気がショートする音、何かが破裂する音、爆発する音、砕ける音、連鎖して阿鼻叫喚の悲鳴と共に、秋人の前にあったものはすべて破壊され、建物の壁を貫通し、その先へ突き抜けていった。さらに、その先の陸軍の建物に着弾した音が遠く聞こえてきた。

「わお」

薫が思わず声を上げる。

破壊の跡がすさまじく、薫は顔が引きつるのが分かった。かなり秋人の限界が来ているのは分かっていたが、正直ここまでとは思っていなかった。

思春期の少年の心は図りがたい。

「秋人?どうしたの?そんなに怒らなくても…」

薫の言葉を遮るように秋人は叫んだ。

「お前らの所為で、薫が、僕のそばからいなくなったらどうしてくれるんだよ!!」

「え?」

秋人は肩を怒らせて怒鳴りつける。

「薫が僕の代理人じゃなくなったら、どうするんだよ!」

「秋人…」

薫は驚いて立ち竦んだ。まったく予想外の言葉だった。

秋人はとうとう我慢しきれず涙を零した。

こんな風に泣くなんて初めての事だった。子供のようにしゃくりをあげて、癇癪をまき散らし、喚いて、駄々をこねるなんて「まるで子供だ」と分かっているのに抑えられない。

「秋人…」

薫がそっと秋人の頭に手を載せた。ボロボロと涙があふれるのを止められない。

「薫、ごめん。ごめんなさい。いつもいつも迷惑かけて…」

しゃくりあげながら秋人が言う。

「迷惑なんて思ってないよ」

「でも」

「本当に思ってないよ」

薫の言葉に、秋人は嫌々するように首を振った。

「でも、代理人になんてなりたくなかったんでしょ」

とうとう言ってしまった。「そうだよ」と言われるのが怖くて、「そんなことないよ」と優しい慰めを与えられることが怖くて、今まで尋ねることができなかった。

「僕、ミドリさんに言ってたの聞いてたんだ」

それでも、傍にいて欲しかった。

「いい子にするから、なんでもするから…」

秋人は小さく小さく呟いた。

「一人にしないで」

今の秋人にとって、それだけがただ一つの願いだった。

薫は己のうかつさを呪った。少し前から様子がおかしかったのはこの所為だったのかと。

自分の軽口が、秋人をどれほど傷つけていたかと思うと胸が痛かった。

「秋人、言いにくいんだけど、誤解だよ。ミドリにそれを言ってたのは税金対策の話の時だね。」

「・・・・・」

秋人は答えない。少しだけ頷くだけだった。

「あの時は、秋人にもらった報酬を納税したくないって俺は駄々こねていたんだよ。だって、君から掠めとられたものを、また元に返すなんて腹だたしいからね」

「・・・・・・・・・」

ひっくと秋人がしゃくりあげる。

「俺が後悔していたのは、カッコつけて『代理人になる』なんて言うんじゃなかったってことで、君の代理人になったことを後悔している訳じゃないよ。この差は分かる?」

秋人は無言だ。

「もっとシンプルに君を助けるよって言うだけで良かったし、何ならあの時俺は、君から報酬をもらおうなんて欠片も思ってなかったんだ。」

あの時の薫は秋人に感謝の気持ちを伝えたくて、けれどもダイレクトにそれを言うのは少しだけ薫も大人になり切れなかった。

「でも、そういうことを言うのが照れくさくてね…まさか君が代理人の成功報酬は利益の5パーセントだって言いだすなんて思ってなかったんだよ」

秋人の両頬に手を添える。

「ごめんよ、秋人。不安にさせたね。俺は秋人がもういいっていうまで、君の代理人をやめるつもりはないし、何ならもういいって言っても、それに明確な理由がなかったら納得しないからね」

「でも、僕といると薫はいつもひどい目に合うよ」

「え?それはないでしょ。どちらかというと俺がトラブルを呼んでいる気がするよ」

秋人の震えながらの反論に、薫はストレートに思った事を口にした。

そもそも二人の出会いだって、別に秋人の所為でダンジョンに落とされたわけではない。己の女を見る目がなかっただけである。地味に痛い。

「ほんとは…」

秋人が小さく囁く。

「本当は、薫が僕からお金をもらおうなんて思ってないの知ってた」

「え?そうなの?」

薫は思わず聞き返す。

「でも、お金払ったらずっとそばにいてくれるかもって。まだあと半分、10年かけてギルドから払ってもらえるから、そしたら10年は一緒にいてくれるかもって、そう思って…」

単純なことだった。秋人は薫のそばに居たかった。

頼むって最初に言ってくれた人。秋人を怖がらず、普通の子供のように扱ってくれる人。一緒にSランクになってくれる人。 探索者(シーカー) を辞めてもいいよって言ってくれる人。 探索者(シーカー) ではない秋人でもいいと言ってくれる人。

手放したくなかったのだ。

「だから、お金を払ったの」

「おおう…」

薫はため息をついて、頭を押さえた。これはもう何というか己の大失敗である。

薫は、秋人の頭をぐりぐりと撫でた。

「俺は秋人の代理人だけじゃないだろう。保護者で同居人でパーティーメンバーだ。」

「うん」

「代理人以外は、お金払わなくても続く関係だろ?」

「うん」

「だから、そんな悲しいこと思わなくていいから。何度も言っているだろう。秋人はなんでもできる、どんな者にもなれる。君の願いをかなえるために俺はここにいる」

「一緒にいて」

こんな悲しい切なる願いを断れるものなどいるのだろうか。

「いいよ。一緒にいるよ。」

薫は、そっと秋人を抱きしめた。こんな風に誰かを抱きしめるのはいつぶりだろう。迷子になった弟を見つけた時以来だろうか。

ぎゅっと握り返してきた秋人の手の重みを、薫は忘れないでおこうと思った。