作品タイトル不明
3. ペンの力
新幹線が東京駅をすぎ、品川で停車する。薫が大阪に着いてからの諸々のことを考えていると、ふと視界が翳った。
「ここ、いいですか?」
と薫は声を掛けられて目線をあげた。黄色いブルゾンを羽織った気の良さそうな青年が立っていた。
「君ですか…」
薫が呆れたように顔を歪める。そうすると秀麗な美貌なだけに、ものすごく切れ味の鋭い顔になるのだ。言われた男の笑顔が引き攣った。
「指定席なので、ご遠慮ください」
と薫が澄ましていう。
「またまたー、空席じゃないですか」
男は強引に席に着こうとしたが、薫はどさりと荷物を置いた。
「新横浜から連れがくるんです」
と薫がけんもほろろに断ると、男は肩をすくめた。
「じゃ、あっちに座ろうか…」
とキョロリと見渡して、ぱっと笑顔になった。
「秋人くん!」
喜色にまみれた声で秋人の名前を呼んだ男は、秋人の隣にどっしりと座っている男性に気がついて歩みを止めた。
秋人の隣に姿勢正しく座っている人物の眼光に、男は思わず一歩下がる。
「席は空いてませんよ。そもそもここグリーン車なんでね。指定買って乗ってください」
と巌が静かに告げる。
男は露骨に嫌そうな顔をした。
「いや、だってこの車両買い占めたでしょ。朽木会長」
「人聞きの悪いこと言わないでください。社用です」
「社員今いないじゃん!」
と男は抗議の声をあげた。
帰省ラッシュの「のぞみ・グリーン車」を一両買い占めとかどんだけ悪辣なんだと男は臍を噛んだ。
大阪までの2時間少し、ゆっくり話が聞きたかったのに。会社に無理言って休みをもぎとって新幹線のチケットを取ったというのに!!
「お帰りはあちらです。東都新聞の小金井記者」
巌がにこりと笑った。目が笑っていなかったので、小金井は仕方なくこの車両を後にした。
「しつこいねぇ」
秋人が半ば感心して声をあげる。
「まあ、あの会見会場にいた300人以上のメディアの中で、真実を教えて欲しいって食い下がったのは彼だけってことだけでも根性はあるよ」
薫が苦笑する。
小金井充は東都新聞の社会部の記者だ。まだ若い駆け出しで、熱意だけはあった。
「ゴシップ目的ではなさそうだけどね」
薫はふっと口元に柔らかな笑みを浮かべた。そういう表情を家族以外の誰かに向けて浮かべることは珍しい。
「薫、本当は小金井さんのこと、嫌いじゃないでしょ」
と秋人が探るように上目遣いで見つめると、薫は今度はニヤリと笑って見せた。
「まあね。だって、『僕は如月秋人の力になる為に記事を書きたいんです』って言って来たのは彼たった1人だからね」
熱意は買うというところだ。但し、薫は彼の技量にはまだ疑いを持っている。なので、証明してほしい。彼のいうところの「ペンの力」を。
小金井充は自分の指定席に座ってため息を吐いた。これで5度目のアプローチだ。そのうち1回は薫が秋人と一緒のところに遭遇したので、お話にならなかったが。
初めて直接見た如月秋人は、薫と並んでも遜色ない美少年だった。「うわ、本物だ!あれが如月秋人だ!!」と興奮しているうちに追い返された。もちろん、彼の顔を晒す気などは毛頭ない。ただ会えただけでもその日は嬉しくて眠れなかった。
「秋人くんと話したいなぁ」
と呟く。小金井充は強火の如月秋人ファンだ。記者になってからいつか彼のインタビューを取るのが目標だった。まさか彼があんなにマスコミを毛嫌いするようになるとは思わなかったが、経緯を知っているだけに少年A事件の連中に恨み言の一つだって言いたくなる。小金井は深くため息を吐いた。
小金井が薫の事務所に訪ねてきたのは、例の会見から2週間ほど経ってからだった。
その頃にはすでに報道は落ち着いていて、世間の関心は如月秋人より栗原総理大臣がインドと直接結んできた通商条約の方に移っていた。
「東都新聞社会部の小金井です。神崎薫さんへの取材をお願いしたい」
と事務所受付で小金井は名刺を差し出して告げた。
所長室にその名刺を持ってきたのは、新たにアルバイトになった賢治だ。
「えっと、新聞社の人です」
「アポは?」
「ありません」
「んーーーーー、ま、いいか。30分だけでいいならって伝えて?」
と薫は頷いた。小金井はラッキーだった。持ってきたのが当夜だったなら、
「マスコミ関係はアポ無しは受けないって言ってるだろ」
で終わったところだったらしい。
小金井は後で仲良くなった当夜からそのことを聞いて以来、ちゃんとアポは入れるようにしている。薫はアポさえ入れればちゃんと話は聞いてくれるのだ。そのことを知らないマスコミは多い。もちろん、小金井もそれを吹聴する気はない。自分のライバルを増やして意味がないからだ。
小金井はやや緊張気味に薫の前に座っていた。目が合わせられない。
先輩からは奴の事務所で会うのは止めておけと言われたし、裁判関係に詳しい記者からは、奴とは絶対に目を合わすな、ペースに持っていかれるぞとアドバイスを貰っていた。
しかし、噂に聞いていた薫の美貌は小金井の想定をはるかに超えており、正直生きた心地がしなかった。蛇に睨まれたカエルの心境である。
「それで?お話とは?」
コーヒーに口を付けながら優雅に薫が促す。ごくりと小金井は唾を飲み込んだ。
「如月秋人さんに直接取材させていただけませんか?」
とどストレートに頼んだのがよかったのだろう。薫は面白そうに少し笑った。
「何をお聞きになりたいんですか?」
「全てを」
おそらく、隠しているもっとたくさんのことがあるはずだと、小金井は睨んでいる。
それが秋人自身のことなのか、彼のご両親のことなのか分からない。いろいろと隙間を見つけて調査を進めているのだが、どこか焦点が合わないことが多かった。
「全て…ねえ」
くすりと薫が笑う。それだけで、ものすごい迫力だった。小金井は薫の圧に押し負けて逃げ出したくなる己を必死に支えた。編集長に啖呵を切って如月秋人の取材をしたいと言ったときだって、ここまでのプレッシャーは感じなかった。
「その取材を秋人が受けるメリットは?」
「は?」
小金井は薫の言葉の意味が分からなかった。
「まさか、秋人になんのメリットもない取材を受けろと?なんの為に?」
「そ、それは、我々には知る権利が…」
と小金井が言うと、薫は明から様に嘲笑を浮かべた。
「お話にならない。最低でもビジネス上での取引くらいは提示するかと思ってたけど、まさか『知る権利』とはね」
小馬鹿にされて小金井のマスコミ的なプライドがチクリと傷んだ。
「神崎さんだって弁護士でしょ。僕らには社会の闇について知る権利があります」
と小金井は自分の知っている正義を振り翳した。
「ええ、弁護士ですよ。秋人のね」
薫の言葉にはっとして小金井は目の前の人の表情を見た。
「君、まさか自分の知る権利が秋人のプライバシーを守る権利より重いと私に言うつもりですか?秋人の権利を守る為の代理人である私に?」
「・・・・・」
「なんの利益も提示せず?秋人の個人情報を君に与えることで、秋人が何か利益を受ける、その利益が彼の個人情報以上の価値がある場合のみ、この交渉は成立すると思いませんか?」
「それは…」
「自分たちはマスコミで何でも知る権利がある?まさかそんなお為ごかしを信じてここまでアポイントも無しで乗り込んできたと?」
ぐうの音も出なかった。まさかここで「そうだ」と言える面の皮の厚い記者は流石に皆無だろう。
「お話になりません。これ以上聞くのも時間の無駄です。出口はあちらです」
小金井は慌てた。千載一遇のチャンスだとわかっていた。ここで薫の関心を引けなければ、おそらくチャンスはない。そう記者の勘が告げていた。
「待ってください!すいません!僕が間違っていました」
「へえ」
薫が少しだけ目を見張った。薫の認識ではマスコミという連中は謝ると死ぬのか?というくらいに謝罪しない生き物だ。
「僕は知りたいんです。如月秋人とという人がどんな想いで、これまで僕たちを守ってくれていたのか?どんな苦しい思いをして助けてくれたのかを。超人だ、聖人だって言われてたけど絶対にそんなことはない!彼にだって言いたいことがあるはずだ!」
「・・・・・」
「僕は彼の力になりたい!僕は自分の職業に誇りを持っている。僕の、いえペンの力で彼の助けになりたいんです!!」
青臭いと先輩に言われた。編集長にもそんな理想に自分の安寧と命を賭けるのか?と呆れられた。けれども、小金井のそれが本心だ。そして、先輩たちがまあいいんじゃね?と送り出してくれたのも、それが原因だった。
小金井の言葉を聞いて薫は小さく首を傾げた。
「ふうん」
値踏みするような表情だった。
「お気持ちは理解しました。ですが、本日はそれまで。お帰りはあちらです」
白くて長い指が扉を指す。小金井はがっくりと肩を落とした。
「熱意だけではお受けできません。さきほど私があなたに言った言葉を、もう一度よく考えて出直していらっしゃい」
薫は静かに微笑んだ。先ほどのような傲慢な表情ではなかった。
「次はアポをとってください。わたし、忙しいんです」
と秋人の守護天使は少し楽しそうに、小金井にそう言い渡した。
薫はこのままマスコミと仲違いしているつもりはなかった。扇動は彼らをもって開始されるというのがよくわかっていたからだ。
先日の爆破予告でも、如月秋人からの予告という内容をセンセーショナルに放送していた。これまでの如月秋人の功績から見ても、悪戯、虚偽の可能性の方がはるかに高いのにである。
番組内の解説者も如月秋人のイメージを悪くする方向へ誘導を仕掛けていた。直接 救世来神教(エルミネイト) が関与しているかどうかは分からないが、あの手の輩はある程度金で誘導できる。そういうじんわりとした包囲網を形成する予定だったのだろう。
まあ、ヨナの大ポカで 救世来神教(エルミネイト) のかなり予算をかけた作戦はパーになっただろうが。
できれば、マスコミの中に秋人の味方を作っておきたい。そして、薫は密かにあの若くて無鉄砲な青年にその役割を期待していた。
何よりも彼は秋人の力になるために、自分の生活と安寧を犠牲にしても良いという覚悟で薫の前に立ったのだ。
それだけでも、他の腰抜け記者よりもおおいに価値があるとそう思った。