軽量なろうリーダー

「そうです、すべてが一度狂うのです」

作者: イチイ アキラ

本文

「サリザード公爵令嬢アリアリーゼ! お前との婚約をここに破棄する!」

「かしこまりました!」

「お前はこのリリーナの祖母の形見のネックレ――え?」

勢いで罪状を挙げようとしていた第一王子クラレンスは、アリアリーゼがあっさりとうなずいたことに勢いを止められた。

突き付けた指もフルフルと震えて行き場をなくしかけている。

クラレンスに抱きしめられていた男爵令嬢のリリーナもぱちくりと、泣き真似を忘れてまばたきをしていた。可愛らしい丸い瞳が、オリーブグリーンの優しげな色であると皆さまよくわかるくらいに。

けれども先ほどまでは少々小狡るく泣き真似をしていた瞳だ。

「お、お前はリリーナの祖母の形見の」

それでも続けようとしたクラレンスの頑張りは認めてあげても良いかもしれないが、アリアリーゼはそれに付き合うことはなかった。

それはもう、とうに過ぎたのだ。

それとは何が?

関わる気力も体力も、だ。

そして時間。時間とは値千金。

「あ、時間が押しますからそれは抜きで」

「え」

「こうなっちゃったら私が仕切って良いと、陛下がたからは前々から許可をいただいてますから」

「え」

アリアリーゼはパンパン、と手を打って――仕切った。

「さぁ、皆さま! 人事がいろいろかわりますからね! あとで正式に書類は発行しますが、まずは各人、部所が変わる人はそちらに向かってください!」

そしてクラレンスのおかげで静まりかえっていた広間はザワザワとし始めた。

「ま、まて! アリアリーゼ! お前、いったい……」

「あら、まずはクラレンス様にいたしましょうか? 貴方はそちらのリリーナ嬢のダート男爵家に婿入りが決まりました。今」

婿入り。

決まり、ました――今?

「な、な……」

「どういうことですか!?」

ついて行けていないクラレンスの代わりにリリーナ嬢が叫ぶように尋ねていた。

リリーナはてっきり、自分はこのアリアリーゼの代わりに新しい婚約者に。そして行く行くは王子妃――そして王妃になるのだとばかり、考えていた。

それがまさかの、婿入り。

「だって」

アリアリーゼがそんな表情をするのをクラレンスは初めて見た気がした。

そんな、まるで駄目な子を「仕方無い」とあやすような……。

「だって貴方、王子としてやっていけないじゃあないですか?」

「は、はぁ!?」

「簡単に言ってあげると、お馬鹿さん」

「ば……っ!」

「のーたりん」

クラレンスは自分はそこまで言われるほどかと絶句した。

確かに難しい書類仕事や政策の案出しをアリアリーゼや側近たちに任せたりはしていたが、そんなのは当たり前だと思っていたから。

彼らはそのために自分につけられた婚約者で、側近だろう?

だって。そうしてよいと母が……。

母も、側妃や側近たちに……。

「しかも第一王子であるだけなのに、「王太子」だとかあちこちで威張っていたそうですね。なんてお恥ずかしい」

「な、な……貴様! 無礼だぞ! 私が……私、が……ただの、第一王子……?」

アリアリーゼの言った言葉の意味を理解するくらいはできたようだ。

「そうです。第一王子。王太子じゃありません」

「そんな……」

「次の王は未だ決まっておりません。貴方の他に王子も有力な候補もいらっしゃいます」

例えば後ろ盾が強い第二、第三王子とか。

例えば現王の歳の離れた王弟とか。

例えば王姉が降嫁した公爵家の息子たちとか。

例えば例えば。

例えば公爵令嬢を婚約者として足場を固める予定 だった(・・・) 第一王子より、しっかりとした方々が。

「まだ我が国は、次代の王は立太子しておりません」

そして。

「今、 貴方は自ら(・・・・・) 私のサリザード公爵家の後見を外し、王位レースから一抜けた、と宣言なさったじゃあないですか?」

だから人事が変わると皆は慌てているのだ。

「貴方につけていた護衛たちは違う方の護衛にまわります」

クラレンスは周りから護衛がざっと居なくなったことに――ゾッとした。今まで一人で行動したことなどない。身の危険を感じたことも。

それは第一王子として――王位を継ぐ可能性があったからまわされていた護衛たちだったから。

「……ついでに言いますが、貴方にそれだけ護衛がついていたので……全部筒抜けです」

「筒抜け」

「はい、あと貴方と同じように私にも護衛がついていますから、貴方が私にしようとしていた冤罪は、無理です。不可能です。やる気もなかったし。私がリリーナさんのネックレスを盗んだりドレスを破いたり呼んでも参加もしていないお茶会でわざとお茶をかけたり足を引っかけたり転ばせたり髪の毛つかんだり見えないところを殴ったりはできません」

ワンブレスでさっき自分が言おうとしていて遮られた罪状を言い挙げられた。

筒抜け、まさに。

「あ、形見のネックレス……確かリリーナさんと同じオリーブグリーンの瞳のお祖母様。お祖母様がお嫁入りするときにご実家から譲られた家宝の、その色を使った宝石のネックレスはリリーナさんの部屋の引き出しに。ベージュの小袋に入ってるんですよね? お祖母様が生前贈与で「困ったときには売ってお金にしなさい」とまで言ってくださったネックレス。今が困ったときですか?」

本当に筒抜け。

お祖母様も草葉の陰で泣いていらっしゃるだろう。

「ネックレスだけじゃなくて、他にも……そんなことしたらさすがに皆さんが止めますよね?」

アリアリーゼのまわりにいた護衛の騎士たちが、ついでに今までクラレンスのまわりにいた騎士たちまでうなずいた。

「あ、私、監視役でしたから陛下に報告してます」

自己申告まで!?

クラレンスは自分が今まで居るのが当たり前だった護衛騎士たちの役割を、ようやく知ったのだった。

「あ、私も」

「私もです。間違いないよう三人体制です」

しかもめちゃくちゃしっかりしてた。護衛たちはローテーションでその日の報告連絡相談をしていたのだ。大事。

「だから。お馬鹿さんと」

アリアリーゼはため息をついた。

「貴方についていた騎士団のグラフィスさんと侯爵家のアレンドロさん、伯爵子息のジースさん、それとハンディア商会のユーリさんが、側から居なくなったのも気がついていなかったでしょう?」

「い、いや、それは気がついていたけど?」

今日も本当は側にいて、自分のこの婚約破棄の助けをしてくれるはずだった。

彼らはともにリリーナを護ると学園で固く誓いあった友人たちだ。

彼らは友情。

リリーナは自分を愛すると。

リリーナを中心としたその美しい関係を続けるために、今日このアリアリーゼを断罪して……。

「あれ、何で今日学園を休んだんだ? あ、そういえばいつの間にか見ないな? ここ最近……?」

護衛などがいつもいたから、その周りが数人少ない程度は気がつけなかったクラレンスだ。

美しい関係をと言いながらこの程度の繋がりだったのだ。

いなかった時点でやめれば良かったのだとアリアリーゼの目が言っている。

「気がついていた? なのに何もしなかったのですか?」

そしてまた呆れたように、説明された。

「先に人事異動されたんですよ」

騎士団のグラフィスは辺境の一兵卒へ。

侯爵家のアレンドロは領地の隅の小さな森の管理人に。

伯爵家のジースは宰相府へ。

「商会の……えーと、たぶんどこかの丁稚奉公に」

彼の場合は商会長である祖父に任せたのであまり詳しくは。孫に怒髪天をつきながらスライディング土下座をかます人間を初めて見たアリアリーゼは、それに免じて商会の方はその商会長にお任せした。

商会長の彼が他国に出店を広げるために忙しくしていて、信頼して後を任せた長男夫婦がこれだ。孫の教育もできてなかった。

孫は「自分は王太子のお気にいり」と自分が王家に伝手を繋いだと誇らしげにしていた。長男夫婦も孫が優秀だと駄目な目線。

「まだ立太子もしてないわい」と、祖父から拳骨をまずもらってから彼らは現実をしった。

その頃には孫がずいぶんと第一王子やそのお気にいりの男爵令嬢に貢いだ後だった。

「商会への罰は、その補填がないことかしら」

使った金は返されない。商会長は息子夫婦と孫をこれから無休無賃で働かせると言っていたが、その総額をみてまた怒髪天ついていた。御愁傷様である。

そう――彼だけが理解していたのだ。一行のなかで爵位もない唯一の平民である孫だけは、取り上げるものが「命」しかないと。

孫のために公爵家にて命がけで土下座をする商会長の、その気持ちをアリアリーゼは赦したのだ。

伯爵令息のジースだけ 栄転(・・) なのは、彼がクラレンスの代わりに政務あれこれをやっていたひとだからである。クラレンスは彼の御用意した書類にサイン だけ(・・) していたわけだ。

クラレンスの手柄はつまり。

最近ではクラレンスが任されていた地方視察の報告書も、その視察で問題になった道の整備も橋の新築も、すべて本来は彼の手柄であり。

宰相府が手ぐすね引いて優秀な彼の移動を待っているとか。宰相直々に彼のために用意した机を拭いて新しいインク壺やペンを御用意してあげているとかなんとか。椅子に置く座布団まで。苦労しているジースくんのために円形の穴の開いた不思議な形をしているというが、そこはあまり深く聞かない方が良いだろう。座り仕事の多い宰相府の皆さまご愛用とか……うん。

ジース君は宰相府について、そんなに理解され――歓迎し優しくされたことに男泣きしたそうだ。

アリアリーゼも彼の働きを認めていたので、今後は胃薬とかのお薬が必要なくなると良いけれどと、祈っていた。

そう、ジースはクラレンスや他の役職からの板挟みで大変だった。幼少期から優秀と評判だったから、そのせいで側近に選ばれたのは本当にご愁傷さまだった。

彼はアリアリーゼにも、彼女もお家が強いだけでなく、彼女自身も優秀だから、同じく婚約者に選ばれてご愁傷さまと、本当に良く慰めあっていた間柄で。

「本当に人事異動が大変ですわ」

今まで希望職だった人も、違うところに配属になってしまう人もいる。

状況に仕方無しと受け入れてくれたらいいが、そうではない人もいるだろう。

けれどジースのように今まで苦労していた分、新しい職場ではその本分を発揮する者もいるだろう。

逆に今まで能力もないのにその座にあぐらをかいていたものは、これから本来の能力にあった場所に配置されることになる。

そのために、アリアリーゼたちは水面下で働いていた。

「そうです、すべてが一度狂うのです」

今から、王宮や役所などは嵐の後の如くごちゃごちゃになる。

それはおもちゃやパズルをばら撒いたが如くとも。

片づけようとするときには、一度すべて出し切った方が良いのである。

膿なり、塵なり――役立たずなり。

けれど。

「そうしてやっと――正しい配置になるのです」

ようやく、クラレンスも現状がわかりはじめた。

人事異動。

それは王子である自分も対象なのだと。

「あ、じ、じゃあ、アリアリーゼも大変だろう? 私と婚約が無くなったら、ほら?」

「いやまぁ、確かに大変ですが」

「じゃあ、私が婚約者に戻ってやろう。ほら、私は公爵家に婿入りでも――」

アリアリーゼは知っていた。

筒抜け、だったから。

クラレンスは婚約破棄をしたのち――そのアリアリーゼの非道を明らかにしたあと、慈悲をみせて赦して、彼女をこのまま己の下で働かせるつもりだったのだ。

ジースと同じように、これからも自分の代わりに。

いや、これからは王太子妃になるリリーナの代わりに――と。男爵令嬢であるリリーナでは王太子妃の仕事はできないと、彼も解っていたのだ。

だって、彼の母もそうだったから。

同じように父王に見初められた母は、仕事はすべて側妃となった父の元の婚約者だった侯爵令嬢にやってもらっているじゃあないか。

彼は気がついていない。

父王はとっくに目が覚めたから。

だから側妃がいる、のだ。

彼は若い頃の自分と同じようなことをする息子に、改めて我が身を反省なさっているという。

学園で出会った平民上がりの男爵令嬢の虜になった彼は、まさにこの王子が手本にしたように婚約破棄をした――のだが。

王妃は可愛いだけがお仕事だった。

王様は学園を卒業して直ぐに現実を見た。反省した。何なら王位を弟に譲るつもりだった。

「自分は恋に狂った馬鹿王太子です」

当時の者たちには、そんな看板すら首にかけているように見えたという。噂だが。

王様と息子の違いは、彼は学業や王太子としてまかされた仕事の面では真面目だったこと。立太子もしていた。

だから許された。いろいろ。

弟もまだ幼かったし、彼は兄が仕事はできるところは尊敬してくれていた。

そうして、元の婚約者に頭を下げて側妃となってもらい、王妃の仕事をしてもらえることとなった。

離婚はできなかった――すでに腹に第一王子がいたために。

側妃もアリアリーゼと違い、嫉妬から嫌がらせは本当にしてしまっていたため、彼女も反省をしてその詫びを受け入れられた。

嫌がらせと言っても、男爵令嬢の礼儀知らずをたしなめていたくらいだったのが真実だけれども。

「お猿さんには貴族の真似は難しいんじゃあなくて? あら、人間の真似からですわね。はしたない、走るだなんて……」

その言い方がこんな風にちょっとアレだったくらい。嫌味過ぎた。現在はさすがにもう何も言ってない。自分の価値も落としたと反省なさったから。

だから第二王子からは側妃の子でもあることを。

そして、だからこその今。

王は許可を許された。彼も動いていた。

この人事異動を。

その許可をアリアリーゼに。

とある秘密を――アリアリーゼたちは胸に秘めていたから。

何て絵空事を描いていたのだろう。

あっという間に自分の周りから人々が居なくなった。クラレンスもさすがに現実が見え始めていた。

縋りつかせるはずだった相手に、逆に縋ろうとクラレンスは手を伸ばす。

「要りません」

けれど、アリアリーゼの周りの人事にクラレンスは入っていない。

「っていうか、不良債権はご遠慮します」

「な、お前! 失礼だぞ! 私がお前の婚約者に戻ってやろうというのに! 大変だろう――」

不思議そうにアリアリーゼは首を傾げた。

「私の次の婚約の人事も、すでに決まっていましてよ?」

「え?」

「いや、貴方いまさら……私の顔なんてろくに見ていなかったでしょう? そもそも決まりのお茶会もすっぽかしていましたし。その分仕事を押しつけてきて。早々に我が家は貴方を見限ったので、私の次の婚約なんて……とっくに」

今回のこの婚約破棄を待ちわびていたくらいなのに。

だというのに。

いまさら、婚約者?

「……お茶会どころか、学園に入学してからは私をエスコートしたこともございませんでしょう?」

そう。そもそもエスコートしていないから今、こうして――決まったのだ。

ひっそりと悲しかったが、それをアリアリーゼは飲み込んだ。

ツリ目気味の自分より、丸い目の可愛らしい顔立ちの方がお好みであったのだなぁ、とは薄っすらと感じてはいたし。

学園に入学前はそれでもお茶会には来ていたし、歩み寄ろうとはしてくれていた。それくらいは、互いに築けていたと――思ってはいたのに。

「エスコートしていなさるリリーナさまのところに婿入りなさいませ? きっと…… 貴方たちには(・・・・・・) それが一番良い(・・・・・・・) 」

そう人事異動は決まった。

「う、うちには兄が……」

そう、婿入りとされても。

リリーナは声をあげた。

クラレンスが目の前で自分を捨てて公爵令嬢に縋りつこうとしたのを見ていたのもあり。クラレンスは公爵家に入ったらリリーナを愛人としてと、まだ巫山戯たことを考えていて見捨てはいなかったが、心が読めねば無理だし――そもそも無理だ。

「うちには優秀な跡取りの兄がいます! だから――」

「お兄様が優秀だと、ちゃんと知っていらしたのねぇ」

アリアリーゼはちょっと驚いた。

きちんと調べていたからだ。ダート家の人間関係を。リリーナと兄の仲は決して良くはなかったことまで。

リリーナのダート家もまた、人事異動があったから。

「お兄様は喜んでクラレンスさまに跡取りの座を譲ってくださるそうですよ」

「……へ?」

「妻と娘の散財を止めるようにどれだけ言っても聞かない父親に、贅沢でわがままいっぱいのお母さまと妹さん」

その贅沢のせいでダート男爵家は困窮していた。

「お兄様、せめて領地の分のお金は使わないようにと……ご自分の進学費用を諦めていらしたわ」

リリーナの兄のダート男爵子息は優秀で、金さえあればもっと上の学校までいけただろうと。調べているうちにその捜査官が同情して目のふちをハンカチで拭ってしまうほどだった。

彼の学園の卒業と入れ違いに妹が入学するために、泣く泣く進学を諦めたと。

もしもリリーナが入学しなければ。

クラレンスと出会わなければどうなっていただろうか。

彼らが運命の愛、と手と手をとらなければ。

ダート男爵子息は。彼はもしや、この人事異動で一番運命が変わった人、かもしれない。

「領地の皆様はそれを知らなくて、ご子息に不満を言う割に「うちの姫さまはなんて美しい上に優しいんだろう」だなんて、お嬢様ばかりをほめていたそうで」

準備のすべてをする裏方仕事よりも、表にたまに出るだけの俳優がもてはやされるが如くを。

たまに、たまーに、美しい服や笑顔で、領地で無責任な約束や優しい言葉をかける娘のほうが、薄汚れた服で困った顔で話を聞いたり怒ってばかりいる子息より、人気だったそうだ。

気の毒すぎる。

不憫すぎる。

捜査官の涙がちょちょぎれてしまう。

「しかも王子妃なんて野望は無理だと何度諫めても聞かない妹さんですし」

「あ、あう……」

「お兄様、かわりに留学費用と王宮研究所への推薦をしてさしあげたら、二つ返事でした。良い笑顔で」

「あははははは。もう家も領地もしったこっちゃあないです。あははははは。留学して頑張っちゃいますよぉははははは」

と。

アレは壊れる寸前だった。

「かなり溜まってらしたのか、めちゃくちゃ良い笑顔で」

繰り返された。

さすがのアリアリーゼも思い出して可哀想な目をしてしまった。なんせ自分とも重なって。

「あ、あう……あ……あは……」

もはや声もなく、リリーナもクラレンスの隣に座りこんだ。

現実がみえた。

いままで優秀な兄が歯止めとなってくれていたからもっていた男爵領なのだ。

彼が受け止めていた不満や諸々。

その当たり先が無くなったら……――。

「あははははは」

案外、壊れるときの笑い声は似ている兄妹だった――。

息子の不始末で、王妃さまはようやく離縁された。

ここにも人事異動だ。

「いままで王妃さまにかかっていた費用を他に回せます」

王宮の財務官たちがほこほこしていた。

彼らは毎年毎月毎週、毎日。あちらこちらから回される経費の振り分けに頭を抱えていたのだ。あちらを立てればこちらが立たず。あっちが多い、こっちが少ないと、上からも下からも。

けれどもこれで予算の都合が。

王妃――いや、本来ならば必要なかった側妃の分が。本当の王妃の仕事をしてくれていた方の分が。

この国は王妃が二人いたようなもの。

だから予算も二人分。

お飾りとしても飾る分はお金がかかっていたのだ。

それがようやく一人分で計算できる。

そして使わなかった分を他の必要なところにまわせる。

「今週は家に帰れるかなぁ」

「いい加減、息子に顔を忘れられそうでさぁ」

「うちなんて離婚の危機だった」

「うちは離婚した……嫁が間男連れ込んでた……」

「……おぅ」

「……頑張れ」

話を聞いたと王様から直々にお詫びと見合い話が。そういう手配ができるから憎まれない王様である。

そもそも貴方の選んだ女性ですと、王宮の皆が口から出る寸前だったのだけれども。

この人事異動ばかりは、彼の首の皮一枚ぎりぎりであったかもしれない。

王宮のお掃除となったこの度の婚約破棄は。

王宮外にも人事異動となり。

さすがにお馬鹿さんな第一王子でも、王家の血は引いている。

……が。

彼は幼かったころに熱病にかかったことがある。その理由を、男爵領に行く前に説明されていた。

「……そんな昔から、私は……」

公爵令嬢と結婚しても、王位を継ぐことないように。

男爵家という低い身分の母の王子に……――。

そんな先走った奴等がいた。

それは王位レースの余波だ。

彼こそが一番初めに道筋が狂ったひとだ。狂わされた、とも。

アリアリーゼも同じく話を聞いて、さすがにかわいそうに思った。

彼は父親と母親の被害者じゃないかしら、と。

だから、もしも婚約破棄がされなければと――ぎりぎりまで粘った。我慢した。

けれどもアリアリーゼが関わる気力も体力も奪ったのは、クラレンス自身。

婚約破棄を彼が起こしたから、あの場で彼の人事は決まった。

男爵家へ婿入りに。

「私は家の跡取りに妹や弟の子でも大丈夫でしたから、貴方を引き受けるつもりはありました……ちょっと前までは」

でも、恋に狂った彼の冤罪やなんかの巫山戯た計画を聞いたからには。

入学してからは……リリーナに出会ってからはお茶会はすっぽかすは、仕事は押しつけるは。

アリアリーゼもその気が失せた。築いていた何かが崩れて壊れた。

同情は引き続きしてやっていたけれども。

だから男爵家へ逃れられる道を、人事異動を整えてあげた。優しい彼のリリーナを愛する気持ちがあれば、あとは自分でなんとかするだろう。

冤罪を考える知恵はあったくらいだしと……彼女がちょっと不貞腐れ愚痴を言ったのは仕方がないところだろう。

「いや、アリアリーゼにこれ以上迷惑かけずに済んで良かったよ……」

おそらく、その時にクラレンスは色々と目が覚めたのだろう。

自分の身のうちを悟ると、男は冷静になれるものなのかもしれない。本来の彼は優しい性質もあった。だからアリアリーゼも受け入れてくれていたのだろう。

ようやく周りをみることができたとも。

アリアリーゼにはずいぶんと迷惑をかけた。その上で同情もされていた。

あの婚約破棄の場で自分が種無しであり、つまり既に――とっくの昔に王位から外れていたことを、彼女はぶちまけることだって出来たのだ。知っていて、婚約者でいてくれたのだから。

もしも王位を継げぬ王子であれば、あんなに護衛もつけてもらえなかった。

もっと早くに命の危険だったのだ。

やらかしたから、と――クラレンスを担ぐものが現れないよう、あの婚約破棄まで。

彼女の同情を踏みにじったのは、自分がまさに「お馬鹿さん」だったからだ。

王族は血を繋ぐのも役割だ。

それができない自分は――いや、だからこそもはや用なしと、命とられず男爵家におくってもらえるのか。

真の理由を隠し、やらかしを主だった理由にして。

「……そういうことか」

何だかんだ、父親は母を愛していたし、自分のことも愛してくれていたのだ。

母は離婚されたがいまや実家もなく。だから側妃の温情で修道院に居を与えられたというし。それは連れ合いを亡くした王族ならばありえる末だ。母は行く先が早まったという程度。

だから婚約破棄まで、ぎりぎりまでアリアリーゼも皆も、粘ってくれたのか。

あの怒涛の人事異動を。

彼はおとなしく男爵領に向かった。

彼に残されたのはリリーナへの愛だけだったから。

リリーナは、男爵令嬢という身分で公爵令嬢であるアリアリーゼに冤罪を被せようとした罪をそれで許された。

一番良い――唯一の助かり方。

ダート男爵家自体も、クラレンスの受け入れ先として許されたのだ。

さすがに男爵たちはそれを理解したのだが……――。

その男爵令嬢に話すかどうかは、彼に委ねられた。

なので三年後にリリーナが子を身ごもったときに、彼はようやく打ち明けて。

寂しそうに、いつの間にかうつった笑い声をあげたという。

彼は優秀な父親の血も引いていたから、やればできる子だったらしく男爵領を――自分のせいで跡取りではなくなったリリーナの兄に申し訳ないと、代わりに粉骨砕身の気持ちで忙しくしていたからだ。

婚約者だったアリアリーゼに言われたことを胸に。きちんと自分に関わるひとたちを一人一人、目を見て、話すようにした。無理に仕事も押しつけないようにした。書類にサインするときはしっかりと読み込んでから。

あの婚約破棄の場は、すべからく自分への今後の忠告でもあった。たしかに自分は――王子としてやっていけなかった器だったと、自覚した。小さな男爵領で精一杯だ。

……けれど。

「さみしかったから、つい」

リリーナは嬉しそうに妊娠報告をして――真実をようやくクラレンスが打ち明けられた、あと。

何でいままで黙っていたのかと、種無しと、彼を罵ったあとに。

彼女はそう、笑った。

自分は悪くない。

領地のことばかりで構ってくれないクラレンスが悪い。

何かしら気が変わって、いままでのように贅沢をさせてくれない父親が悪い。

一緒に楽しんでいたはずの母が、見窄らしく古いドレスになって、一緒になって新しい品を仕立ててくれないのが悪い。

自分は悪くない――周りが変わったのが悪い!

そう、笑った。

「何が「お兄様が出ていったのは自分たちが悪い」よ。勝手に出ていったんじゃない! そうよ、一番悪いのは逃げたお兄様よ! 私にこんな貧しい男爵家を押しつけて! あの公爵令嬢だってこんな種無し王子さまを押しつけて! 知ってて婚約してたって何よ! かわいそうなのは私よ! 皆、皆が悪いんじゃない! 私の人生こそ、一番狂ったじゃない!」

今ごろ王妃になっているはずなのに――!!

いつの間にか男爵領の皆も、現実を知ったらしく。

そりゃ、跡取りさまがいなくなって、代わりに王子さまが婿入りしたらびっくりするわけで。

いままで本当に自分たちに良くしてくれていたのは誰だったのか。

そんな人に自分たちは何をしてしまったか。

彼らの反省は、もはや別天地に旅立った子息には届かなかったけれども。

反発を食らいながらも一生懸命話を聞いてくれる王子さまに、彼らは失敗を繰り返さないように一緒になって頑張っていたところ。

産まれた子はリリーナの幼馴染そっくりだった。

さすがに王子さまも――折れた。虚ろに笑った。

リリーナの叫びを、本音を聞いたときからヒビが入っていた。

それがとうとう、ぼっきり。

もしかしたら自分に奇跡が起きて、自分の子どもかもと……淡い期待をしていたから。

産まれたのは似ても似つかぬ――いや、男爵家の、リリーナや逃げた兄と同じオリーブグリーンの瞳だけは、確かに。

「やっぱりお馬鹿さんなんだなぁ……」

リリーナのために、婚約破棄をして、人事異動されてこんな田舎に来たというのに。リリーナに愛はもうなかったのだ。

「男爵領の為には……男爵家の血を引く子の方が良いだろう……」

さすがに、血のつながらない子を育てながら虚ろに笑う王子さまに、男爵領の皆の方が怒った。クラレンスが頑張るうちに、いつしか皆は彼を認めていたからだ。

なにより、不倫だ。許されざることだ。

幼馴染はさみしいと嘆くリリーナを慰めただけだと言い訳したが、彼自身にも妻子がいたのだ。

やがて肩身の狭くなったリリーナと幼馴染は、リリーナの兄を頼って旅だったが、兄は既に縁を切ったと小銭を渡してまた笑ったらしい。

リリーナの子はクラレンスと、長男に見捨てられてさすがに反省していた男爵夫妻と領の村人に。そして幼馴染の腹違いの兄弟たちと健やかに育てられた。

「……だって、かわいい。ちっちゃい指が、私の、指……つかんで……るっ……う……」

ぼっきりと折れた何かは、赤子の可愛らしさに接ぎ木をされた。

今では実の息子のように思っていた男爵夫妻は、改めて王子を養子に迎え、クラレンスは書類だけでも本当の父親になった。

その頃には王位を継いだ弟たちが色々と手続きしてくれたとあり、クラレンスはまたちょっと心が回復した。

お馬鹿さんだけど兄としては優しくしてくれていたことを、弟たちは覚えていたのだ。

そして赤子は。

時折笑うが、それは育ての親のクラレンスにこそ、似ているらしい。

クラレンスの養い子のタッセルは十五年後、貴族の習いに従い、学園に通うこととなった。

養父が産みの母と出会った学園に。

彼は養父から良く言い聞かせられていた。

その身分差を。礼儀を。正しさを。

ダート男爵家の子として、昔を知るものはタッセルに何かしら言うかもしれない。

けれどもお前は悪くない。

悪いのはこの養父だから、その時の怒りは自分にぶつけてほしい。

「私はお馬鹿さんだから。大丈夫だから」

血の繋がらないクラレンスのことを、タッセルは尊敬していた。

怒りなんて、とても。

男爵領の誰もがクラレンスを「お馬鹿さん」だなんて、呼ばない。自称する彼だけだ。

いっとき破茶滅茶になった男爵領が豊かになったのは、この養父の頑張りであると領の皆も言う。

腹違いの兄弟たちは学園には通えないから少しだけさみしいが、彼らの分、しっかり学んで帰ろうと決意してタッセルは学園の門をくぐるのだった。

「あははははは」

ふと、聞き慣れた笑い声が。

養父と祖父の笑い声に似ている。噂に聞く産みの母も同じ笑い声だとか。

ひっそり自分もだと兄弟に言われて、ちょっと心がくすぐったくなる笑い声。

「やあ、皆おはよう。私は今日から人事異動で教師になった……」

それは他国に留学して大きな成果を果たして、なんと色々あってお家を継ぐことになった公爵令嬢に婿入りした偉い学者さんだとか。

彼の研究は公爵家が支援し、お返しにずいぶんとお財布をうるわせているらしい。

彼は講堂での挨拶で。

そのオリーブグリーンの瞳を輝かせて皆に話しかけた。

「一度、すべてひっくり返ってごちゃごちゃになっても、なんだか思わぬことになったりするんだよ。狂ったと思ったらそれが案外正しかったりね。皆、もしも迷ったら、一度別な方向を見てご覧? あと、助けてくれる人がいたら、本当にありがとうて感謝を忘れないで」

オリーブグリーンの瞳は――また同じ色をした甥に優しく向けられていた。