軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

閑話 自分の力で 3   カーラ視点

乾いた音が響き、私は反射的に目を閉じて、ハミルトンに身を寄せて顔をそむけてしまった。

でも手を握る温かい感触に気付いて目を開けると、ハミルトンが力づけるように両手で私の手を包みながら、しっかりとお母様達のほうに視線を向けていた。

私を支えて、自分がしっかりしないといけないと思ってくれているのかもしれない。

私もしっかりしなくちゃ。

「な……ぜ」

お母様もかなり驚いているようだから、今まで叩かれたことなんてなかったんだろう。

ベリサリオ辺境伯夫人に対する失礼な態度や、伯父さまに対する暴言が問題になった時も、お婆様は悲しそうな顔をしながらお母様を 諭(さと) そうとしていらした。

でもきっともう、それでは済まなくなっているのね。

「情けないしみっともない」

「なっ!」

「もっと賢く立ち回れば、チャンドラー侯爵家のようにベリサリオとの関係を立て直し、むしろ味方につけることも出来たというのに。あなたの行いが浅はかだから、ナディア夫人の聡明さを引き立てるだけになったのよ。今では社交界の笑いもので、不倫相手の旦那にたかるしか能のない男に貢いでいる。もうあなたを好きにさせては置けないわ」

「何よ!」

紅葉のように赤い手形のついた頬を押さえて、お母様は立ち上がった。

「どうせモニカが皇妃になるのに邪魔になっただけでしょう!」

「そのとおりだ」

答えたのはお爺様だ。

じろりと鋭い眼光で睨まれて、さすがにお母様も言い返せずに息を呑んだ。

後ろにいたお母様の愛人なんて、真っ青な顔で逃げだす機会を窺っている。

でも出入り口の外には執事や侍女が控えている。警護だっているわ。逃げ出せやしない。

「ノーランドの未来のためにも、帝国の新しい皇帝陛下のためにも、無様に足を引っ張る者達を放置はしておけない。離婚の手続きは全て済んでいる。あとは書類におまえ達がサインをすれば済む」

「嫌よ!」

「おまえに選べるのは、今後私達の屋敷で暮らすか、修道院へ行くか、その男と平民として暮らすかの三択のみだ」

「平民?」

「ノーランドを馬鹿にしておいて無事でいられると思っていたのか?」

震える声で呟いた愛人に、お爺様は冷ややかに答えた。

「わ、私はクラリッサ様のお誘いを受けて……」

「いい年をしたうちの娘と遊ぼうが別れようが、そんなことはどうでもいい。だが、ヨハネス侯爵家やノーランドの金を使い込んでずいぶんと贅沢をしていたようではないか」

「それは私のお金よ!」

「おまえの金など一銭もない」

「どういうこと……」

お母様はそんなことすら知らなかったの?

娘が嫁ぐ時に渡す持参金が、最後に渡すお金でしょう。

でもそれは嫁ぐ本人が使えるわけではなくて、結婚の式典のために使ってくれというお金だ。

その後は、旦那様が妻のために用意してくれるお金で生活するしかないのに。

「女の立場が弱いことは、さんざん話して来たでしょう? だから賢い女性は、夫に頼んで自分の資産を作ったり、事業に手を出したり、投資したりしているのよ。あなたは何をしていたの?」

「離婚する以上、もうヨハネス侯爵家の財産を使えないのはわかるな? ノーランドの金も今まではコーディが、おまえが金に困ってはかわいそうだからと用意していたんだ」

「お兄様が?」

「それなのに、あなたはコーディを侮辱して……」

「だっていつも会えば文句ばかりで」

「あなたが心配だからでしょう!」

「そんな……」

両手で口元を覆い、お母様はどさりと椅子に腰を降ろした。

「あの騒ぎ以降、もうノーランドはおまえが回してきた請求書にいっさい金を払っていない」

「え?」

「すべておまえ達ふたりの借金になっているのに、気付いてもいなかったのか? 店も払えなくなればノーランドがどうにかすると思っていたようだが、払う気はないと連絡済だ」

「なんですって?!」

「ま、待ってください。そんな……」

お婆様はお母様から離れて、私とハミルトンの座るソファーの後ろに立ち、両手を広げて私達ふたりを抱きしめた。

「ごめんなさいね。こんな情けない母親の姿を見せることになって。でもここではっきりさせて、これからのあなた達のことを考えないといけないわ」

「……はい」

「はい」

お母様とはいつも距離があったから、他人事のように感じてしまって落ち着いていられる。

ハミルトンのほうがつらいんじゃないかしら。

「きみの実家にも連絡した。今頃きみの兄とノーランドの者の立会いの元、商人達がおまえ達の屋敷から品物を持ち帰っているだろう」

「そんな、私の家に勝手に?」

「金がないのなら買ったものを返さなくてはいけないだろう。それでも足りない分は家具でも宝石でも、ある物を売って支払うしか方法があるまい?」

お金……今まで気にしたことがなかった。家を出ることになったら、私にも何もないんだわ。

貴族と結婚すれば、今後も今と同じような生活が送れると甘く考えていた。

エルダの言う通り情報は大事だ。知識も大事だ。

ディアやエルダのように自分で稼げないのだから、頼りになる相手を探さないと。

「だけど……だけど私はノーランドの娘で……」

「違う。もうノーランドはコーディが当主だ。おまえは嫁いで他人になったのに、いつまでも甘い考えを捨て切れなかった馬鹿者だ。ベリサリオを敵に回しても意固地になり、味方が減っているのにも気づかずに派手に遊び、とうとう周りに誰もいなくなって、男に金をむしり取られているだけの愚かな女だ」

「あなた、もうやめて。子供が聞いているのよ」

「……あまりに情けなくてな」

「クラリッサ、私達のところに帰って来なさい。時間はかかるでしょうが人生を立て直す手伝いは出来るわ。その男は廃嫡されたから、一緒になるなら平民として生きることになるわよ」

「ええっ?!」

知らなかったのか愛人の男は大声で叫び、きょろきょろと室内を見回して、

「い、家に戻ります。か、か、確認しないと!」

泣き始めてしまっているお母様には目もくれずに、部屋を飛び出していった。

「大旦那様?」

「監視をつけておけ」

「畏まりました」

執事が廊下に出て扉を閉めると、部屋の中はしんと静まり返った。

お母様は俯いて背凭れに寄りかかっているために、表情が見えない。

「さてヨハネス侯爵。きみは娘との離婚に異存はないな」

「はい」

あっさりとした声だ。

こんな簡単に返事をしてしまうの?

この間までは、普通に生活していた家族だったのに。

「結構。しかし、今後のことについていくつか決めておきたいことがある。きみは自分の置かれている立場をわかっているのかね」

「立場……ですか?」

「外国との交易が盛んになり、今年の夏から秋にかけては戴冠式の行事がいくつもあるというのに、ヨハネス侯爵領に訪れる観光客が激減しているそうじゃないか」

「……はい」

「きみは我々のせいだと思っているのだろうが、辺境伯家は何もしてはいないぞ。原因はむしろ、ヨハネス侯爵領で広まっている噂を、わざわざノーランドからの観光客の前で楽しげに話す、きみの領地の人間達だ」

「私達はあなた達と民族が違うのよ。辺境伯領の民族の結束の固さはよく知っているでしょう? そのノーランドから嫁いだ妻がいるのに、若い愛人を作っておいて真実の愛だなどというくだらない噂を放置して、それを聞いた観光客がどう思うか考えなかったの?」

お爺様とお婆様に言われるまで、私もそんなことまで考えていなかった。

イーデン子爵夫人がようやく幸せを掴んで侯爵と結ばれるというのは、平民にとっても夢物語だったのかもしれない。

彼らにしたら政略結婚で嫁いできた大貴族の娘より、自分の領地の貴族だけど貧乏な家の娘の方が感情移入出来るものね。

もしかしたら、わざとノーランドから来た貴族の前でその話をした人もいたのかもしれない。

それが自分達の首を絞めるとも気付かずに。

「ノーランドではヨハネス侯爵家の評判はかなり悪くなっている。きみ達夫婦の評判は中央では最悪だ。観光業で金儲けばかりして、皇宮に顔を出さず、軍の運用も適当なヨハネス侯爵は、伯爵に降格するべきだという話も出ている」

「私はきちんと仕事をしております」

「仕事をしているだけでは貴族社会で認められない。社交界での評判が落ちたヨハネス侯爵領に、避暑に行こうという貴族はもういないぞ。今ヨハネス侯爵家がかろうじて放置されているのは、子供達のおかげだ。次の世代を担う高位貴族の嫡男達と親しいハミルトンに出来るだけ早く跡を継がせて、きみは一線を退くといい」

「そんな……」

ハミルトンはまだ十歳。

少なくとも成人しなくては爵位は継げない。

でもあと五年で引退しろだなんて、お父様が納得するはずないわ。

「きみは私が用意したカーラの縁談を断っておいて、自領内の子爵と結婚させる気だったそうじゃないか」

お爺様の声に怒りが滲み、お父様は反論を続けられずに黙り込んだ。

「どうせ妖精姫と親しいカーラを自領に置くことで、ベリサリオに手助けを頼もうとでも思ったんだろうが逆効果だ。そんな身分の低い相手の妻になっては、モニカや妖精姫と顔を合わせる機会が減り、きみのせいだと恨まれるだけだぞ。高位貴族のヨハネス侯爵家の力になってくれそうな相手と縁組させたまえ」

「…………はい」

「ヨハネス侯爵家を潰したくなければ、次の代にかけるしかあるまい。ハミルトンが跡を継げば、その後きみが誰と結婚しようが問題ない。だが、あと五年もたせるのも大変だぞ。妖精姫がまた新しいことを始めた。ベリサリオは観光業に本腰を入れる気になったようだ」

そんな。

ベリサリオが本気になったら、うちはどうすればいいの?

離婚してお母様が実家に戻ってしまったら、もうノーランドは助けてはくれないの?

「パック旅行というらしい」

「パック? なんですかそれは」

「戴冠式前後は、夜は夜会や舞踏会が多く開催されるだろうが、昼間は比較的自由になる日も多いだろう。そこでベリサリオからルフタネンに転移魔法で移動して、向こうでは精霊車を使って観光をして、夜にはまた転移で戻って来て舞踏会に参加するという小旅行のことだそうだ。希望に沿って買い物や食事も予約してくれるらしい」

「そんな。出入国の手続きだけでも大変でしょう」

「ベリサリオも妖精姫の婚約者の公爵も、その辺りは専門家だ。前もって書類を揃えれば、当日は簡単な審査で出入国できるようにするんだそうだ。その分、誰でも予約出来るわけではないようだが、それでもルフタネン風で売っていたきみの領地にとっては、かなり痛手になるのではないか? 妖精姫に嫌われていなければ、一緒にやらないかと誘いがあったかもしれないのに」

「なんでもコルケットはベリサリオの新事業に参加するそうよ。スザンナとの婚約が決まった途端にそんな話が出るなんて」

「前もって計画していたんだろう。妖精姫が外国に嫁ぐことにあの家族が反対しなかったのも、皇太子婚約者に選ばれなかった令嬢とクリスが婚約するという話も、全てこのためだったのかもしれない」

「彼らならありえるわね」

……それはないんじゃないかしら。

お爺様もお婆様もディアを誤解しているわ。

彼女の思い付きは突然で、やると決めたらその時から全力で突っ走るのよ。

何年も前から緻密に計画を立てるなんて、彼女らしくないわ。

ということは、今頃ベリサリオは大変なことになっているんじゃないかしら。

三人とも忙しいとエルダが話していたのは、これも原因だったのね。

ディアは大人になっても、婚約しても、きっとルフタネンに嫁いでもディアのままなんだろうな。

あの強さが羨ましい。

精霊王に守られて、家族に守られて、婚約者に守られて。

彼女ばかりが……ずるいわ。

「カーラの結婚相手は侯爵以上が望ましい。どうだ? 今日の食事会にダグラスとデリルがいただろう? 彼らとは親しいのか?」

「え? いえ……お友達です」

「友達で充分だ。カーライルはベリサリオともコルケットとも親しい。ラーナーは中央での評判が高く、侯爵に陞爵が内定している。候補として考えておいてくれ」

でもふたりとも、ディアに振られたばかりなんじゃ……。

まだ彼女を好きなんじゃないの?

「うちはジュードの相手も決まっていないからな。頭の痛い話だ」

「ジュードはエルダと仲良しですよ」

「ハミルトン?!」

ちょっと余計なことを言わないで。

ジュードに怒られるわよ。

「エルダ?」

「あなた、エルトンの妹さんですよ」

「おお、ブリス伯爵家のお嬢さんか!」

「そういえばベリサリオの三兄妹と、とても仲がいいとか。ねえ、カーラ。そうでしょう?」

「は、はい。年の半分はベリサリオで暮らしていると聞いたことがあります……けど」

「けど?」

「ふたりは喧嘩友達のようなさっぱりとした関係で」

「それはいいな」

「はっきりとものを言うお嬢さんなのよね」

あ……ものすごい乗り気になってしまっている。

大丈夫なのかしら、これ。