軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

番外編 六六大顺

今は、アンゲリーナの書写の時間である。

小さな体、小さな手、それに比べて大きな瞳で、彼女は幼いながらも真剣に励んでいる。

(皇女様はもともと才がおありなのに、こうやって努力も怠らないなんて。私も見習うべき点が多い方です)

ジュンシーはその姿に胸を打たれながら、望むがままに新しい知識を与えていく。

すると、薄く開いた扉から、音もなくオレンジ色の影が入り込んできた。

炎虎姿のリュウホである。

彼の出入りが楽なように、アンゲリーナがいる部屋の扉はいつも少しだけ開いていた。

リュウホはヒゲと尻尾をピンと立て、まばたきしながらアンゲリーナのそばに歩いて行った。

「リュウホ!」

アンゲリーナは満面の笑みで、リュウホの名を呼ぶ。

しかし、今は墨のついた筆を持ち手が離せない状態だった。

「リュウホ、これがおわるまで、まっててね?」

アンゲリーナがそう言うと、リュウホは声を出さずに鳴いてみせた。

ジュンシーは感心する。

(一応、勉強の邪魔をするつもりはないようですね)

リュウホは、アンゲリーナの座る椅子に体をスリスリ擦り付けてから、ゴロンと横になる。

橫腹がフワフワと揺れている。

ジュンシーはギュッと唇を噛んだ。

(ナデナデしてみたいお腹です)

リュウホのお腹は魅惑のお腹だ。

大きな前足は、ふかふかの蒸しパンのようである。

ジュンシーがリュウホを撫でたそうに見つめていると、リュウホは牙をむいてみせた。

ジュンシーは思わずたじろぐ。

(いけない、いけない、皇女様に集中しなくては……)

ジュンシーはそう思いなおすと、アンゲリーナの手元を見た。

(年の割にはしっかりした文字です。ミオン叔母様と文通をするからと、熱心に練習をされているだけあります)

アンゲリーナは、最近ジュンシーの叔母であるミオンと文通をしているのだ。

ミオンは女官長でありながら、皇女を虐げていた罪で烙印を押され領地で謹慎しているのである。

(アンゲリーナ殿下はそんな罪人にすら情けをかけてくださる。そして相手が罪人であろうとも、その能力は認めてくださる……)

ジュンシーは目を細める。

本来ならば、ミオンを好き放題させてしまったレアン一族は、断罪されてもおかしくなかった。

いや、以前のフェイロンなら、問答無用で一族皆殺しだっただろう。

(それすらも変えてしまうのだから……アンゲリーナ殿下はいかほど愛されているのやら)

ジュンシーは感謝と敬意を持って、アンゲリーナを見つめた。

ふと、アンゲリーナが顔を上げた。

ジュンシーと視線が絡まり、虹色の光彩がキラキラと瞬いた。

「できました!」

アンゲリーナは、上手に書けた一枚をジュンシーに見せた。

その紙には、丁寧に『 百年好合(バーイニィエーン ハーォフー) 』と書いてある。

「上手に書けましたね」

ジュンシーは、アンゲリーナの頭を丁寧にナデナデする。

「ふふふ。ジュンシーにほめてもらうと、とってもうれしい!!」

アンゲリーナは破顔して、頬を赤らめた。

すると、隣で転がっていたリュウホがむくりと起き上がり、アンゲリーナの足に頭突きをする。

「リュウホ?」

リュウホはツーンとそっぽを向いた。

アンゲリーナは墨で汚れた手を拭いて、リュウホに手を伸ばす。

するとリュウホはその手をカジカジと甘噛みした。

「リュウホ? 怒ってるの?」

リュウホは両手でアンゲリーナの手を押さえ、ペロペロとなめる。

ザリザリとした舌が、少しだけ痛い。

「リュウホ、ザリザリするよ」

アンゲリーナがそう言うと、リュウホはゴロンと転がって、お腹を露わにした。

アンゲリーナは、反射のようにリュウホのお腹に飛び込んだ。

「リュウホ、もふもふ~。リュウホ、だーいすき!」

アンゲリーナはリュウホのお腹にもふもふと顔を埋め、そのお日様の薫りを胸いっぱいに吸い込んだ。

リュウホはそんなアンゲリーナを抱きしめて、グリグリと顎を擦りつける。

「俺だってだーいすきだもん!!」

コロコロと転がりながらじゃれ合うふたりはとても可愛らしい。

世界中の幸せを集めて、ギュッと圧縮したかのようだ。

ジュンシーは思わずリュウホに手を伸ばした。

この二人の仲間に入りたい。

幸せの象徴のようなオレンジの毛並みに今なら触れるかもしれない、そう思ったのだ。

その瞬間--。

「がう!!」

リュウホが吠えた。

ビクリとジュンシーは手を引っ込める。

「俺のことナデナデしていいのはリーナだけ!!」

「ちょっとだけジュンシーにもナデナデさせてあげたら? リュウホとっても気持ちいんだもん」

怒るリュウホを、アンゲリーナが取りなす。

「ダメったらダメ、俺はリーナがいいんだもん!!」

リュウホはそう言って、アンゲリーナをギュッと抱き込み隠してしまった。

ジュンシーは苦笑いする。

どうやらふたりの間に入る隙間はないらしい。

「承知いたしました」

ジュンシーはそう言うと、赤い色の墨で、アンゲリーナの書いた文字に大きく丸をつける。

「アンゲリーナ殿下、丸をつけましたよ」

ジュンシーはそう言って、アンゲリーナの書いた紙を掲げた。

赤い丸のつけられた紙に、アンゲリーナは満足そうだ。

「じょうずに書けたからリュウホにあげる」

「俺に?」

「うん! リュウホにあげたくて練習したの!」

アンゲリーナは微笑んだ。

「『百年好合』とは、百年経っても一緒にいましょう、と言う意味です」

ジュンシーが説明すると、リュウホはベロリとアンゲリーナを舐めた。

「うん! 一緒にいよう! 百年も、千年も、万年も! ずっと、ずっと、生まれ変わっても!!」

リュウホの言葉に、アンゲリーナは泣きそうな顔をして微笑んだ。

とても大人びた表情に、ジュンシーは戸惑った。

「……うん」

アンゲリーナは小さく頷くと、ギュッとリュウホの首にすがりつく。

アンゲリーナの瞳が不安に揺らめくのを見て、ジュンシーは心が痛んだ。

少しでも心が晴れるようにと、アンゲリーナの字の下に赤字で小さく、 六六大顺(リョウリョウ ダーシュン) と書いた。

「あー! 勝手に字書くなー!」

リュウホが不平を言うが、ジュンシーは微笑んだ。

「この赤い文字、『六六大顺』はすべて上手くいく、と言う意味です。おふたりがずっと一緒にいられるように、おまじないです」

ジュンシーはそう説明する。

「じゃ、許す」

リュウホが慇懃無礼にそう言って、アンゲリーナとジュンシーは顔を見合わせて笑った。

「ありがとう。ジュンシー」

そういうアンゲリーナの瞳には、もう不安の影は見えなくなっていた。

(ふたりの世界に入れなくても、おふたりの幸せを守りたい)

ジュンシーはそう思い筆を置いた。

リュウホの喉がゴロゴロと鳴っている。

今日も二人は幸せそうだ。