作品タイトル不明
発見と焦燥 (アナスタシア視点)
「お嬢様! ジーノリウス様を発見しました!」
部屋に駆け込んで来たブリジットが興奮気味にそう言います。
「ジーノ様は!?
ジーノ様はご無事なんですの!?」
わたくしも思わず立ち上がってしまいます。
「はい。ご無事です。
アモルーンの街の飲食店でコックをしているとのことです」
「よかった……」
もう亡くなられてるかもしれないとお聞きしてから、ずっと不安でたまりませんでした。
その後もなかなか見つからず、わたくしは焦りを募らせていきました。
ですが、ようやくご無事だと分かり心の荷が下りたようです。
生きていて下さったことが嬉しくて、思わず涙が 零(こぼ) れます。
その場で祈りを捧げ、神に感謝しました。
発見が遅れたため、ジーノ様に婚約破棄されてからもう半年になります。
それにしても、コックですか。
ジーノ様は料理までお出来になるのですね。
市井に下りた貴族令息が料理で収入を得るなんて、予想外にも程がありますわね。
発見が遅れたのも頷けますわ。
……ジーノ様は、コックが出来るほどの調理技術をお持ちなのですね。
存じませんでした。
それだけの技術をお持ちならご自慢下さって、わたくしにお教え下さってもいいと思いますの。
夜会でお会いする同年代の男性の自慢話には辟易していますが、ジーノ様の自慢話はお聞きしたく思います。
ジーノ様は他の同年代の男性とは違い全く自慢話をされません。
ジーノ様には是非とも自慢話をして頂き、少しでもジーノ様のことをお教え頂きたいです。
既にバルバリエ家には当家よりジーノ様の勘当取り消しを要請してあり、承諾を頂いています。
ジーノ様さえ捜し出せたなら、後はセブンズワース家とバルバリエ家で縁談の席を調えた上で正式に婚約するだけです。
以前の婚約は既に破棄されているので、わたくしとジーノ様が婚約するには婚約手続のやり直しが必要なのです。
ふふふ。
ようやくジーノ様にお会い出来ますわ。
嬉しくて歌を歌ってしまいそうです。
半年ぶりにお会いするのですもの。
少しでも綺麗なわたくしでお会いしたいわ。
ドレスを新調して、エステも受けなくてはなりませんわね。
「ブリジット。ドレスを新調したいわ。
仕立て屋さんを呼んでくれるかしら。
それからエステも受けたいから美容施術師さんも呼んでほしいわ」
「お嬢様。
もしかして新調したドレスを着てジーノリウス様に会いに行かれる予定ですか?」
焦った顔でブリジットが言います。
「ええ。そのつもりよ。
半年ぶりにお会いするのですもの。
少しでも綺麗になってからお会いしたいわ」
「いけません。お嬢様。
すぐにでも会いに行かれるべきです」
「あら。なぜかしら?」
「ジーノリウス様は、勤める飲食店で基本的に厨房を担当されているのですが、料理を提供するために店内に現れることもよくあるそうです。
見目麗しい男性が料理を運んでくれ、話し掛ければ気さくに会話してくれるということで、今やその店は女性に大人気です。
ジーノリウス様が勤務を終える時間になると毎日、何人もの女性が店の裏口で待ち構え、競ってジーノリウス様を食事に誘っているとのことです。
店の常連客ということでジーノリウス様も断わり切れず、食事にはお付き合いしています」
「そ、そ、そ、そうなんですの?」
まさかジーノ様が毎日のように他の女性とお食事を共にされているなんて!
ブリジットのお話を聞いてわたくしは動揺が隠せず、声が震えてしまいました。
「はい。
私どもがジーノリウス様を発見出来たのも、平民にはまず見られないような美しい容姿で、雑談にも気さくに応じてくれる飲食店の男性が街の女性の間で話題となり、それを隠密が聞き付けたからです」
「ま、街で話題になるほどですの?」
「それだけではありません」
「な、何ですの?
まだ何かあるんですの?」
「ジーノリウス様は、昼は飲食店で働き夜は歓楽街で用心棒の仕事もされています」
「用心棒ですの?
もしかして、お怪我などをされていますの?」
「それは大丈夫かと。
ジーノリウス様が勤務しているかの確認のため隠密が酔客を装って店で暴れてみたのです。
その任務は、ジーノリウス様の無手格闘の実力を測り、危ういようなら店に圧力を掛けて用心棒の仕事を即座に辞めさせることも視野に入れたものでした。
しかし、手加減するどころか何をされたのかも分からぬまま、その者はジーノリウス様に簡単に制圧されてしまったのです。
我等では実力を測ることさえ出来なかったのです。
ジーノリウス様は、我等を赤子扱いするほどの手練です。
街の無法者や酔客相手なら、お怪我を負われることはないでしょう」
ああ。
そういえば学園のパーティでわたくしがグラスを投げ付けられたとき、一瞬で目の前に現れて庇って下さったことがありましたわね。
あのときは、人間離れした動きに驚きましたわ。
……ジーノ様は、無手の武術もお上手なのですね。
当家の隠密を驚かせるほどに。
もっと自慢されて、わたくしにもお教え下されば良いのに。
それはともかく、お怪我の心配がないなら何が問題なのでしょう?
「では、何が問題ですの?」
「ジーノリウス様が用心棒を務める店は、女性が男性の相手をする夜の店なのです。
端正な顔立ちで恐ろしく腕が立ち、若く、そして親切で紳士的な男性ということで、多くの女性従業員がジーノリウス様に夢中になっています。
彼女たちは夜の店の女性ですから、女の色香で男を籠絡することにかけてはプロです。
まだ若く、女性慣れしていないジーノリウス様では、プロの手練手管にそういつまでも耐えられるものではないでしょう」
「な、な、な、なんですって!?」
「夜の女性は危険です。
これは隠密がジーノリウス様の監視を始めた直後のことです。
ジーノリウス様の勤務先で働く女性がジーノリウス様の自宅前で自ら服を破き、半裸になってからジーノリウス様の家に転がり込み、暴漢に襲われたと涙ながらに訴えました。
更に、追って来る暴漢に怯えるふりをして、ジーノリウス様に家の扉を閉めさせたのです」
「そんな!
そ、そ、そ、それで、どうなりましたの!?
ま、ま、ま、まさかジーノ様とその女性は、い、い、い、一夜を共にしてしまわれたんですの!?」
「いいえ。
ジーノリウス様の家に暴漢に襲われた女性がいると、即座に隠密が衛兵に通報しました。
女性は事情聴取のために衛兵により詰め所に連れて行かれましたので、夜を共にはしてはいません。
ですが、その女性は要注意です。
その後も度々ジーノリウス様を食事に誘い、泣きながら恐怖を訴えジーノリウス様の同情を引こうとしています。
女性には不慣れなジーノリウス様らしく、それが狂言であることには気付いていないようです。
ジーノリウス様はお優しい方ですが、その弱点を見事に突かれたのです。
女性の目論見通りジーノリウス様は同情してしまい、一人になるのが怖いと訴える女性を憐れみ、時間が許す限り女性の側にいるそうです」
市井に下りた貴族令息がいかに女性の籠絡に弱いかについて、ブリジットは丁寧に解説してくれました。
貴族令息は政略結婚が基本です。
政略結婚とは別に恋を楽しむような令息なら話は別ですが、浮気などしない真面目な令息は子供の頃に婚約者となったお相手以外と恋人としてお付き合いなどすることはありません。
婚約者とのお付き合いも、月に何度かお茶をしてエスコートやダンスのときなどに手が触れ合う程度です。
密室で二人きりになることも、女性の手のひら以外の部位に触れることも、女性から手のひら以外の部位で触れられることもありません。
ところが、平民女性は、好意を持った男性相手に腕を絡めお胸を押し付けたり、抱き着いたりされるのだそうです。
しかも、貴族令嬢とは違い平民は手袋を普通しません。
直接肌が触れ合うのです。
今まで女性からそれほど過激なことをされた経験のない令息は、それでコロッと落ちてしまうのだそうです。
「た、た、た、大変ですわ。
ど、ど、ど、ど、どうしましょう?」
「隠密の調べでは、幸いまだ特定の女性はいらっしゃらないようです。
ですが、ジーノリウス様に熱烈なアプローチをする女性は、その夜の女性以外にも数多くいます。
ジーノリウス様のご自宅には、毎晩のように女性が訪れては理由を付けて部屋に押し入ろうとしています。
幸いジーノリウス様は貴族教育を受けていらっしゃいますから、今のところ女性と密室で二人きりになるつもりはないようで何とか回避しています。
しかし、躱しきれず部屋に押し入られ、特定の女性が出来てしまうのも時間の問題かと」
「えええっ!?
そ、そ、そ、そのような女性が、た、た、たくさんいらっしゃるんですの!?」
「お嬢様。お急ぎ下さい。
ジーノリウス様は誠実な方です。
一度恋仲となったなら、その女性を簡単に捨てることはないでしょう。
平民女性を見初めてしまったなら、貴族には戻らず平民としてその女性と生涯を共にすることも十分考えられます。
誰かと恋仲になる前にジーノリウス様を捕まえるのです」
ジーノ様が貴族復帰を選ばない可能性など、考えたこともありませんでした。
こうしてはいられませんわ。
一刻も早くジーノ様にお会いしなくては。
夜間ですが、一番速い馬車を出してもらいます。
お父様は急な出立を渋っていらっしゃいましたが、お母様は苦笑しながらもご許可下さいました。
最速での到着を目指し、早馬を出して途中の街で馬を替えられるようにも手配をしました。
バルバリエ家の子息、将来のセブンズワース家当主が飲食店や夜の店で働いていたというのは外聞が悪いので隠蔽工作が必要ですが、そのための要員は後から追い掛けて来て下さるようです。
馬車ではなく騎馬で追い掛けるため、わたくしよりも早く着く見込みとのことです。
◆◆◆◆◆
頭が真っ白になったまま家を飛び出してしまいましたが、これからジーノ様とお会いすることを考えると不安になってしまいます。
ジーノ様に婚約破棄されてから、もう半年経ちます。
半年という時間は、短いものではありません。
恋愛小説なら、失恋した主人公が新たな恋を見つけるには十分な時間です。
多くの女性から積極的なアプローチを受けているなら、ジーノ様がお気持ちを変えられていてもおかしくはありません。
平民女性に想いを寄せられているなら、ジーノ様が貴族にはお戻りにならないことも十分考えられます。
その場合、わたくしがジーノ様と復縁するには、恋の戦いに打ち勝ってジーノ様のご寵愛を得なくてはなりません。
ですが、恋の戦いで夜の女性を始めとした多くの女性に勝てる気がしません。
「ねえ。ブリジット。
わたくし、夜の店の女性を始めとした方々に勝てる自信なんてありませんわ……」
馬車に同乗してくれているブリジットに、わたくしは不安を吐露してしまいました。
「大丈夫です。お嬢様。
ジーノリウス様には、まだ恋仲の女性はいませんから」
「ですが、恋仲にはなっていなくても、好意をお持ちの方はいらっしゃるかも知れないでしょう?
そのような方がいらっしゃったら、わたくしどうすれば……」
「そうですね。
恋愛経験の少ないお嬢様では駆け引きでは勝負になりませんから、正面突破が良いと思います。
勇気を持ってご自身のお気持ちをジーノリウス様にお伝えするのです。
好意を示してくれる異性は、誰でも気になるものです。
そうして気になっているといつの間にかその方を好きになっている、というのはよくあることです。
お嬢様の素直なお気持ちを出来るだけはっきりとお伝えすれば、それが一番だと思います」
私の素直な気持ちをそのままお伝えする、ですか。
素直な気持ちなら「結婚したい」の一言に尽きますが、女性が男性にプロポーズするなど聞いたことがありません。
「そんなことをして、はしたないとお思いにならないかしら」
「お嬢様。
『恋は言った者勝ち』です。
より早いタイミングで、よりはっきりと気持ちを伝えた者が勝つのです」
「でも……」
ブリジットはそう言いますが、勇気が出ません。
「お嬢様。
ジーノリウス様が別の女性と恋仲になってしまった様子を思い浮かべて見てください。
そうなってもいいのですか?」
ブリジットにそう言われ、わたくしは卒業パーティでのあの場面を思い出しました。
ジーノ様の瞳の色のドレスを纏ったケイト様がジーノ様の横に立ち、ジーノ様がケイト様の腰を抱き寄せられて、ケイト様こそが新たな婚約者であると宣言され、わたくしを置き去りにして二人で立ち去られたあの場面です。
血の気が引き、体が震えました。
あれこそ、絶望と言うものなのでしょう。
……そうですわね。
敵は、百戦錬磨の夜の女性を始めとする多くの方々です。
わたくしのような女では、相当無理をしなくては大勢の中から抜きん出ることなど出来ないのです。
婚約破棄されジーノ様を失った苦しみの中、もしジーノ様に戻って来て頂けるならどのようなことでもすると、わたくしは考えていました。
今こそ、どのようなことでもするときなのでしょう。
ジーノ様のお心を取り戻せるなら、恥や外聞などいくらでも捨ててみせますわ。
プロポーズをする決意を固めました。
「それからお嬢様。
スキンシップも重要です。
男性の心を繋ぎ止めるために重要なのはスキンシップです」
「スキンシップ、ですの?
どのようにすればよいのかしら?」
「そうですね。
ジーノリウス様の手を握られてはいかがでしょうか」
それは存じませんでしたわ。
考えてみれば、わたくしはジーノ様から愛を与えて頂くばかりで、ジーノ様のお心を繋ぎ止める努力をしていなかったのかもしれませんわね。
わたくしは変わらなくてはなりませんわ。
「ありがとう。ブリジット。
わたくし、頑張りますわ」
「もう一つ、一刻も早くジーノリウス様のお住まいを移すことです。
夜の店の女性が半裸で転がり込んで以降、他の夜の店の女性も対抗心を燃やし何とかジーノリウス様の部屋に入り込もうと画策しています。
今のところギリギリ部屋には入れていませんが、女性に不慣れなジーノリウス様です。
いつ躱しきれずに上がり込まれてしまってもおかしくありません。
とにかく危なっかしくて、見張りの隠密もヒヤヒヤの連続だそうです」
「そ、そ、そ、そ、それは大変ですわね」
なんということでしょう。
ジーノ様の貞操の危機ですわ。
もはや、宿屋で休んでいる時間などありません。
睡眠は馬車の中で取ることにして、昼夜を問わず馬車を走らせましょう。