軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

ゆえに目を瞑る。

嬉しいことや悲しいこと、印象的に残る思い出とその場所を結びつけるのは、人の記憶というメカニズムにおける常套手段。だから僕にも場所に対する思い入れを持つことは少なからずある。

だけどそんな人の性質に対し、時の流れというものは容赦なく思い入れを持った場所を見知らぬ形へと変えてしまう。

かつて彼女に拾われた大樹の下。この世界で楽しい日々を過ごした村の景観。そして彼女を裏切り、封印したこの場所。僕の記憶に残っている場所で、そのままを維持しているようなところなんてどこにもありはしない。なのに――

「……すっかり見違えちゃったはずなのに、才能のせいなんだろうなぁ」

高度な転移魔法を使うには、秀でた空間認識能力が必要不可欠となる。

僕の認識能力は今自分がこの星のどの座標にいるのかを、精密機械のように把握している。

だからどれほど幻想的な景色に変貌していようとも、ここがあの場所だということは体が覚えてしまっているのだ。

色々と思うところはある。だけど今はそんな道端に転がっている小石のような想いなんて気にしたいとも思わない。

だからそう、転移したばかりの僕の眼前に、音速以上の速度で迫りくる魔喰なんてどうだっていいんだ。

「邪魔」

物理や魔法が通じないとか、正直関係ない。

馬鹿正直に突っ込んでくるだけなのだから、異空間に繋がるゲートを開きその中に放り込めばいい。

あとは異空間ごと分解してしまえば、魔力はおろか何も存在しない世界で餓死するだけのこと。

もっとも、魔喰の捕食速度に反応できるのはこの世界で僕以外には彼女くらいのものだし、その彼女も蘇生したてじゃゲートを創るのは至難の業。

魂の状態じゃ現世には強く干渉できない。だから魂でも使える次元魔法を頼ったんだろう。

それも結構難しいんだけど、原理としては魂の状態のほうが異世界に繋がる道には近いわけだからね。

「さて、と」

彼女の魂の場所を探す。魔喰が飛んできた方角の少し先、魔喰にとって無限に再生する魔力の塊が出現する場所は、さぞお気に入りの場所だっただろう。

接近し、魂に施されている蘇生魔法へと干渉を行う。魔力を代わりに充填し、本来ならば時間を掛けて行われる蘇生魔法を即時発動させる。

蘇生魔法は魂の記憶を元に、肉体を構築し魂を再定着させる。構築されるのは魂が記憶する肉体の形。

本来魂だけになれば、その肉体の記憶を完全に留めておくことは不可能。だけど蘇生魔法は世界に対価を支払うことで、その記憶を肩代わりしてもらっている。

彼女達は名前を、そして僕は資格を対価に、この世界から呪いを受けている。

「――ナリヤ、か」

彼女、『黒』が蘇る。その姿はついさっきまでセレンデ魔界にいた彼女のまま。だけど今度は内在する魔力まで完璧に本物だ。

あの時僕がここに封印した彼女のまま。変わらぬことは嬉しくもあるけど、それは同時に彼女がその呪いから永遠に逃れられないことを物語っている。

「やぁ、おはよう。いい夢は見れ――」

まばたき、目を閉じて再び開くだけの一瞬。その一瞬で『黒』は僕の前にいて、僕の顔面にその左拳を叩きつけていた。

頭蓋が砕かれ、首の骨も折れ、なんなら脳まで潰されている。首が千切れると面倒なので、体ごと浮いて地面へと叩きつけられることにする。

「避けようともしないとはな」

「思考や記憶媒体は魂に切り替えているからね。別に頭を潰されるくらいはどうだっていいよ。セレンデ魔界じゃ思い切り殴れなかっただろう?」

まあ頭が破裂すると『黒』の服が汚れるだろうから、多少の魔力強化はしていた。セレンデ魔界であの騎士と戦っていた程度の彼女なら、傷一つつけられない程度ではあったけどもね。

間違いなく今ここに居るのは僕を除いた魔王の中で最強の『黒』だ。だというのに、今彼女の目には怒りや憎しみをまるで感じない。

適当に完治させつつ起き上がると、彼女は僕に背を向けていた。

「――私はどのような言葉であろうとも揺らぐことはない。揺らぐまいとこの体と魂に決意と覚悟を刻みつけていた」

「うん、知ってる」

「もしもこの体のまま、あの場所にいたのであれば、私はあの場にいた全ての者の言葉に耳を貸すことはなかっただろう。……だが、セレンデ魔界にあったのは私の体ではなかった」

彼女の独白、それが意味することを先んじて知ることは容易い。だけどそれをしたくない。与えられた力に頼った読心術なんかで、彼女の気持ちを理解したくない。

だから静かに待つ。言葉の続きを、気持ちの整理を。

「イリアス……だったか。あの男はあの者を信じていた。期待をしていた。全てを託そうとしていた。心だけではなく身体の方でも、あの者を受け入れていた。だからなのだろうな。私が気づいた時には、身体が剣を求めてしまっていた。対話を、共感を、不要だと切り捨てていたはずのものを期待し、求めてしまっていた」

彼の記憶、考えを読み解いて、その理由は分かっていた。彼はイリアスという女を身も心も委ねられるほどに信用していた。

だから自分の身体を『黒』に与えれば、自分の身体がイリアスの行動を求めるようになるだろうと考えたのだ。

魔力を持たない最弱の身体。それこそが『黒』の閉じた心の扉を破る最強の武器になるのだと。

「あのような言葉、私には届かぬはずだった。いや、実際に一度は届かなかった。お前が私に向けた時に、私は変わらなかったのだからな」

「……そうだね」

彼女を説得するために、僕は何度も彼女に言葉を投げかけた。それこそイリアスが『黒』に向けた言葉だって言っていたんだ。

だからあの時、なんでと思った。なんでダメだった言葉で届いたんだ。なんで僕と同じ言葉で、僕じゃダメで、イリアスで届いてしまったんだって。

「ナリヤ。私がこの体に戻って、最初に覚えた感情がなんだかわかるか?」

「……後悔とか?」

「いいや、呆れだ」

「呆れ?」

予想外の返答に少しだけ驚いた。『黒』はそんな僕の反応を背中越しに感じとったのだろう。少しだけ肩を落とし、話を続けた。

「私は決意していた。『神』の使徒であるお前の言葉や行動で心を揺るがすまいと。だからあれほどまでに、何度も私に訴えかけていたお前の言葉を、想いを、跳ね除けることができていたというのに……」

僕の言葉は彼女に届かない。その理由が分からないわけではなかった。僕はあのクソ野郎に招かれた存在だ。僕の言動や行動はあのクソ野郎が望んだ結果にしか過ぎない。だから『黒』は僕から何を言われても、何をされても、心を変えようとしなかった。揺らがない在り方を保ち続けていた。

「なのにたった一度、あの男の身体を通して聞いただけで、ここまで揺り戻されてしまった。なんと揺らぎやすい軟弱な身体だったのだと、この体に戻って呆れたのだ」

「酷い言い草だね」

「――そして、なんと私の意固地だったことかと……な」

彼女が今僕に背を向けているのは、きっと僕に今の顔を見せたくないからなのだろう。だけどそれは僕も同じだ。多分あまり人には見せたくない顔をしているのだろう。

「それが君の魅力だからね。『神』だって根気負けさせた僕より頑固なんだから」

「……ナリヤ、お前は時空魔法を使って世界をやり直すつもりか?」

「うん。それを変えるつもりはないよ」

それだけは即答した。たとえ『黒』が憎しみから解き放たれたとしても、彼女は失い過ぎた。僕が奪い過ぎてしまったんだ。だから全てを返さなくちゃならない。

何度でも口にしていたかった彼女の名前も、彼女が愛したこの世界で他者と共に生きる未来も。全部、全部。

たとえ今、『黒』がそれを必要ないと拒んだとしても、僕は必ずこの世界をやり直す。こんな物語は、彼女に似合わないと理解しているから。

「――そうか。ならば私を殺すのだな」

「うん。君が人間達に勝とうが負けようが、僕は君に名前を返し、人として終わらせるつもりだったからね」

この世界、この今に生きる彼女を孤独のまま置いていくことなんてできない。だから、この今に存在する『黒』は僕の手で終わらせると決めている。それが『黒』にできる最後の償いなのだから。

彼女の本当の名はこの世界から消えている。だけど僕は日本語で彼女の名前を保管している。

彼がこの世界で新たに誕生した魔王を殺した手段と重なるのは、同じ異世界転移者だからなのだろう。それ以外の運命や因果は……クソ野郎絡みになりそうだから信じない。

「……皆、逝ってしまったのだな。父も、母も……皆……」

「大丈夫だよ。今度は絶対に幸せに生きられるように、見守り続けるからさ。君の家族は寿命まで生きられるようにする。イドラクやウカワキは奥さんの尻に敷かれたままにさせるし、ザハッヴァもそこまで病まないようにする。ラザリカタも君と敵対させずにメラビス辺りと幸せに生きられるようにするよ。あ、でもオーファローは陰で殺しておくかもだけど」

「そこは先んじて救ってやって欲しいところではあるがな」

「そうなると君と出会うよりももっと前に戻らなきゃいけないと思うんだよね。まぁ……君と関わる全ての人を救えって言うのなら、もう百年くらい過去にいくかなぁ。そうなるとテドラルを途中で投げ捨てておかないとタイムパラドックス起きちゃうか。ま、頑張るよ」

彼女が幸せに生きる未来を僕は何度想像しただろう。それはとても眩しく、居心地の良い夢だった。

夢で見た彼女の未来には僕はいなかったけど、そこに僕はいなくていい。全てを台無しにした僕なんかがいちゃいけない。

別になんてことはない。たった百年前後、幸せに生きる彼女を守り続けるだけなんだ。

「……ナリヤ、一つだけ頼んでも良いか?」

「いいよ。時空魔法を使うなという願い以外ならね」

「――お前の言葉を散々拒絶した私の立場で、お前の決意を捨てさせようとは思ってはいない。ただ……私を殺すのを少しだけ待ってほしい」

「……理由は?」

「あの時、私はイリアスに約束をしてしまった。『神』に弄ばれるこの世界の命運を、この世界の人間にも背負わせるとな」

その言葉を覚えておくつもりはなかったけど、それでもかつては僕が『黒』に言った言葉だ。流石に頭の中に残っている。

『だったらお前のように背負わせろ!立ち向かわせろ!お前ができたように、私達にもできるのだと信じてっ!』

イリアスが『黒』と見つめ合った時、言葉は交わしていなかった。だけど彼女と『黒』はその瞳で語りあっていたのだろう。

「何年くらい待てば良いのかな?」

「さてな。少なくとも彼女の意思が残り続けている限りは、見届けなければならないと思っている」

「彼女の意思……ねぇ」

仲間や子孫、イリアスが死んでも彼女の意思は誰かに引き継がれることになるだろう。

そもそも傍らには不老不死の魔王もいるのだから、そうそう意思が潰えるようなことはない。

何十年、いや何百年は残ることになるかもしれない。それでも過去の者の言葉はやがて軽視される。過去に生きた者達の言葉の重みを、現代や未来に生きる者達がそのまま引き継ぐことはできないのだと歴史が証明している。

永久を生きる魔王にとって、それは泡沫の夢に想いを託すようなものだ。無駄なことだとはっきりと言うべきだろう。

だけど僕の口が言葉を再開するよりも早く、『黒』は振り返って僕を見た。そこには黒の魔王として在り続けていた彼女の瞳ではなかった。

それは遥か昔に失った彼女本来の輝きを持った、黒くも眩い輝きを含む瞳だった。

「想像よりも早いのかもしれないし、想像を超えるほど永くなるのかもしれない。そしてその時には信じたことを後悔してしまうのだろう。それでも、私は見届けるつもりだ。私を殺すのであれば、そのあとにしてほしい」

本音を言えば、僕は今すぐにでもやり直したい。『黒』が絶望を味わった事実を一秒でも早くなかったことにしたい。

これ以上『黒』が嘆くようなことをさせたくない。無駄な期待を抱かせたくなどない。

「――約束をしちゃったなら、仕方ないか。君に約束を破らせるような真似はさせたくないからね」

「……ありがとう。暫く暇を持て余させることになるな」

だけど何一つ約束を果たせないまま『黒』と別れたくはない。裏切ったままで僕達の関係を終わらせたくない。

ずるいじゃないか。もう二度と曇らせないと誓った瞳を、こんなところで見せてくるなんて。そんな瞳で言われたら、全知全能であっても僕にはもう何もできやしない。

「いいよ、別に。暇潰しくらいは付き合ってくれるんだろう?」

「ああ、限度によるがな」

「それはお互い様さ。ああ、そうだ。彼が言っていたよ、世話になったなって」

「……向こうが言うのか?」

「あははっ、だよねぇ?」

ならあと一度くらいは目を瞑ろう。それが覚めることのない、他人任せな夢であることを願いながら。