作品タイトル不明
ゆえに猛る。
「陛下、まだ起きていらしたのですか?あまり無理をしては……」
思考の中に沈んでいた意識が、背後から響くルコの声によって現実へと戻される。
仲間からの気遣いや、ルコの問題が解決したことでその後の休息では驚くほど疲れが取れていた。
その反動か、またもや長い時間試行錯誤に没頭していたようだ。顔色は良くなっても、行動がそのままでは再び心配されてしまいかねないが……俺の最大の役割はこの箇所なのだ。やはりどうしても最善を尽くしたくなるというもの。
「俺の方はこの采配が終われば、後は皆に託すだけだ。俺の人生にとっても最大の山場の最後なのだから、多少の無理くらいは大目に見てくれ。ルコこそ。解いた呪いの残滓を外に出すために魔力を抜く治療を受けているのだろう?しっかりと睡眠を取るんだよ」
「それは……ラッツェル卿達の配置……ですよね?」
「ああ、それぞれの魔族が独特過ぎるからな。相対する存在によっては、こちら側が一方的に敗れることにもなりかねない」
碧の魔王からの報告で、エクドイクが完全覚醒に至ったことと、その力についての情報は得ている。その情報を信じるのであれば、エクドイクは魔族にも太刀打ちできる力を得たことになる。
だがエクドイクは理に干渉する力を得たが、剣術や体術が飛躍的に向上したというわけではない。ザハッヴァのような肉弾戦を主体とする魔族相手にはそこまでの優位を得たわけではないのだ。
そのザハッヴァ相手に善戦したアークリアルやラッツェル卿もそうだ。卓越した技術を持っていても、オーファローのような目の前に現れる炎陽の熱を捌くことなどできはしない。そういったことを踏まえれば、それぞれの魔族にぶつける相手は自然と限られてくる。
限られてくるのだが、相手がこちらの采配に合わせてくれるわけではないのだ。個々の出現を待ってからこちらの遊撃隊を送り込んでいては間に合わない。その間の被害だけでも戦線が崩壊しかねないからだ。
だから黒の魔王の采配に合わせ、最善の組み合わせをぶつけなくてはならない。一つの組み合わせの読み違いもあってはならないのだ。
「現状敵の主戦力は無色の魔王、そして三人の魔族。そこにもう一つ……」
知能を持ち、独断で行動できる魔族は三人以上存在しない。他にいるのであれば、追加の軍勢を用意するだけで簡単に戦況を有利に押し上げられるからだ。
人間相手に小細工を用いない黒の魔王が、他の魔族を温存しているとも考えにくい。
だがそれは魔物を引率する魔族に限った話。それ以外にも脅威はあったのだ。
金の魔王の仮想世界には存在しなかった、メジス魔界に現れた巨大な蛇の怪物。それは魔族の成れ果てであったとエクドイクは言った。
黒の魔王は過去に多くの魔族を従えていた。ならば他にも完全覚醒に至れず、魔族の成れ果てとなった存在がいるのではと俺は推察した。
その推察は的中した。金の魔王の仮想世界から得た情報と、紫の魔王の悪魔達による偵察で、セレンデ魔界に異質な量の魔力を保有する魔物が発見されたのだ。
「オーファローは単身でメジスに侵入するために、蛇の怪物を囮に使った。同様の手口を使っていれば、ザハッヴァにも同じことはできただろう」
もしもレアノー卿を圧倒したザハッヴァがその魔物を囮に使い、ガーネ軍の中央にでも現れていれば、その死者は致命的なものになっていたかもしれない。
正面からぶつけたとしても、今以上の被害が確実に出せたのだ。ならばなぜそうしなかったのか。その理由を理解しないことには、相手の采配を完全に読むことなどできないだろう。
そのための思考を繰り返していた。答えはいくつかに絞れたが、未だに確信には至れない。憶測で進む先の見えない不確かな道、それに全てを委ねることを考えるととても十全を尽くしたとはいえない。
「わかりました。それではお茶の準備をしてまいります」
「いやいや、睡眠を取るんだよと言っただろう?疲れが残っているのは見ればわかる」
「はい、疲れています」
「だったら――」
「夫となるお方の人生最大の山場、そのお姿を見過ごして良い理由なんて存在しません」
思わずポカンとしてしまった。いつも言い寄っても困った顔ばかりだったルコの口から、よもやそんな言葉が出るとは夢にも思わなかった。
その言葉の意味を理解し、思わずにやけてしまう。そんな俺の顔を見てか、ルコの顔は瞬く間に紅く染まっていく。
「な、なにかおかしなことを言いましたでしょうか?」
「いやなに、許せ。お前の新たな魅力に気づき、惚れ直しただけだ」
「――もう」
「では俺から頼もう。最後のもうひと踏ん張りだ。気合を入れるためにも旨い茶を頼む」
「……はい、かしこまりました」
ルコは恥ずかしさを隠そうとしてか、足早にその場を去っていった。それを見送ってから自らの両頬を強めに叩く。
ルコのおかげで偏っていた思考が良い感じに解れた。そうだ、俺の思考は偏り過ぎていたのだ。
なぜ黒の魔王達はセレンデ魔界に残る魔族の成れ果てを戦場に投入しないのか。その理由を戦術的な理由でばかり考えていた。
ためらいも容赦もない相手が、なぜ手加減をするような真似をするのか。それは戦術的な理由以外にあるのだ。それこそ戦線が押し上げられれば、真っ先に危険にさらされるこのガーネに、俺がルコを連れてきた理由のように。
「黒の魔王が理由ではない。魔族側の理由でそれは動かなかった。それは誰の理由か……」
手元にある資料を読み直す。そこには前線で戦った者達が常に我々に送り届けてくれた音声、魔族達が口にした言葉などがまとめられている。
どう考えればこのように話すのか、何を思えばこのように動くのか。
彼らは自らの欲望に忠実に生きている。ならばその欲望を認めた上で、この結果を生み出している者を導き出す。自分なりの理屈を見つけだし、友が行う『理解』へと近づけていく。
一つ、また一つと自らの思考を彼女達へと寄せていく。すると靄の先にあった未来の景色が、徐々に鮮明に見えるようになっていく。
そうか、この感覚なのか、友よ。この光景が見えているからこそ、君はあれほど勇敢に前に進めていたのだな。
「――ラザリカタ、彼女がその理由か」
◇
『ラザリカタ様、今日は何をするんです?』
あたしの側にはいつも、メラビスという要領の悪い男がいた。
メラビスは頭が悪く、能天気で、才能と呼べるものを何一つ感じない凡人だった。
集落の中で多くがカリスマに溢れる『黒』に惹かれている中で、メラビスはあたしに媚びへつらってばかり。だからメラビスはあたし以上に孤立をしていた。
『さぁ?真面目に考えたことなんてなかったですね。でも俺はあの人よりはラザリカタ様の方が一緒にいて楽しいです。だってほら、ラザリカタ様ってあの人よりもずっとずっと人間味に溢れているじゃないですか』
要領が悪い男。無駄に敵を増やし、味方を失い、側にいるあたしには怒られてばかり。なのにいつもヘラヘラと笑って、あたしの側から離れなかった。
あたしが人間である時、この男に助けられたことなど一度もない。あたしが叔父の策略により、罪人として捕まった時も何一つ役に立たなかった。
メラビスはただ困った顔で、あたしが囚われていた牢獄の近くをふらついていただけ。結局あたしを助けたのは、敵視していた『黒』だった。
『ごめん、ラザリカタ様……。俺、何もできなかった……』
ヘラヘラと笑いながら謝るメラビスに、「最初からあなたには何一つ期待したことがない」というと、メラビスは「ですよね」と笑顔を崩さなかった。『黒』に助けられたことで、誇りを傷つけられたあたしはメラビスを散々に罵倒した。そしてメラビスはただただ謝り続けていた。
『ラザリカタ様のために何かをしようとしても、全部裏目に出てごめん。全部ごめん。側にいるのが、俺みたいなので』
要領の悪さは人を辞めても治らなかった。『黒』がユグラに倒され、あたしが保身のために碧王の元に向かった時も、メラビスは道に迷ってはぐれてしまっていた。
「ごめん……。だけど、俺は最後までラザリカタ様に付き従いますから!ね?」
時の流れがあたしを蝕み始めた時もそうだった。
日に日に自分が怪物になる夢を見るようになり、あたしは身も心も憔悴していた。
あたしにはこの時の流れで自我を保つことはできない。どうしたって『黒』には勝てないのだと、諦めかけていた。そんな時にこそ、誰かに側にいて欲しいと願ったのに、メラビスはあたしよりも先に壊れてしまった。
『ごめん、ラザリカタ様。俺はここまでのようです』
既に半身が異形の怪物へと変化していた。その時、あたしは初めてメラビスが恐れていたものを知った。メラビスが恐れていたものはただの烏だった。
魔族は己の内に刻まれた、最も大きな恐怖と向き合わなければならない。あたしが恐怖したのは身内の嘘、嘘によって捻じ曲げられた真実。
こんなところまで凡人なのかと、思わず呆れてしまった。
『赤子の頃、烏に拐われそうになったそうなんですよ。なんとなく苦手ではあったけど、しっかりと体には恐怖が刻まれていたんですね』
もはや変化を止められない。メラビスはやがて自我を失い怪物と成る。なのに、メラビスはヘラヘラと笑い続けていた。
『ラザリカタ様、きっと俺は貴方を忘れてしまいます。でもただの怪物になった方が、余計なことをせずに済むかと思うんですよ。だから、俺が怪物になったら俺を好きに使ってください』
あたしは最後までメラビスを罵倒した。最後まであたしに付き従うんじゃなかったのか、こんな時に貴方だけが先に壊れるなんて、どこまで無能なんだと。
どうして、そこまであたしの側に居続けようとするのか、と。
『俺はつまらない奴でした。なんの成功も、貢献もできない。最後には笑って誤魔化すしかできない、つまらないだけの男でした。でもそんな男をラザリカタ様は最後まで側に置いていてくれたじゃないですか。そりゃ居続けますよ。俺の居場所はラザリカタ様の側にしかないんですから』
メラビスはいつもの表情のまま、ヘラヘラと笑っている。この時あたしは理解した。この男はどんな感情下にあっても、ヘラヘラと笑うことしかできなかったのだ。
人の顔色を伺い、表情を作ることもできない。自分の感情を表現することもできない。ただできたのは、嘘くさい笑顔だけだったのだ。
どこまでも要領の悪い男。今まで本気であたしの側にいようとしていたのに、それすら満足に伝えることもできなかったなんて。
『俺を使ってやってください。俺の記憶が貴方のことを忘れてしまっても、貴方に使われることが嬉しいってことは、体で覚えているはずですから』
そう言い残して、メラビスは怪物になった。魔物としても中途半端で、自ら敵意を振りまくことはしない。ただ命じられれば、命じたとおりに暴れるだけの烏の怪物。
力こそユニーククラスを超えるにしても、命じ続けなければ戦うこともできない無能な怪物。それがここに居るメラビスだ。
「よう、そろそろ出撃だぜ」
あたしを嫌うテドラルの声によって、記憶の中にあった意識が戻ってくる。夢見心地と言うほどではなかったけれど、少なくとも現状よりは遥かにマシだった。
「わざわざ呼びにこなくとも、時間になれば顔を出しますの」
「睨むな睨むな。ギリギリにこられちゃ困るんだっての。……次で決めにいく。メラビスも出すことになるぞ」
メラビスはあたしの所有物であり、烏の怪物。ドラゴンが空を跋扈するターイズ魔界では相性が悪いと連れて行くことはなかった。
理由はそれだけ。あたしのものを『黒』のために無駄に消費するなんて、たまったものじゃない。
「ならあたしはガーネ魔界を攻めますわ。ザハッヴァやオーファローにメラビスは使えないもの」
「はいよ。しっかしメラビスも哀れなもんだね。正気を失った怪物になっても、お前の使いっぱしりのままだなんてな」
「コレが望んだのだから、あたしはそれに応えているだけですの」
「最期くらい、優しく扱ってやれよ。ソイツはお前のために――」
「おだまり。あなたに言われなくても、全て知っていますの」
こんな『黒』の付属品に言われなくても、とっくに気づいている。
あたしに注がれる敵意を受け止めるために、孤立してまで人に嫌われていたことも。
叔父の策略によって捕まったあたしを助けるため、『黒』に土下座してまで助けを乞うていたことも。
誇りを傷つけられたあたしの怒りを、理解した上で受け止めていてくれたことも。
自分のような無能がいては碧王に取り入ることができないからと、身を引いていたことも。
自我を失いかけていたあたしのために、先に自我を手放し、あたしを奮起させてくれたことも。
「そうかい。なら何も言わねぇよ。俺達はお前らに貸した力の対価をいただくだけだ。せいぜい働くんだな」
メラビスは無能な男ではなかった。だけどその事実をあたしは受け止めてはいけない。メラビスはあたしのために無能な男を演じ続けていた。だからあたしはこの怪物をあたしらしく使い続けなければならない。あたしはこの怪物が望んだままの在り方を進まねばならない。
傲慢で、強欲で、我儘で、卑屈で嫉妬深い、自分のことを省みずに他者を見下すだけの女。そんな無様な人間味を持った者こそが、この怪物を使役する資格があるのだから。
「――いきますわよ、メラビス。今日は盛大に暴れますわ。せいぜい足を引っ張らないことね?」
名を呼ぶあたしの声に反応し、怪鳥は猛りの鳴き声を放つ。そこには要領の悪かった男の面影は微塵もない。だけどこの怪物があたしの側にある限り、あたしはあたしを忘れない。あたしは不変のまま、要領の悪いまま歩き続けられる。