作品タイトル不明
そんなわけで、在り続ける。
その姿を何度も見て、騎士としての私が判断した評価では、ムールシュトの強さはエクドイクと同等、技能の練度で言えばエクドイクの方が強い……といったものだった。
しかし目の前にいるこの男はウルフェを倒してこの場にいる。パッと見た感じでは負傷らしい負傷も見当たらない。
それにトッパラが死んだあの夜、返り血を浴びていたムールシュトの姿を見た時、私は僅かながらにも恐怖を感じた。
これはターイズの騎士達と本気で手合わせをした時に感じたものに似ている。単純な身体能力では遅れをとっていても、それでもなお勝利を引き寄せようとする意思。
ラグドー卿はそれを覚悟の強さと言っていた。その一時に想いの全てを込められるかどうか、それが勝敗を大きく左右するのだと。
「何も悩む必要はないよ。僕は君を殺してから、彼を壊す。小細工はなしだ。憂いなくやろう」
「……そうか」
「ただもう少し離れてほしいかな?できれば壁すれすれに。ヒルメラ様もほら、従者に跳ね飛ばされて殺されるのは嫌でしょ?」
その言葉に彼とヒルメラ王女は距離を取る。彼は入り口の扉の近くへと移動しながらも、あの目でムールシュトの方を見つめている。
「イリアス、ムールシュトの言葉に嘘はない。ヒルメラも動くつもりはない。『俺』は見なくていい、戦闘にだけ集中してくれ」
「――わかった」
僅かに残った憂いも彼の言葉で綺麗に拭えた。呼吸と共に神経を張り巡らせ、剣を構える。
「それじゃぁ……いくよっ!」
「――ッ!」
遠くにいたムールシュトが一瞬で間合いを詰め、突き出してきた剣を剣で受け止める。しかしその勢いを殺しきれず、私自身の体が後方へと弾き飛ばされた。
数歩よろめきながら、姿勢を正す。たった一合受けただけで腕に痺れが残っている。今の速度はラグドー卿と同等以上、剣圧は間違いなく上……!
「あはっ、凄い凄い!」
続いての刺突を再び受け止める。衝撃を足へと逃し、ムールシュトを弾き返す。そういう攻撃だと分かっていれば、この突進は剣術で対応できる。
「うん。斬り返されたり避けられたりとかは結構あったけど、正面から止められたのは初めてだ!君、本当に人なのかな?」
「無論だ」
ムールシュトの超高速移動は魔法ではなく、魔力強化によるもの。通常の人間ならば耐えきれないほどの密度での強化を可能にしての攻撃だ。
脱力からの超加速、その俊敏性を最大限に活かすために、反発しかねない自身の肉体を守る魔力強化は最小限に留める必要がある。
「ならこれはどうかな?」
ムールシュトが駆ける。今度は愚直に飛び込むのではなく、周囲を飛び回りながらの撹乱。連続しての超高速移動をしていながら、肉体を回復させる魔法の使用痕跡は感じない。
本来、奴の体つきならばありえないはずの技。己の肉体を鋼の如く鍛え上げたラグドー卿ほどの域に到達してようやく可能となる技なのだ。
考えられるのはウルフェのように天賦の才を超えるもの、ユグラの落とし子としてのなんらかが、ムールシュトにあのような非常識な技を可能にしている。
「――ふぅっ!」
四方からの攻撃を全て正面から受け止めることは不可能。ならばと受け流す構えへとスイッチする。
一度、二度、三度、その刺突に剣をぶつけ、奴自身の軌道と私の体をずらしていく。一撃でも直撃すれば、私の体はきっと無事では済まないだろう。冷静に対処しようとする心を侵す焦りを一蹴し、反撃の道筋を探す。
その身体能力は異常だが、奴からは剣技の熟練さを感じない。ラグドー卿ならばあの速度の中でも多彩な剣術を振るうことができるが、奴は刺突しかできていない。
自らの才能を活かす戦い方に依存している。ならばそこを利用すれば剣は届く!
「(――今だっ!)」
刺突を受け流す瞬間、その方向を力技で地面の方向へと向ける。一直線に飛び込んでいたムールシュトは下へと角度を大きく変えられ、自らの速度を以て地面へと叩きつけられる。
驚きの表情をしているが、その眼に宿る意思は少しも揺らいでいない。だがその体は叩きつけられた拍子で身動きが満足に取れないでいる。追撃するのは……今っ!
「っ!?」
一気に踏み込み、距離を詰めてムールシュトの胸部へと突きを放った。ムールシュトは回避することもできず、その直撃を受け、後方の壁まで吹き飛ばされた。
私は驚愕した。私が放った突きはムールシュトを吹き飛ばした。そう、吹き飛ばしたのだ。
腕に残る感触、本来ならば肉を抉り、骨を砕くものであるはずなのに、まるで強固な宝石を弾き飛ばしたかのようなものしか残っていない。
「――やっぱり強いね、君」
壁に叩きつけられたムールシュトは何事もなかったかのように起き上がっている。胸部の部分鎧は破損しているが、それだけだ。
私の剣先には僅かに血が付着しているが、その量を見るに薄皮一枚を裂いて止まっているのがわかる。
相手が手加減をしていたり、魔力強化が未熟だったりということならば、私も似たような芸当はできるが、今の私は一切手を抜いていない。確実に仕留めるつもりで放った一撃だ。
嫌な汗が背中に伝わるのがわかる。果たして私の全力の一振りは、この男の体を斬ることができるのか?
「それほどの素質に恵まれ、それほどの技術を持って、少しも慢心することすらない。だけど僕は君に負けるとは思っちゃいない。それは何故だと思う?」
ムールシュトが飛び込んでくる。だがその速度は今までよりも遥かに遅い。まるで受け止めてくれと言わんばかりに大振りの一撃。
いくら魔力強化で硬質化した肉体であっても、速度がなければ威力は出ない。私はそのムールシュトの一撃を受け止める。
「ぐっ!」
その一撃は超高速の突進から繰り出されるものよりも遥かに弱かった。だが、私が予想していた衝撃よりも大分重い。
剣を交えた時、相手の想いが伝わってくることは多々あった。だがこれほどまでに想いの込められた一撃を受けたことはない。剣圧ではなく、その剣に込められた想いに私は圧されているのか。
「彼のためならば命だって惜しくない。君もそう思っているんだろう。そう表現する分には君と僕は対等なんだろう。でもね、違いはあるんだ」
「違い……だとっ」
「僕は今日ここで死ぬ。どんな結果になろうとも、必ず死ぬんだ。その運命を受け入れて、ここにいる」
気づけば押し込まれている。全力を込め、経験と技を駆使してもなお、その差が徐々に私を追い込んでいる。
「私とて騎士、死を覚悟するのは当然だ!」
「ここで全てを終わらせられるのかい?全てを捨てることができるのかい?君の心の中に彼との未来を夢見る理想はないと言えるのかな?」
「っ!」
体を引き、ムールシュトの剣を受け流し、崩れた姿勢に対し剣を振り下ろす。ムールシュトはそれを避けようともせず、私の剣は奴の首へと――
「……そんな」
私の剣はムールシュトの首で止まっている。接触面からは僅かに血が滴っているが、そこから先はまるで刃が入らない。どれだけ押し込もうとしても、その肉に阻まれている。
「――揺れたね」
「がっ!?」
ムールシュトが体を回転させた直後、後頭部に激しい衝撃。まるで石で殴られたかのような衝撃、ムールシュトの剣には常に視線を移していたのに、これは……蹴りか!?
追撃がくる、このまま受けるのは不味い!体勢を立て直そうと数歩下がった瞬間、正面に奴の剣が迫る。くると分かっていれば、防ぐのは容易……っ!?
「恥じなくていいよ。夢を見る若さは弱さじゃない、生きるのに必要な糧なんだからね」
受け止めた剣はまるで羽のように軽かった。そもそも私が受け止めた剣は、奴が放っただけ……っ!
「くっ!」
ムールシュトが取った行動で次の攻撃は読めた。奴は私の両肩を掴み、上半身を大きく後ろに反らしていた。避けることが不可能と判断した私はやけくそ気味にその頭突きに応戦する。
互いの頭が鈍い音と共にはね飛ぶ。だが私の方が姿勢を整えていた分、僅かに復帰が早い。追撃を――
「――かはっ」
呼吸ができず、咳きが出る。漏れたのは空気だけではなく血も混じっている。危険を感じ、一気に距離を取る。
ムールシュトは頭突きの衝撃で後方に倒れており、ゆっくりと起き上がっている最中。私の視線は奴の両手、血塗れの指にあった。あの頭突きの瞬間、私の喉に指を突き立て、吹き飛ばされる衝撃と共に引き裂いていたのだ。
呼吸ができるよう、最低限の回復魔法を施していく。視界が僅かに赤い、どうやら額からも出血しているようだ。
「あはは、泥臭い戦いも随分と手慣れているじゃないか、ターイズの騎士様は」
起き上がったムールシュトは剣を拾う。奴の額からも血は流れていたようだが、既に止まっている。回復魔法ではなく、魔力強化だけで止血をしているようだ。
ムールシュトは額から口元へと流れていた血を舐め、笑う。それは余裕の表れなのか、それとも……。
「でも君の心は揺れたまま、後はそれを大きくすれば良い。例えばこうやって――」
ムールシュトが再び超高速で飛び込んでくる。正面からの迷いのない突進、ならば受け止めて――っ!?
衝突のタイミングで力んだ体が困惑している。目の前の光景を見て心が唖然としている。あれほどの速度で飛び込んできたはずのムールシュトが、ピタリと眼の前で止まって見せたのだ。
「ほら、また揺れた」
「――っ!」
再び突き出された剣は避けたが、再加速したムールシュトの体当たりを胴体で受けてしまう。全身がバラバラになるのかとさえ思う衝撃を受け、上下の間隔がわからないまま壁へと叩きつけられた。
不味い、今のはかなり不味い。致命傷とまではいかなくても、まともに攻撃を受けてしまった。体の機能が戻るまでに数秒は掛かる。この間に追撃されたら何もできないまま……っ。
「……?」
追撃がこないまま、体の機能も戻ってきた。一気に起き上がり、現状を把握する。
全身打撲、数カ所にヒビ、平衡感覚の回復にはもう十秒は必要。問題なく戦える。
対するムールシュトは……地面にへたり込むように座っている。いや、座っているのではなく倒れているのだ。
ムールシュトの両足は歪な形に変形しており、肉を突き破って骨すら見えている。あの超高速の突進を強引に脚力だけで止めてみせたのだ。原型を想像できるだけでもマシだろう。
「頑丈だなぁ。それに回復魔法も使えるのもずるいなぁ。まあ形に拘らないと発動もしない魔法なんて、興味すら湧かなかったけど」
「……その足ではもう立てないだろう」
「そんなこと、君が判断することじゃないだろう?」
ムールシュトは折れた両足を、まるで曲がった針金を真っ直ぐに戻すかのように形を整えていく。魔法を使わなければ激痛で意識すら失いかねないことを、表情一つ変えることなく、淡々と。
いや、そんなはずがない。骨は折れ、肉は裂け、筋すら千切れているはず。どれほどの覚悟があろうとも、人体の構造上もう動くことは……。
「……っ」
「意思在る限り、僕はここに在り続ける。ここは僕の最期、この先には何も残す必要はない。さぁ、出し惜しみはしない。続きをやろう」
その眼に宿る意思はまるで揺らがず、ムールシュトは剣を持ち、最初と同じように構えてみせた。