作品タイトル不明
そんなわけで介護力二倍。
顔を洗い、ベッドに腰掛けて息を吐く。清潔感のある場所に居ながらも、このねっとりとした感覚の気持ち悪さが体にまとわりついたまま拭い取れない。
敵意にも様々な形がある。正面から刃を向けられるような敵意ならば、こちらも自然と身構えることができる。しかし常に背後から刃を突き立てようと腕を回しているかのような敵意には嫌な圧迫感がつきまとうのだ。
公の場なのだから、それ相応の振る舞いをすることは然程不自然な行為ではない。だが貴族や商人、騎士といった者達は皆気持ちの切り替えを行った上でその場所へと足を運んでいるのだ。
今日出会った王子達は皆、自分を偽るのではなく創り変えていた。これは俳優などが自分を登場人物であると思い込む行為に近く、『俺』の理解行動の過程にもよく似ている。
本来の自分を消し去り、伽藍堂のような状態となった体に目的とした人格を形成する。日常生活でここまでする必要はない。周囲にとって良く見える仮面を被ればそれで十分、自分の感情を消す程度で存在を否定する必要はない。
「それが必要となる環境……か」
このような行為をする理由は明白、ありのままの自分が混ざっては駄目な時なのだ。王位を争う上で、彼らは自らを知られてはならないと強く思っている。そこを突かれることが致命傷になることを理解しているのだ。
外観と中身にあまりに違いがあれば、それが作られた人格であると経験している者にとって、この感覚を感知することはそこまで難しくはない。だからこそ『俺』は王子達の仮初の人格に気づけた。
そしてその奥に微かにあった彼らの本当の意思を感じ取れた。『俺』を邪魔者だと判断し、排除するかを考える敵意を。
「ししょー、大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だ。こういった手合を相手にすることが久々だったんで、ちょっと感情がビックリしたってところだ」
そう。全く別の自分を創り上げる行為は元の世界ではそこまで珍しい技能ではない。役者や詐欺師など、本来の自分を隠すことに長けた人物とは何度か付き合いもある。
昔の感覚を思い出すようで、正直嫌な気分ではあるのだが……こればっかりは職業病のようなものである。相手がそうならば、こちらも相応の構えは必要なのだ。
「しかし王子全員がご友人を邪魔者と感じていたとは……本当なのですかな?」
「王子として国を荒らされたくない気持ちがあるのもあるんだろうが、全員が排除するかどうかの判断を視野に入れていたのは間違いないな。そう考えると全員何かしら表には出せない顔があると考えるべきか」
敵意を向けてくる相手が一人なら、今頃悪い顔で今後の計画を考えていたんだけどな。流石に全員は想定外だ。おかげで誰がネクトハールの協力者か判断も付かない。
躊躇なく間者を差し向けてくることから情報戦には強いだろうし、荒事にも対応できるだろう。一度に全員を相手にするのは骨が折れるだけで済まないだろう。
「お困りのようね?」
「はっ!?『紫』殿!もうお戻りになったので?」
きっと話を聞いていたのだろうが、随分と自信たっぷりな顔の『紫』が病室へと入ってきた。隣にはデュヴレオリの姿もある。そして手にはお土産らしき籠が……まさか果物じゃないだろうな。
「私はメジス魔界に少しだけ用事があっただけなのよね?はいこれ、お土産のなんか面白い形の石よ?」
「お、おう。ありがとう」
ワシェクトみたいなチョイスだな、おい。あ、でもなんか確かに面白い形してるな、この石。こっそりコレクションに加えておくとしよう。
「それで、この国の王子達の抱えている闇を暴きたいのよね?なら私の出番でしょう?私の『籠絡』の力を使えば――」
「それはなしの方向で」
「……どうして?」
「魔王の脅威を誇示すること自体はそう悪いことじゃない。だけど『俺』達は人間の敵になりたいわけじゃない。魔王の力を王子達に使うことは攻撃する行為と同じだ。相手を問答無用で殴っておいてお互い仲良くしましょうは通らないだろ?」
この世界の魔王に対するイメージはかなり悪い。まあ憧れを持つ地球人がどうかしているのだが。それはさておき、『紫』達を魔王として動かす行為は非常に慎重に判断しなければならない。
名前も偽名ではないのだから、『紫』の力ならば王子達全員を籠絡してしまうことは可能だろう。ただしその力は魔王だけに許されたもので、人間にとっては未知の力だ。解除できると言われたとしても、それを信じてもらうことができるのかという話になる。
納得したではなく、納得させられたと認識させてしまってはその後のやり取りに不要な警戒心を抱かれることになる。魔王に対するイメージがある以上、悪い印象を抱かれない方が自然なのだ。
「貴方は私を無害な魔王として扱わないのでしょう?」
「まあな。だけど排除すべき魔王として扱わせるつもりもない。気持ちは嬉しいけど、今はへそくりでも貯めておいてくれ」
「……そう、わかったわ?なら暫くは付き添うだけで良いのよね?」
「できればノラの研究の手伝いとかを……」
「良いのよね?」
「……」
「良いのよね?」
「はい」
やる気満々だった所をステイさせておいて、遠くで働いておけは流石にダメだよな。正直身の回りの世話はハークドックとかに任せたほうが気楽で済むんだけどなぁ。
「『紫』殿の押しも随分と強くなりましたな。方向性は変わりましたが」
「いつも飄々と逃げられてばかりじゃお互いにつまらないでしょう?彼にその気がないのなら、私が工夫しないとね?」
「たまには努力します」
さて、今後の方針だがどうしたものか。王子達を一人ずつ探っていって、白だと判断できた王子を味方に引き込んで次へと移るのがベター。ただし現段階でも排除すべきと判断され、何かしらの妨害が行われる可能性は大いにある。あまり時間を掛けてしまうと、妨害が酷くなって協力者探しどころではなくなるだろう。
相手は大国セレンデの王子だ。妨害を受けたからと敵視するわけにもいかない。だからといって、ラーハイトと手を組むような奴を野放しにすることはできない。
「なんだか不機嫌なようね?」
「そんなつもりはないんだが……」
「……そう、そういうことなのね」
何かを納得した模様。一体何を……ああ、そうか。ウルフェも心配していたが、『俺』の様子がいつもと違って見えたのだろう。今の『俺』はこの世界に来る前、それこそ無難に生きたいと願う前の状態に近かった。『紫』はその様子を見て、今度の敵がどういったものなのかを理解したのだろう。
世界が異なるからと思考に差があるのではない。この世界に住む多くの人達は真っ直ぐに生きられるからこそシンプルな生き方が多いのだ。だからこそ読みやすさがあり、地球で身につけた処世術が役に立っていた。
だがこの世界にも地球と似たようにドロドロとした人間関係は存在する。地球だってそうだったじゃないか。一般人達も生活に余裕が出来てきたからこそ、知恵が身に付き、他者を陥れようと方法を思いつき始めた。この世界では王族同士の争いの段階で留まっているだけに過ぎないのだ。
魔物の脅威に怯える必要がなくなり、食料にも困らなくなれば人の生活は富んでいく。そうなれば今は真っ直ぐにしか生きられない人達も曲がる余裕が出てくる。そうなっていけばこの世界もやがては……。
「っ!?」
考え事に集中していてまるで反応できなかった。『紫』がこちらの眉間に指を当ててきたのだ。
「眉間に皺を寄せちゃって、取れなくなっても知らないわよ?」
「……もう少し老け顔になってほしいとか言ってなかったか?」
「それもそうだったわね?」
今度は両手を使って、こちらの眉間に皺を作っている。ふざけているというより、こちらの心を宥めようとしているのだろう。それだけ顔に出ていたってことか……。
「無理に作らんでもよろしい」
「それは貴方も同じよ?貴方にはまだまだ余裕はあるの。貴方は私を利用できないんじゃなくて、利用しないだけ。いざとなればなりふり構わなければ良いのよ?」
「……」
「貴方が理想とする無難な生き方を目指すことは構わないのよ?でもそれで貴方に余裕がなくなって、貴方だけが取り返しのつかない結果になるのは嫌。堕ちるなら一緒に、愉しく堕ちましょう?」
取り返しのつかない……緋の魔王の時のような結果はなんとしても避けなければならない。自分一人で背負ったところで、彼女達の心に傷をつけることには変わらないのだと自覚しなくてはならない。
「魔王に手を取ってもらえるなら、これ以上に心強いことはないな」
「ついでに貴方も魔王でも目指したらどう?そうしたら一生その手を握れるのよ?」
「寿命が怖くなったら考えるさ」
「そう思えるように努力するわね?」
この世界で出会った真っ直ぐな気持ちが心地よいと知ってしまった。尊びたいと、守りたいと、歪ませたくないと覚悟を抱くことはできた。だが自分はどうだ?彼女達の生き方が素晴らしいと理解しておきながら、それを目指そうとしていない。
自覚しているのだ。『俺』はどうやっても、この生き方を変えることはできないのだと。側にいたいと思いながらも、同じ場所に立っていることに引け目を感じている。もしも自分のせいで歪んでしまったら、濁ってしまったら、どれ程の罪悪感を抱くことになるのか。こればかりは理解したくない。
「よし、方針は決まった。まずは比較的違うと判断でき、取り入りやすそうな王子から接触する」
「ふむ……つまりはチサンテ王子か?」
「ラッツェル卿、読みが甘いですな。ご友人ならば異性であるユミェス王女の方が」
「ヌーフサ王子だっての。あの中じゃ一番芯が国よりだった」
表に出している人格が全くの別物であるということは、その真なる心はよりかけ離れているものであると考えられる。
注目すべきなのはヌーフサ王子だけは仮面の人格でも、体裁を保とうとしていないことだ。ヌーフサ王子の仮面は、国の内政のことだけを考えている内向的な王子というもの。
ヌーフサ王子はただ只管に国に尽くしている。だが王や民に対する振る舞いは良くはない。あれだけ自分を偽れるのであれば、社交性のある王子として振る舞うことだってできるはずなのだ。それを好みだけで度外視するとは考えられない。周囲からの信用を落としてでも守り通したいものとは何か?それを確信するにはまだピースが足りない。
「まぁ本格的に行動するにも、メリーア殿やマセッタ殿が戻ってきてからですな。あまり今動かれますと、療養中のヨクス殿が杖を使わなければなりませんので」
「そうしてくれると助かる。食事会程度ならばあまり口は出さんが、本格的に王子達を調べるのであれば君の活動を確認する目は必要になるからな」
仕切りの向こうで寝ているヨクスの声はため息まじりだ。一応食事会に行く前にヨクスには伝えておいた。遺跡見学や食事会と、メリーア達がいないタイミングで行動することは本来ならば控えるべきことではある。ヨクスとしては『それくらい』で済む案件ではあるのだが、メジスにいる権力者達はそうは思っていないのだ。
「片時も目を離せないだなんて、メジスは彼にでも恋しているのかしら?」
「ぬかせ。だがまあ……執着していることには違いないがな。魔王を永久に消滅させることができる人物を、ユグラ教の者達が放っておくはずもないだろう」
ラーハイトとの一件、対価として失われた名を呼ぶことで魔王化を解いたことは既にメジスに報告されている。そしてメジスには『蒼』の名前を日本語で記した本が保管されているのだ。
つまるところ『俺』が協力さえすれば、すぐにでもクアマ魔界を生み出した『蒼』を始末することができると考えているわけだ。
ちなみに何名かの有力者がエウパロ法王に対し、ラーハイトを討伐した報酬として『俺』をメジスでもてなしたいと進言してきているそうだ。湯倉成也が残した本は他にもあり、もしもその中に他の魔王に関する書物があれば……なんて意図が見え見えなので乗るつもりはない。行くとしてもラクラの実家にでも顔を出す程度……深い意味はないよ?
あると分かってしまえば、それを利用したくなるのは人間の性なのだ。その為なら一個人の平穏を望む意思などゴミクズのように捨てられてしまうだろう。
「よくもまあ臆面もなく言えるわね?でもそれくらいの方が私としてもやりやすいけどね?彼を物として利用するような連中が相手なら、私は何の躊躇もなく魔王としていられるもの」
「個人的な意見を言えば、私は反対ではあるがな」
「あら?聖騎士の団長ともある人物が、紫の魔王を見逃すと?」
「勘違いをするな。貴様が人間の敵となるのであれば、滅ぼすべきだと私は思っている。だがそれは彼を使ってではなく、この世界、ひいては貴様に怨恨を抱いているメジスの者達だけの力で行うべきだ」
「……そう。じゃあその時は優先的に相手になってあげるわね?」
ヨクスには自身を磨き上げてきた経験がある。だからこそ、積み重ねることの価値を知っている。聖騎士の存在意義はメジスの大地と民を護ること。その中には深い爪痕を残した『紫』への報復も含まれるだろう。確かに『紫』の名を残した書物が見つかれば、長年に渡る怨嗟に終止符を打つことができるのかもしれない。だがそうなった場合、彼らがこれまでに磨き上げてきた研鑽の価値は一気に下がることとなる。
「約束するのは自由だが、そうならないように頑張っている『俺』の前でそういう話をするのはどうなんだ」
「あら?貴方が人間を辞めて、僻地で一生一緒に暮らしてくれるだけで達成できる内容よね?私の全てを受け入れるだけで済む話を、長々と手間を増やしているのよね?それなのに私には吠えることも許されないのかしら?」
「よし、もっと言い合え。日頃の鬱憤を互いに晴らしてくれ。ただし口だけだからな!」
「ご友人……弱いですな」
そりゃ逃げてる立場だもの、弱いに決まってるじゃないですか。妥協できる箇所は極力妥協しますとも。
「やれと言われると興が冷めるのだがな」
「そうね、その鬱憤は別の方法で解消するとするわ?」
できれば今後の介護はデュヴレオリに行ってほしいのですが、無理ですよね。あいつ発言力ないですもんね。エクドイク、ハークドック、早く帰ってきてください。