作品タイトル不明
だから聞き耳はよくない。
どうやらウルフェは気持ちの整理が付いたようで、元気よく部屋を出て行った。自分にできることを少しでも増やそうと、グラドナのところへと向かったのだろう。本来ならばウルフェ自身が時間を掛けて冷ましていく妄信ではあったのだが、流石に自分を対価に行動し始めては介入せざるを得ない。
「結局は個人の自由ではあるんだがな」
それこそこの国の騎士達は国や民のために命を賭して戦っている。ウルフェの場合それが一個人に向けられているだけに過ぎない。結局は『俺』個人のエゴを通すために言いくるめただけに過ぎないだろう。
「それでだ、いるなら出てきたらどうだ?」
正直なところ、誰がいるかはわからない。そもそもいるのかすら判断できるわけじゃないのだが、こういうセリフを呟いていけば万が一誰かがいても気づくことはできる。
「……いつから気づいていたのだ?」
あ、イリアスがいたわ。いつからと聞かれたら今というわけだが、ここは先程の雰囲気を壊さないために上手く言葉を選ぼう。
「ウルフェと二人きりになったからな。勘の良いイリアスなら、碧の魔王の城で起こった出来事について何か『俺』が話すと考えるだろうってな」
「……時々どこまで掌握されているのか不安になる時もあるな」
相手のことを十割も理解しているわけではない。数割の理解を行動と言動でより多く感じさせているだけに過ぎない。すれ違う部分に関しては個性として誤魔化せばある程度どうにかなる。もちろん一度型にハマればそこからは独擅場にできるくらいには運べるが。
「複雑そうな顔だな。ウルフェが想像以上に成熟していたことに驚いたって感じか」
「まあ、そうだな。いや、脳筋だと思われていたのはショックというか、薄々感じてはいたというか……」
「そりゃあ師匠が普段から言ってりゃ、同じ印象を抱くことはあるさ」
「エクドイクの格好もか?」
「いや、『俺』としてはありなんだが」
童心を忘れない身としてはエクドイクの格好は中二心をくすぐる。ただウルフェは女の子だしな、そこに理解を強制することはできないだろ。それはそうと、イリアスの表情的にどうもこちらを意識している様子。この反応は何か気になる点があるのだろう。
「その……なんだ……」
「別に上手く聞き出そうとか考えなくていいぞ?イリアスに語彙力を求めたことはないしな」
「地味に嬉しくない助言だな。だがそうだな、確認しておきたいことはある。君はセラエス大司教に捕らえられ、心変わりを強制される拷問を受けた。デュヴレオリの話では君が拷問官に何かをしてそれをご破算にしたと聞いた」
「一人称の話か」
「……ああ。君があちら側になっていたことは私でも察することができる。自力で戻ったのか?」
いつもならばイリアスやウルフェのような純粋な連中の眼を見て、自分の立ち位置を『俺』側に寄せていた。実際に緋の魔王の洞窟に突っ込む算段を始めた段階で『私』側に切り替わっていたし、その後に遭遇した連中はどう考えてもピュアとは言い難い。イリアスとしてはその辺が気になっているのだろうか。
「自分の役割がなくなって寂しいか?」
「そ、そういうわけではない!」
「冗談だ。正直に言うとだな、『私』側に移動できない状態なんだ」
「それはどういうことだ?」
「そもそも一人称を切り替える理由ってのは、自分の立ち位置を変えるための暗示のようなものだ。イリアスでいう善よりの行動をする時、悪よりの行動をする時、それぞれに抵抗を持たないためのな」
「その辺は感覚的には理解しているつもりだ」
イリアスとの付き合いも長くなってきたからな。切り替えを何度も見せていれば嫌でも理解してしまうだろう。
「『俺』の場合、その切り替えによる精神的変化は強い。だからエグいことも平気でできたりするわけなんだが……今回は流石に無茶をし過ぎた。緋の魔王には自爆特攻のような真似をしたし、セラエス大司教のところでは自分が死ぬことさえ良しとした。実際に相当酷い目にあったようだしな」
「ようだしなって……他人事のようだな」
「実際に他人事のように感じている。記憶はあるが実感がほとんどない。そうなるように切り替えているからな」
「……そんなことができるのか?」
「イリアスだって罪人を斬り捨てる時には躊躇しないだろ。それを後にも引きずらないようにしてるだけだ」
「わかるようなわからないような……」
「『俺』は元々臆病だ、精神的に強いってことはない。罪人であろうと手に掛けることは躊躇する程だ。だけどやらなきゃならない時はやってくるもんだ。だから一人称の切り替えの際にはその時に行った実感や負い目とかを受け取らないようにしている……らしい」
結局のところ、こういった自己防衛の手段は悪よりの『私』が『俺』になる時に精神負荷を持ち越さないように調整している。自己暗示の強さで言えば間違いなく『私』の状態の方が優れていると言えるだろう。
「移動できないということは……」
「それだけ強烈な記憶だったんだろう。まともに思い出したらそれこそ部屋に籠って震える人生になるほどに。だから『私』は『俺』との間を強く切り離したんだろうな」
日本でも悪事に手を染めたことはあった。その手段があまりにも酷い時、一時的にだが思うように性格の切り替えができなくなったことがある。記憶を残している以上、頻繁に切り替えては実感まで引っ張ってくることになりかねない。それを危惧した上で上手いこと心にセーブを掛けているのだろう。実に他人事である。
「つまり暫くは今の状態で行動をせざるを得ないということか?」
「暫くだといいんだが……流石に原型を留めないレベルで暴行を受けた経験は初めてだからな」
目覚めた時、目の前にいたのは碧の魔王とニールリャテスだ。そんな得体の知れない連中を前に、いつもならば『私』にスムーズに切り替わっているのが自然なのだが、まるで切り替えることができなかった。『私』が『俺』を気遣ってガッツリ切り離しただけならいいのだが、どっちの自分もひ弱な人間には違いない。最悪、『私』側の心が死んだとかそんな可能性も……我ながら面倒な人間だ。
「君があの状態にならないことは、私としては安堵したい気持ちもある。だが、それはそれで心配にはなるな」
「性格は捻くれていても、イリアス達のことは意識してくれていたからな。まあ、イリアスとの約束をさらっと破る程度には酷い奴だが」
「……その辺はあまり触れないでおこう。だが君らしくないな。以前はどちらも自分だと言っていたではないか。今の言い方ではまるで別人だ」
「そりゃあそうなんだけどな。ちょっとばかり距離感が大きくなり過ぎて戸惑っている」
今までは隣り合わせのような存在だったが、今ではその存在を感じることもできない。二重人格とまでは言わない存在が、二重人格かもしれないくらいにまでなっている。それならそれで、礼と詫びを入れたいところではある。
「そんな話を聞かされると、君に小言を言おうとしていた気持ちが削がれてしまうな」
「聞かされないことはありがたいが、『俺』は『俺』だ。個体としての観点で言えば小言を聞く義務はあるんだがな」
「まるで小言を言われたいみたいだな」
「『私』も『俺』だ。それを否定するような真似はしたくないからな」
「……小言の量を減らそうとしている魂胆は薄々感じられるな」
バレてら。そりゃあやらかした事実は変わらないのだ、心配を掛けた連中の不満を受け止めることくらいはしたい。だからと言って延々と小言を聞きたいわけではない。
「そういうイリアスこそ、自分にも負い目があるから小言を減らそうという魂胆が感じられるな」
「……君を護れなかったことは事実だからな。ラグドー卿から正しい魔力強化を学び、純粋な身体能力だけで言えば他の騎士に負けることはないと自負していた。そんな思い上がりの状態から君の姿を見れば、へこたれたくもなる。君が一人で緋の魔王の元に向かったのも、役に立たないと見限られたと考えてしまうほどにな」
純粋なスペックで言えば、イリアスとウルフェは暗部君を除く人間の中で最強と言ってもいいのだろう。だが緋の魔王に二人は敗れ、最も時間を稼いだのはカラ爺、右腕を奪う功績を立てたのはラグドー卿とグラドナ、そしてミクスだった。
「最強を自負するにはまだまだ若いってことだ。取り返しのつかない事態にならなかっただけ幸運と思うんだな」
「そこは慰めてはくれないのだな」
「イリアスの中じゃもう踏ん切りはついているんだろ?なら小言くらいが丁度いいさ」
「……むぅ」
納得のいかない顔をしているイリアス。ウルフェの時とは随分と違うではないか、とか思っていそうだな。
「騎士として一番だと思っているのがカラ爺なのも変わらない、色々と役立つ奴の一番がエクドイクってのも変わらない。ウルフェが一番可愛いってのも変わらないな」
「た、たたみかけるな……」
「じゃあ一個だけ飴な。背中を預けたい相棒としては、イリアス、お前が一番だと思っているさ」
「……そうか。今の私にはそれで十分だ」
イリアスは自力で立ち直ったが、だからと言って言葉を掛けなくていいというわけでもないしな。やる気が戻ったのなら、それを押してやるのが相棒の役割だ。
「よし、これで二人の精神的なケアは十分だな」
「ちょっと待て、そんな名目で今の言葉を言ったのか?」
「本心で言ったことには変わらないさ。それともなんだ、イリアスが赤面したくなるほどに全力で褒めればいいのか?日常に力が入り過ぎる結果になってもいいならご希望に添えるが」
「……い、いや、このくらいでいい。そうだな。君が適度に茶化してくれた方が、私も気負わずに済む。だが、もう少しいい方法くらい思いつくのではないのか?」
いつもの様子に戻ったようで何より、シリアス顔は疲れるからな。このくらいが一番だ。
「そりゃあウルフェにしたように、抱きしめてやるくらいはできるぞ?ただなぁ、そろそろ聞き耳を立てていそうな奴がいる気がするんだが」
「はっ!?」
イリアスが扉の方へ視線を向けると、ガタガタっと音を立てて誰かが逃げる音がした。本当にいたか。
「あ、ミクスちゃん、一人で逃げないでください!?」
ラクラとミクスがいたようだ。とりあえずラクラには赤面しているイリアスに小言をぶつけてもらうことにしよう。まあ、イリアスも人の会話を盗み聞きしていたんだし、人のことをとやかく言える立場ではないのだが。