作品タイトル不明
39話 黒の戦乙女
儂は、前世では黒騎士と呼ばれていた者。
ただ力だけを讃えられたのではない。
国のために剣を振るい、最後まで退かず、どのような理不尽にも屈しなかったからこそ、その名で呼ばれるようになった。
故に、その心は鋼鉄。
どのような悪意にも。
どのような絶望にも。
儂は、決して屈しない……
……その、はずなのに。
「アリエル様」
「くっ……ころせ」
儂は、正座をしていた。
床の上に、背筋だけは妙にきっちり伸ばされている。
目の前には、にっこりと笑うサリー。
怖い。
ものすごく怖い。
たぶん今の儂は、諦めきった顔で目が死んでいると思う。
前世で大軍に囲まれた時より怖い、というのはさすがに言い過ぎかもしれないが、少なくとも方向性の違う恐怖としてはかなり上位だった。
「私、申し上げましたよね?」
「う、うむ……」
「今日は剣のお稽古はなし。お勉強の時間です、と」
「それは、その……」
「それなのに、アリエル様はいつものように剣を握ろうとして、なにをされているんですか?」
「えっと……稽古?」
「話を聞いていませでしたか? それとも、無視をされましたか?」
「そ、それは、そのぉ……えへ♪」
笑ってごまかしてみた。
「……で?」
通じない!
どころか、むしろ怒りが倍増したような気がする。
笑顔なのに、空気が冷えていくのを感じる。
これはまずい。
だが耐えろ、儂。
儂はかつて黒騎士と呼ばれていた者。
メイドの圧に屈するわけには……
「アリエル様?」
「ごめんなさい」
速攻で頭を下げた。
だって怖いのじゃ。
仕方あるまい。
「はぁ……」
サリーが深くため息をつく。
「本当に、アリエル様のやんちゃも困ったものです」
「誠に申しわけなく……」
「とはいえ」
そこで、サリーはやや呆れたように肩をすくめた。
「アリエル様には、やはり剣の方が似合っているのかもしれませんね」
「む?」
「称号もいただいたことですし」
「称号?」
なんじゃそれは、と小首を傾げる。
サリーはもう一度ため息をこぼした。
今度のそれは、叱るというより、呆れている時のものだ。
「先日の件ですよ」
「ドラゴンのことか?」
「はい。アリエル様は、見事にドラゴンを討伐したことで、『戦乙女』の称号を得たのですよ」
「……戦乙女……」
「女性の騎士へ贈られる、最高の栄誉の一つです」
「ほう」
「まあ、王女が……しかも八歳児がいただくとか前代未聞ですが」
「そうじゃろうな」
前世は黒騎士。
そして、今世は戦乙女。
ふむ……まあ、悪くないのではないか?
称号そのものに執着があるわけではない。
だが、こうして名前を与えられるというのは、それだけのことを成し遂げた証でもある。
国を守れた。
民を守れた。
それを誰かが見ていて、ちゃんと認めてくれた。
それが、妙に嬉しい。
前世では、黒騎士と呼ばれながらも、最後には守り切れなかった。
だからこそ今世で得た戦乙女の名は、ただの飾りではなく、やり直しの途中に立てた一つの旗のように思えた。
「儂の剣は、やはり……」
小さく呟く。
「守るためにあるのじゃろうな」
「アリエル様?」
「いや、なんでもない」
サリーは少し不思議そうな顔をしたが、それ以上は追及してこなかった。
「サリー」
「なんですか、アリエル様」
「儂、もっと強くなるのじゃ」
「……今以上に?」
「うむ」
「今でも、かなりおかしいのに?」
「主に放つ言葉としてどうかと思うのじゃが」
メイドが主人をおかしい呼ばわりするのは、普通どうなのだろうな。
まあ、今さらか。
だが、そういう気安さが嫌ではない。
むしろ、その距離感がありがたい。
変にかしこまられれば、どうしても壁ができてしまう。
サリーは乳母であり、もう一人の母のようでもあり、時に姉のようでもあり、そして時折、友人のようにすら感じる。
だからこそ、この近さが心地いい。
これからも、ずっとこうであってほしいと思う。
「アリエル様は」
サリーが少し首を傾げる。
「綺麗なものとか、可愛いものには興味がないんですか?」
「ないのう」
「おしゃれは?」
「ないのう」
「美味しいものをたくさん食べたいとか」
「ないのう」
「……はぁ」
今度のため息は、かなり深かった。
たぶん、儂が女の子らしさからあまりにも遠いのを本気で悩んでいるのだろう。
本来なら、ひらひらの可愛いドレスを着て、ぬいぐるみを抱いて、お菓子を食べながら穏やかに笑っていてほしいはず。
それなのに現実の儂は、軽鎧を好み、剣を握り、盗賊や魔物を斬り捨てている。
……うむ。
冷静に考えると、確かにメイドとしては頭を抱えるしかないかもしれない。
「すまぬな、サリーよ」
少しだけ真面目に言う。
「お主の苦労は、わからぬでもない」
「本当ですか?」
「本当じゃ」
「では、少しは可愛いものに興味を」
「それは無理じゃ」
「即答でしたね」
「大事なことじゃからな」
「うう……」
可哀想なものを見る目をされた。
だが、そこは譲れない。
二度目の人生。
一度目とまるで違う道を選ぶのも、きっと間違いではないのだろう。
けれど、儂は一度目の人生でやるべきことをやれなんだ。
果たすべきことを果たせなんだ。
ならば、このやり直しは、その続きをするためのものだと思っている。
儂が生きる理由はそこにしかない。
「アリエル様が剣を極める」
サリーがぽつりと言う。
「それはもう、当たり前のことだと考えた方がいいのかもしれませんね」
「苦労をかけるのう」
「本当です」
ジト目を向けられた。
だが、その目はすぐに柔らかくほどける。
「ですが……そうでなければ、アリエル様ではないのかもしれませんね」
「うむ、そうなのじゃ!」
「そこで開き直られても困るのですが……」
苦笑。
でも、その声音に棘はない。
そしてサリーは、ほんの少しだけ息を整えてから言った。
「……わかりました」
「む?」
「私も、覚悟を決めましょう。今すぐ全てを受け入れて、すべてに完璧に対応するのは難しいかもしれません。ですが、できる限り、とは思います。アリエル様のお力になれるよう、微力ながら尽くして参ります」
「……サリー……」
それは、儂の生き方を諦めたのではない。
ちゃんと見た上で、受け入れてくれたのだろう。
剣を握ること。
守ること。
無茶をすることすら含めて。
それこそ『全て』を。
「うむ。ありがとうなのじゃ、サリー」
にっこり笑うと、サリーの顔が一気に赤くなった。
「はわ……」
「む?」
「天使の笑顔……尊い……」
「むむむ?」
「い、いえっ、なんでもありません!」
顔が赤くなり、吐息が荒くなり、目が妙に据わる。
気のせいでなければ、ちょっと肉食獣っぽい。
……儂、狙われているのか?
「なにはともあれ」
儂は手を差し出した。
「これからもよろしく頼むのじゃ、サリー!」
「はい、アリエル様」
サリーがその手を取る。
握手を交わして。
笑顔を交わして。
その瞬間、儂の中で何かがもう一段、はっきりした気がした。
守るべきものは国や民だけではない。
こうしてそばで笑ってくれる者も絶対に守らねばならない。
サリーのような笑顔を。
母様が愛したこの国を。
そして、ここに生きる人々を。
今度こそ守る。
それこそが儂のやるべきこと。
戦乙女……いや。
「黒の戦乙女、でもよいかもしれぬな」
前世の黒騎士。
今世の戦乙女。
ならば、その二つを繋いだ名で呼ばれるのも、そう悪くないのかもしれぬな。