作品タイトル不明
25話 高い壁
「……んぅ?」
やわらかな感触に意識が浮かび上がる。
頭の後ろが温かい。
額にも、優しい温もりがある。
まぶたを開くと、目の前には空。
そして、その端に兄様の顔。
「起きたんだね」
「……にーさま?」
「うん。よかった。このまま起きなかったら医務室に運ぶところだったよ」
状況を理解するのに少しだけ時間がかかった。
兄様に膝枕をされていた。
「……あ」
記憶が戻る。
「そうじゃ、儂……負けたのじゃ」
次の瞬間、じわりと目の奥が熱くなった。
くっ。
何をしておるのじゃ、儂は。
前世は黒騎士と呼ばれた男じゃぞ? 勝負に負けたくらいで泣くなど、そんな情けない真似が……
「ふぇ……ええぇ……」
ああ、もう!
やはり体が幼いせいか、感情まで引きずられるのう! 止めたいのに、勝手に涙が出るではないか!
「ど、どうしたんだい? もしかして、どこか怪我でも……」
「そ、そうではなくて……」
鼻をすすりながら、ようやく言う。
「兄様に負けて……悔しいのじゃ」
「ああ、そういう」
兄様が少しだけ安堵したように息を吐く。
それから、ぽんぽんと頭を撫でられた。
「気にすることはないよ」
「しかし……」
「アリエルは、まだ六歳だからね」
「そうではあるが……でも、負けたのは悔しいのじゃ。儂は、本気で勝つつもりで……なのに、兄様にはまだ余裕があった」
「……」
兄様は少しだけ黙ってから、率直に言った。
「うん、そうだね。確かに余裕はあったよ」
「やっぱりなのじゃ……」
「でも」
撫でる手が止まらない。
「最後は、本当に危なかったかな」
「……本当かのう?」
「本当だよ」
「……むぅ」
「アリエルがあそこで低く潜り込むなんて思わなかったし、最後の一撃はかなり鋭かった。もう一度やれ、って言われても自信はないよ」
「えへへ♪」
いかん。
頬が勝手に緩む。
悔しいのに、兄様に褒められるとどうしても嬉しい。
ほんに困った体じゃ。
前世では、成果を出して当然だった。
黒騎士を称える声はあっても、『よくやった』と、こんなふうに温かく褒められることは少なかった。
だからなのか、兄様の言葉はどうしようもなく胸に沁みる。
「んっ」
勢いをつけて体を起こす。
もう少し膝枕されていてもよかった気もするが、さすがに気恥ずかしい。
「兄様、ありがとうなのじゃ」
「僕の方こそ、ありがとう」
「む?」
「すごく良い訓練になったよ。正直、思っていた以上だった」
「えへへ、儂、強い♪」
「こら、調子に乗らない」
「むぅ……でも、少しくらい乗ってもよいのではないか?」
「だめだよ。そういう慢心が成長を妨げるからね」
「厳しいのう」
「甘やかしすぎると、アリエルはすぐに空まで登っていきそうだからね」
「天才ゆえ仕方ないのう」
「ほら、もう始まった」
兄様が笑う。
だが、すぐに少し真面目な顔になった。
「アリエルは、本当に剣が得意なんだね」
「うむ!」
「騎士団長が困るのもわかる」
「そこは兄様がなんとかしてくれぬか?」
「考えているよ」
「本当かのう!?」
「うん」
兄様が頷く。
「先生をつけた方がいいかもしれない。騎士団長一人だけでは、もう足りないみたいだし……なにか考えないとね」
「おぉ!」
「でも……単純に、ただ強くなるだけでは駄目だよ?」
「それは……」
「何のために強くなるのか、それが大事だ」
その問いは、前にも兄様にされた気がする。
だが答えは変わらない。
「もちろん、みんなを守るためじゃ!」
「みんな?」
「うむ!」
指を折るように数える。
「サリーや兄様。父様もじゃ。兄様の母様も。城のみんなも、街のみんなも……この国の全部を守るため、儂は強くなるのじゃ! そのための剣である!」
言い切ると、兄様はしばらく儂の顔を見ていた。
それから、またゆっくりと頭を撫でる。
「そっか……うん。それなら大丈夫だね」
「なにがじゃ?」
「アリエルは、ちゃんと力の意味をわかってる」
「?」
「ただ強くなりたい、っていうだけなら、剣の前に、もっと色々なことを教えないといけないと思ってた。でも、それは必要ないみたいだね。アリエルならきっと、強くなるよ……僕よりもね」
「うむ! いつか兄様を超えてみせるのじゃ!」
拳を握りしめて、強く強く言う。
「母様にも安心してもらうのじゃ! 儂は大丈夫、この国も大丈夫じゃ、って!」
「……アリエル……」
兄様の声が、少しだけ揺れた。
次の瞬間、ぎゅっと抱きしめられる。
「にーさま? どうしたのじゃ?」
「いや……その」
兄様は笑っているようでもあり、少しだけ泣きそうでもあった。
「アリエルは、本当にいい子だなって思って」
「そうか?」
「うん。とても」
そのまま、しばらく抱きしめられる。
温かくて優しくて、不思議と安心した。
「……ねえ、アリエル。よかったら、僕も剣を教えようか?」
「本当か!?」
「毎日、というわけにはいかないけどね」
「それでもよい!」
「先生も別につけるつもりだけど、僕もアリエルに教えたいんだ」
「兄様、ありがとう!」
今度は、こちらから兄様へ抱きついた。
前世なら、こんなことはまずしなかっただろう。
だが今は体が自然にそう動く。
「儂、もっと強くなる!」
「うん」
「今度は兄様にも勝つのじゃ!」
「その時を楽しみにしているよ」
また、頭を撫でられる。
「えへへ」
だめじゃ。
嬉しすぎる。
こうして甘やかされると、前世の男としての部分がどんどん溶けていく気がする。
……まあ、悪くはないのじゃが。
――――――――――
それはそれとして。
「さて、アリエル様」
「えっと、その……」
「お勉強、たくさんがんばりましょうね」
「いや、あの……」
「がんばりましょうね?」
「……ハイ」
後で、めっちゃサリーに怒られた。