作品タイトル不明
23話 兄王子
六歳になった。
それに伴い、最近は剣の訓練だけではなく、勉学や教養も学ぶようになっていた。
言語学。
数学。
歴史。
礼儀作法。
食事の仕方。
挨拶の角度。
歩き方。
言葉遣い。
……なんじゃ、それは?
知識を学ぶのはまだわかる。
知識は武器だ。
前世でも、それを痛感する場面はいくらでもあった。
知らぬがゆえに選択肢を失うのは愚かだし、選択肢が消えていることにすら気づかぬのはもっと愚かだ。
だから勉学はまだいい。
しかし、教養はよくわからない。
食事は美味しく食べられれば十分ではないのか?
歩き方にまで正解があるというのは、いささか窮屈ではないのか?
……というわけで。
「アリエル様!? どこに行ったんですか、アリエル様!?」
「すまぬな、サリー」
儂は部屋を抜け出していた。
背後から、たいそう恐ろしい気配を感じる。
今、絶対に振り返ってはいけないやつじゃな。
「また逃げて……ふふ。今度は、二度とこんなことを考えられないくらい、しっかりと教育と調教を……」
なんか、妙に怖い呟きが聞こえた気がする。
だが、聞かなかったことにした。
忘れよう、うん。
それから城内をのんびり歩く。
儂はまだ六歳。
六歳児の体にとって、王城はとても広い。
毎日のように探検しているのに、まだ知らぬ場所が出てくる。
角を曲がれば景色が変わり、窓から差す光の色も変わる。
こういう発見は案外楽しい。
「ふむ、今日はどうするかのう」
剣の訓練も楽しい。
だが、こういう時間も悪くない。
心が少し豊かになるような気がした。
「アリエル」
「む?」
名前を呼ばれ、振り向く。
そこにいたのは、金髪の青年だった。
十八歳。
儂よりちょうど一回り上。
柔らかな笑みがよく似合い、立っているだけで周囲の空気を和らげるような人。
「にーさま!」
「うん。今日も元気だね、アリエル」
兄……セイファート・ノクティス・フィーゼルマイン。
正妃の子であり、儂にとっては異母兄となる。
血の繋がりは半分だけ。
だが、そんなことは関係ないと思えるほど、儂は兄様のことが好きだ。
優しくて強い。
そして、民のことをしっかりと考えている正しい王族だ。
しかも強い。
一見すると、荒事よりも書物や庭園の方が似合いそうな空気を纏っているのだが、実際は違う。
兄様は聖竜騎士団という特殊な部隊を率いている。
王族の名だけで立ったのではない。
実力で部下を束ね、実力でその地位を得た。
だからこそ尊敬できる。
「こんなところで、どうしたんだい?」
「えっと……散歩?」
やや気まずく答えると、兄様は苦笑した。
「もしかして、またサリーから逃げてきたのかい?」
「うっ」
「図星だね」
「にーさまは、どうしてそんなに人の心を読むのが上手いのじゃ?」
「アリエルがわかりやすいんだよ」
「むぅ……」
不本意だが、反論しづらい。
兄様はしゃがんで、儂の頭を優しく撫でた。
その手がやたらと心地よい。
「勉強は苦手かもしれないけど、サボるのはいけないな」
「しかし、儂は剣を振るっておる方が好きなのじゃ」
「そうだろうね」
「本を読むより、体を動かす方が楽しい」
「それもわかるよ」
「なら……」
「でも」
兄様は笑ったまま言う。
「アリエルは可愛い女の子なんだから、他のことも学ばないと」
「むぅ……」
結局そこへ戻るのか。
「強くなりたいのじゃ」
少しだけ口を尖らせながら言う。
「国を守るために」
「……うん」
「儂は、そのために生きておるからのう」
「知っているよ」
兄様が少し目を細めた。
「アリエルは、いつもそう言う」
「当然じゃ」
「ふふ。優しくて強いね」
「……」
「そんな妹を、僕は誇りに思うよ」
また、頭を撫でられる。
ああ、いかん。
これはちと心地よすぎる。
黒騎士としての威厳が溶ける。
ま、溶けてもいいか。
そんなことを思ってしまう。
「そうじゃ、にーさま」
「なに?」
「稽古をつけてくれぬかのう?」
「うーん……」
おや?
いつもなら、笑って『また今度ね』と流されるのだが、今回は少し本気で考えてくれているようだ。
「騎士団長からも、アリエルは規格外だって聞いているんだよね。実際、僕もアリエルの剣を見たいと思っていたところだし……」
「うむうむ!」
「無理に勉強を詰め込むより、長所を伸ばすのもありかな?」
「おぉ!」
「……うん、わかった。ちょっとだけなら教えてあげるよ」
「本当かのう!?」
「うん。兄として、それくらいはしてあげないとね」
「やったのじゃ!」
嬉しさのあまり、思わず兄様へ抱きついた。
兄様は困ったように笑いながらも、やはり優しく頭を撫でてくれる。
「えへへ……」
気づけば妙な声まで出てしまう
いかん。
黒騎士の威厳が本格的に危うい。
……ま、いいか。
「ところで、にーさまは何をしておったのじゃ?」
「僕?」
「うむ。儂と遊んでいてよいのかのう?」
「大丈夫だよ」
「本当に?」
「うん。僕もちょっと散歩していただけだから」
「……聖竜騎士団の会議から抜け出した?」
「本当にアリエルは聡いね。秘密だよ?」
「うむ、秘密じゃ!」
顔を見合わせて、くすくす笑う。
よい兄様じゃな。
こういう人が上に立つのなら、この国はきっと簡単には崩れぬだろう。
そして、もしもの時には……
「いつか、肩を並べて戦いたいのう」
ぽろりと本音が出る。
「ん? それは、どういうことだい?」
「いつかにーさまと一緒に戦いたいのじゃ! 国を守るために!」
「……そうだね」
兄様は、少しだけ意外そうにした後、柔らかく笑う。
「その時が来たら頼もしいな」
「うむ! 任せるのじゃ!」
「じゃあ、まずは剣の稽古をして……うん。それから、勉強も頑張ろうか」
「むぅ……剣だけでは駄目かのう」
「たぶん、駄目だね」
「世知辛いのう」
「王族だからね」
「便利な理屈じゃ」
「便利だよ?」
くっ、兄様までそれを使うか。
だが、悪くない。
こういう時間も、案外よいものじゃなと思った。