軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

11.ギャンブル

もうすぐ、夜が明ける。

空はまだ暗いが、わずかに白み始めている。

今のうちに――邸を出よう。

これ以上、話し合いの場に立つことを考えるだけで頭が痛くなる。クロード様やフルールの顔を思い浮かべるだけで、気が沈んでしまう。

私には、もう、向き合う覚悟も、気力も残っていなかった。

机に向かい、クロード様に手紙を書く。ペン先が紙の上を静かに走る。長い手紙を書く気にはなれず短く、簡潔な文面になってしまった。

それでも、それが、今の私の精一杯だった。

書き終えたあと、私はしばらくその手紙を見つめ、それから、ゆっくりと息を吐き、手紙を折った。封をして、机の上にそっと置く。

これで終わり。

私は一つだけの鞄に荷物を詰め込んだ。服を数着と簡単な身の回りのもの。驚くほど少ない荷物だったけど、私が本当に大切にしているものは、胸元のネックレスだけ。

私はそれをそっと握りしめた。

「……あ」

ふと、あることに気付き、思わず小さく声が漏れた。

お金がない。ほとんど無一文だ。冷や汗が、背筋を伝うけれど、ここに留まったところで、状況が好転するわけではない。

高価な持ち物などない。

けれど、少しでもお金になりそうな物を売れば――例えば、この万年筆は売れるかしら?

うん、きっと、なんとかなる。

窓の外では、まだ雨が降り続いている。私はフードを深く被り、鞄を肩に掛け、扉を静かに開けた。

屋敷は眠ったままだった。私は足音を立てないように歩き、ゆっくりと外へ出る。降りやまない雨音に紛れて。

雨はまだやむ気配がなかった。

通りにはところどころ明かりのついた家が見えるが、軒先は狭く、雨宿りできそうな場所は見当たらない。

……うぅ、靴の中が気持ち悪いわ。

歩くたびに、靴の中で水がぬるりと動く。裾も髪もすっかり濡れてしまっていた。それでも何とか、目的の買取店の前まではたどり着いた。

けれど、まだ開店には早いのか、店の扉は固く閉ざされたままだ。

これからどうしよう……。

そう立ち尽くしていると、背後から声が飛んできた。

「あんた! どうしたんだい。そんなにびしょ濡れで」

振り向くと、傘を差した気の良さそうな女性が、慌てた様子でこちらへ駆け寄ってくる。近くまで来ると、私の姿を上から下まで見て、心配そうに眉を寄せた。

「実は、遠く離れた兄に会いに行こうと思っているのですが、お金がなく、そこの店が開くのを待っているのです」

「何言ってるんだい。まだ、開店まであと1時間はあるよ。何だってまた……いいとこのお嬢さんだろ? 親は一緒じゃないのかい?」

少し戸惑いながら、私は答えた。

「両親は亡くなっております……」

女性は一瞬、言葉を失ったように黙り込んだ。

「……そうだったのかい」

それから、ふっと息を吐き、決めたように頷く。

「よし、とりあえず、このままだったら風邪をひいてしまう。私は、マリーって言うんだ。狭いけど家においで」

ありがたい申し出だった。けれど、見知らぬ人についていくのはやはり少し怖い。

どうしようか迷っていると――

「ほら、遠慮してる場合じゃないよ」

マリーさんはそう言って、私の手をぐいっと引いた。そのまま半ば強引に、雨の中を歩き出す。

しばらくして着いた家は、小さく古いが、窓から温かな灯りが漏れていた。

扉を開けると、幼い兄妹が顔を出す。

「……おねえちゃん、だれ?」

不思議そうに私を見上げる女の子。その隣で、少し年上らしい男の子が腕を組んだ。

「着る物を濡らしたらな、母ちゃんに怒られるぞ」

「何で母ちゃんがお客さんを怒るんだい。ほら、コリーもアリーもお姉ちゃんにタオルを持ってきておやり」

マリーさんが言うと、子供たちは「はーい」と素直に返事をして、ぱたぱたと奥へ走っていった。

すぐにタオルを抱えて戻ってくる。

「はい!」

差し出されたタオルで、私は濡れた髪や袖を拭いた。冷え切っていた体が、少しずつ落ち着いていく。

家の中は確かに広くはない。

けれど、どこかほっとする空気があった。

「ほら、あんたもお食べ」

マリーさんがテーブルに置いたのは、湯気の立つスープとパンだった。

「まあ、口に合わないかもしれないけど我慢しな」

私は小さく頭を下げ、スープを一口すする。

温かいわ。

気がつけば、涙が一筋こぼれていた。

「温かい……、とっても……おいしいです」

久しぶりに食べた、温かい食事だった。

「泣くほどうまいかこれ?」

コリー君がくすっと笑う。すぐにマリーさんが、ぺしっと頭を叩いた。

「余計なこと言うんじゃないよ」

すると、アリーちゃんが小さなハンカチを持ってきて、私の前に差し出した。

「おねえちゃん、これで、涙を拭いて」

無邪気な笑顔だった。気がつけば、私も少し笑っていた。

ここには、小さな幸せが、確かに溢れていた。

「……今帰ったぞ」

低くくぐもった声とともに、玄関の扉が乱暴に開いた。

「あっ……父ちゃん」

その声を聞いた瞬間、さっきまで賑やかだった子供たちの表情が変わった。二人は顔を曇らせ、そろそろと部屋の隅へ移動する。

マリーさんの顔が険しくなった。

「何しに来たんだい」

静かな声だったが、明らかに怒りを抑えている。

「は? 自分のうちに帰ってくるのに、何しにってなんだよ」

男は不機嫌そうに吐き捨てると、椅子に乱暴に座った。そして、棚や机の上をちらちらと見回し始める。何かを探しているかのように。

その様子を見て、マリーさんの表情がますます険しくなった。

「1週間も帰ってこなかったんだ。何しにって言うだろう! こないだ持って行った金はどうしたんだい! あれは、この子たちの服を買おうと思っていた金だよ。まさか、またギャンブルにつぎ込んだんじゃないでしょうね」

男は鼻で笑った。

「つぎ込んだに決まっているだろ!」

荒々しい声が、狭い部屋に響く。子供たちはびくっと肩を震わせた。

「あんた!! 子供たちが可愛くないのかい!」

マリーさんは叫んだ。怒りと悲しみで、声が震えている。男は一瞬黙り込み、それから顔を歪めるように笑った。

「……可愛いと思っているさ。初めは、いいもの食わしてやろうと思って……」

そう言いながら、男はふらつくようにマリーさんのもとへ数歩進む。

「はっ、お前にはわからないだろうな……ギャンブルの、上手くいったときの喜びや興奮が忘れられないんだ」

男の声は、次第に荒れていった。

「ああ、やめようともしたさ! でも、無理だった……どうしようもないんだよ!!」

叫んだ瞬間、男の力が抜けたように、膝から崩れ落ちる。そのまま床に手をつき、うつむいた。

部屋の中は、しんと静まり返る。

「……馬鹿だよ、あんたは……」

マリーさんがぽつりと言った。その声には、呆れと悲しみが混じっていた。きっと泣いているのだろう。声がかすかに震えている。

どうしようもない、か。依存を消すことができたら……。

上手くいくかどうかは、わからない。

でも、このまま見ているだけというのも、違う気がした。少しだけ息を吸い、恐る恐る口を開く。

「あのー、私、それ何とかできるかもしれません」