作品タイトル不明
第十一話 旧サウベリア王国
蚤の市に出す商品を先に発送して、アシエラと旧サウベリア王国領に向かう荷馬車に乗る。
初の長旅にはしゃぐエティを肩の上で大人しくさせて、チトセはため息をついた。
帝都を出発して早十日。日がな一日荷馬車の上でチトセはへとへとになっていた。
「遠いね……」
雨なども降らず順調に進んでこの日数だ。帝都裏町で暴れている殺人鬼も追いかけてこないだろう。
アシエラが潮風になびく髪を押さえながら笑う。
「五十年前まで外国だったからね。売上次第では帰りに船を使えるから、張り切って仕事しようか」
「すでに疲れてる」
荷馬車が石を踏んだのか、ごとんと激しく揺れてお尻が座面から浮き上がる。すぐさま手をついてゆっくり着地し、ほっと一息。十日も揺られれば流石に慣れたものだ。
帝国直轄領とは異なり、旧サウベリア王国領の道路はあまり整備されていない。交通量があり潮風の影響もあってか、あまり雑草が生えていないものの、小石の類は放置されているし道に穴も開いている。
荷馬車の御者はこの辺りを主な仕事場にしているとのことで穴を華麗に避けている。
御者がチトセを振り返った。
「水運が主だから、道路整備が後回しになってるんだ。おかげさんで、内陸部との交易があまりできなくて、蚤の市みたいな大掛かりなイベント事が流行る」
そんな事情があるのかと納得しつつも、流行るくらいなら道路整備をしてほしいと思う。
チトセの不満を感じ取ったのか、アシエラが話題を変えて進行方向を指さした。
「ほらチトセちゃん、海が見えてきたよ」
「ウミ!」
チトセより早くエティが反応してふわりと飛び立つ。
疲れているのもあって反応が鈍いチトセも、初めての海を見てみようとバランスが悪い荷馬車の上で立ち上がった。
御者と馬の頭を越えてはるか向こう、白く太陽光を反射する波と青い海が見える。
帝都からほとんど出たことがないチトセにとっては初めての光景。見渡す限りの水なんて帝都のそばを流れる大河くらいしか知らないが、風が運ぶ磯の香りもあってまさに異国情緒の感があった。
とはいえ、異国だったのは五十年前の話。海沿いの建物には帝国風のレンガ積みの家が散見される。それが旧サウベリア王国風の薄緑や薄紅色の明るい建物壁の中、異物のように紛れている。
美しい風景画にインクを数滴垂らしたような異物こそが「かくあるべし」と主張して全体を侵食していく様をまざまざと見せつけられている。そんな不快感が膨らむ。
かつて宿り木の庭にスクリムショーを売りに来た老人の言葉を思い出す。
「――この歳になると、昔の町の景色を思い出せなくなってね」
寂しい町並みだと思いながら、チトセは席に座り直した。
※
町に入ると、思いのほか人通りが多かった。
町に住む人々もいるが、大半は蚤の市を目当てに遠方からやってきた人々だ。アシエラのように店を出す商人や店を見て回りたい客、商品や食材などを運搬している行商人や船商人などもいて、実に賑やかだ。
「はぐれないようにね」
アシエラがチトセに呼びかけて、人込みをかき分け進んでいく。人口が多い帝都住みだけあって、アシエラは人込みを抜けるのが上手かった。
チトセもまた、裏町仕込みの軽い身のこなしと小柄な体躯を活かして人込みを縫っていく。
子供のチトセは背が低く視界が通らない。だが、エティが頭上を飛んでアシエラの方向を指さしてくれるのもあって、はぐれる心配はほとんどない。
アシエラを追いかけていくと大きな黄緑色の壁が特徴的な建物に行きついた。
「ここで蚤の市に参加する手続きをするんだよ」
「まだ参加が決まったわけじゃなかったの?」
「うーん、正確には参加費を払って手続きを完了ってことだね」
土地代なども一緒に払うらしい。アシエラが財布を取り出しながら受付カウンターに歩いていく。
チトセはアシエラの横に並んで歩きながら周りを見る。
白い石の床は綺麗に磨き込まれている。天井から下がったペンダントライトは薄桃色の貝殻を模した覆いが可愛らしい。広々としている割に威圧感や高級感を押さえるのに一役買っていた。
アシエラと同じく参加者らしい人々が多い。年齢はバラバラであまり高齢の商人は見当たらない。こんな遠方までやってくる体力がある商人でないと参加が難しいのだろう。
アシエラが全て参加者の中で間違いなく最年長。自分は最年少になるだろうかと、チトセがちらりと考えた時、
「ディッセラ帝国銀貨十五枚が参加費用です」
カウンターから聞こえてきた金額にぎょっとする。
売り上げが出ると確定していない蚤の市の参加費用としては明らかに高すぎる。銀貨五枚がせいぜいだろうと思った直後、さらにカウンターに座る女性が告げた。
「土地代が銀貨十枚です」
日数を考えると、こちらは適正価格に思えた。だからなおさら、参加費の高額さが異質に見える。
目を丸くするチトセの横でアシエラは笑顔を浮かべながら銀貨を十五枚取り出してカウンターに置いた。
「はい。ラ・ベリティの起こす風に乗れますように」
アシエラが聞き慣れないフレーズを口にすると、カウンターの女性は静かに銀貨を五枚だけ受け取ってカウンターの裏から小さな団扇を二枚取り出した。細い板に紙を張っただけの簡素な団扇だ。
「どうぞ、お受け取りください。そちらの可愛らしい参加者さんも」
「あ、ありがとうございます」
団扇を受け取り、チトセは何が起こったのか分からないままアシエラに背中を押されてカウンターを離れた。
「サウベリア王国は虹を纏う伝説の鳥ラ・ベリティを信仰していてね」
アシエラが小声でチトセに教えてくれる。
空にかかる虹をその身に纏うとされるラ・ベリティはサウベリア王国でのみ信仰され、航海の安全などを見守ってくれる。そこから転じて、「ラ・ベリティの起こす風に乗れますように」との祈りの言葉が物事の成功を祈るフレーズとしてサウベリア王国では使われている――らしい。
「もっとも、サウベリア王国民でもないとまず知らないフレーズだよ。だから、王国民とそれ以外を見分ける簡単な暗号に使われる」
「……じゃあ、さっきのやり取りって」
「私はエルフだから、向こうもサウベリア王国民だとは思ってないはずだよ。ただ、リスペクトがあるかどうかは大きいよね」
つまり、アシエラが先ほどの祈りの言葉を適切に使ったから、参加費用をまけてもらえたらしい。
カウンターから若い男の怒鳴り声が聞こえてきた。
「――ふざけんな! なんで参加費がこんなに高いんだよ‼」
祈りの言葉を唱えられない余所者に、この建物の人間は冷徹だった。
「参加なさいますか?」
カウンターの女性は一切表情を動かすことなく余所者に意思を問う。
チトセはカウンターを振り返らず、アシエラと共に建物を出た。
ここは旧サウベリア王国。五十年前にディッセラ帝国に滅ぼされ、いまなお独立機運の高い土地柄だ。