軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

政変

永禄五年(1562年)三月上旬 山城国葛野・愛宕郡 平安京内裏 二条晴良

今日は気分が良い。あの目障りな小僧もこの世にはおらぬ。あの小僧さえ居なければ近衛を追い落とすのは難しく無い。私が関白に再任するのも間近だ。

「ふふふふ」

軍略の才が有るのは認める。知恵が有るのもな。胆力も有るだろう。だが些か才を誇り過ぎたの。人というのは論破されれば納得するよりも反発するものよ。まして武家というのは武力を持つだけに気性が荒い。その辺りが分からぬとは未だ未だ若いわ。左京大夫だけ説得すれば大丈夫と見たのかもしれぬ。まあ、もう才を誇る事も無かろうが……。

「ふふふふ」

先程から笑いが止まらぬ。顔も締まらぬわ。今朝、邸の門に矢文が打ち込まれていた。文にはお望み通り頭中将を殺したと記されていた。馬鹿と鋏は使いようとは良く言ったものよ。

「ふふふふ」

右衛門督め、律儀に返事を寄越したわ。しかしお望み通りと言うのは頂けぬの。自分だけに責任を押し付けるなという事かもしれぬ。最近は小賢しい若僧が多いわ。

いかぬの、宮中に参内したのじゃ。顔を引き締めなければ……。殿上の間に行くと万里小路権大納言が顔を綻ばせて私を見た。上手くいったと思っているのだろう。頷く事で答えると向こうも頷いた。西園寺左大臣、花山院右大臣、徳大寺権大納言、四辻権大納言、

庭田権中納言、滋野井権中納言、正親町三条権中納言、そして九条家に養子に行った息子、九条中納言……。皆、満足そうにしている。

頭弁が足早に殿上の間に入ってきた。

「皆様、帝が紫宸殿に集まるようにとの事でございます」

紫宸殿に? はて……。いや、それよりもだ。

「頭弁、頭中将はどうしたのかな。これは貫首の役目だと思うのだが」

問い掛けると頭弁が顔を強張らせた。

「麿が帝から直接命じられました。お急ぎ下さい」

頭弁が顔を伏せ足早に去った。彼方此方から笑い声が上がった。頭弁は知っているな。大分慌てているらしい。もしかすると頭弁の許にも矢文は打ち込まれたのかもしれぬ。となると帝も知っているという事か。これでは綸旨を出す事に反対は出来まい。後は六角が摂津に攻め込むかどうかだがそれは武家の事だ。どうでも良いわ。反対した頭中将は殺された。已むを得なかったと三好に言い訳すれば良い。

殿上の間から紫宸殿へと向かう。足が軽いわ。弾みそうになるのを抑えた。私だけではあるまい。他にも苦労している者は居るだろう。息子の権中納言が側に寄ってきた。

「これからどうなりましょう?」

「どうでも良いわ」

息子が不満そうな表情を見せたがどうでも良いのだ。あの小僧が殺された事で勝負は付いた。二条の勝ち、万里小路の勝ちだ。近衛と飛鳥井は潰される事になる。帝にこれは止められぬ。あのような小僧を重用するのが悪いのだ。今後は今少し注意するようになるだろう。

紫宸殿で帝の御出座を待つ。飛鳥井権中納言も居る。権中納言の顔には変化が無かった。哀れな、何も知らぬらしい。今日が飛鳥井の没落の日だというのに……。近衛太閤の顔にも変わりは無い。愚かな……。帝が部屋に入ってきた。頭を下げ畏まる。帝が上段の間に座るのが分かった。頭を上げた。

「馬鹿な……」

思わず声が漏れた。帝と自分の間に頭中将が居た。

「そなた、何故此処に……」

「無礼者!」

「痛!」

いきなり顔に衝撃が走った。膝行り寄った頭中将の手に扇子が有る。頬を叩かれたのだと分かった。この小僧、私を叩いたのか!

「帝の御前でおじゃりますぞ。何を煩く騒ぐのか。如何に二条様といえど無礼でおじゃりましょう」

慌てて帝を見た。冷たい目で私を見ている。背筋が凍った。

「申し訳おじゃりませぬ!」

頭を床に擦りつけて謝罪した。馬鹿な、頭中将は死んだ筈だ。何故此処に居る。右衛門督は失敗したのか? しかし殺したと文が……。混乱した。どうなっている? 周囲を横目で見た。声を掛けた者は皆が混乱していた。

「二条、頭中将が生きているのが不思議か?」

頭を上げて帝を見た。口元に冷えた笑みが有った。

「決して、決してそのような事は」

声が掠れた、十分に出ない。口中が粘つくように絡まる。

「無いか。それが真ならば良いな」

帝が”ふふふ”と笑った。ぞっとした。落ち着け! 頭中将は生きている。生きているのだ。それを受け入れろ! 狼狽えるな! 近衛太閤が嗤っていた。カッとなりかけて慌てて堪えた。

「昨夜の事だが七十人程の浪人者が頭中将の邸を襲ったそうだ」

やはり右衛門督は襲ったのだ。となると頭中将は邸に居なかったのだろう。あの役立たずの間抜けが!

「多勢に無勢だ。頭中将は危険なまでに追い込まれたらしい。だが六角の兵が現れ浪人達を追い払ってくれたそうだ。そうだな、頭中将?」

六角の兵が? 馬鹿な、どういう事だ? 混乱した。私だけでは無い。西園寺、花山院、万里小路、皆が混乱している。ざわめく声が聞こえた。

「はい。その後で六角の本陣に赴き左京大夫殿、右衛門督殿に礼を言いました。そこでこのような物を渡されました」

頭中将が懐から何かを取り出した。悲鳴が聞こえた。馬鹿な……。目が離せない。あれは……。

「変な声を出したのは左府か?」

帝の問いに左府が”お許しを”と震える声で謝罪した。

「左府は心当たりが有るようでおじゃりますな。二条様も心当たりが有るのではおじゃりませぬか?」

「そうなのか、二条」

頭中将が、帝が冷たい目でこちらを見ている。身体が震える。声が出そうになるのを懸命に堪えた。

「これらの文は昨日、一部の公家から六角右衛門督殿に送られたものでおじゃります。文には麿が邸に戻った事、妻の春齢は宮中に留まった事が記載されています。そして文を送った者の名も」

彼方此方から悲鳴のような声が上がった。

「頭中将、その者達の名を読み上げよ」

「はっ。二条様、西園寺左府、花山院右府、中院権大納言様、徳大寺権大納言様、四辻権大納言様、万里小路権大納言様、庭田権中納言様、滋野井権中納言様、正親町三条権中納言様、九条権中納言様、庭田侍従殿、正親町右少将殿、五辻左兵衛権佐殿。以上におじゃります」

シンとした。痛いほどに視線を感じる。身動き出来ない。

「右衛門督殿は文を訝しく思い左京大夫殿に見せたようでおじゃりますな。左京大夫殿はこれは右衛門督殿を利用して麿を殺させようとしていると判断しました。最初は捨て置こうとしたようですが念のために麿の邸に警護の兵を送った。それが無ければ麿は死んでいたでしょう」

六角は頭中将を襲っていない! では誰が襲ったのだ? 誰が殺したと矢文を射た? 分からぬ。どうなっている? また近衛太閤が嗤っていた。今度はゾッとした。私の知らぬ所で何かが起きている……。

「左京大夫殿、右衛門督殿は酷く怒っておじゃりますぞ。宮中の争いに自分達を利用しようとした。自分達に罪を擦り付けようとしたと」

利用しようとしたのは事実だ。だが罪を擦り付けるとはどういう意味だ? 何を言っている?

「二条様、仲間を集め浪人者を雇い麿を襲わせたのは二条様でおじゃりますな?」

「ば、馬鹿な、何を言っている」

「ほほほほほ」

頭中将が嗤った。

「隠さなくても良いでしょう。右衛門督殿に文を送ったのは麿を殺した罪を右衛門督殿に擦り付けるためではおじゃりませぬか? 右衛門督殿が麿を殺すという確証はおじゃりませぬからな。確実に殺すために皆を誘い、銭を出し合って浪人者を雇った」

「ち、違う」

必死に手を振って否定した。

「公には麿を説得せよという文を送ったのに右衛門督殿は乱暴にも麿を殺してしまった。そう言い訳するつもりだったのではおじゃりませぬか?」

「ち、違う。麿は浪人者など雇っていない!」

「ほほほほほほ」

頭中将がまた嗤った。

「麿が殺されれば綸旨も出せますな。三好には反対した者は殺される。そう言い訳すれば三好も朝廷を責められませぬ」

確かにそうだ。だが私は浪人者を雇ってはいない。誰だ? 誰が浪人者を雇ったのだ?

「麿一人が犠牲になる事で皆を納得させる。二条様、怖い事を考えますな。もう少しで殺されるところでしたぞ。怖い、怖い」

頭中将が嗤うと”二条”と帝が私を呼んだ。慌てて”はっ”と畏まった。

「そなたは仲間を集め、浪人者を雇い、頭中将を殺そうとしたのだな」

「臣ではおじゃりませぬ! そのような事は断じてしておじゃりませぬ!」

ここははっきりと言わねばならぬ。私は浪人など雇っていない。帝が”ほう”と声を上げた。明らかに嘲笑を感じた。

「では何のために仲間を集め、文を書いたのだ?」

「それは……」

「わざわざ春齢が居ないと書いたのは何故だ?」

「……」

答えられぬ。今更六角に説得させようとしたなどとは通用しない。額から汗が滴った。一滴、二滴。……どうする? どうすれば良い? 道が見当たらぬ。このままでは……。

「答えぬのか、二条。……答えぬという事は罪を認めた事だぞ」

「し、臣は浪人者など雇ってはおじゃりませぬ」

「では誰が浪人者を雇って頭中将を襲わせたのだ? 六角は頭中将を助けたのだぞ。そなた達の文も渡した」

「それは……」

分からぬ。一体誰が……。

「そなた以外には居るまい」

「臣は浪人者など」

「見苦しいぞ! そなたは仲間を集め頭中将を殺そうとした。それを否定出来ると言うのか?」

「……」

否定出来ぬ。浪人者は雇っていない。しかし殺そうとしたのは事実だ。

「否定出来ぬようだな。……処分を言い渡す。文を書いた者は位官を剥奪し勅勘とする」

悲鳴が上がった。

「宥免の勅が有るまで邸で蟄居せよ」

帝が立ち上がった。頭を下げて見送る。何故だ? 何故こうなった? 頭を上げた。目の前に頭中将が居た。

「そなただな」

頭中将が訝しげな表情をした。

「そなたが麿を嵌めた」

何をしたのかは分からぬ。だが目の前の男が何かをしたのだと思った。

「何を言い出すかと思えば……」

頭中将が苦笑を浮かべた。

「嵌めたなどとは言いがかりでおじゃりますな。自分が犯した罪に相応しい処罰を受けた。それだけではおじゃりませぬか? それとも自分は無実だと?」

「……」

「真、無実なら申し開きが出来た筈ではおじゃりませぬかな?」

反論出来ない。その通りだ、無実では無い。だが浪人者を雇ってはいない。

「では、失礼致しまする。次に会う機会が何時になるか……。御身御大切になされませ」

頭中将が一礼して立ち上がった。そして去って行く……。何がどうなったのか、未だに分からぬ。だが負けたのだという事だけは分かった。

永禄五年(1562年)三月上旬 山城国葛野・愛宕郡 平安京内裏 飛鳥井基綱

常御所に行くと帝は一人寛いでいた。

「飛鳥井におじゃりまする」

声を掛けると”これへ”と答えが有った。帝の側へと寄る。

「一つ片付いたな」

「はい」

「だが未だ一つ残っている」

「はい、直にこちらに参りましょう」

帝が”うむ”と頷いた。憂鬱そうな表情をしている。

「疲れてはおらぬか?」

「些か」

六角の陣から戻っても殆ど寝る暇は無かったな。文を書いた奴の邸に矢を射かけさせたし夜明け前に密かに参内して帝に全てを報告して今日の打ち合わせをした。疲れたわ。

「済まぬな、そなたには苦労をかける」

言葉だけじゃ無い。帝は真に済まなさそうな表情をしている。心に浸みた。帝だって疲れは相当なものだろう。

目が赤い。昨夜は俺の事を心配してろくに寝ていないのだ。俺が参内した時は涙を流して喜んでくれた。

「苦労とは思いませぬ。帝こそお疲れではおじゃりませぬか?」

問い掛けると帝が首を横に振った。

「京を戦火から守るためじゃ」

エラいもんだよ。自然と頭が下がった。

バタバタと足音が聞こえた。宮中で足音を立てて走る。本来誰もが避ける事だ。相当に焦っているらしい。

「来たようだ」

帝が憂鬱そうな表情をしている。いや、この先の事を考えると俺も憂鬱だよ。溜息が出そうになったが堪えた。

足音が近付いてくる。新大典侍が姿を現した。肩で息をしている。はーはーと息を吐く音が聞こえた。帝を見て、俺を見て睨んだ。目が吊り上がっている。まるで鬼女だな。うんざりした。帝が小さく息を吐くのが分かった。

「失礼致しまする」

低い声だ。おいおい、ドスを効かしてどうするんだよ。嫌われるだけだぞ。今度は俺が溜息だ。

新大典侍が部屋の中に入ってきた。俺が脇に控えると俺が座っていた所に座った。そして俺を睨んだ。邪魔らしいな。俺が帝に視線を向けると帝が首を横に振った。新大典侍が唇を噛み締めた。

「何用か、新大典侍」

帝が問い掛けると新大典侍が不満そうに口元に力を入れた。

「兄、万里小路権大納言の事にございます」

「勅勘にした」

新大典侍が眉を釣り上げた。

「何故にございます? 兄は浪人者など雇ってはおりませぬ」

「二条もそう言っていたな。しかし頭中将を殺そうとした事に対しては申し開き出来なかった。そなたの兄はその事に対して何か言っていたか?」

帝の問いに新大典侍が口惜しそうな表情をした。

「兄はただ文を書いただけにございます」

「そなたはそれが無実の証になると思うのか?」

「……罪の証になりましょうか?」

その言い訳は苦しいぞ。帝が顔を顰めた。

「文には頭中将が邸に戻る、春齢は宮中に留まったと書いてあった。それが何を意味するか、そなたは分からぬと言うのか?」

新大典侍が口籠もった。

「此度は六角は兵を出さなかった。だが出していれば頭中将は殺されただろう。そなたはそれが分からぬと言うのか?」

「……」

「分かったようだな。ならば勅勘の処分に不満は有るまい」

「……万里小路は」

新大典侍が声を絞り出すと”止めよ!”と帝が叱責した。顔を顰めている。

「そなたは万里小路が朕にとって特別な家だと言いたいようだな。確かに朕にも万里小路の血が流れている。誠仁にもだ。しかしだからといって権大納言の罪を不問にする事は出来ぬ」

「……」

帝の言う事は正論だ。ここは大人しく引くべきなんだが……。新大典侍が口惜しそうに唇を歪めている。無理だろうな。

「朕からそなたに聞きたい事が有る」

帝がゆっくりと懐から文を取り出した。新大典侍の顔が強張った。

「そなたが六角右衛門督に宛てて出した文だ。覚えが有るな」

「……」

新大典侍は固まった儘だ。

「六角が頭中将に渡さなかったとでも思ったか? そなたに利用価値が有ると隠したとでも思ったのか?」

「……」

新大典侍の表情が動いた。そう思いたかったのだろうな。そう思う事で自分がこの状況を打開出来ると信じたかったのだろう。そうじゃないんだよ。ちゃんと理由が有るんだ。

「紫宸殿でこの文を出さなかったのは出せば誠仁に悪い影響が出かねぬと頭中将が案じたからだ。もっともだと思った。だからあの場でも主犯は二条とした。権大納言は数ある共犯者の一人だ。本来は二条と組んで今回の騒動を起こした主犯だがな」

「……」

新大典侍が俺を見た。信じられないといった表情をしている。馬鹿な女だ。俺が寧仁様を帝にしたいと考えていると疑っていたのだろう。寧仁様は未だ赤子だ。無事に成長するという保証は無い。この時代は成人せずに死亡する子供は多いんだ。誠仁様だって未だ十一歳だ。安心は出来ない。公家達が寧仁様の誕生を喜んだのはそういう現実が有るからなんだ。

「権大納言への処分を知れば必ずそなたが此処に来ると思った。だから人払いをして待っていた」

新大典侍が”待っていた”と呟いた。

「公にはそなたを処分はせぬ。誠仁のためにな。だからそなたは自発的に身を引くのだ。宮中から退出し以後は万里小路の邸で謹慎蟄居せよ。二度と宮中に参内する事は許さぬ。公家達、誠仁との文の遣り取りも許さぬ」

「そんな」

躙り寄ろうとする新大典侍を俺が”新大典侍殿”と声を掛けて制した。新大典侍が俺を睨む。俺が首を横に振ると口惜しそうな表情を見せた。

「出来ぬか? それが出来ぬと言うならこの文を公表しそなたを勅勘の処分とする」

シンとした。そうなれば誠仁様は後継者としては不適格だという声が上がるだろうな。

「如何する?」

新大典侍が俯いた。そしてゆっくりと顔を上げた。

「邸に戻り謹慎致しまする」

「ならば直ぐ邸に戻れ。誠仁に会う事は許さぬ」

「そんな! 母子にございます。せめて最後に」

”ならぬ!”と帝が叱責した。

「誠仁はそなたの息子だが 万里小路の者ではない。誠仁は王家の者だ。いずれは朕の後を継ぎ帝になる者。誠仁の耳に詰まらぬ事を吹き込むのは許さぬ」

厳しい言葉だが正しい言葉でも有る。しかしなあ、新大典侍は納得出来ないだろうな。万里小路は帝と繋がりを持つ事で繁栄してきたんだから……。