軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

都落ち

天文二十二年(1553年) 九月上旬 近江高島郡朽木谷 朽木城 朽木成綱

兄長門守藤綱に呼ばれ弟達と共に城主の間に行くと其処には兄が一人で座っていた。憂鬱そうな表情をしている。

「来たか、近くへ」

右兵衛尉直綱、左衛門尉輝孝と顔を見合わせた。兄は大声では話したくないらしい。良い事で呼ばれたのではないと分かった。兄から半間程離れた所で座ると兄が憂鬱そうな表情で頷いた。

「京から父上に文が届いた」

「……」

「竹若丸殿と飛鳥井左衛門督様からだ。先程儂と蔵人の叔父上、主殿、五郎衛門、新次郎で話を聞いた。そなた達にも報せよとの事じゃ。一度に皆が集まると何事かと思われるからな」

父は頻繁に京の飛鳥井家、竹若丸と文の遣り取りをしている。竹若丸の事が心配なのであろうがその文から京の近況が分かる。そして竹若丸の状況を見る眼は鋭い。朽木家にとってその文の持つ意味は極めて大きい。

「六角と朝倉だが竹若丸殿は動かぬと見ている」

弟達と顔を見合わせた。公方様、管領細川晴元様は脈有りとみている。今も六角には三淵殿、細川殿、朝倉には上野殿、進士殿が向かっているが……。

「今になって動くくらいなら先日の戦いで動いていたと。動かなかったのは三好と戦う意思が無いからだと」

確かにその通りかもしれぬ。

「朝倉は細川様の娘婿ですが?」

末の弟の左衛門尉が問い掛けたが兄は首を横に振った。

「北に加賀の一向一揆が有る。それに兵を率いるとなれば朝倉宗滴だろうが宗滴は老齢、竹若丸殿は上洛戦は難しいと見ている」

溜息を吐く音が聞えた。確かにそうだ、宗滴殿は既に七十を越えている筈、老いの身に京まで兵を率いて上がれというのは厳しかろう。公方様もその周りもその辺りを認識していない。

「竹若丸殿は公方様の朽木での滞在は長くなると見ている、儂と父上も同感だ。公方様の滞在は長くなるだろう」

兄の口調には苦渋があった。

「どのくらいになりましょう?」

直ぐ下の弟の右兵衛尉が呟くように言った。

「さて、……長くとあるからには二年は覚悟せねばなるまい。三好筑前守も将軍が居なくては何かとやり辛かろう。前回と同じように和睦で京に戻るのではないかと思っている」

私が答えると弟達が溜息を吐いた。

「一年ならともかく二年となれば公方様も幕臣達も心が荒れましょう、兄上にも気苦労をかける事になります」

兄が顔を歪めた。

「まして随分と人が減りましたからな」

末弟の左衛門尉の言葉に皆が頷いた。公方様に従う者は領地を召し上げる、三好筑前守の強硬な姿勢は皆を震え上がらせた。多くの者が公方様の下を去り今では四十人程しか傍にいない。落魄とは言わないが寂しい限りだ。

「まあその分こちらの負担は減る」

兄の言葉に皆で笑った。兄も笑っている。苦労されている。朽木家当主としての兄の立場は決して盤石ではない。当主就任の経緯から如何しても不安定にならざるを得ない。その分だけ家臣達にも配慮せざるを得ないのが実情だ。竹若丸の事も決して呼び捨てにはしない。殿をつけて必ず敬意を払っている。少しでも周囲の心を宥め様としての事だろう。幸い領内は安定し少しずつだが豊かにもなっている。良い方向に向かっていたのだ。だが……。

公方様が朽木に逃れてきた。家臣達の心には公方様に対して余計な口出しをしたという不満が有る。それに幕臣達も岩神館では傍若無人に振舞うだろう。既にその兆候は出ている。 瘡蓋(かさぶた) が出来て漸く出血が止まったというのに無理に毟って傷口に塩を擦り込むようなものだ。兄が苦情を言えば誰の力で朽木家当主になったと声高に言うのは見えている。竹若丸がかつて危惧した事が現実になりつつある。その事を言うと緩んでいた兄の表情が瞬時に苦みを帯びた。

「朽木家当主の座か、覚悟はしていたが思っていたより居心地は悪い。そなた達が望むなら替わっても良いぞ」

軽口なのだろうが笑えなかった。弟達も笑えずにいる。それを見て兄が軽く笑った。

「正直に言えば二歳で当主になる竹若丸殿に妬みが無かったとは言えぬ。羨ましかったのだな。誹ったつもりは無かったがあれはやはり誹ったのであろう。こうなったのも自業自得よ」

兄が自嘲している。

「兄上、三好が攻めてくる可能性は有りませぬか?」

話題を変えたくて問い掛けると兄が首を横に振った。

「朽木には兵が無い。下手に攻めて六角や朝倉に行かれた方が面倒だ。三好が朽木を攻める事は無いと文には書かれてあった。まあ用心は必要であろうが……」

朽木は八千石、確かに兵は無い。京に近く攻め辛い土地故将軍が逃げてくるが追い払った方から見れば座敷牢に閉じ込めたようなものなのかもしれない。公方様の幽閉先が朽木か……。本人達は分かるまいな。

「左衛門督様より竹若丸殿を目々典侍様の養子にするかもしれぬとあった」

「……」

「三好孫四郎が執拗に竹若丸殿の命を狙っているらしい。目々典侍様の養子にして宮中で育てた方が安全だと書かれてあった」

弟達と顔を見合わせた。戦は三好が勝った。にも拘らず孫四郎は竹若丸の命を狙っている。余程に怒らせたらしい。一体何を言ったのか……。

「公方様が滞在していれば周囲の敵が攻めてくる事は無かろう。これを機に内政を充実させるつもりだ。竹若丸殿からも作って欲しい物が有ると言われている」

「ほう、それは楽しみですな」

兄が笑みを浮かべて頷いた。新たな産物の育成か。領民達が喜ぶだろう。兄の立場を固めるには家臣、領民達の支持が要る。新しい産物が出来ればそれも得やすくなる。その面では竹若丸の協力は大きい。家臣、領民達に対して兄と竹若丸が親密な関係なのだと思わせる事が出来る。

「父上からも内政に専念しろと言われている。岩神館には自分が行くから余り来るなとも言われた」

兄が行けば恩着せがましく色々と言われると思っての事であろう。

「そういうわけでな、儂は岩神館には余り行かぬ。そなた達もその事で色々と言われるかもしれぬが上手くかわしてくれ、頼むぞ」

「はっ」

兄も気苦労が絶えぬな。

「そう言えば兄上、越後から長尾が拝謁を求めてやってくると聞いておりますが」

兄が頷いた。

「従五位下、弾正少弼に任じられたからな。上洛し朝廷にお礼言上をするそうだ。近年珍しいほどの律義さよ。その後でここに来ると聞いている。兵を出せと迫られるだろうな、可哀そうに」

皆が笑った。遠国の大名にとって兵を出せなど迷惑でしかあるまい。まして越後は雪国、朝倉でさえ兵を出さぬのだ。

兄の部屋を辞去し岩神館に行く途中、父の事を考えた。父は進士美作守と上野民部大輔に強い不満を持っている。若い公方様を焚き付け無謀な戦をさせたと。そして簡単に煽られる公方様にも不安を感じている。竹若丸の一件以来徐々にだが足利から心が離れているのではないかと見える時も有る。これからどうなるのか……。

天文二十二年(1553年) 九月下旬 山城国葛野・愛宕郡 平安京内裏 長尾景虎

帝に拝謁する。庭にて天盃と御剣を頂く事になった。そのために武家伝奏勧修寺権大納言様の案内で庭を歩いている。荒れていると思った。庭も土塀も荒れている。公方様も京を追われた。嘆かわしい事だ。苦い思いを抱きつつ歩いていると“えい、えい”と声が聞えた。童子が木刀を振っている。こちらに気付いたらしい、木刀を振るのを止め礼をしてきた。五、六歳だろうか、顔が上気している。

「竹若丸殿か、精が出るの」

童子が顔を綻ばせた。

「勧修寺様こそ御役目御苦労様にございます」

「おお、労うてくれるか。そなたは優しいのう」

童子がこちらを見た。

「飛鳥井竹若丸にございます。御尊名をお教え頂ければ幸いにございます」

「これは御丁寧な挨拶、痛み入る。某は越後守護、長尾弾正少弼景虎にござる」

童子がまた顔を綻ばせた。

「武名高き長尾様にお会い出来るとは望外の幸せ。お時間を取らせました」

童子がまた頭を下げた。権大納言様が“参りましょうかの”と言って歩き出した。その後を歩くと直ぐに木刀が風を切る音と掛け声が後ろから聞えて来た。はて、このようなところで素振り?

「権大納言様、先程の童子、飛鳥井と名乗りましたが」

「飛鳥井権大納言の孫でおじゃる。今は叔母の目々典侍の養子でおじゃりましてな、訳あって宮中で暮らしておじゃる」

権大納言様が“そうか”と言って足を止めた。そしてこちらを向いた。

「そなた、京に来る前に朽木に行ったか?」

「いえ、先ずは朝廷にと思いましたので。帰りに公方様に拝謁を願おうと思っておりまする」

答えるとまた“そうか”と言ってまた歩き出した。

「ならば知らぬのも無理は無い。竹若丸殿は本来なら朽木家の当主としてそなたを迎える立場の人間であった。父親が先代の朽木家当主でおじゃっての、だが三年ほど前に討ち死にした。幕府は幼児には当主は務まるまいと言ってな、当時幕府に出仕していた叔父の長門守を当主にするようにと命じた。已むを得ず竹若丸殿は母親と共に飛鳥井家に戻ったのじゃ。母親は飛鳥井家の娘で目々典侍の姉じゃ。それ以来将軍家と飛鳥井家は疎遠になりつつある……」

「左様でございますか」

叔父の長門守が幕府を利用して家を乗っ取ったのかもしれぬ……。それでは幕府に含むところは有ろうな。

「武家の血でおじゃるのかのう。公家として育てられてもああやって木刀を振るっておる。何とも憐れな事よ」

「利発気に見えましたが?」

権大納言様が顔をのけ反らして笑った。

「そうよのう、利発な子じゃ。将来が恐ろしいわ」

恐ろしい?

「三好筑前守を震え上がらせたのでおじゃるからの」

「なんと!」

権大納言様が足を止めてこちらを見た。

「恐ろしかろう?」

そう言うと笑い声を上げて歩き出した。

天文二十二年(1553年) 九月下旬 山城国葛野・愛宕郡 平安京内裏 飛鳥井竹若丸

素振りを終えると俺に与えられた部屋に戻った。部屋で汗を拭う。良いのかねえ、宮中で暮らしているなんて。三好孫四郎が俺を殺そうとしているから宮中で匿って貰ったんだが何時の間にか叔母の養子になって宮中で暮らすようになった。拙いんじゃないの、と思うんだが誰も問題視しない。閑院大臣の前例が有るから問題ないと言うのが前例至上主義の宮中の判断らしい。そんなものかと俺も最初は思ったがその前例を調べて吃驚した。

閑院大臣というのは平安時代の貴族、藤原公季の事だ。三条家、西園寺家、徳大寺家等がこの公季の子孫で閑院流と呼ばれている。閑院の名は公季の邸宅だった閑院殿から来ているらしい。公季は藤原道長と同時代の人間で道長政権では長く内大臣を務めた。その後は右大臣、太政大臣になっているから十分過ぎる程に出世したと言えるだろう。

この公季が何故宮中で育てられたかだが母親が醍醐天皇の娘だった事、その母親が幼少期に亡くなった事、姉が中宮、つまり天皇の御后だった事が理由だ。公季は天皇の甥であり同時に義弟でもあった。要するに公季は当時の天皇家と密接に結び付いていたのだ。これじゃ宮中で育てられても誰も文句は言わんわ。

いや、一人文句を言った人間が居た。後の円融天皇だ。その当時は皇子だったのだが公季が皇子のように振舞うので嘆いたと大鏡に書かれている。“お前いい加減にしろよ”、そんな感じだな。ちなみに円融天皇の母親は公季を引き取った中宮だった。多分母親は円融天皇よりも公季を可愛がったんだろう。円融天皇は可愛げが無かったんだろうな。可哀そうに。

そんなのが前例になるのかねえ。叔母に訊いたのだが“良いのです”の一点張りだった。おまけに俺を養子にして息子なんだから母親の傍で暮らすのは当たり前、と息巻いている。なんだかねえ、叔母、いや養母にとって俺は可哀そうでならない存在らしい。俺はこの世界で父を失い朽木家を追われ母親も居なくなって天涯孤独、自暴自棄になっているように見えるようだ。自分が救わなければと変なスイッチが入っている。

そうじゃないんだ。俺は自分を試したいだけなんだ。折角の二度目の人生なんだ、自分の知識と前世での経験を使って自分に何が出来るのか試したい。それだけなんだけどなあ……。三好でちょっとやり過ぎたかな。自暴自棄になっていると思われてる。困ったものだ。

「 兄様(にいさま) 」

声を掛けて部屋に入って来たのは春齢女王だった。後ろに女官が二人付いている。もう一人、俺を悩ませる頭の痛い存在がこいつだ。

「竹若丸です」

「兄様で良いでしょう。兄様は私と同い年ですけど皆が私よりもずっと大人だと言います」

口を尖らせるな。鵞鳥化してるぞ。

「駄目です。私は養子、貴女様は帝の御子、御身分に拘わります」

無視して俺の前に座った。

「私、大きくなったら兄様の御后様になってあげる」

女官達が口元を袂で押さえながらクスクス笑い出した。

「無理ですね。私は后なんて持てる立場にはありませんし貴方様とは身分が違いますから妻には出来ません。諦めてください」

「そんなことないわ、愛は全てを超越するのよ!」

「……」

眼をキラキラさせて言うな! 唖然としていると春齢が“ウフフ”と笑った。寒いわ、お前歳は幾つだ?

「小萩が教えてくれたわ。そうでしょう、小萩」

女官達の一人が“はい”と答えると声を上げて笑った。もう一人も笑っている。

「女王様に詰まらない事を教えてはなりませぬ」

厳しく言ったんだが女官達は面白がるだけだ。如何も俺が子供らしくないんで春齢を使ってからかって遊んでいるらしい。困ったものだ。どう文句を言おうかと悩んでいると養母が部屋に入って来た。表情が厳しい、顔が強張っている。何か有ったな。

「竹若丸に話が有ります。皆、席を外しなさい」

皆素直に従った。流石目々典侍、貫禄の一言だったな。養母が俺の傍に座った。ジッと俺を見ている。もう一回抱きしめてくれないかな、良い匂いがするんだ。

「そなたに会いたいという者が居ます」

ふむ、もしかすると景虎かな? だとしたら嬉しいけど。

「三好家家臣、松永弾正という者です」

思わず“ほう”と声が出た。

「筑前守様の命でしょうか?」

養母が首を横に振った。

「そうではないようです。弾正は兄上を訪ねそなたに会いたいと願ったそうです。その時に自分の判断で来たと、内密に願いたいと頼んだのだとか」

なるほど、他人には知られたくないか。いや、正確には三好家内部に知られたくないという事なのかもしれない。三好家内部では俺に対する反感が強いのだろう。要注意だな。

「或いはそなたを害そうとしているのかもしれませぬ」

如何かな? 有り得るかな? 無いとは言えないが……。

「会いましょう」

「場所は如何します。安全に会える場所、内密に会える場所が必要です。兄上の所は危険ですよ」

「場所はここで」

「ここで?」

養母が眉を上げた。

「夜、内密に」

養母がゆっくりと、大きく頷いた。

「分かりました。そのように取り計らいましょう」

「有難うございます」

「但し、その席には母も同席させてもらいますよ」

保護者同伴か、まあ良いだろう。未だ五歳なんだからな。